前編
気が付いたら、俺は女の子だった。
名前は橋口 美香。御歳4歳の幼女である。
前世は男。おそらく高校生くらいが没年。夭逝。
なので、出来れば今世は長生きしたいなーと思っている。
さて、そんな俺は今めちゃくちゃ緊張している。インターホンを押している母親のスカートにしがみつきながら、「みかちゃんもうちょっと手の力緩めてねー」と優しく言われてちょっとしょんぼりし、今世最大のミッションに臨んでいた。
というのも、我が家は先日一戸建てを購入した。
住宅街の一角にある綺麗な白いおうちだ。俺も壁面の色とか選んだので、出来たばっかりだけど思い入れがある。そんなおうちに我が家は引越しをしたので、今近所に挨拶をしているところだ。
建設中に何回か足を運んで、そのときにある程度ご近所づきあいはしていたわけなんだけど、俺は子供だから遠巻きでいられたというか、まあ人見知りなので母親と父親に「みかちゃんも一緒に行く?」と聞かれたら、無言で首を横に振ってきたのである。
しかし、いざ越してきたとなれば、やっぱり俺も居た方がいいかな?と思ったわけで、小さく「こんにちはぁ」と呟くだけの重大ミッションをこれまでやってきた。
ぐるっと周辺のおうちを回って、最後はお隣さん。中でもここは俺にとってとりわけ緊張する家であった。
お隣は俺と同い年の男の子がいる。
そして、これまでの会話から同じ幼稚園に通うのもわかっている。
つまり!ここで仲良くなっておきたい!友達がほしい!
俺はそう心に決めていた。
というのも、前世で俺は友達がいなかった。
なんていうか、教育熱心な母親だったので、俺のスケジュールは大体分刻みで決まっていたのである。
幼い頃から塾とか習い事とかがたくさんで、それでいて前世も人見知りだった俺はどこに行ってもひとりぼっちだった。小さい頃からひとりぼっちだと、大きくなってもひとりぼっちというか、あいつは一人でいるのが好きなやつなんだなーというレッテルが気付けば貼られているものである。俺は同年代の男の子たちが騒いでいるのをいいなぁと思って見ていたんだけどね。勇気が出せなかった。人見知りだからと言い訳をして、友達が欲しかったのに言い出せなかったんだ。
だから、今世こそは友達を作り!友人と遊ぶという夢を叶える!
そうした下心を抱えながら、でもやっぱり人見知りだから緊張はマックスで、俺は隣の佐々木さんが出るのを待った。どんな男の子なんだろうか。ドキドキする。心臓が出そう。
佐々木さんは丁度在宅中だったのか、結構すぐ出てきてくれた。
「あ、橋口さん!こんにちは〜」
「佐々木さんこんにちは。引越し無事完了しました。色々と助けて頂いてありがとうございます。これからよろしくお願いしますね、こちら宜しければどうぞ」
「わ、ありがとう。こちらこそよろしくね。あとで美味しく頂きますね〜。あら、今日はみかちゃんがいるのね、よかったらうちの葉月と挨拶していってくれない?」
「もちろんもちろん、葉月くんがよければ。ね、みかちゃん。お隣の葉月くんは幼稚園が一緒なんだよ」
知ってるよ!知ってるから緊張してるの!俺は!
うんうんと頷きながらより母親のスカートをぎゅうと握りしめる。母親は俺の人見知りをわかっているので、優しく頭を撫でてくれた。
暫くして、ドアががちゃりと開く。
佐々木ママと、足元に男の子。あれが葉月か。
「お待たせー、葉月連れてきました。葉月、みかちゃんにご挨拶して?」
「……こんにちは、みかちゃん。ささき はづきです。よろしく」
佐々木ママの前にてくてくと出て来て、葉月はそう言って笑った。
俺はひと目でビビビッと来た。
な、仲良くなりたい!
この子とお友達になりたい!
なんか優しそうな男の子だな、というのが第一印象。すごいいい子っぽい。あとなんか頭良さそう。笑うと元々ほんわかした雰囲気が更にほんわかしている。
「……っ」
ぐ、と鋭く一呼吸。
俺は母親の後ろから勇気をだして葉月の前に行き、出来れば握手とかしようかなって思ったんだけど、普通にそこでビビって自分の手を握りしめながら、相手の目を見た。
なんか前世で人と仲良くなるには相手の目を見るといいとか聞いたことあるから!俺はそれを頼る!
