好きなあの子のために、おばあちゃんの秘密のレシピの謎を解け!
「ごめんなさい。私、しばらく恋愛する気は無いの」
放課後の教室。
日直の日誌を先生に届けて戻って来たら、密に想っていた天江さんが一人残っていたから、これはチャンスだと思い勢いで告白してしまった。
その結果撃沈したわけだが、そうなる可能性の方が高いだろうなって思っていたので、実はそんなにショックを受けて無かったりする。
「だよね。そんな気がした」
「どうして?」
「だって天江さんってパティシエになるのが夢なんでしょ。今日だって放課後残って勉強してるし、夢に一直線って感じだから恋愛には興味無いだろうなって気がしたんだ」
とはいえあくまでも僕の想像だから、ワンチャンあるかなと思って勝負してみた。
「猪瀬君って変わった人ね。無理だと分かってるのに、告白してくるなんて。ううん、それよりも私みたいな不愛想で可愛げのない人に告白することがそもそも変よ」
「ええ!?可愛いけどなぁ」
「そう、ありがと」
照れるそぶりが全くない。
可愛いと伝えるだけで堕ちるちょろいんでは無かったか。
「それじゃあ、僕は帰るね。パティシエの勉強頑張って」
「…………本当に変な人。全然残念がらないなんて」
おや、もしかして僕のことに興味を抱いてくれてる?
いや違うか。これは告白を断ったことを申し訳なく思ってくれているだけだろう。
「もちろん残念だけど、天江さんがやりたいことに打ち込めるのが一番かなって思ってるから」
だから悲しさよりも彼女の夢の邪魔をしなかったことに安堵していた。だったら最初から告白なんかするなって話だけど、恋って理屈じゃないんだよ。
「それより告白してごめんね。断るのも良い気分じゃ無かったでしょ」
「…………やっぱり変な人」
「良い意味でって評価だと信じてるからね。それじゃ今度こそ帰るよ。ばいばい」
「待って」
引き留められてしまった。
てっきりこれで僕と彼女の関係はもう終わりだと思っていたのに、この流れで何の話があるのだろうか。
「…………」
「…………」
「…………」
「天江さん?」
僕を引き留めた天江さんは、何かを言おうかどうか迷っている。
こういう時は話しやすいように促すか待つかの二択だけど、今回は待ってみることにした。
「告白を断っておいて何様って思われるかもしれないけど、お願いがあるの……」
「遠慮しないで言ってよ。さっきも言ったけど、天江さんの気持ちも考えずにいきなり告白した僕が悪いんだから」
「…………やっぱり変な人」
そうかな、普通の感覚だと思うんだけど。
でもこれで少しは天江さんの気持ちが軽くなって相談しやすくなったかな。
「それでお願いって何?」
「筑前煮の味付けに使えそうな少し変わった調味料を思いついたら教えて欲しいの」
「え?」
筑前煮?
調味料?
いきなり何の話だろう。
「パティシエの話とは関係無いの?」
「ええ」
「今すぐじゃないとダメ?」
「いつでも良い」
「醤油とか普通のじゃないんだよね」
「ええ」
彼女の質問の意図が全く分からないけれど、ひとまず素直に考えてみよう。
う~ん、マヨネーズやケチャップは流石にやりすぎな気がするし、そもそもそんなにメジャーな調味料なんて求めて無い気がする。
だとすると……そうだ!
「うなぎのタレなんかどう?」
「…………面白い発想ね」
おお、これは正解だったかな?
天江さんは目を閉じて何かを考えている。筑前煮にうなぎのタレを使った場合の味を想像しているのかな。
「違う」
「違う?正解があるの?」
「ええ」
「何かヒントは無いの?」
「無い」
「それなんてムリゲ」
う~ん、せめて考える方向性が分からないと、どう考えて良いか分からない。
本当にヒントが無いかもう少し聞いてみよう。
「どういうジャンルの調味料だとか、どういう人が好んで食べそうとか、そういうのは無いの?」
「お祖母ちゃんが好きだったけど、どんなジャンルでも美味しく食べる人だったから分からない」
「お祖母ちゃん?」
「うん、お祖母ちゃんが生きてた頃に良く作ってくれた料理」
おっといきなりヘビーな予感がしてきた。
踏み込んで良いところなのかどうか悩む。
「お祖母ちゃんが亡くなったのはもう五年も前だから気にしないで」
僕の悩みを察した天江さんがフォローしてくれた。
そしてその流れでようやく事情を話してくれた。
「お祖母ちゃんの家に行くと良く作ってくれた料理なんだけど、独特の味がしたのよ。一体どうやったらあの味になるのかって思って再現してみようと思っても再現できなくて」
「それでその味の元になる調味料を探してるんだ」
「ええ」
お祖母ちゃんとの想い出の味を探している、か。
そんなの手助けする以外の選択肢は無いよね。
「再現したくなる程に美味しい味だったんだね」
「不味かった」
「え?」
「とっても不味かった」
「マジですか」
もしかしてそのお祖母ちゃん、メシマズだったりしませんか?
