中編
15分経って、アラームが鳴る室内。
俺はむずかるように葉月の胸板に頭を小さく擦り付けた。
「ん、みかちゃん?」
「……ふぁ、うん、起きるよ……」
俺が引っ付いているから葉月も起きられないんだ。ぽやぽやする頭を支えながら起き上がる。
ちょっとしたお昼寝のつもりだったのに、普通に熟睡してしまった。やっぱり俺葉月といる時が一番安心するんだろうな。
葉月が離れたことで体の前面から温もりがなくなってしまって少し冷え冷えとする。
「よし、葉月、起きたしゲームしよ」
「うん、ちょっと待っててね」
ぐぐーっと伸びをして、葉月の後ろ姿を見る。
昔から変わらない、少し丸まった背中。ただ大きさだけが随分と変わった。
手元で何やってるのか見えなくて、後ろから静かに乗りかかるようにして操作画面を覗く。葉月の背中にくっついて、首の左側から顔を出す体勢だ。
「っ、みかちゃん?」
「葉月が何してるのか気になって。……あ、重い?ごめん、退くよ」
「いや、重くないから、大丈夫……」
葉月は優しい。それに体温がぽかぽかしてるから、さっき離れたことで少し寂しくなった俺の心も陽だまりみたいに暖まる。
俺は軽く鼻歌を歌いながら、葉月の作業が終わるのを待った。
新しいゲームは対戦型のゲームが集まっているソフトで、俺たちはいくつも競い合った。勝敗は半々くらい。いや、少し葉月の方が上手いかな。
負けるとやっぱり悔しくて、もう一回を強請る。
「みかちゃんは負けず嫌いだなぁ」
「だってあとちょっとだったのに……次は勝つよ」
「次も手加減しないからねー」
「望むところ!」
普通に惨敗した。
葉月はゲームで容赦しないので、得意のゲームに当たると全く勝てなくなる。でも葉月とやるゲームはなんでも楽しくて、悔しいのも本当だけど、一度ももうやりたくないってなったことがない。
「楽しかった。また遊ぼうね」
「うん、買ってよかったよ。今度は罰ゲームとか混ぜてやってみる?」
「罰ゲーム?ハンデありならいいよ」
「え、わかった。じゃあなんか互いに考えとこうか」
葉月は更にスリルが欲しくなったのか、罰ゲームを提案してきた。そんな酷い罰はないだろうし、俺は安易に頷く。もちろん、罰ゲームという概念に友達の悪ノリっぽくて憧れていたのである。
ていうか勝てばいいんだから!ハンデ付けてもらうし余裕余裕!
こうして勝負意欲に燃えていた俺たちは、勢いそのまま次の週くらいに罰ゲームありでやった。
結果はまあ、半々くらい。
俺は語尾に「にゃ」を付けたり恥ずかしい台詞をたくさん言わされたりした。葉月が考えたのは言葉上の罰ゲームが多かったのである。俺があんまり運動が得意じゃないのを考慮してくれたのかも。やっぱり葉月は優しい。照れてしまうものも多かったけど、正直言うだけだしダメージはそんなでもなかった。
俺は逆にフィジカル面の罰ゲームを考えて、負けたら筋トレをさせたので、終わる頃には葉月は汗だくだった。葉月もすごい運動出来るわけではないんだけど、真面目にこなしてくれてすごかった。俺が罰ゲームで疲れさせることで勝率を上げようとしたのは普通にバレていたが。
最後の戦いはすごい気迫の葉月が勝利をもぎ取った。大きくガッツポーズしている。
「くぅ、負けたぁ……っ!」
「よっっっしゃ勝ったぁ!」
「悔しい…………で、葉月、罰ゲーム何すればいいの?また台詞とか言うやつ?」
「いや、最後は…………えーと、まず僕と手を繋いで欲しい」
「?わかった」
手を差し出されたので、いつものようにぎゅっと握る。
「ありがとう、で、指をこうしてもらって……」
互いの指を交互にする形に変える。いつもよりも更に手のひらがくっつくみたい。不思議な繋ぎ方だ。
離れて手を繋ぐのは難しかったので、葉月のすぐ隣に移動して座る。
「これで、暫くいて欲しい」
「いいけど……これ罰ゲームになってる?」
「僕汗かいてるけど、近くにいるの嫌じゃない?」
「葉月だし、何も嫌じゃないよ」
「そっか……疲れたから、休憩させて。あと、出来れば少し凭れてもいい?」
「ん、いいよ。ふふ、ごめんね。たくさん筋トレさせて」
ぴったりとくっつくと、確かに汗っぽい。でも葉月の汗は別に嫌じゃない。むしろ、なんか良い匂いがするまである。これは俺と葉月が大親友だからなんだろうか。