葉月の目は俺の薄い茶色とは違って、くりくりとした黒色だった。
「み、みかは、ミカ!よろしくはづき!!!」
勢い込んだので若干裏返りつつの大声になってしまった。
俺は羞恥で顔を真っ赤にしつつ、ここまで来たなら握手ミッションもこなそうと思って葉月の手を取って優しく1度振る。しかしすぐにキャパオーバー近い精神に従って、脱兎のごとく母親の後ろに戻った。
大人たちは微笑ましそうに俺たちを見ているし、葉月もちょっとびっくりしたみたいだけど、にっこり笑ってくれた。やっぱりいい子だ。俺の目は間違ってなかった。
そのまま大人たちが軽く話して、また明日よかったら一緒に遊びに行こうね〜みたいな締結がなされているのを後目に、俺は葉月を見ていた。葉月も俺を見ていた。
また明日ね、と葉月が口パクで言うのに俺は小さく手を振り返した。
ドキドキと嬉しさで心臓がはち切れそうだった。
人生初めての友達ができそう……!!!
俺は挨拶から帰った新しいおうちの中で、にへらと笑っていた。
「みかちゃん、ごきげんだね」
「はづきとおともだちになれそうだから!ミカ、おともだちがうれしい」
「これまで転勤多かったもんなぁ。ごめんなぁ、みかちゃん。これからはたくさんお友達作れるぞー!」
「えへへ、うん!たのしみ!」
まあ、葉月との出会いはこんな感じ。
前世含めて人生初のお友達に俺はとにかく浮かれに浮かれていたのである。
さて、あれから9年経ち、俺たちは13歳。中学一年生であった。
ピンポーン、とインターホンを鳴らし、葉月を待つ。
『はーい、おはよう』
「おはようございます、月乃さん。ミカです。葉月もう起きてます?」
『うん、起きてるわね。でもまだ準備してるからちょっと中入っちゃっててくれるー?』
自動ロックの鍵が開く音がする。
勝手知ったるお隣さんち、俺は遠慮なく玄関に入っていった。
佐々木家の玄関は我が家と違って靴を履く地面とフローリング部分がフラットだ。勢いよく靴を脱ぐところころーって転がっていっちゃいそう。まあそんなやんちゃなこと俺も葉月もしないけど。
靴を揃えて、リビングへ。
綺麗に整った家具の真ん中で葉月が慌てて通学鞄に教科書を詰めていた。
「おはよー、葉月。どうしたの?」
「あ、みかちゃん。おはよう。いや、昨日の夜準備してたんだけど、今見たら曜日間違えてた……」
「葉月は時々やらかすねー」
「ごめんね、すぐ終わるから!」
「そんな急いでないし、また間違えないようにゆっくりでいいよ」
俺は葉月の近くに座ってそう言った。
中学生になって、すくすく育っていた俺の身長はそろそろ止まり始めていた。
一方、葉月はこれからが本格的な成長期みたいで、去年より背が高くなってはいるけれどまだ俺より少し小さい。いや、もう同じくらいになっているのか。
近くにいると、あんまり成長に気付けないなぁと思った。
葉月は最近俺が近くに居ると、ちょっと笑顔が増える。笑顔というかはにかみ?
なんだかすごく優しい顔でこっちを見てくれる。
俺に心を許してくれているみたいで嬉しい。大事な親友だからね、俺たち!
「よし、行こっか。母さん、行ってきます!」
「いってきまーす」
「はーい、気を付けてねー」
月乃さんに挨拶をして、俺たちは並んで家を出た。中学校はここから歩いて15分くらいなので、今のところ自転車を使う予定は無い。
「葉月、手ぇつなご」
「……うん」
葉月と手を繋ぐと、その手が俺と違って関節ばってきているのがわかる。俺は今女になってるから、葉月にとっては逆に俺の手が柔らかく感じるのかな?