「他の料理は上手だったのに筑前煮だけ不思議な味がして、どうすればあの味になるのか……」
筑前煮だけ苦手だったのかな。
いやでも『良く作ってくれた』ってさっき言ってたな。だとすると本人はその味が気に入ってたってことか。
セオリーとしてはお祖母ちゃん世代の人が好きそうな味を考えるべきなんだろうけど、どんなジャンルでも美味しく食べるって言ってたから、固定観念に囚われちゃダメそう。
でもそうなるとやっぱり考える範囲が広くなりすぎちゃう。
他にヒントは無いのかな。
「お祖父さんは何か知ってる?」
それとももう亡くなっているのだろうか。
「…………」
その顔どういう意味なの!?
悲しんでいる顔で無いのは間違いないんだけど、眉を顰めて何か言い辛そうにしている。
「…………お祖父ちゃんは」
「お祖父さんは?」
「少し気難しい人なのよ」
「なるほど」
性格的にまともに話をすることが難しくて、筑前煮の秘密を聞き出せないってことなのかな。
「特にお祖母ちゃんが亡くなってから、より一層人と話したがらなくなっちゃって」
だとするとお祖父さんをあてにすることは控えた方が良さそうだ。
他に知ってそうな人と言えばご両親だけど、もし知ってたらとっくに解決してるだろう。
「ちなみにご両親は?」
「お祖母ちゃんがあの筑前煮を作り始めたの、お母さんが家を出た後なの」
「ですよねー」
誰かに聞くなんてことはとっくにやっているだろう。親戚の人や友人関係とかも、すでにヒアリング済みに違いない。
だとするとやっぱりノーヒントで考えるしかないってことか。
いや、本当にそうだろうか。
まだやるべきことが残っている気がする。
「お祖父さんって何処に住んでるの」
「どうして……まさか行く気なの?」
「うん、気難しくても根気よくお願いすればお話ししてくれるかもって思って」
「無理よ」
ばっさりだ。
でもそれ以外に選択肢が無い以上、やるしかない。
「でも念のため聞いてみたいから、教えてよ」
「別に良いけど無駄よ?」
「ダメ元だって。ほら、僕って天江さんに告白したでしょ。ダメ元でもやってみたくなるタイプなんだ」
「…………そう」
天江さんはお祖父さんの住所を教えてくれた。
次の土曜に案内してもらおうかと思ったけれど、天江さんはパティシエの勉強会があってどうしても外せないらしい。なのでお祖父さんに僕が行くことを事前に連絡してもらい、僕が一人で向かうことになった。
ーーーーーーーー
「と、遠い……」
天江さんのお祖父さんの住処は、僕達が住んでいる街からおよそ四十キロメートル程離れた場所にあった。閑静な住宅街の外れに位置し、周囲には田畑が多めだ。
典型的な和風建築の平屋一軒家で、緑鮮やかな生け垣に囲まれている。
「よ、よし、行くぞ」
気難しい人だと散々念を押されていたので、一体どんな人なのかと戦々恐々だ。
でも僕が頑張らないと、天江さんは一生想い出の味を思い出せないかもしれない。
そう考えたら勇気が湧いてきた。
玄関の前に立ち、インターフォンを押した。
「……………………出ない」
留守なのかな。
でも車は車庫に置かれているし、僕がこの時間に来ることも伝えて貰っているはずだ。
もう一度インターフォンを押してみる。
「……………………あ」
中から小さく足音がした。
良かった、出て来てくれそうだ。
ガラララ、と大きな音を立てて扉が開くと、白髪の男性の姿が目に飛び込んで来た。
目つき怖い!
