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脳梗塞

 可もなく不可もなくごく平凡な人生を過ごしてきたと思っていたが、そんな俺の人生の終末期にこんな試練が待ち受けているとは想像すらしなかった。このような悲劇が起こり得ることは知っていたが、まさか俺の身の上に起こるとは思ってもみなかった。

 幼少期はかなり夢多き男子だったように思う。当時( 1960年代)の多くの日本の男子がそうだったように、プロ野球選手に憧れて野球をやっていた。プロ野球選手に憧れを持つと共に、テレビでドラマや映画等を見てそのドラマや映画等に配役されいるキャストの仕事の医者や刑事、弁護士、探偵、時には忍者や侍等にも無邪気に憧れていた。記憶に残っている面白い話では、「驚異の世界」というドキュメンタリーを見ていて、クストー探検隊のスクーバ・ダイバーになりたいという夢をもったこともある。後にスクーバダイビングは経験すことはあったが、当然だがクストー探検隊には成れなかった。その後、中・高校生時代はロックンローラーに憧れていた。当時のロックンローラーの多くに卑下されていた七三分けでスーツ姿のサラリーマンには絶対に成りたくないと思っていた。しかし、高校卒業までに特殊な能力を身に付けることもなく三流大学の工学部の入学試験を受け合格したのでその大学に入学した。そして、大学在学中にサラリーマン以外にお金を稼ぐすべを身に付けることもなく、卒業後、鉄鋼会社に就職することになった。その鉄鋼会社への就職後、転職を何度か繰り返し最後に就いた会社で定年までサラリーマンを続けた。その会社の定年退職に伴い再就職先を模索し、なんとか再就職先を見つけ70歳近くまで安定した収入を見込める比較的安定したサラリーマン生活を送っていた。そのサラリーマン生活も終焉を迎えようとしていた。

 このような平凡なサラリーマンであり、妻と二人の娘を持つ夫であり父でもある、63歳の人間型模型かもしれない俺が、突然、本当に突然、脳梗塞になり左半身不随となった。全てがこの日で変わった。この現実を突き付けられて、もう生きて行くのは無理だと思った。今まで過ごしてきた生活に基づく想像しかできない俺が想像する生活は、全て普通の、すなわち健常者が営む生活であり、よって想像に至った全ての生活は営むことが不可能なものだった。ほぼ動けない状態での寝たきりのベッドの中で悩んだ。発病から数週間経ったてもまだ悩んでいた。そして、考えた。何度も何度も考えた。奇跡が起こらないかと。朝起きたら全て元に戻ってないかと。直ぐに笑って「そんなこともあったな」と言える日が来るのではないかと。担当医の回診時に、「これは一時的な症状です」という言葉が発せられるのではないかと期待した。

 でも、本当の現実は元に戻る日などは来ないし、これは一時的な症状でもない。これは誰かの怨念かとの言葉が頭に浮かんだ。今までの人生まじめに過ごしてきたが、それでも何人かの人から恨みを買うようなこともあったと思う。しかし怨念ということもないだろう。怨念で今の俺に起きたようなことができるとしたら、この世の中はとんでもないことになってしまう。今まで見聞きした話にも、怨念が行使されることに値するような出来事は世の中には沢山存在している。また、冒頭のゲームのでは、複雑すぎるので怨念ようなスピリチュアルな現象までまでは想定していない。いずれにしても、受け入れるべき逃れられない現実がここにあることには変わりなく、この現実は現実として受け入れざるを得ないのである。

 やがて考の主役が家族や友人のことに移って行った。家族や友人が同じような病気に罹らないようにと思い心配する気持ちで満ちていた。以前にも、一緒に遊ぶ友人を失いたくないという一心から、友人が重い病気に罹らないようにと心配していたが、自分は大丈夫だと思っていた。よくニュース等で「何人に一人の確率で、、、」という言葉を耳にすることがあるが、良いことも悪いことも俺はこの確率から外れていると思っていた。もちろん、宝くじの高額の賞に当たったこはない。例えば、旅先で食後に多くの薬を飲む友人を見かけた時などは、「彼は大丈夫なのか?」と思っていた。もちろん、俺は、薬など飲んでいなかった。一応健康にはそれなりに気を使っていたし、適度な運動も行っていたが、健康オタクというものでもなく、大酒を飲み夜更かしをするなどの不健康なことも多く楽しんでいた。誰かが病気になると「明日は我が身」とは思わず、「明日は誰だ?」と思っていた。なのに今は他の誰かが俺と同じ病気に罹いることを心配している。この病気に罹った病状が死ぬより大変だと感じたからなのか、自分を取り巻く状況に加え他人のことも心配するようになっていた。

 そして考えが自分の未来のことに及んだ。こちらも悲惨なことばかりが頭に浮かび、決して楽しい自分の未来に思い至ることはなかった。ただ思うことは、将来生きて行くのに際し、他人に迷惑や過度の負担を掛けたくないと想うことであった。特に、家族には大きな負担はかけたくないと想った。「他人(ひと)」に迷惑を掛けずに生きられる人はいない」と人はよく言うが、ここでの迷惑とは、普通の暮らしの中に普通に存在する自由度を必要以上に制限してしまうことである。このような迷惑や負担を掛けないことは、現実的には不可能だと思う。

今まで家族は守るものだと信じていたので、家族に守られなければ生きていけない今の俺は「家族の中で価値など無い人間」だとも思った。もはや俺は家族のために何もできないし、家族のために何かを得ることもできない。今の俺は、病院のベッドに横たわり動くこともままならない存在である。

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