9年前、俺たちが出会ってから、俺はとにかく葉月にじゃれついた。手を繋いだり、ハグをしたり、ハイタッチをしたり、肩を組んだり。前世の幼い頃から俺は誰とも触れ合わなかったから、なんていうか、そういうスキンシップの多い友達に憧れていたのだ。
それをずっと続けていたら、この間同級生にからかわれた。佐々木と橋口は付き合っているとかなんとか。
俺は愕然とした。そうか、男女だとスキンシップが多いのはダメなのか。
確かに思い返してみれば、男は男と、女は女と過ごす空気が小学生の時よりも固定されていた気がする。俺は友達が葉月だけなので、葉月だけがいればいいので、そうした一般的な空気を感じることなくひっついていたが、それは恐らく間違えていたのだろう。
同時に、今まで葉月に迷惑をかけてきたんじゃないかと慄いた。俺は大切で、大事な、生まれて初めての友達を傷付けることが何よりも怖かった。俺といることで葉月が嫌な気持ちになるのが何よりも怖かった。俺は、葉月と一緒に居ない方がいいんじゃないだろうか……。
しかし、葉月は葉月だった。
「みかちゃんは大事な友達だよ」と、はっきり言ってくれた。その時、俺がどれだけ嬉しかったことか!
葉月の凛とした、毅然な態度にからかいは自然と収まっていった。彼らも恋だのなんだのではしゃぎたい年頃だっただけで、俺たちを傷付けようとまでは思っていなかったのだろう。
ただ、俺は考えた。
これまでと同じ態度でいたらまたからかわれて、葉月が嫌な思いをするかもしれない。
だから、人前ではスキンシップを減らして、通学の途中までとか、家の中とか、周りに見えない部分ではこれまで通りにすればいいのではないか、と。
葉月にこう言ったとき、葉月は何故か酷く安堵したような顔ぶりで同意してくれた。俺がスキンシップが好きなのと同じように、葉月もスキンシップが好きだったのかもしれない、と考えている。
まあそういうわけで、通学路で中学生が増えるまでの5分くらい俺たちは手を繋いで歩いている。
葉月の手は暖かくて、安心する。大切な友達と手を繋げて、俺はいつでもルンルンだ。
ルンルン気分のままいつものように角を曲がろうとすると、葉月に軽く引き寄せられた。俺は少しバランスを崩して、葉月の腕に凭れてしまう。なんだなんだ、と思いながらすぐに体勢を持ち直すと、葉月がいつもとは違う道を指さしていた。
「葉月、なんかあった?」
「ね、みかちゃん。今日はこの道から行かない?」
「裏道?危ないから、基本大通りを歩かないとじゃないっけ」
「うん、そうなんだけど、こっちの方が日陰が多いんだよ。それに裏道って言ってもすぐ大通りと合流するから多分大丈夫。ちょっと遠回りになるくらいで」
最近暑くなってきて、日光がキツくなってきたなぁと葉月に言っていたからだと俺はすぐにピンと来た。
葉月は本当に優しい、いい子だ。そんな葉月の厚意を無碍にするのは俺には出来ない。あと普通に日陰が多い道の方が嬉しい。
俺は顔を綻ばせながら、「じゃあそっちで行こっか」と頷いた。
いつもとは違う道は確かに日陰が多いため涼しく、また大通りの一本裏かつ若干遠回りになるため人目も少ない。俺たちはいつも人が増える手前で手を離しているから、普段の通学路よりも手を繋いでいられる時間が長くなったのは嬉しい誤算だった。
大通りに合流したら、中学校まですぐである。次第に人が増えていく中、俺たちはのんびりと歩みを進めた。
「今日の道、涼しかったね」
「最近暑いから、日陰が多い方が嬉しいかなって」
「うん、葉月のそういう優しさ嬉しいよ。あと、いつもより長く手繋げたのも嬉しかった」
「っそ、そう?」
「これからもあの道で行く?」
「みかちゃんがいいなら、そうしたいな」
「じゃあそうしよっか」
ふふ、と自然笑みが零れた。
生まれ変わって、葉月と出会えてよかったなぁとしみじみと感じる。
俺の一番大切な友達。これからも仲良くしてね。
出会ってから12年後。俺たちは16歳、高校一年生だった。
俺も葉月も偏差値が同じくらいだったので、示し合わせたわけではないのに志望校が一緒になり、高校も同じところに進学した。クラスは別れてしまったけど、同じ高校って普通に嬉しい。幼稚園、小学校、中学校も毎日うきうきだったが、高校生活も毎日上機嫌だ。
なんていうか、俺は葉月という友達がいるだけで簡単に嬉しくなってしまうチョロい人間なのである。
さて、今日はお休み。俺たちは2人とも締切だけ守ればOKのゆるい部活に入っているから、休日部活に勤しむってことはあんまりない。
高校でできた他の友達と遊びに誘われることもあるが、今日は特になかった。俺は昔より改善されてはいるが、やっぱり人見知りのままなので友達が少ない。これでも、以前からかわれたことから反省して友人を増やす努力をしているのだが……。葉月だけがいればいいという俺の考えがあまりよろしくないのでは、と学んだ結果である。
でも正直友達が少なくても親友の葉月がいるので問題ないのである!
