リハビリへの苦悩
「何のためのリハビリ」かとの考えがまた頭を巡り始めた。リハビリを始めてから同じことを繰り返し考えている。発病前の体に戻りたいけど戻れない。だから、発病前の生活に戻ることはリハビリの目的にはならない。元の体に戻れないならそれを諦めて、障害者としての新しい生活に何かを求めればいいのではないかとも思う。理屈ではそうなるのだが、その障害者としての新しい生活が具体的にどのようなものかも分かっていない。例えそれが分かったとしても、その生活の中から何を新しい目的として定め、その目的ために何をすべきか分からない。このリハビリを終えたら何ができるのかも分からない。今は、このリハビリを通して何かができるようになっていることをただ信じるしかない。
「俺は今まで努力したことはあったのか?」との疑問が頭によぎる。それも実るか実らないか全く分からないことへの努力だ。脳梗塞のリハビリは、一つ一つの部位を一つの方向に動かすために膨大な努力が必要になる。その膨大さと不可実性に諦めそうになるが、諦めてしまっては今の麻痺の状態が続くだけである。だから、目的が見つからないにも拘らず「努力」を続けなければならない。
更に治したいという精神的な「想い」も重要らしい。元の状態には戻ることはないが、「努力」と「想い」により元の状態から劣ったある状態に近似的に近づくらしい。また衰退することもあるらしいので、退院後も引き続き「努力」と「想い」は必須らしく終わることはない。正確には、「想い」のみでは何も起こらないが、「努力」は必要である。「努力」が必ずしも良い結果に結びつく訳ではないことを知っているが、良い結果を得るには「努力」が必要なことも知っている。言い換えれば、良い結果には必ず「努力」が伴っているが、「努力」を途中で止めてしまえば良い結果の出現はあり得ない。経験したことがない長い地道な道のりなのだが、「努力」と「想い」により何かが起こることを期待するしかない。