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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

狂い、狂え!刮目せよ、死に損なった姫よ

作者: 橘菊架
掲載日:2026/02/03


手が千切れそうだと錯覚してしまいそうな凍えた夜。

吐く息は白く濁り、空に吸い込まれていく。

薄肌を痛めつける冷気は、濡れそぼった体の表面に膜を張っていく。


このまま、眠ってしまえば。

そのまま、朝を迎える事はきっと出来ないだろう。

でも、構わない。構わないの、それで、あの人が幸せになるなら。


近いのに、遠い。

歩いて数分、そんな距離にある過ごした屋敷のあかりの灯った窓を眺め、固まってきた頬をぎこちなく引き上げる。

愛おしい旦那様の部屋の辺りを見つめながら、女は痛みを感じながら、手を組んだ。


「ありがとうございました、ひとときの夢を。私に、与えてくれて」


一回り歳下の旦那様だった。

行き遅れと言うにも痛々しい程歳を重ねてようやく嫁げた相手だった。


幸せだった。

女は力が上手く入らない体を無理に動かしながら声にならない音を紡ぐ。


たとえ、旦那様が自分という不良債権を掴まされた哀れな若者だとしても、相手の苦しみを踏み躙っているとわかっていても、幸せを感じていた。

誰かの、特別になれた気がして。


「さよなら」


女は最期の力を振り絞り、薄氷の張った池に飛び込んだ。

儚い音を立て、薄氷は割れ、静かに女の体を飲み込んだ。


**


ーーー辺境伯?あぁ、噂には聞いているわ。


ーーーなんでも、狂った、とか。


ーーー愛を亡くしたのでしょう?


ーーーまぁ、なんて悲劇的なの!



男は、狂った。

じわじわと、いや、元々かも知れない。

元々あった気質が、事件を境に表に出てきただけかも知れない。

美しかった顔は、やつれて頬がこけ、目は落ち窪み、笑う事が減った。

妻が行方不明になった日から、徐々に落ち着きをなくし、目の焦点がブレ始め、何かに怯えるかのように手が震え、物音に対して過敏な反応を見せるようになった。


虚ろな顔で天を仰ぎ、ゆらゆらと幽霊と見間違えそうな様子でそぞろ歩く。

しかしながら、有事の際は鳴りを顰め、多少影を背負ってはいるものの、過去と変わらぬ勇ましい姿を見せた。

まさに、心を奪われている。姿を消した妻に心を奪われたまま死んだように生きている。


人々は噂話に花を咲かせた。


辺境伯は、あまりものの姫を心の底から愛していた!

成果の報酬に望んだ、一回り歳上の姫を心の底から愛していた!

王家と繋がりを持ちたくて娶っただけだと思っていたが、真実の愛だった!


ーーーならば、なぜ姫は姿を消した?


口々に人々は好き勝手に噂をした。


そんな中、罪の意識に耐えきれなかった者が声を上げた。声を上げ始めた。


「旦那様が、望まぬ婚姻を受け入れて、人生を消費するのに耐えきれなかったのです」

「だから、奥様に言ったのです」

「貴方が居なければ、旦那様は幸せになれたのに、と」


辺境伯は、腰に履いた剣を握りしめた。

奥歯が割れそうなほど噛み締め、喉の奥から唸り声があがる。

顔色を失った使用人達は、震えながら、死の宣告を待つ。


「誰が望んだ。高貴なあの方の、柔い心をみだりに傷付けろ、と。俺のエゴでずっと城の隅で息を潜めて生きていたあの方を、何故俺の望まぬ形を、正しいと思い込んで追い込んだ。あぁ、寂しかったでしょう、辛かったでしょう……。俺は待ちます、だから帰ってきてください。愛しています、愛しているんです。こんな俺の妻でいたくなかったから居なくなったのですか」


焦点の合わぬ目で、虚ろにブツブツと呟く姿に、使用人達は犯した罪の重さを知った。

いっそ、首を刎ねられた方がマシだったろう。

罪を赦される事もなく、壊れた主人に仕え続けるしか贖罪は無かった。

忽然と姿を消した人に首を垂れ続ける。


季節は何度も巡り、狂ったままの辺境伯は、無い面影に縋り、そして、妻が姿を消した時の年齢になった。

世間は今でも、消えた真実の愛を面白おかしく吹聴している。



ーーー狂ってるのね、辺境伯は。


ーーー今も、昔も。姫がいなくなってからずっと。


ーーーあぁ、素敵で愚かな美しい愛ね。



**


物事は急に動き出すものだ。

想像もしてなかった角度から、急に違う姿が見える。


見つかったのだ、辺境伯の愛して愛して、愛してやまない妻が。

心臓は止まり、時も止まった、妻が。


屋敷の敷地内にある池の中、水晶に封印されたかの様に中に閉じ込められた女が見つかった。

女を傷付けない様にギリギリまで水晶を削り、女を愛してやまなかった男はそれ以上削る事を恐れ、透き通った水晶越しに眺めることを選んだ。


水晶に包まれた女をどこに行く時も連れて行き、傍に置いた。

人々は口々に好き勝手に言う。


壊れた、辺境伯。愛に狂った辺境伯。


相変わらず焦点の合わない瞳を持っていたが、やつれていた彼は元気を取り戻し、かつての美しさを取り戻した。

影を帯びていても、美しさは変わらず。歳を重ねて色気を帯びていた。


狂った辺境伯に堂々と愛を乞う者は出ず、ましてや、最愛を手中に得た辺境伯に挑む猛者も居らず。


愛する妻を取り戻してから、数年が経った。

変わらずに水晶に包まれた妻を伴い、領地に出向いていた辺境伯は賊に襲われ、不運にも応戦するべく妻から離れた際に悲劇は起こる。


賊の一人が無謀にも、命知らずにも、水晶を叩き割った。

戦闘で気が昂っていたのだ。水晶の中に鎮座する、人目を引く麗しい女に興味を持って、考えなしに武器を振り下ろし、薄く張っている水晶を叩き割った。


キィン、と澄んだ音が響き、女を中心に波動が広がる。

砕け散った水晶は細かく、ダイヤモンドダストかと見紛う光を放つ。


「あ、あ……」


狂った辺境伯は、目を見開く。

いつぶりか、生身の愛する妻の姿をその瞳に映すのは。世界から音が消えた様だ。


まるで、ふたりだけ。


若いままの姿、自分とあまり年の変わらぬ、少しばかり歳下の、愛しい妻。

閉ざされていた瞼が、持ち上がると、色素の薄い瞳が、辺境伯を映し出す。


「旦那様」

「あ、あぁ……! お目覚めになられたのですね、お待ちしておりました、お待ちしておりました! 帰りましょう。俺達の家に。もう離しません、愛してます、愛してます、愛してるんです」


跪いて情け無く愛を乞う狂った辺境伯。

血の気のない白い頬を持ち上げ、柔らかに微笑む女。

周りなど、お互い見えていない。


呆気に取られる賊も、家臣らも置いてけぼりで、二人は抱き合い、場違いに愛を語らう。


狂った辺境伯、死に損なった残り物の姫。

ずっと描いてなかったので、練習がてら短編を。

雰囲気で読んでください。完全手癖。

いちゃらぶ、ぴゅあぴゅあきらきらなもの書きたいのにどうしてこうなった

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