スマホで葉月に電話を掛ける。
葉月はマメなので連絡の返事がとても早い。コール2回ですぐに繋がった。
『っ、みっ、みかちゃん?』
「おはよ、葉月。今日暇?そっち行っていい?」
『い、いいけど、部屋がちょっと散らかってるから13時くらいでもいいかな』
「いいよー。でも部屋散らかってるって、何かやってたの?葉月の部屋いつも綺麗なのに」
『昔のもの引っ張り出してたら、ちょっとね』
「片付け手伝おうか?」
『いや、大丈夫。すぐ終わるから』
「そっか、わかった。じゃあ片付け終わったら連絡お願い」
『またあとでね』
電話を切る。
なんか最初ちょっと息荒かった?すぐ終わるって言ってたけど片付けの量多いのかも。でも俺の手は必要ないみたいだし、無理矢理行く方が困っちゃうだろう。
あと30分あるし、ちょっと時間が余ってしまった。
何で暇を潰そうか考えて、葉月の言っていた「昔のもの」から安直に連想されたため、久々にアルバムでも見ることにした。
俺の部屋は2階にあり、アルバムは1階のリビングの本棚に収まっている。俺はてくてくと階下に降りて、幼稚園あたりのアルバムをめくった。
リビングにいた母親が寄ってくる。
「みかちゃん、アルバム見てるの?」
「うん。久々に見たくなって」
「懐かしいねー。みかちゃんはずっと葉月くんにべったりだったよね。いや、今もか」
「だって大親友だし。あ、このあと13時くらいになったら葉月んとこ行く」
「はいはい、行き過ぎて嫌われないようにね」
「えっ……い、行き過ぎたら嫌われちゃうかな……」
俺は愕然とした。
なんてことだ!俺は葉月に会えるだけで嬉しくなるが、葉月はそうではないというのか!
ていうか俺は葉月のところに行き過ぎなのか。確かに俺ばっかり葉月の部屋に行ってて葉月が俺の部屋に来る方が少ない。
でも葉月はなんか俺の部屋に来るよりもじゃあこっちおいでよって感じだし……いやでも無理させていたんだったら改善しないと。
「それだったら今日は葉月にミカの部屋来てもらった方がいいと思う?お母さん」
「う、うーん。葉月くんに聞いてみないと。憶測だけだとよくないからね」
「わかった。聞いてみる」
俺はさっき掛けたばかりだったが、改めて電話を掛けようとスマホを取り出し、そういえば片付けの最中だからよくないなと留まった。葉月から掛かってきたときに言おう。
ちなみに、俺の一人称がミカなのは前世を引きずっていた俺が自身の名前を刻みつけて忘れないようにするためだ。自分は橋口 美香なのだと宣誓する。幼少の俺がミカとして生きるための処世術だった。
ただ、ミカと俺がきちんと重なった今でも、私を使うのはどことなく違和感があり、心の中で使っている俺もやはり表で使うには違和感があって、昔から使っているミカを未だに一人称にしている。子供っぽいとは思いつつ、別の一人称にする勇気もまだ持てない。
俺と母親は暫く昔のアルバムを眺めてあーだこーだと言い合った。懐かしい。
あー、初めて葉月と一緒におつかいに行った写真とかもある。一応前世のある俺と、落ち着いた性格の葉月は特にトラブルが起こることなくすんなり終わったんだった。
これはみんなでいちご狩りに行った時の写真か。いや、小さい頃の俺らに比べたらいちごってデカい。いや、この農園のいちごが元々大きいサイズなのか。
楽しいアルバム鑑賞タイムを過ごしていたら時間はあっという間に経ち、予定した13時よりも早く葉月からは連絡が来た。
『ごめんね、みかちゃん。待たせちゃって』
「ううん、大丈夫。……あのさ、葉月」