滅茶苦茶睨まれていて、睨み殺されるのではと思えるほどの迫力がある。
で、でも負けるもんか。
この程度で諦めるようなら、こんなところまで来てない!
「あ、あの!お孫さんから話を聞いていると思いますが、お話を」
「帰れ」
ガラララ、とまるで逆再生したかのように扉が閉められてしまった。
「え、あの……」
これこそまさに取り付く島もない、というやつなのだろうか。
気難しいとは聞いていたけれど、まさかここまで問答無用に拒絶されるのは予想外だったよ。
道理で天江さんが無理だと断言するわけだ。
でも残念ながら、僕は諦めが悪いんだ。
とはいえ、ここでしつこく外から話しかけたりインターフォンを連打したら近所迷惑だし好感度を下げるだけ。
「あの、また来ますから!次は教えてください!」
だからひとまず出直しだ。
と思ったのだけれど。
「ぜー!ぜー!ぜー!ぜー!遠い!」
長期戦になることを覚悟したけれど、電車代が馬鹿にならないことに気が付いたので自転車で行くことにしたんだ。
四十キロメートルなら片道三時間。
若いし余裕余裕。
なんて余裕ぶっこいてたら、死にそうなほど疲れた。また三時間かけて帰らなきゃならないってマ?
こんなに苦労してここまで来たんだ。
今日こそは話を聞かせてもらうからね。
インターフォンを鳴らすと、中から小さな足音が聞こえて来て玄関が開いた。
「あ、あの、今日こそはお話を」
「帰れ」
はいダメー。
今日も問答無用でしたー。
どないせいっちゅうねん。
貴重な土日を費やしたのに成果ゼロ。
それどころかこれから地獄の帰路が待っている始末。
うわああああん、でも諦めないからね!
「また次の土曜日に来ます!」
それから僕は休みの度にお祖父さんの元へと通ったけれど、毎回追い返されて全く成果が出ないまま数か月が経過した。
ーーーーーーーー
「ぜー!ぜー!ぜー!ぜー!あ、暑い!暑すぎる!」
夏休みを目前にした土曜日。
期末テストを終えて気分新たにお祖父さんの元へ向かったのだけれど、最近の夏を舐めていた。灼熱の中で自転車を三時間漕ぎ続けるのがこんなにも辛いだなんて。せっかく最近は長距離自転車走に慣れて来たと思ったらこの仕打ちとか酷すぎるよ。
「ごくごくごく、ふぅ~生き返る!」
沢山の水分とこまめな休憩でどうにか辿り着くことが出来たけれど、そのせいで今までよりも時間がかかってしまった。
お祖父さん待ってないかな。僕が暑さで倒れてしまってないか不安になってないかな。
なんてね。
僕のことなんかうざそうにしか思ってないだろうし、それは無いか。
自転車から降りて玄関に向かい、いつものようにインターフォンを押す。
するとこれまたいつものように中から足音が聞こえて来て勢い良く扉が開く。
「こんにち」
「帰れ」
うんうん、これまたいつも通りだ。
でも正直なところこの先どうしよう。
そろそろ夏休みに入るから毎日通えるけれど、それだと迷惑すぎだよね。
ペースは変えないようにすべきか、それとも三日に一回くらいに増やすべきか……
「猪瀬君?」
悩んでいたら背後から声がかけられた。
「天江さん?どうしてここに?」
薄手のワンピース姿の天江さんが立っていた。
好きな人の私服姿だぜひゃっほー!
いや待て。
これはもしかすると暑さが見せた幻影かもしれない。喜ぶのはまだ早いぞ。
「どうしても何も、私のお祖父ちゃんの家だもの。時々こうして様子を見に来てるのよ」
はい本物でした。
会えて嬉しいし、話しかけてもらえて超嬉しい。
だって天江さんとはダメだったと一度報告して以来、話をする機会が全く無かったからね。
「それより猪瀬君こそどうしてここに?まさか……」
「それは……その……偶然筑前煮の話を思い出してさ。久しぶりに聞きに来たんだ。ダメだったけどね」
本当のことを言うのは、好きな人のために頑張ってる感を出しているみたいで恥ずかしくて言えなかった。
でも甘かった。
甘々だった。
彼女はとっても勘が良かったんだ。
「久しぶり?本当は?」
「え?」
「本当は?」
「いや、だから久しぶりの、四月以来で……」
「本当は?」
うぐぐ、真顔でじっと見つめられると、嘘をついているのが責められている気がして隠し通しきれない。
「い、一か月に一度くらいかな……」
「本当は?」
これでもまだ信じてくれないの!?
