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リハビリ病院への転院

 発病時は救急車で総合病院に運ばれた。生死に関わるような容態だったらしいが、治療が功を奏し一命を取り留めたとのことである。発病の時のことは部分的にしか覚えていないので、これは後から聞いた話である。いずれにしても左半身が麻痺し全く動かず、このままでは寝たきりの生活になると思った。現に救急車で運ばれた病院で意識を取り戻したときは、集中治療室におり、その集中治療室でベッドに横たわり点滴を受けていた。寝返りを打つときも看護師さんを呼び、体の向きを変えてもらわなければならなかった。自分一人では何もできなかった。

 総合病院にはいろいろな病気に罹った人が入院しており、その病状も様々だし、その病状からの回復への道のりもさまざまだった。病状が良くなり退院する患者もいたが、「この入院患者は病気が治る日が来るのだろうか?」と思うような患者もいた。俺の場合、病気自体は治り経過観察の状態であったが、この病気の後遺症である麻痺が左半身に残っていた。よって、この時点での主な治療は、この麻痺している左半身を動かすことであった。このような俺の状態は、他の患者とは異なっていた。後遺症からの回復の過程は、他の患者が罹患している病気からの回復過程とは全く異なるものである。したがって、他の患者を見て自分の先行きを見通すことができない。今の俺の症状からどのような過程を経て、どのような症状まで回復するものなのか皆目見当も付かなかった。

 発病から5日後、集中治療室から一般病棟に移されリハビリが始まった。リハビリは、蝶番(関節)で繋がっている部位(左指など)を動くべき方向に正常な右手で動かすだけであり、その右手を離すと重力と蝶番の作用により自然落下のように元の位置に向かって意志なく動くのであった。中学校の理科室にある骨格モデルのようである。努力すれば自分の意志で各部位を動せるようになるという話だが、そのような体現者は俺の周りには居なかったので半信半疑でその言葉を受け取った。半信半疑のまま担当する療法士さんの言うがままに体、というより左半身の各部位を動かした。

 集中治療室から一般病棟に移される際、担当医よりリハビリに特化したリハビリ病院への転院を勧められていた。俺と同じような人が大勢入院していると思われるリハビリ病院への転院に漠然とした希望を感じた。きっと同じような症状を改善しようと闘っている患者が大勢居て、それらの患者の体験をシェアし共に闘えるのだろうと想像した。

 早速、妻にリハビリ病院への転院手続きを頼んだ。妻は紹介されたリハビリ病院への問い合わせを開始し数日後に転院先を決めてきた。冬は脳卒中の患者が多いためリハビリ病院も混んでいるらしい。いくつかの病院に問い合わせを行い、一番早く入院できる病院に決めた。そこは有名人が入院して有名になった病院だった。

 リハビリ病院でも健康保険が適用できることを聞き、気持ちが少し楽になった。実は、リハビリ病院での入院費が非常に気に掛かっていた。もう働くことができないので収入がない。それなのに、今回の入院で予定外の出費が嵩むことになり、老後の生活資金が目減りしていく。俺に多額のお金を費しては、残された家族の今後の生活が厳しいものになってしまう。しかし、健康保険が適用できれば、1回の海外旅行費用程度で入院費を賄えるのではないかとの大まかな計算をしていた。元気であれば老後の生活中に、夫婦若しくは家族みんなで少なくとも一回程度の海外旅行には出掛けていたのではないかと思う。しかし今回の病気により、このような家族旅行や友達との旅行、ゴルフや飲み会等のお金の掛かるイベントにはもう参加できないのではないかと思った。このような出費がこの病気により無くなるので、今回の入院費を払っても今ある貯金と年金で今後の家族の生活費はなんとかなるような気がした。

 最終的に転院を決意したのは、麻痺した左半身を元に戻したいという前向きな想いではなく、家の改築が必要となる車椅子の生活をなんとか避けたいという想いからであった。、その時は立って歩いている姿を想像することすらできなかったから、その想いも達成できるとは思っていなかった。そのような状況の中、発病から3週間後にリハビリ病院に転院した。

 リハビリ病院は都心部にあり、見た感じ多くの入院患者は、脳卒中やその他さまざまな原因による脳障害や脊髄障害により運動機能や言語機能などに障害を持つ人たちと思われた。

