転生者俺の絶対にバレてはいけない乙女ゲー365日
目が覚めると、真っ白な部屋にいた。
「ど、どこだよここ……」
俺は不安になって周りを慌ただしく見渡す。けれどその白が他の光景に移ろうはずもなく、誰かがドッキリという看板を掲げて出てくるんじゃないかと「おーい……!」と情けなく声を張り上げてみても、願いは虚しく沈黙が続くのみ。
「なんだよ、もう! どうしたらいいんだよ……!」
始めて怒り混じりの一歩を踏み出すと、目の前に文字が浮かび上がった。
『転生者の絶対にバレてはいけない乙女ゲー365日』
いや、何?
「なに!?」
誰もいないのに、思わず声に出してしまう。
ザザザッと目前の視界がざらついたかと思ったら、さらに空中に文字が綴られた。
『貴方の乗っていたバスは事故に遭いました。』
『御愁傷様です。貴方は死にました。』
『以下のゲームに参加いただき、クリアすることにより、生き返ることが可能になります。』
マジで待ってくれ。
思考が追い付かない。ここはあの世ってことなのかよ?
若くして死んじまったの? これから高校の修学旅行で楽しい思い出を作るって時に? 人生これからなのに!?
「ふ、ふ、ふざけんな……!」
絞り出した悪態を紡ぐ声が顕著に震える。何なら握り締めた拳だって小刻みに震えていた。
しかし、浮かび上がる文字にクリア以外の慈悲などないようで、始まった物語は進み続けるだけ。人の死を嘲笑うかのような残酷さをもって。
『ルール』
『・貴方が転生者だと周囲のキャラクターにバレてはいけません。』
『・貴方は役に成りきらなくてはなりません。』
『・貴方の配役は騎士です。』
『・貴方のクリア条件は、一年以内に主人公と恋愛関係に結ばれることです。』
細かく羅列された文章は、読んだ通りゲーム参加に伴ったルールとクリア条件だ。
ゲームと書かれた時は、よくあるデスゲームみたいな騙し騙され殺し殺されの世界とか、はたまたRPGで魔王を倒しに行くみたいな王道が脳裏を過ったものだが、ルールを読む限りそれらとは異なる世界観。
「れ、れんあいぃ……?」
マジでふざけてるだろ。シンプルにおふざけだろこんなの。
こちとら生まれてこの方、女子とまともにお喋りできた試しがねーぞ。
違う意味でわなわなと拳が震える。尊厳を踏み躙られている気分。
いや冷静になれ。落ち着け。
恐らくこれは、このゲームは、クラスの誰かが話してたギャルゲーってやつだ。
男の主人公が、何人かの女の子のうちの誰かとお付き合いするために奮闘するゲーム。
つまり、俺は女の子と清く正しくいちゃいちゃできる筈だ。不幸中の幸いってやつだ。
「しょーがねえ。さっさとクリアして生き返ってやんよ!」
この物語を見ている神様か何だか知らねーけど、その誰かに声高に宣言をした。
『ゲームタイトル』
ザザザと一際大きく世界がノイズ掛かる。
『聖女だって恋がしたい♡ 〜花咲く学園生活〜』
知ってる。妹がやってた。話してた。
…………。
「これ乙女ゲー!?」
自分の声に驚いて飛び起きる。
再び目が覚めると、見知らぬ部屋に居た。
さっきとは違って、少し西洋風の普通の部屋。机があって、椅子があって、クローゼットがあって、ベッドがあって、照明がある。普通の一室。ただ、俺の部屋じゃない。俺の部屋は服や漫画が乱雑に投げられていて、壁には野球選手のポスターが飾ってあって、ベッドだってこんなに肌触りが良いものを使っていない。
パジャマも……なんか、違う。
ツヤツヤテカテカした前がボタンの上品な服なんて着たことない。毎日中学の時の名前付きジャージだ。
俺はベッドから下りて、鏡の前に立つ。
……なんかカッコいい奴がいるんだが?
まさか……俺?