繋ぎあった手のひらからどくどくと脈打つ音が伝わってくる。俺に少し凭れた葉月の重みが心地好くて、ずっとこうしていたいと思った。
「いや、こっちも……ごめん。変な台詞言わせて……」
「ふふ、ああいう台詞言うの、ちょっと恥ずかしかったけど、大丈夫だったよ」
「みかちゃんはメンタルが強いな……」
「葉月がいてくれるから。葉月がそばに居てくれるだけで、何でも出来る気がするんだ」
「……僕も、みかちゃんがいてくれるだけで、嬉しいよ。いつも」
「……っ!葉月、大好き。ずっと友達だよ。ずっと一緒にいようね」
「うん。僕も、……好きだよ」
葉月が目を閉じて、囁くような、掠れたような声音で同意してくれた。俺が疲れさせてしまったから息は弱々しかったけれど、そこに篭められた意思は強くて、はっきりとして、俺のことを大事に思っていることが伝わってくる。
俺は、葉月が俺との関係性を認めてくれる度に、嬉しくて舞い上がってしまいそうになる。友達でいていいんだって、俺と葉月の関係は何も間違ってないんだって、そう強く思えるから。
葉月と友情を確かめあって、俺は大満足だった。
罰ゲームも楽しかったし、またやってもいいかもしれない。
葉月としっかり手を繋いで、横にぴったりくっつきながら俺は思った。どくどくと速い葉月の鼓動を感じながら、そう思っていた。
それから数日が経ち、俺たちはいつもと変わらず過ごしていたのだが、何故か、一緒にいるときに葉月がぼんやりしていることが増えた。ぼんやりしているというか、俺のことをじっと見ている感じ。
でも現実の俺をただ見ているわけではないのか、視線が合うことがない。葉月は俺の何を見ているんだろうか。
「葉月?」
「え、あ、ごめん。ぼーっとしてた。どうしたの、みかちゃん」
声を掛けるとすぐ笑顔で反応してくれるけど、暫くしたらまた俺のことをぼんやり眺め出す。
葉月は俺のことを見ていることが多いし、俺もよく葉月のことを見ているから、それ自体は変じゃない。ただ、今までは頻繁に目が合っていたのに、急に焦点が合わなくなったような……なんだか変な感じだ。
「なんか、最近葉月と視線が合わないなって」
「そ、うかな?」
「うん。こっち見てるのかなって思っても、見てない、みたいな?」
「えっ、……みかちゃんのことそんなに見てた?」
葉月がきょとんとしながらそう言うから、俺は自分の自意識過剰に途端に青くなり、冷や汗がだらだら出ているのを如実に感じた。
「え?……あ、葉月、見てなかった?ご、ごめん勘違いだったかも」
「あ、いやいやいや、ちっ、違くて。む、無意識だったってこと!みかちゃんのこと見てるのは合ってる、と思う。僕気付くとみかちゃん見てるし」
「そう?なら、よかった。うん、ミカもすぐ葉月のこと見ちゃうよ。ふふ、仲良しだよね」
「っ、うん、仲良しだ」
……違和感を覚える。笑顔が少し硬いんだ。葉月はやっぱり、何かが変わっている、気がする。
俺のせいだろうか。俺が何かしたんだろうか。できることなら何でもしてあげたいが、理由がわからなくて焦燥感にかられる。
「なんか、悩みごとでもあるの?……言えないことなら、無理には聞かないけど」
「悩みごと……っていう、わけでも、ない、かなぁ」
歯切れがすごく悪い言い方で、悩ましそうに言われた。気になるが、俺たちは親友だからって無理に聞き出すことはしたくない。ただ、少し寂しいだけ。
「出来ることあったら、何でも言ってね?」
「あ、ありがとうみかちゃん。……うん、でも、僕の問題だから。みかちゃんは、何も間違ってないから」
葉月がいつもの笑顔で言うのに、俺は言葉を継げなくなって、ただ頷いた。
このときの俺は愚かで、ただ葉月のことが好きで、葉月と一緒にいられることが嬉しくて、だから自分のことしか考えていなかったのだろう。
葉月がどんな気持ちで俺といたのか、気付かないままで、気付かないふりをして、無理やりにその気持ちを押し込めさせていたんだ。
俺はいつも間違える。
俺は合っていたことがない。
俺の選択は全てが最悪で、自分で選んだものは何一つ良かったことがない。
前世からそうだ。
そして、俺は何も変われていなかったんだ。
出会ってから13年。俺たちは17歳、高校二年生だった。