『ん?』
「ミカ、葉月の部屋行き過ぎかな?負担になってるんだったら今日はミカの部屋で遊ぶ?」
『ふ、負担とかは全然問題ないよ!むしろ、いつも来てもらってるこっちが大丈夫かなって。僕としては、いつでも来てもらっていいんだけど』
「そっか。じゃあ今日も葉月の部屋行くよ」
電話を切り、笑顔で母親の方を向く。
「お母さん、葉月は行き過ぎって思ってなかったって。よかった、嫌われてたらどうしようかと思った」
「よかったねえ……」
母親もにっこり笑って言ってくれた。
俺は一応勉強用具を持って隣の佐々木家へ行った。玄関前に葉月がいて、俺を見るとぱっと顔を明るくする。俺も嬉しくなって小走りで葉月のそばに寄った。
葉月の部屋はいつも通り綺麗だった。基本的にモノトーンでまとめられていて、落ち着いた部屋だ。
俺はふと違和感を覚えて、すんと鼻を鳴らす。
「……?葉月、消臭剤かけた?」
「え、ぁあうん。かけたよ。よく気付いたね」
「いつもと違う匂いがしたから」
「へー、なんか僕の部屋って匂いあるの?自分ではわかんないけど……」
「うん。葉月の匂いがするよ」
俺は葉月の首筋に顔を近づけた。少し背伸びをしないと届かなくなっている。
葉月は中三から一気に背が伸びて、今では俺より頭一つ分くらい高くなっている。俺も一応まだじりじりと背が伸びていて、今は162cmだ。
俺が近寄るとカチッと止まってくれる葉月に優しいなぁと思いながら、すんとひと嗅ぎ。柔軟剤だけじゃなく、お日様みたいな葉月の匂いだ。
「葉月の匂い、安心する」
「そっ、そっか」
「今日は勉強してから、ゲームでいい?」
「あ、新しいソフト買ったんだ。これこれ、みかちゃんと一緒にやりたくて」
「おおー、嬉しい、いっぱい遊ぼうよ」
俺は前世でとにかく勉強勉強習い事塾塾塾といった感じだったので、勉強するのが苦ではない。もはや習慣みたいなものだ。でも、葉月とやる勉強はとても楽しい。友達との勉強会に憧れていたので、出来る度に新鮮に嬉しくなる。
「みかちゃん、嬉しそうだね」
「勉強が楽しくて」
「あー、学ぶの好きだもんね」
「ううん、葉月とやるから楽しいんだよ」
「そっ、かぁ……僕も楽しいよ。みかちゃんといると、何でも楽しい」
「ね、楽しいよね」
葉月の部屋の真ん中にあるテーブルは冬にはこたつにもなるが、今の時期は単純にテーブルとして使われている。
俺と葉月は対面で向かい合って座る。小さいテーブルなので、隣に座るほどのスペースはないのだ。今も、少し足を動かそうとしたら膝がぶつかりそうになってしまった。
「あ、ごめん」
「大丈夫だよ。うーん、でも足痺れてきたし一旦終わりにする?」
「そうだね、終わりにしよっか」
「よし!じゃあゲーム繋ぐね」
友達と一緒にゲーム!いつ聞いてもなんて良い響きなんだろう。
葉月の部屋にはテレビがあるので、俺たちは基本ここでゲームをしていた。部屋にテレビあるのっていいなぁと思うが、俺はゲームするんだったら普通にリビングでやるので、自室にわざわざテレビを入れるほどではなかった。
葉月が起動準備をする間、俺はテーブルを少し後ろにズラす。ゲームに夢中になって当たったら嫌だし。
「ん?」
動かした先に本棚があるのだが、隙間から白っぽい何かが飛び出している。
紙、だろうか。
つつ、と引っ張り出してみると、それは人物写真だった。
茶髪を高く結い上げて飾りをつけ、白地に藍色の柄の浴衣を着ている少女だ。石垣に座り、視線はカメラを向いていなくて、気の抜けた表情で虚空を見ている。