割と本当っぽいペースだと思うんだけど!
「一か月に三、四回くらい……」
「本当は?」
「いや本当に一か月に三、四回くらいだよ。それ以上だなんて流石に変でしょ」
「本当は?」
許してくれない!
「うう……あれから土日の度に毎日来てました……」
結局ゲロってしまった。
「…………何やってるのよ」
「ごもっともです」
天江さんは呆れたような表情になってしまった。
そりゃあそうだよね。僕だって少しばかりやりすぎだったかもって思ってたし。
「あれ?」
ふと、天江さんが何かに気付いた顔になった。
「待って。お金はどうしたの?電車代結構したでしょ」
まずい。
天江さんの顔が段々と険しくなってきた。
そりゃあそうだよねその二。
ちょっと聞いてみただけなのに、相手が大量にお金使って調べてくれようとしたら申し訳なさすぎるもん。
「お金ならそんなに使ってないから気にしないでよ」
「そんなわけ……いや、そういえば表に自転車が止めてあった。まさか!」
ついに彼女の表情が般若のごとき怒りのものへと変貌した。
「自転車でここまで来たの!?こんな暑い中!?何考えてるの!死ぬかもしれないのよ!」
そりゃあそうだよねその三。
ここは素直に怒られます。はい。
それから僕は家を出て近くの木陰へと移動させられ、水分を沢山とらされながらたっぷり怒られた。
途中から涙目になるのは本当にずるい。でもマジで反省しました。命は大事にしないとね。
「全く、どうして言ってくれなかったのよ。予定が空いてたら一緒に行ったのに」
もちろん声をかけようかと考えたことはある。
でもちょっと言い辛かったんだよね。
「天江さんがお祖父さんと仲が悪いのかと思って」
気難しいという話を聞いた時の天江さんが、あまり話したくない様子だったからそう思ったんだ。もしかしたら一緒に向かっても『帰れ』なんてシャットアウトされるかもしれない。そしてその姿を他人に見られたくないかなって思って。
「別に悪くなんか無いわよ」
「え?そうなの?」
「良くもないけど」
じゃあ僕の思い込みだったのか。
「それじゃあ僕のここ数か月の努力は一体……」
「ふふ」
笑った!
天江さんが初めて笑った!かわいい!
「何よ」
「ううん、別に」
「ふん。それより、私がいるからって話が聞けるとは思わないでよ」
「え?」
「私だってまともに話が出来ないのよ。玄関先で差し入れ渡して、近況を少し聞いたら追い返されるもの」
「そうなんだ……」
家族とすら距離を置こうとしているんだ。
なんか悲しいな。
「今からお祖父ちゃんに会いに行くけど、ついて来る?」
「もちろん!」
あれ、待てよ。
孫の彼氏だと思われて態度が悪化するのでは。
というかこれまでも実はそれが原因で門前払いだったとか!?
なら状況は変わらないか。
やっぱりついていこう。
お祖父さんの家に戻り、天江さんがインターフォンを押した。
「お祖父ちゃん。私だよ」
その声を受けてか、心なしか僕の時よりも足早に歩く音が聞こえ、玄関が開かれた。
「久しぶり。お祖父ちゃん」
「…………」
良かった。
帰れ、とは言われなかった。
ただただ無表情なのが怖いけど。
「こちらは同級生の猪瀬君。何回もここに来て迷惑かけたみたいだけどごめん。私のせい」
「…………」
「私が知りたいことがあって、それを手伝ってくれてるんだけど、それでお祖父ちゃんに話が聞きたくなったらしくて」
「…………」
お祖父さんは相変わらず表情を変えずに天江さんを見ている。
僕の方は全く見ようともしない。
雰囲気はあまり良くない。
これはダメかと思ったその時。
「入れ」
「え?」
「え?」
まさかの入室許可が出たんですけど!