どことなく葉月の様子が変わったからといって、俺たちの親友関係が変わるわけではなかった。
俺は変わらず葉月の部屋に入り浸って、葉月はそれを迎えてくれる。ゲームしたり、勉強したり、ただおしゃべりをしたり、穏やかで緩やかな大切な時間。
ずっとずっと続いて欲しくて、大事にしたくて、いつものスキンシップに安心して、葉月がいることが何よりも嬉しかった。葉月と出会えたことに毎日感謝していた。
そんな風に浮かれていたら、俺は親友がいる幸福にふと怖くなった。
こんなに大切で大好きでずっと一緒にいたい友達がいる幸せなんて、もしかしたら夢なんじゃないかと本気で考えてしまった。
だって、俺なのに。
……葉月は、俺のことを好きだと言ってくれる。友達だって言ってくれる。
それが何よりも俺の心を支えてくれるけど、同時に、何よりも弱くした。いや、違う、俺の心が弱いだけなんだ。
本当は、葉月が以前と変わっていくのが怖い。親友じゃなくなるのが怖い。
もし、葉月に親友を拒絶されてしまったら、俺は比喩抜きで生きて行けなくなるだろう。そういう確信がある。
葉月に別の友達がいるのも知っているし、学校で仲良くしているのを見ることもあった。そういう友達への接し方と、俺への接し方は違うと知っていた。
それを俺は親友だからだと、一番大切な友達だからだと思っていたけれど、もし、葉月が俺のことを親友だと思っていなかったら?
俺と葉月が親友じゃなかったら、この関係性は何になってしまうんだろうか?
本能が考えるなと囁くのに、俺の脳味噌は勝手に嫌な想像を膨らませる。それを忘れたくて、今日は俺の方に用事があったから葉月と一緒に帰らなかったのに、足が勝手に葉月の家に向かっていた。
家の前に着いて、連絡をし忘れたことに気付く。
いつもは事前に行っていいか聞いているが、頭がいっぱいで思い至らなかったのだ。
自分のポンコツさ加減にげんなりしつつ今から連絡しようとスマホを取り出したとき、丁度月乃さんが買い物から帰ってきた。
「あ、みかちゃん。どうしたの?うち入らないの?」
「月乃さんこんにちは。いや、連絡忘れてしまって」
「あはは、なーに言ってるの、みかちゃんなんだから別に連絡なくてもいつでも来てくれていいのよ。スペアキーの場所も知っているでしょ」
月乃さんの快活な笑顔に心が暖まるのを感じながら、その言葉に甘えて家の中に上がらせてもらう。
葉月は二階の自室にいるのか、一階に人の気配はなかった。そのまま階段を上がり、葉月の部屋の前へ。
「……?」
ノックしてドアを開けようとして、元から薄く開いていたことに気付いたのが最初。
声を掛けようとして、水っぽい音に口を噤む。
細い隙間の奥に、俯いた葉月。何かを見ているのか、床には液晶の光るスマートフォン。何が映っているかは見えない。ズボンの前を寛げて、右手を動かしている。頬が紅潮して、息を少し荒らげている。誰かの名前を言っている。何度も何度も呼んでいる。口の形はよくわかるのに、何故かその短い音が俺の耳には届かない。音が意味をなさない。
俺は痺れたように立ち竦んだ。体のどこも動かせないし、頭も一切働いていない。
数十秒か、長くても一分くらいだっただろう。
はっ、と意識を取り戻したときも、葉月はまだこちらに気付いていないみたいだった。
慌てて足音を殺しながら玄関に戻って、月乃さんに「ちょっと忘れ物したから家に帰りますね」と小さく声を掛けて出る。
何か作業をしていた月乃さんは「お隣さんだけど、気を付けてね」と言ってくれた。
優しいお母さんだ、前世の母親とは違う。
そうだ、違う。
ここは前世じゃないし、俺は女の子なんだから。
少しだけがちゃがちゃと音を立てながら扉が開く。
なんか今は腕に力が入らない。変だな。おかしい。
いや、理由なんてわかっているんだ。
月乃さんから見えないように隠していたけど、俺の顔面は蒼白で、手足はぶるぶる震えていた。動揺が隠しきれない。吐き気がする。ぐるぐる、ぐるぐる、恐怖と痛みがフラッシュバックする。俺が経験した、ミカが経験していないもの。
考えたくないと思うほど、脳裏に鮮烈にさっきのシーンが映る。蘇る。焼き付いてしまう。知らないはずなのに、知ってはいけないのに。
葉月が自分の性器を擦っていた。知識のない俺でもわかる。