俺の写真である。去年の夏祭りのときに着た浴衣姿だった。
人混みに揉まれて帰ってきたときのものなので、表情は疲れてるしちょっと浴衣がはだけてしまっている。葉月に無言で撮られたから、油断していたのだ。写真に残すんだったらちゃんと直したのに。
葉月も俺みたいにアルバムを見てたのかな。昔のものを出してたって言ってたし。この写真だけここにあるのは不思議だけど、抜け落ちちゃったんだろうか。
触って少し気付いたが、若干湿っている。あ、濡れちゃったから本に挟んでまっすぐにしてたのか。
「葉月ー、ごめん、この写真引っ張りだしちゃった」
「え、あっ、あ、それね」
「ミカもさっき昔のアルバム見てたけど、アルバムって見直すの楽しいよね。元のところに戻しとけばいい?」
「うん、ごめん、ありがと。いや、僕戻しとくからこっち渡して欲しいな」
「わかった。はい、どうぞ」
手を伸ばす葉月に俺の写真を渡す。
葉月がほっと安心したように息を吐いた。若干慌てていたのが気になるが、俺が勝手に引っ張りだしちゃったからだろう。葉月はきちんとしまっていたのに。ごめん……。
「それにしても、この写真撮るとき一言言ってくれたらよかったのに。浴衣崩れちゃってるけどよかったの?」
「っ、うん。こういうみかちゃん珍しかったから」
「ふーん。確かに、珍しいところって撮っておきたいのわかるよ。葉月の寝てる写真とか撮っちゃうし」
「え!?」
「あれ、言ってなかったっけ?いや寝てるから言えてないのか」
俺は自分のスマホの写真フォルダを開くと、暫くスクロールして葉月が居眠りしているものを見せた。一緒にこたつで勉強していたら、暫くしたら葉月の頭がずり落ちていって、確認したら寝ていたっていう場面だ。すやすや綺麗に寝てたから思わず撮ってしまった。
「これ、受験のときかな、確か。葉月って基本しっかりしてるから眠ってるの珍しいなって思ったんだよね」
「う、うわ、恥ず……」
「あ、嫌だった?嫌なら消すよ」
「いや、大丈夫。嫌じゃないよ。恥ずかしいだけで……ていうか、みかちゃんの写真に僕多くない?」
「遊び行った時くらいしか写真撮らないし。そうなったら葉月多くなるのは当然じゃない?」
「ああ、確かに……?ええ、でもちょっとズルいな。僕も寝てるみかちゃんの写真欲しい」
葉月が急に真剣に言い出すので、俺は目をぱちくりさせた。昔から家族ぐるみの付き合いなんだから、幼い俺の寝てる写真なんて山ほどあるだろうに。いや、珍しい写真だから小さい頃じゃなくて大きくなってからか。
確かに俺もうたた寝しないから、珍しいかもしれない。
「うーん、今は眠くないから協力出来ないかも。あ、寝てる振りでよかったら撮れるか。撮る?」
「え、あ、うん、お願いします」
「どこで寝たフリすればいい?やっぱり机?」
「……痛くなっちゃうし、ベッドでいいよ」
「そっか、わかったよ」
俺は葉月のベッドに乗り、そのままごろんと横になった。布団の上で横になるのはなんだか変な感じだ。
あ、ひとつに縛っている髪の毛が邪魔になるな。寝返りが打てない。
「葉月、髪解いていい?」
「うん、いいよ」
髪の毛が布団の上にぱさりと広がる。
仰向けだと体勢がしっくり来なかったので、少し体の向きを回転させて葉月の方を見る。
「これで目を閉じたら寝てるように見える?」
「ばっちり」
俺は葉月の言葉に安心すると、目を閉じた。
横になっているせいか、ほんのり眠くなってくるが、本格的に居眠りする訳でもない。葉月の匂いもするし、心地の良い時間だった。
