第2話:紅と黒の饗宴
王城の夜は、血と権力の匂いで満ちていた。
イザベル・コールディアは、宴に足を踏み入れた。目の前で煌びやかに並ぶのは、王族と貴族の饗宴。黄金の燭台、豪華な料理、豪奢な衣装。だが彼女の目に映るものは、仮面をかぶった人々の笑顔だけだった。
「……まるで、死者の饗宴ね」
小さな吐息。黒い薔薇を握る手に力が入り、棘が皮膚を突き刺した。痛みは、彼女に生を思い出させる。だがそれと同時に、触れる者に不幸をもたらすこの力の重さをも実感する瞬間だった。
広間の片隅で、王家の血を引く者たちが低くささやき合う。嫉妬、疑念、そして裏切りの芽。黒い薔薇の力は、イザベルの知らぬ間に、その微かな気配を敏感に感じ取り、触れた者たちの心をざわつかせた。
ロアンは静かに傍らにいた。彼の目には以前と同じ光はない。空虚な瞳が、宴の華やかさとは無縁に世界を見つめていた。イザベルは思った――これが永遠の代償なのか、と。
突然、王の弟であるフェリクス公爵が、冷たい声で口を開く。
「イザベル・コールディア。あなた、またこの城に姿を現すとはな……」
周囲の視線が一斉に彼女に向く。嫉妬と恐怖が入り混じる空気。彼の目は鋭く、明らかに何かを探っていた。
イザベルは微笑む――冷たい、凛とした微笑み。
「私は……ただ、ここに来ただけです」
言葉は静かだが、黒い薔薇の力がその微笑みに宿る。棘が空気を裂くように、誰かの心に小さな影を落とした。
宴は進み、ワインの杯が交わされる。だが、ひとたびイザベルの視線が誰かに触れると、その人物の表情はわずかに歪む。嫉妬か恐怖か、あるいは両方か。小さな不穏の波が、王城の華やかさに混ざる。
「なぜ……私はこんな力を?」
ロアンの隣で呟く。声は弱く、しかし心の奥底にある問い。イザベルは答えなかった。答えることができなかった。言葉にすれば、すべてが壊れる気がした。
夜が深まるにつれ、宴の喧騒はますます狂気めいてくる。貴族たちの陰謀、嫉妬、裏切り――その全てが、黒い薔薇の微かな笑みの下で蠢き始める。イザベルは胸の中で小さく誓った。
「誰も、壊させはしない……でも、この手の中にある命は、すべてを変えてしまう」
その瞬間、ロアンの手が微かに震えた。触れる者すべてが巻き込まれる不死の代償は、すでに小さな波紋となって城中に広がっていたのだ。
薔薇はまた一枚、風に舞う。紅と黒の花弁が混ざり合い、光と影の交差点を飾る。宴の笑い声の奥で、世界は静かに、しかし確実に変わり始めていた。
そしてイザベルは悟る――この城で生き延びるには、選択を繰り返さねばならない。
愛か裏切りか、忠誠か嫉妬か、すべての道に血の代価が待っている。
彼女が手にした“永遠”は、救済ではなく、終わりなき試練であった。
――紅と黒が交わる夜、少女の孤独は深まる。