 このリハビリ病院に入院している人たちの症状もさまざまであった。なかには、外見上、普通に話し手足も普通に動かしている患者もおり、この病院に入院していることが不思議に思えることもあった。その一方で、体を動かすこともできず言葉も喋れずにベットに寝たきりの患者や、多少手足が動いてはいるが1日中奇声を発しているような患者もいた。体に触れられると激痛が走るような症状の入院患者もおり、こんな症状もあるのかと驚いた。実際には、大部屋にカーテンで仕切られた一室に聞こえてくる患者や看護師の話声で他の患者の様子を判断しているので、細かいことはよく分っていない部分も多々ある。他の人から、今は普通に歩いている患者が「入院時には車椅子だった。」という話に聞くと、何か希望のような感覚を受けた。しかし、「回復が著しい人は脊髄障害の人が多い。」との話を聞くと落胆することもあった。結局ここでも、他の人から聞く話に一喜一憂するだけで、自分がどの程度回復するかを想像することはできなかった。

 リハビリ病院への入院時の面接で、当時住んでいた2階屋のリゾネットタイプのマンションで自立歩行して生活できる状態に退院までに達成するとの目標を上げてみた。無理かと思っていたらその目標が認められ、4ヶ月後の退院が設定された。自ら定めた目標ではあったが達成は難しいとも感じており、達成できなければ施設入りも覚悟していた。

 転院の次の日からリハビリが始まった。リハビリの内容はスポーツのトレーニングに似ている。しかし、普通のスポーツのトレーニングとは異なり、望んでリハビリに参加している人はいない。スポーツのトレーニンのように技量を向上させ未知の世界を体験してみたいというような、ポジティブな気持ちも欠けている。このリハビリと称するトレーニングは、過去に持っていた能力を取り戻すものであり、新たな能力を身に付けるものではない。従って、ネガティブな気持ちに成りがちである。加えて多くの患者が年寄りである。そのためか、そのトレーニングはかなり緩やかなものになっている。ポジティブな想いに欠けている人や年寄りに厳しいトレーニングを強制すると怪我のもとになり危険であるからだと思う。年齢に関わら体を動かすのが苦手な人や麻痺の症状が重い人もおり、いずれにしてもトレーニングの激しさは低いものになっている。この後遺症である麻痺からの改善は、筋力強化への対応とその筋肉をコントロールする脳細胞への対応があると思うので、厳しければ効果が上がるという問題でもないと思うが、物足りないものも感じた。

 一方、脳科学は未だ未知の部分が多く、「このような成果を得るためにこのようなトレーニングが必要」というような確定したリハビリの方程式のようなものが確立されていないケースが多々あるように感じた。従って、リハビリを施す療法士さんに何かを尋ねると、療法士さんにより異なる答えが返ってくることが多かった。

 スポーツのトレーニングは、多くの場合、そのスポーツが上手な人がコーチとなりトレーニンングを行う。だから、教え方に説得力がなく納得できない場合でも、そのコーチの上手な実技を見ることによりその説明内容に納得が得られない場合でも、実技を見ることにより納得できることがある。実技が上手だから、その人の言う通り行えばコーチのように上手になるのだろうとの印象をトレーニングの受講者が受けるからだ。しかし、療法士さんの場合は健常者なので、障害者の動きのスペシャリストであるはずがない。従って、動きが上達する過程で、障害者の動きの問題点を自分が過去に克服した問題点として経験したことはない。そもそも、障害者の問題点が何であるかを自身の身に起こることはない。結果として、書物や人の言葉で問題点を認識し、その問題点を克服したであろう障害者の動きを上手に真似することになる。これは、想像するに、x至難の技であると思う。特に、障害者の動きの問題点に対する解決方法が充分に理論が確立してい場合、療法士さんが独自の方法を考えださなければならないことになるが、その解決方法を施した際の上手な動きも同時に考えなければならない。その際、その解決方法や解決方法を施した際の動きを説得力ある言葉や実技で表現できなければ、説得力に欠けるものになってしまう。よって、理論が充分に確立していないことを教えることは困難になると思われる。

 ここで一言触れておく必要があると思う。私はここで療法士さんへの不満を述べているのではない。今回の入院は、俺が母より生を受けた直後の入院を除けば生涯で初めての入院となる。入院して強く感じたことは、看護師さんや療法士さん等の献身的な働き方である。多くの他のサラリーマンのように会社の業績や利益などに気を取られ働いている人とは異なり、そこに居る生身の人間のことを考え懸命にその人の為に働いている。そんな人たちには最上級の感謝の気持ちが自然と湧き上がってくる。入院した芸能人やスポーツ選手がインタビューなどで「感謝」という言葉を多用する印象があるが、これは入院時の体験からではないかと想像できる。ここで、「お医者さん」の名前が抜けているが、リハビリ中接する機会の少なかった「お医者さん」の名前を落としてしまったことは申し訳なく思うが、身近さという観点からは必然のようにも思える。

 話を元に戻すが、ここで述べたかったのは、脳障害の後遺症に対するリハビリには、まだまだ科学的に進歩の余地がかなりあるということである。

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