天江さんもいつもは家の中には入れて貰えないらしいからか、驚いていた。
そんな僕らを放っておいてお祖父さんは家の中に入ってしまった。
「早くしろ」
そしてその声を聞いて慌てて二人揃って駆け込むように中に入った。
「(どういうことなの?)」
「(私も意味が分からない)」
ひそひそ話をしながら廊下を歩き、居間へと向かう。
お祖父さんの一人暮らしということで、多少荒れ果てた様子をイメージしていたのだけれど、想像とは全く違い綺麗に整頓されていた。
テーブル近くの床に腰を下ろして一休みする。
「ああ、涼しい……」
暑い外にずっと居たからか、クーラーの風が心地良い。
「帰りはバスと電車を使いなさい」
「ええ!?自転車は!?」
「送りなさい」
「お金かかっちゃうよ」
「お・く・り・な・さ・い」
「ひえっ、分かりました……」
帰りの三時間、今日だけは許して欲しかったけど見逃してはくれなかった。
お金より命ですもんね、はい。
なんて話をしていたら、どこかに行っていたお祖父さんが居間にやってきた。
「!?」
「!?」
僕達がまたしても驚いたのも無理はない。
なんとお祖父さんが麦茶を持ってきてくれたのだから。
硬直している僕達の前に、乱暴に麦茶が置かれた。
相変わらずお祖父さんは無表情でじっとこっちを見ている。
「あ、ありがとうございます。い、いただきます」
キンキンに冷えてそうな麦茶の誘惑に耐えきれず、僕はすぐにそれを貰ってしまった。
うん、美味しい。
一方で天江さんは恐る恐ると言った感じで麦茶に手を伸ばし、小さな口をちょこんとコップの縁につけてそれを口にした。
「おいしい」
その瞬間、居間の空気が和らいだ気がした。
いや、勘違いだった。
だってお祖父さん、無反応でジッと僕らの方を見てるんだもん!
「(こ、これどうすれば良いの?)」
「(知らないわよ。聞きたいことがあれば聞いてみれば?)」
「(答えてくれる気がしないんだけど!)」
「(じゃあ何しに来たのよ)」
僕達はお祖父さんに見つめられる中、どうにか聞こえないようにと限りなく小声で話し合う。
「(だって……あ、そうだ、キッチンを見せて貰うことって出来ないかな)」
「(どうして?)」
「(ヒントが見つかるかもしれないから)」
「(お祖母ちゃんが亡くなったのはもう五年も前なのよ。残ってるとは思えないけど)」
確かに、居間が片付いているところを見るとキッチンも片付いているのだろう。
当時の面影が残っておらず、お祖父さんが使いやすいようにカスタマイズされているとしたらヒントは消え去っているに違いない。
「(でも念のため確認しておきたいなって)」
「(私は別に良いけど、お祖父ちゃんに許可とらなきゃ)」
「(結局話しかけなきゃダメってことか……)」
仕方ない、ここは勇気を出して話しかけるか。
そう思って深呼吸をしていたら。
「好きにしろ」
「え?」
お祖父さんはそう言うと、キッチンがあるらしき方向に視線をやった。
後で知ったことだけど、お祖父さんは地獄耳で、どんな小さな話し声でも聞き取れてしまうらしい。
知ってたならひそひそ話してる時に教えてよ!
