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第1章 雨の声、君の記憶

 ――雨の音って、どうしてこんなに世界を遠ざけるんだろう。


 見えないはずの世界が、音だけで形を変えていく。

 傘を叩く雨、信号の電子音、足早に通り過ぎる靴の音。

 その全部が、私にとっての「景色」だった。


 けれど、今夜は少し違っていた。

 雨の中に、知らない足音が混じっていた。

 ……それが“運命”なんて言葉になることを、このときの私は知らなかった。


「危ないっ!」


 腕を強く引かれ、体が誰かの胸にぶつかる。

 頬に触れたのは、雨より冷たいシャツの感触。

 鼓動が、すぐそばで鳴っていた。


「っ……ごめんなさい、大丈夫ですか!?」


 低くて、少し掠れた声。

 その瞬間、胸が一瞬で熱くなった。

 あの声だ――。どこかで、確かに聞いた。


「えっと……っ、はい……助けてくださって、ありがとうございます……!」

「よかった……。車が、急に曲がって……危なかったですね。」


 彼の声が、雨音に滲む。

 ふわりと風が吹いて、彼の体温が遠のいた。


「……本当に、ありがとうございました。」

「気をつけてください。夜道は、危ないですから。」


 そう言い残して、足音が遠ざかっていく。

 その背中を見送れないまま、私はただ立ち尽くしていた。


 雨音だけが、心の奥に焼きついていた。


 数日後。

 福祉センターの面談室。

 白いカーテン越しに光が柔らかく揺れる。


「はじめまして。白石悠真しらいし・ゆうまです。

 これからサポートを担当させていただきます。」


 その声を聞いた瞬間、息が止まった。

 ――あの夜の声だ。


「……あのときの……!」

 思わず口をついて出た。

 白石さんも驚いたように目を丸くして、少し笑った。


「もしかして……あの交差点で?」

「はい。助けてくださった方ですよね。」

「いや、あれはたまたま通りかかっただけで……」


 彼の声が照れくさそうに揺れる。

 その笑い方が優しくて、思わず頬が熱くなった。


 ――どうしてだろう。この人の声を聞いていると、

 どこか懐かしい気持ちになる。


「よろしくお願いしますね、白石さん。」

「こちらこそ。……気をつけてくださいね、灯さん。」


 名前を呼ばれた瞬間、胸がきゅっと鳴った。

 雨上がりの匂いのように、心が少しだけ痛んだ。


 夜。

 雨がまた降り出した。

 窓を打つ音が、まるで誰かが呼んでいるみたいに聞こえる。


「……だいじょうぶだ。手を放すな。」


 ――あの声が、また耳の奥で蘇った。


 私を救った声。

 暗闇の中で、私の世界を繋ぎ止めた声。


 あの夜、あの声の主は白石さんだったのかな……?

 でも、何かが違う気もする。

 その違和感の正体を、まだ私は知らない。


「ねぇ、神様。もしも奇跡って、本当にあるなら――

 もう一度、あの声の人に会わせてください。」


 その祈りが、雨に溶けていく。


 同じ雨の夜。

 白石は一人、薄暗い部屋でタバコに火をつけた。

 橙色の火が、一瞬だけ彼の表情を照らす。


 ――彼女は、まだ覚えている。あの夜の声を。


 コーヒーの湯気が静かに立ちのぼる。

「蒼汰……。お前は、まだ、俺を許さないよな。」


 雨が窓を叩いた。

 その音が、過去の傷を呼び覚ますように響いていた。

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