ぺたぺたと頰や腕を触ってみる。触られた感触がある。俺だ。
まさか坊主の野球小僧が、こんな高身長細マッチョ煌めく赤髪輝く黄色の目、美青年になるなんて。
悪いな、父ちゃん、母ちゃん。俺今、この顔に心底喜んじまってる。
口端をにまにまと緩ませながら、ふと視線を下方へ落とすと机に置いてある一冊の本に目が止まる。
『アンバー 設定集』
何だこれ。
本を手に取ってパラリと開いてみた。
『アンバー 17歳 男 代々騎士の家系で生まれ育った。親同士が親しく、主人公の幼馴染で、幼少期から』
駄目だ。目が滑っていく。
教科書すらまともに直視できない俺が、こんな知らん男の設定を真面目に読める筈がない。マジで無理。
ぱららら、とページを指先で素早く捲っていくと、俺でも読めそうなページに辿り着いた。
恐らくこのアンバーとかいう男の公式の台詞だ。
『ったく、心配させるな。困ったことがあったら頼れ。な? 世界にたったひとりの、幼馴染だろ。』
などなど、甘ったるい砂糖ぶっかけられて死にそうな台詞が並んでいる。
俺がこれを……? 彼女いない歴イコール年齢の俺が、これを……? ゲームの難易度高すぎじゃねーの。
とりあえず、すげー小難しいことを言うキャラクターじゃなくて良かった。化学式とか突然言い出すような感じの。助かった。
すると、コンコンと部屋の扉が軽く叩かれる。
オレは悪いことをしているわけでもないのに、びくりと大きく肩を跳ねさせた。
返事……した方がいいよな? オレの部屋、だもんな。
「お、おう!」
いや、部屋の扉叩かれておうなんて言うか? 普通にはいで良かったんじゃないか? 漫画とかゲームならおうでもセーフか?
ごちゃごちゃ考えている間にも、扉の向こうから男の声が返ってくる。
「支度は済んでいますか? そろそろ行きますよ、アンバー」
アンバー……俺だ!
まだパジャマだ! どうしようと狼狽えて、一先ず部屋の扉を開いてみることにした。
「え、まだパジャマなんですか? ……まったく。本当に寝坊助ですね。聖女に笑われますよ」
なんで聖女がいきなり出てくるんだ?
乙女ゲーだからか。全てが主人公を軸にする。
扉の向こう側には、俺と同じく美青年が立っていた。長い水色の髪は枝毛も無さそうな真っ直ぐさで、赤ちゃんのようにきめ細やかな白い肌と、悪魔のように赤い瞳。
見た目を見ただけで分かる。多分俺と同じ、乙女ゲーの攻略キャラクターだろう。
名前は知らん。あの設定集に書いてあったかもしれないけど。
「あーっと……ごめんごめん。急ぐぜ! すぐ用意するぜ!」
俺のキャラはこんなんだったか? もう訳がわからん。
目の前の男は特に気にした風もなく、再度扉を閉じようとしている。僅かな隙間から声が掛かった。
「早く制服に着替えてくださいね。寮から学園まで少し歩くんですから。外で待ってます」
がちゃりと扉が閉まりきってから、慌てて設定集を開いた。
今の男は……ベリル。ベリルな。覚えた。ベリル。
ついでに他の攻略キャラクターや主人公の名前も確認しておく。
ベリル、コーラル。これが他の攻略キャラクター。
主人公は、ダイアモンド。通称ダイア。
これだけ覚えておけば後はその場のノリで乗り切れるだろう。
「待たせたな」
すげー漫画のキャラクターっぽい台詞を吐いてしまった。
「本当に。支度にいったいどれだけ時間を掛ければいいんですか」
ベリルに眉を顰めて小言を呟かれても、あははと流しておいた。
「授業だろ? 行こうぜ」
制服を着ているということは学校ものだ。
そうなると、行く先はひとつ。教室だ。
結論から言うと、授業内容にまったくついていけない。元々勉強が苦手だということを差し引いても、ファンタジーの世界の知識が当然のように出てくるから。魔法ってなに? 聖女ってなに? アンバーってなに?