「そ、それじゃあ失礼して……」
せっかくのチャンスだ、これを捨て去るなんて勿体なさ過ぎる。
僕はお祖父さんの気が変わらないうちにと慌ててキッチンへと向かった。天江さんもついてきた。
「うん、普通のキッチンだね」
物珍しい物など全く置かれてなくて、もちろん調味料の類も普通に店で売っているものばかりだ。
驚いたのは、お祖父さんが自炊をしっかりとやっている形跡があることくらいだろうか。
「ねぇ天江さん、実は料理はお祖父さんがやってたなんてことは」
「ない。少なくとも私はお祖父ちゃんが料理している姿なんて見たことがない」
だとするとお祖母さんが亡くなってから自炊を始めたってことか。
ちゃんと料理出来ているのかが少し不安だけど、五年も経っていれば上手くなってるか。
「それで、何か見つかったのかしら」
「う~ん、残念ながら何も」
やっぱりそう上手くは行かないか。
こうなったらお祖父さんに話を聞かないと。
そう思って気が重いなと肩を落とした時、あるものが目に入った。
「あれ、お祖父さんってアレ飲むんだ」
「ええ、好物よ」
お年寄りが飲んでても違和感は無いけれど、あのお堅そうなお祖父さんが飲むって言うのは少し意外かも。
「違う」
お祖父さんもついて来てたんだ。
というか違うっていうのは、どういうことなのかな。
「それは婆さんの好物だ」
「え?でも私、お祖父ちゃんが飲むところしか見たこと無いよ?」
「糖尿病だから紗枝に止められてた」
後で知ったけど、紗枝さんとは天江さんのお母さんの名前のこと。
「そっか……私、いつもお母さんと一緒にここに来てたから……」
紗枝さんに怒られないように、飲まなかったんだね。
もしかしたらお祖父さんがアレを飲んでいる姿を天江さんが見たのも、アレが紗枝さんに見つかった時に、お祖母さんではなくてお祖父さんが好きで飲んでいるのだと誤魔化すために、敢えて見せていたのかも。
お祖母さんのことについて新しく知ることが出来て感慨深げにしている天江さん。
その傍らで僕は全く別の事が気になっていた。
「ねぇ天江さん。もしかして例の調味料ってコレじゃないかな」
「え?」
「だってこれって肉を柔らかくするのにも使ったりするらしいじゃん」
「で、でもコーラを筑前煮に使うなんて聞いたことが……」
確かにそうかもしれない。
でもだからこそ可能性があるんじゃないかな。
だって普通に使う調味料だなんて、とっくに試しているだろうし。
「あれ、でも、あの味は……まさか!」
記憶の中の筑前煮の味。
もしも筑前煮にコーラを入れたらどうなるかを想像した天江さんは何かに気が付いたかのようにハッと顔をあげた。
「ごめんなさい!猪瀬君!私帰って試さなきゃ!」
もしかしたら正解かもしれない。
そんな希望を抱いたかに見えた天江さんは慌てて帰ろうとする。
「待て」
だが今にも家を飛び出そうとしていた彼女を、お祖父さんが呼び止めた。
「お祖父ちゃんごめん!また後で来るから!」
「待てと言ってる。料理ならここでやれ」
「でも材料が」
「ある」
「え?」
「ある」
お祖父さんが冷蔵庫を開けると、確かにそこには筑前煮に必要な材料が揃っていた。
「猪瀬君ごめん!居間で待ってて!」
「え?」
結果は気になるけど、待つ必要ある?
待ってて良いの?
そう聞きたかったけれど、キッチンに飛び込んで真剣に料理を始めてしまった彼女の邪魔をしてしまうようで、確認することが出来なかった。
でもそのおかげで良い物が見れた。
「違う。そうじゃない。切り方はこう」
「確かにそうだったかも。お祖父ちゃん覚えてるの?」
「肉はもっと大きい」
「それはお祖父ちゃんの好みでしょ!」
相変わらず真顔なお祖父さんと、普段は不愛想なお孫さんが、仲睦まじく料理する姿を見られたのだから。
なんだよ、お祖父さん、天江さんのこと大好きじゃないか。
良かった。
「これがコーラ入り筑前煮」
居間のテーブルの上に沢山の筑前煮が乗せられた大皿が置かれ、僕達三人はそれを囲むように座っている。
今すぐにでも食べたい気持ちと、これでまた違っていたらどうしようかという不安。
天江さんの顔にはそんな気持ちがありありと浮かんでいた。
「天江さん」
「う、うん」
僕が促すと彼女は震える手で箸を伸ばし、味がたっぷり染みてそうな大きく切られた人参をつまんだ。