自慰行為だ。そうだ、もちろん健全な男の子なんだから、葉月がしてもなんらおかしくないというかごく当たり前のことだろう。
ただ前世の俺は禁止されていたってだけで。
家に着いて、部屋に行き、ずるずると崩れ落ちる。
息が落ち着かない。
心臓がばくばくいっている。
嫌な汗が止まらない。
忘れていたのに、忘れられていたのに、思い出してしまったことが悲しくて、辛くて、それを大事な親友のせいだと思ってしまう自分が嫌だった。
葉月は何も悪くないのに。
ぼたぼたと涙が出てくる。
拭っても拭っても溢れ出てくる。止まらない。
泣くのもダメなんだけど、ほんとは、でも泣くことは大丈夫になっていた。
今世では、泣いても怒られたことがない。叩かれない。むしろ心配される。優しい言葉を掛けられる。母親も、父親も、月乃さんも、佐々木パパも、もちろん葉月も。
泣いてもいいって、わかってる。だから泣くことが出来る。俺は泣いていいのだ。
そう考えると、ぎゅうぎゅうと胸を締め付けていた罪悪感が緩んで、俺は嗚咽を漏らしながらようやく泣くことができた。
とにかく泣いて、泣くのに慣れていないから自分の嗚咽に変な感じがして、擦った目蓋が腫れぼったい。
栓が壊れたみたいにぼたぼた出ていた涙は暫く経つとようやく止まって、一旦涙が出切ったみたいだった。
視界がぼやける。気が済むまで泣くことで脳内がすっきりしていた。嫌なことも、思い出したくないことも、一瞬だけ何もかもが空白になる。
「葉月…………」
葉月に会いたいな、と思った。
俺の大親友。大好きな友人。出会えたことが何よりも嬉しい友達。
いつでも優しくて、いつもそばにいて、幸福を分かち合ってくれる人。葉月のそばにいることで、俺はいつも救われていた。前世のひとりぼっちだった俺を、救ってもらえていた。
ごめん。君は何も悪くないのに。
葉月を責めるようなことを思ってごめん。
逃げ出してしまったのは俺なのに。
ずっと一緒にいたいから。これからも友達でありたいから。
早くこんな恐怖心は忘れてしまわなきゃ。
ふう、ふう、と意識的に呼吸をして、なんとか荒らげた息を整える。葉月に、なんでもない顔をして、何も見ていない顔をしないといけない。だって、思い出した途端俺の心は脆くなってしまうから。
「葉月、ごめん、ごめん…………」
辛い記憶を遠くへ追いやるのは慣れていた。
慣れていたけど、上手くできるわけではなかった。
今世の女の子の体は、男の子の体と違って性的なことをしなくてもいいのが助かるんだ。生理のときは血が出るけど、でもそれが体の仕組みだからしょうがない。
でも男の子はダメなんだ。体の仕組みじゃないから。全部俺が意図したことになるから。
脳裏に、過去投げつけられた言葉が濁流のように攻め寄せてくる。今まで思い出さなかったのが嘘のように、ぶつかって、傷付けて、蹂躙していく。
女の子じゃないんだからさあ、男の子は、我慢出来るでしょ?触っちゃダメって言ったでしょ?あー汚い汚い汚い、性的なものは見ちゃダメ聞いちゃダメ触っちゃダメ!何回言ったらわかってくれるの!?は?触ってない?触ってなかったら出るわけないよね?ねえ?なんでパンツが汚れたのかお母さんに説明してみせてよ、ほら、ねえ、触ってなかったら出るわけがないんだからさぁ!泣いてないでお母さんに言葉でちゃんと説明して!!……ほんとに?ほんとのほんとに?ほんとのほんとのほんとに知らないの?寝てるときに出ちゃったのね?嘘ついたら殺すからね、正直に言った?言ったわよね?……そう、それならいいのよ。あとはお母さんがやっておくから、あなたはさっさと服を着替えて課題を済ませるの。は?グズグズしないでよ。なんで泣いてるの?泣きやめ、泣きやめ、泣ーきーやーめって言ってるの!聞こえない?耳取れちゃった?聞こえてるんだったらさっさと行きなさいよ!っち、あー、なんで男で生まれちゃったかなぁ……なんで女の子じゃなかったのかなぁ……
耳を塞いでも意味が無いので、意識をとにかく遠ざけるんだ。
心の中で距離をとる。聞こえていないことにする。
いつも言われていたわけじゃないんだからさ。
最初の慣れてないときだけだ。精通してすぐの頃だけ。
母親が確認する前に起きて処理できるようになってからは頻度が少なくなっただろう。
