眼中にありません
手慰み、第数弾でございます。
お楽しみいただければ、幸いでございます。
一家の中で、絶対的に権力があった父が、先日亡くなった。
公爵だった父の跡を継いで、小公爵から晴れて公爵位を継いだ長男は、この日、一世一代の告白をするため、執務室にある女を呼び出した。
物心つく頃から、様々な教育を請け負ってくれていた美しいその女性は、年齢の壁を感じさせないほどに若々しく、使用人からも評判がいい。
公爵の初恋の相手で、その後反抗期には年相応の女性との恋愛に逃げてしまったことはあるが、結局諦めきれずに今に至っていた。
前公爵は、そんな息子が女に懸想する様を見るたびに、断固として釘を刺し続けていたが、その父も故人だ。
邪魔者が消えた今、公爵は晴れて爵位を継いだ教え子の元から立ち去るつもりの女を、夫人として迎えるつもりになっていた。
本当は、その日の夜に呼び出して告白するつもりだったが、執事の報告で早めることにした。
メイドに連れられて執務室にやってきた女に、公爵は花束を渡しながら、真面目に告白する。
「今までは、教師として接してきましたが、これからは一人の女性として、接してもいいですか?」
片膝をついて花束を差し出した公爵に、女は微笑んだ。
「ありがとうございます。本当に、ご立派になられましたね。あなた様が、爵位に溺れず女性を敬えるようになった事、とても誇りに思います。これから孫たちに囲まれる立場としては、自慢話が出来て、嬉しい限りでございます」
「……?」
目が点になった公爵に、女はやんわりと続ける。
「ですが、この姿勢でのそのお言葉は、時と場合を考えなされませ。これではまるで、求婚されているようで、受け取りづろうございます」
そっと、片膝ついた公爵に姿勢を戻すように促し、女はしんみりと言った。
「わたくしの息子たちと同世代という事で、教育を任されてから、はや十年。本当にご立派になられましたね。後は伴侶を得るまで見届けられれば良かったのですが、坊ちゃまが爵位を継ぐまでという契約でしたので、もう失礼いたしますね」
「ま、待ってくれっ? いつの間に、所帯を持っていたのだっ? 聞いていないぞっ?」
花束を持ったまま、公爵が問うのを、女は不思議そうに首を傾げながら答えた。
「こちらに雇られる前に結婚して、子を五人儲けておりましたが……」
「ごっ」
「毎日、自宅より通っておりましたので、ご存じのものとばかり……」
一度立ち上がった公爵が、今度は両ひざを折ってしまった。
おいたわしや……。
執務室の外で待機していた執事とメイドが、秘かに涙をハンカチで拭った。
「本当に、ご存じではなかったのですね……」
「ええ。まさか、ここまで盲目であったとは、つゆ知らず……」
メイドのしんみりとした呟きに頷いた執事は、溜息を吐いた。
そう、知らなかった。
爵位を継いだ公爵が、この見た目の若すぎるご老体に懸想し、夫人に迎えようとしているなど。
夕食前に迎えが来て、女が屋敷を去った後、半狂乱となって後を追い、獣害として女の息子に狩られてしまうなど。
前の人生では、思い及びもしなかった。
だが、これが真実だった。
獣人と人間が入り混じるこの世界で、本能を抑え込んで公爵位にまで上り詰めた、竜人の後継ぎは、あろうことか、竜殺しの異名をとるハンターの妻に、懸想してしまった。
実際は、先代が女の旦那と仲が良く、竜殺しとは言っても、別な意味合いだったのだが、その夫婦の息子の一人が、その異名を現実化してした形になる。
主人が獣害として駆除され、爵位は返上となってしまったため、領地は国が管理することになってしまい、使用人として雇われていたこの屋敷の自分を含む獣人たちも、野に下ることになってしまい、若い獣人たちは路頭に迷ったと聞いている。
あの頃で年を負っていた執事は、ひっそりと山奥で寿命を迎えたが、何故か少し若い頃に時が戻った。
女が教師として、雇われた時期だ。
この頃だったかと、他人事のように思ったものだったが、今回は少しだけ違う動きがあった。
前回と同じように、女を部屋に案内すると、当時は健在だった公爵に、執務室に呼ばれたのだ。
戸惑いながら執務室に入った執事は、公爵の他に大柄な人間の男がいるのに気づいた。
その男が女の旦那だと気づき、執事が驚きつつも頭を下げると、公爵は静かに言った。
「……私が死んだ後の話は、伯爵から聞いた。一体、何をどう勘違いして、息子は狂ったのだ?」
久しぶりに聞く貫禄ある声に、身をすくめつつも執事は前の人生の経緯を話した。
説明しながら遅ればせながらも、ここにいる二人も前の人生の記憶があると思い当たったが、迫力に押されてそれを指摘するに至らない。
公爵は、執事の説明に深く溜息を吐いた。
「……そうか。あの若作りが問題だったか」
「……それは、指摘し辛いな。あれで、うちの嫁は容姿にこだわりがある。貴族としての最小限の気遣いとして、身ぎれいにする必要もあるからな」
「そうだな……童顔に、ゲバい化粧をしても、見苦しくなるだけだな。最悪、女形の役者の失敗作みたいになる」
真顔で頷き合い、伯爵が真剣に言った。
「……私の息子が、お前の息子を狩った時、妻は本当に落ち込んだ。可愛がっていた教え子を、自分を助けるために息子が手をかけてしまったからな。そうならないために、今回は最大の対策をしたい」
公爵も真顔で頷き、二人は本当に様々な対策をした。
伯爵領は遠かったのにもかかわらず、伯爵が女を送り迎えすると言うのも、その対策の一つだった。
無茶があると思ったものだったが、伯爵が元々、魔獣使いであったことが功を奏し、往復一時間での通勤だったらしい。
公爵も、息子が事件を起こした後も健在だった公爵夫人とともに、婚約者候補を幾人も見繕い、見合いも何度か行っていたのだが……。
結局現公爵は、独り身のまま、この時期を迎えてしまった。
緊張して花束を用意し始めた時、駄目だったかと覚悟を決めつつ、その日の朝、執事はダメもとで一つ、優しく言ってみた。
「本心をお伝えするのでしたら、本日の夕餉は特別なものを用意しなければ、なりませんな」
玉砕するなら、屋敷を出る前に告白しろ、と言う意だったのだが、本当に実行するとは。
膝を折って号泣する公爵に慌てている女を、執務室に入った執事はメイドと共にとりなし、早急にお引き取り願い、一応花には罪はないのでと、門の前で公爵が用意した花束を押し付けた。
「どうか、いつまでも、お元気で」
「ありがとう」
執事の心からの挨拶と一礼に、女も丁寧に頭を下げて、微笑んだ。
……分からない。
執事は思う。
いくら童顔とはいえ、公爵様が執拗に懸想するほど、若々しい感じは、十年前よりはなくなっているというのに。
恋というものは本当に、人を盲目にさせてしまうのだな。
巻き戻すと、色々と話が出て来る不思議。
面白いかは兎も角。
今回は、若い教え子が、教師に懸想する話でございます。