俺は青い顔をすることしか出来ない。
「アンバー……。大丈夫ですか?」
ベリルが心配そうに窺ってくる。こいつはいい奴だ。ルールなんて無かったら、主人公はこいつとくっつくべきだと思っていただろう。
「ああ……ちょっと、体を動かしたくてな」
腕をぐるぐると回しながら答える。
我ながら突拍子もない言い訳である。
「そうですか。騎士というのは、余程訓練が大好きなんですね」
何とかギリギリの位置で騎士アンバーの座を保っていた。
「飯でも食いに行こうぜ」
「ええ、そうしましょう」
昼時、周囲がぞろぞろと揃って移動を始めたから、その後について行く。
食堂と思われる場所で、フレンチのフルコース料理のように立派な飯を盆にのせてもらった。フレンチもフルコース料理もよく知らないけど。
どこで食おうかと空いている席を探していると、見覚えのあるキャラクターを見つける。
あの女子は聖女で主人公だ。
ちょうど向かいの席が空いていたから、足早にその椅子を陣取った。
改めて見た主人公は、主人公とされるだけあってすげー可愛い。女子に免疫のない俺は、目が合うだけでドキドキした。だってもしかしたら、もしかすると、この子と恋愛関係になるかもしれないんだから。
ごくりと生唾だって飲み込んでしまう。
「あー……ここ、空いてるなら座っていいか?」
声が上擦りそうだ。多分、平静を保ててるはず。
主人公がきらきらと輝く色素の薄い瞳をこちらへ向けてきた。吸い込まれてしまいそうな煌めき。
「もちろん。いいよ。アンバー」
笑顔を向けられただけで惚れたよ、正直。俄然、ゲームクリアに向けてのやる気が出てきた。
「ありがとな。……昔から思ってたけどさ、ダイアって可愛いよな」
幼馴染だし、このくらいのこと言っても許されるよな!? 幼馴染の女子居たことないから分かんねえ。
「え……どうしたの? 急に。驚くんだけど」
主人公は一度目を見開いてみせるが、すぐに相合を崩してくれた。手をぱたぱたとさせて冗談でしょとアピールしてくる。
「いや、改めて言いたくて。声も綺麗だし。聖女にも選ばれてるし……俺なんか届かない存在だ」
「アンバー……?」
主人公が不安そうに眉を寄せている。
「昔はよく遊んだのにな」
「そうだね。これからも遊ぼうよ」
はつらつと紡ぐ明るい声音。にこっと一際大きく笑む表情。異性と喋ることのない俺はすぐに有頂天だ。
「でも……」
「ん?」
主人公が暗い顔で接続語を続ける。
「アンバーが、外面ばかり見てたなんてショックだ……」
「えっ!?」
違う! 違くない!?
「いや、ちがっ!」
「幼馴染だからこそ、聖女になっても、私の内側の部分、知っていて貰えてると思ってたんだけど……」
「だ、ダイア!」
「ご馳走様。また今度ね」
両手を合わせて挨拶を済ませたダイアは、ぱたぱたと小走りに去っていく。
その華奢な背に手を伸ばしたまま、呆然と見送るしかない俺に、ベリルは気まずそうに声を掛けてくる。
「貴方、何をやっているんですか……」
「あ、あはは! ほら! 最近あいつ、変な虫寄ってくること増えたからさぁ、色々自覚して貰いたいなって思ってたんだけど……うまく、いかなかったな」
取って付けたそれらしい理由を口にする。格好悪さを少しでも隠したい……いや無理だ……格好悪すぎる……。ダイアをもっと知って謝るしかない……!