「いただき……ます……」
そしてそれを恐る恐る口に入れると、目を閉じてゆっくりと咀嚼する。
たっぷりと時間をかけて、それが想い出のものと一致するかどうかを念入りに確認する。
やがて、ほろりと彼女の閉じた瞳から涙が零れ落ちた。
「お祖母……ちゃん……」
五年間。
それは悲しい想いを癒せる期間となり得るかもしれないが、悲しみが積み重なる期間にもなり得る。
彼女はお祖母さんの死をもう過去のものと割り切ったと思い込んでいただけであって、まだ心のどこかで囚われ続けていたのだ。それが筑前煮に対する執着として表れていた。
そんなことを考えていたら、唐突にお祖父さんが話しかけて来た。
「猪瀬、と言ったか」
「え……」
「何故ここまでする」
ここまで、とはどこまでのことだろうか。
三顧の礼ならぬ三十顧の礼をしてまで諦めずにここに通ったことだろうか。
この暑い中でも自転車をこいでここまでやってきたことだろうか。
怖いお祖父さんを前に決して退かなかったことだろうか。
分からない。
けど、その全ての問いへの答えは共通だ。
「彼女のことが好きだから、なんて言えたら格好良いんですけどね」
「…………」
確かにその気持ちに嘘は無い。
好きな人のために全力で行動しました、というのは男らしいしアピールポイントになるかもしれないけれど、この状況で綺麗ごとは言いたくなかった。
「筑前煮の話を聞いた時、天江さんがまだお祖母さんを失った悲しみから立ち直れていないように見えたんです。だから少しでもその悲しみを癒せてあげたらなって思って……」
「…………そうか」
お祖父さんはそれだけを言うと、筑前煮に箸を伸ばしてレンコンを掴み口に入れた。
「…………相変わらず…………不味いな」
ああ、そうか、お祖父さんも天江さんと同じだったのかも。
お祖母さんが亡くなったことによる悲しみがあまりにも深くて、それが他人の拒絶に繋がってしまっていた。家族と会うこともお祖母さんのことを思い出して辛くなるから嫌だったのだろう。
そして今、この筑前煮を通してお祖母さんと出会えたことで、お祖父さんも呪縛から解放されようとしているのかもしれない。
全部僕の想像だけど、ある程度は正しいに違いない。
だってお祖父さん、さっきまでが何だったのかと思えるほどに、とても優しい顔をしているんだもん。
僕は最後に筑前煮を一口だけもらい、天江さん達の追憶の邪魔をしてはならないと思いこっそりとその場を後にした。
マジで超不味いんだけど。
思わず涙目になってしまったのはその不味さのせいであって、泣き崩れていた天江さんを見てもらい泣きしたからでは無いと思う。
ーーーーーーーー
「本当にごめんなさい!」
翌日、僕は天江さんに呼び出された。
その場所はなんと彼女の家。
しかも彼女の部屋に入れてくれた。
あまりの展開に動揺しまくり、好きな人の部屋に入れた喜びに浸っていた僕に告げられたのは無慈悲な一言。
「正座」
昨日、こっそり自転車で帰ったことがバレてしまい、一時間以上も説教されてしまったのだ。
誠心誠意謝ったらようやく許してくれたが、慣れない正座で足が超痛い。
でも自業自得だからしゃーないか。
「全く、あのまま待っていればお祖父ちゃんが送ってくれたのに」
「ええ!?あのお祖父さんが!?」
夢の中で『帰れ』のシーンが出てくることがあるくらいトラウマになってるのですが。それに最後は優しい表情だったけれど、あの時だけが例外で、僕のことなんか孫を狙うクソ野郎って感じで敵扱いされてると思ったんだけど。
「猪瀬君のおかげ」
「僕のおかげ?」
「ええ、あの筑前煮を食べた時から、憑き物が落ちたかのように元のお祖父ちゃんに戻ったのよ」
いやいや騙されないよ。
だって元々気難しい人って言ってたじゃないか。
送るは送るでも黄泉に送られてしまうに違いない。
「分かりにくいけれど身内には優しい人なのよ。猪瀬君は認められたのよ」
「み、認められたって、何に?」
「それは……」
突然、天江さんの顔がボッと赤くなった。
今の話の流れでそんな要素があったっけと考えていたら、彼女は僕の正面で正座を始めた。
「猪瀬君、ありがとう」
そして綺麗な姿勢で僕に頭を下げたのだった。
「ええ!?止めてよ!頭を上げてよ!」
そう伝えると彼女はゆっくりと体を起こしたけれど、顔が真っ赤なのは変わらなかった。