まあ自慰がダメだったから、酷い時は毎日早起きだったなぁ。ゴミを執拗に確認されるのってキツいんだ。
でもこれはもう前世のことだ。
今は関係ない。
関係ない。関係ないよ。
遠くに、遠くに、追いやって、追いやって、追いやって、水平線の向こうに見えなくなって、俺はなんとかその存在を忘れることができた。
「…………っは、ぁ」
詰まっていた息が久々に喉を通るから、ひくついて痙攣してしまった。
いつもは電話するけど、葉月に慌てられたら困るから、俺が平静を取り繕えないから、今日はテキストで連絡する。
『明日遊びに行っていい?この間やったゲームの続きがしたいな』
明日は、たぶん、いつもの俺だから。
◇
「は、はは……」
あーあ、終わった。バレた。
見られた、聞かれた、気付かれた。
僕がみかちゃんを性的な目で見ているのが白日の元に晒されてしまった。
いや、晒したんだ、自分から。
一周まわって逆に凪いだ脳内に従って、体はてきぱきとさっきまでの痕跡を消していく。一通り綺麗にして、いつもの癖で消臭剤を掛けたあと、僕は枕に俯せになった。死んだ魚のように横たわり、身動ぎひとつしない。
「…………」
今日はみかちゃんが来ないと思っていたから、最近募りに募っていた劣情を晴らす機会だと思ったんだ。母さんもいなかったし、帰ってくる前に終わらせてしまいたいと少し焦っていたのもあるかもしれない。
ドアをきちんと閉めていなかったのは、純粋な不注意だった。
でも、みかちゃんがいることに気付いていたのに、自慰を続けたのは僕の意思だった。
前までは我慢できていたみかちゃんからの好意を、それ以上を望む煩悩を抑えきれなくなっていたんだ。最低だ、本当に。
細い腕を押さえつけて身動きできなくしたらどうなるだろうとか、いつもの距離の近さから顔を近付けたら本当に唇を奪ってしまえるなとか、無防備な信頼を裏切ってでも僕のものだと示してしまいたくなるとか。
僕がみかちゃんに対して持っている感情を、気付かせたらどうなるんだろう、とか。
みかちゃんのことが何より大事なのに、己の欲に負けた愚かな男が僕だった。
殺してくれ。許さないでくれ。
……でも、もし叶うならこの気持ちを受け入れて欲しい。
そんな浅ましい願いが胸を突く。
あるわけないって知ってるのに。
みかちゃんは僕のことを親友だと思っていて、だからこそ僕を何よりも優先してくれていたんだ。
みかちゃんが願っていたのは親友の僕であって、恋人ではない。恋愛がわからないし理解できないみかちゃんにとって、友達関係こそが至高で、唯一で、心の拠り所だったとわかってる。
僕の気持ちが親友じゃなかったと知ったのだから、みかちゃんは失望しただろう。嘘だったのかって、絶望しただろう。……信じていたからこそ余計に、傷付いただろう。
僕の気持ちを受け入れることなんて絶対にない。僕がみかちゃんを好きだからこそ、みかちゃんからの気持ちにそういった欲や煩悩が一切含まれていないことは何よりも理解できてたんだ。
それを、僕が壊した。
多分もう元に戻らない。
「終わりだなー……」
みかちゃんはもう僕と一緒にいてくれないだろう。こんな最低男、共にいる価値がないからだ。あれだけ友達だとか親友だとか嘯きながら、心の中では劣情ばっかりだったんだ。恋人になりたいならそう言えばよかったんだ。それを壊したくないからって、みかちゃんは告白なんて望んでないからって、それを言い訳にして、嘘をついて、騙して、無理矢理大切な子の心をぐちゃぐちゃにした。
ふと気付くと、チャットに着信が来ていた。みかちゃんだ。
「……っ!?」
僕は慌てて跳ね起きてスマホを操作した。内容を確認して、思わず息が漏れる。驚き、次第にくつくつと笑いが溢れて、スマホが手から滑り落ちていった。ぽすんと毛布の上に着地するそれをぼんやりと眺め、またベッドに倒れ込む。
「ぁー…………許してくれるんだ。はは、これからも一緒にいていいんだ」
何よりもまず安堵。
そして、これから先も我慢し続けるのかという、虚しさ。
気持ちを打ち明けることも許されないのが僕にはお似合いで、望んでいたことなのに息が急に苦しくなった。
自分の醜悪さが嫌だった。
この気持ちを親愛だけに出来たらどれだけ幸せだっただろうか。なんて、無理なんだけど。