俺は暫くシャッターの音を待っていたが、中々聞こえてこない。薄目を開けると、随分と近くに葉月の顔があってびっくりする。
「わっ、葉月?」
「あ、ご、ごめん。いや、気持ちよさそうだなって」
「あ、眠くなってきちゃった?ゲームする予定だったけど、15分くらいお昼寝しちゃう?」
「お昼寝……」
「うん、一緒に寝よっか」
俺がベッドの奥にズレると、少しした後に葉月がぎしりと乗ってくる。
一人用のベッドなので、二人乗ると結構狭い。
「……みかちゃん、ハグしていい?」
「いいよ。狭いから、ハグしたまま横になった方がいいかな」
「そうだね」
ぎゅ、と抱きしめ合う親愛のハグ。俺はもちろんハグをするのに憧れがあり、幼い頃から葉月にハグを強請ってきた。最近はあまりしていなかったが、それでも大親友とのハグは酷く安心するものである。
ぽかぽかの体温。俺よりも速い鼓動。信頼し合う心。
次第に葉月の腕の中で眠気に誘われる。
世界で一番大好きな親友。俺の最初の友達。これからもずっと一緒にいたい、大事な友人。
「おやすみ、葉月」
「おやすみ、みかちゃん」
とろとろと崩れていく意識の中、吐息が額にかかった気がした。
◇
腕の中の華奢な女の子。
世界で一番大好きな、僕の大切な人。
すうすうと甘やかな呼吸が胸にかかって、柔らかい全身に触れるだけで脳が沸騰しそうになる。短パンから剥き出しの生脚が僕の足と緩く絡められているのも、半ば拷問じみていた。
どっ、どっ、どっ、と速まる鼓動では当然寝ることなんてできやしなかった。
僕の好きな人はいつも無防備で、僕に全幅の信頼を寄せてくる。全身で僕を好きだと言って、全身で僕を親友と呼ぶ。
強烈な罪悪感と、信頼されている嬉しさとが入り交じる。最近自分が欲に負け続けているのを感じていると、なおさら。
今日だって、みかちゃんへの気持ちが抑えきれなくて、去年撮った写真を見ながら一人でしこしこ自慰行為をしていたというのに、突然電話がかかってきて暴発してしまったのである。大切にしていた写真に己のものがかかったときの絶望と興奮といったら……。僕は心底自分に失望した。
慌てて拭いとって、部屋中綺麗にして消臭剤をぶちまけて。そんな精神状態のときにみかちゃんの部屋に行ったら自分が何するかわからない。みかちゃんの匂いに包まれたらおかしくなるに決まってる。
みかちゃん。僕が邪な目で見ていることを知らない女の子。
でも僕が黙っているからこそ、彼女は僕にここまで近付いてくれるのだと思う。
みかちゃんとずっと一緒にいたい。みかちゃんの一番隣は僕がいい。
みかちゃんと恋人になりたい。
僕とみかちゃんの願いは大抵が似通っているけれど、唯一「恋人になりたい」だけは徹底的に違っている。
みかちゃんの全てを暴いて、中も外も僕のものに出来たらどれだけ気持ちいいだろうか。そんな暴力的な思考が過ぎるたびに、純粋なみかちゃんの気持ちを失うことになると恐怖する。
僕は怖いんだ。
みかちゃんは親友としては僕のことが大好きだけど、そこでは性別が取り沙汰されていない。親友の僕たちがいるだけなんだ。
みかちゃんの力の弱さとか、柔らかさとか、甘い香りとか、僕の肉体と違うところに目を付けてしまうのは、僕が性別と性欲に囚われているからだ。みかちゃんはそんなこと考えていないのに。
みかちゃんといると嬉しくて嬉しくて、一人になると苦しくなる。
穏やかな寝顔を見て、その額に思わず親愛のキスをした。
親愛だけのキス。
それが出来たならどれだけよかっただろうか。