「貴方のおかげで、お祖母ちゃんの想い出の味を再現出来た。私がまだお祖母ちゃんのことで悲しんでいたことを知った。貴方は気付いていたらしいけど」
「あ~もしかして聞いてた?」
「当然。悲しさと恥ずかしさと嬉しさがごっちゃになって情緒不安になっちゃったんだから責任取りなさいよね」
お祖父さんと話をしていた時、目の前に天江さんが居たけれど、想い出の味に夢中だったから聞いてないと思ったんだ。でも彼女はしっかりと聞いていたのか。
「責任って言われても……」
「…………」
「…………」
「…………」
な、なんなんだこの雰囲気。
真っ赤になって俯いてないで何か言ってよ。
これじゃあ期待しちゃうじゃないか。
「猪瀬君」
「は、はい」
「私、どうしたら良いのかな」
「え?」
そう言われても、何のことか分からないとアドバイスなんて出来ませんが。
「ずっとパティシエのことしか頭に無かったのに、今は同じくらい貴方のことを考えちゃってる」
それってつまり、そういうことなのかな。
喜んで良いのかな。
「夢を追うだけで精一杯だったのに、他のことなんかやる余裕なんて何も無いのに、それなのに貴方のことばかり考えちゃうの!」
ううん、違う。
天江さんは苦しそうだ。
だから浮かれることなんて出来ない。
彼女を助けてあげたい。
彼女の力になりたい。
苦しむ彼女に対して僕が出来ることは何か。
そんなの考えるまでもない。
「じゃあ僕がパティシエの練習に付き合うよ」
「え?」
今更彼女と距離を置いたところで、それはそれで彼女は心を痛めてしまうだろう。
そんな無責任なことは出来る筈が無い。
関わったからには最後まで責任を持つ。
僕はそういう男でありたい。
「僕の存在が天江さんの重荷にならないように、天江さんの居場所になりたい。天江さんが安心して夢に挑戦できるように傍で支えたい。二つの強い想いがあるのなら、相乗効果でより良い未来を掴みたい」
もちろん僕からの一方的な献身は申し訳なく思わせて彼女の心に負担をかけさせてしまうだろう。だから僕自身も夢を追いながら、お互いに支え合って生きていきたい。
「完璧な答えだと思うけど、どうかな?」
確認するのは少々意地悪だったかな。
彼女の真っ赤な顔を見れば明らかだもん。
「どうして……どうしてそんなに優しいの?」
「そりゃあ好きな人のためだもん」
「どうして……どうして私なんかを……」
「パティシエの夢に向かって真っすぐ勉強している天江さんが美しかったから」
だから僕は君のことが好きになったんだ。
毎日教室で真剣に夢に向かって努力する姿に憧れたんだ。
「っ!ずるい!ずるいずるいずるいずるい!そんなこと言われたら好きになっちゃうじゃない!私のためにあんなに頑張ってお祖父ちゃんの所に通って!答えまで見つけてくれて!自分でも気付かなかった悲しみに気付いてくれて!癒してくれて!しかも私の夢まで応援して支えてくれるなんて!欲しい答えばかりくれるなんて!ずるすぎるよ!」
「わわ、天江さん、今はダメ!ぎゃああああああああ!」
「うわああああん!」
いきなり抱き着かれて嬉しいはずなのに、足が、しび、痺れっ!
嬉しいのに地獄だああああ!
ーーーーーーーー
「それで、僕は何語を勉強すれば良いのかな?」
「え?」
「だってパティシエの修行で海外に行くんでしょ?」
「何で分かるのよ!しかもついて来るつもりなの!?」
何で分かるかって、本気でパティシエになりたいなら、海外修業は王道じゃないか。
それについて行くのは当然だよ。
「僕昔から、好きな人が海外に行くなら一緒に行くべきだって思ってたんだ」
実際は異文化で苦労してストレスが溜まってケンカになって別れるケースも多いらしいね。
もちろん僕はそんなことにはならない。
彼女の不安やストレスをちゃんと受け止めてフォローしてあげるんだ。
もちろん僕自身も向こうで勉強しながらね。
「うう……このままじゃ猪瀬君が居ないとダメになっちゃう」
「ダメダメになって、夢に打ち込んくれると嬉しいな」
「ああもう好きー!」
「天江さん!?」
彼女に甘い言葉を囁くと、次の新作がぐっと美味しくなるんだ。
これはかなり期待できるぞ。
もし美味しかったらお祖父さんに持って行こう。
そして三人で仲良く食べたら、きっと彼女のお祖母さんも喜んでくれるに違いない。