「変な虫、ですか……。つまり他の者への牽制?」
「ベリル……?」
隣に座るベリルが不穏な物言いを落とす。
「僕の方が、幼馴染の貴方よりも、ずっと彼女のことをよく知っていますよ。……理解していますか。魔法使いと聖女は、切っても切れぬ縁なんですよ」
「べ、ベリル?」
友人が見せる男の顔。どうなってるんだ。俺の365日の一日目。
side A
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side B
『ルール』
『・貴方が転生者だと周囲のキャラクターにバレてはいけません。』
『・貴方は役に成りきらなくてはなりません。』
『・貴方の配役は魔法使いです。』
『・貴方のクリア条件は、一年以内に主人公と恋愛関係に結ばれることです。』
真白い部屋に浮かび上がった文章には、そう記されていた。
未だにバスが事故に遭ったなんて受け入れることは出来ないけれど、こうして僕の五感はこの場にある。この事実だけが今の全てだ。
自室で目覚め直したのは、夜更けの頃。前世の自分について暫く考え込んでしまったが、クリア条件がある以上、それについて思索するのが得策だろう。
机の上に置いてあった『ベリル 設定集』を開いたなら、紙面を指でなぞって読み進めていく。
『ベリル 17歳 男 天涯孤独の身で幼少期に学園長に拾われた。学園一の秀才。魔法使いの称号を得ており』
など、このキャラクターを演じる上での大事なひととなりが書かれている。更に言えば、ベリルの交友関係も。このゲームの主人公にして聖女との信頼関係、アンバーとの友人関係、コーラルとは仲がよろしくないようで……学ぶ点はまだまだある。
次に教科書を開こう。ファンタジーの世界だからとはなから理解を諦めていてはクリアなんて不可能な筈。
学園一の秀才になるべく、勉学にも励もう。
朝日が上るまであっという間に感じた。
このキャラクターのいつも通り、寝坊助の友人を起こして、真面目に授業を受けて、昼食へと向かう。間違いなんて犯さない。
「……昔から思ってたけどさ、ダイアって可愛いよな」
先に学食を貰って席を探しに行っていた友人が、何故か聖女を口説いている。
いや、何故かでもないのか。設定集にも記されていた。この世界は乙女ゲームと呼ばれる、女性が恋愛を楽しむゲームだ。男女の駆け引きがあって当然。
急に焦りを覚える。
俺に、聖女を落とすことが出来るのだろうか……?
因みにアンバーは早速逃げられていた。ライバルであろうと、気のいい友人をざまあみろとは思えない。しかし互いに牽制くらいはしておこう。
戸惑うアンバーを横目に昼食をいただく。
放課後。何か会話の起点を探さねばと、聖女の後をこっそりと尾ける。
途中、聖女が一人の女性に腕を引っ張られて裏庭へと連れて行かれた。
あの女性は恐らく、聖女のライバルキャラクターのエメラルドだろう。巻かれた黒い髪に、緑色の鋭い眼。設定集を見た限りでは、聖女によく絡んでいるらしい。
助けに入った方がいいのだろうか。いや、でも、ここからだと会話が分からない。下手に手を出しては聖女自身の立場を危ういものにしかねない。
努めて冷静に見守っていると、エメラルドが片手を上げた。聖女がその手を素早く握り止める。
一悶着あった後に、エメラルドはそそくさとその場を去って行った。
聖女はとても強い女性のようだ。
「何か大変な目にあったようですね」
ややあってから、草陰から姿を見せる。聖女はぱちくりと双眸を瞬かせてから、首を左右に振ってみせた。
「ううん。問題ないよ。……見てたんだ? なんだか恥ずかしいな」
聖女は目を逸らし指先で自身の柔い頰を掻いていた。
「貴方は自分を守る強さを持っています。僕はそれを知っているだけです」
「なに? 嬉しいよ。でも照れるね」
「ええ、僕は貴方の魔法使いですから」
「私の……?」
「貴方の魔法使いになったからには、運命を共にする覚悟があるのです」
「そっか……」
聖女の宝石の如き瞳に僕が映り込む。
「魔法使いだから、気に掛けてくれてたんだ?」
「え……?」
「そっか、そうだよね。聖女と魔法使いって、物語にもある関係だしね」
「ちが、くは、ないんですが……」
「うん。じゃあこれからも、聖女と魔法使いとしてよろしく」
にこっと笑う姿は救いの聖女様そのもの。
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side C
『ルール』
『・貴方が転生者だと周囲のキャラクターにバレてはいけません。』
『・貴方は役に成りきらなくてはなりません。』
『・貴方の配役は貴族です。』
『・貴方のクリア条件は、一年以内に主人公と恋愛関係に結ばれることです。』
白い部屋に飛ばされてこんなもんを見せられて、最初はギャルゲーに転生したかとそれはもう喜んだもんですわ。冴えない自分に来世でこんなチャンスがあるとはね。
蓋を開けてみれば、まさかの乙女ゲー。しかも、攻略される方。なのにクリア条件は攻略する。意味分からんから。
無駄に豪華な自室で目覚めて、真っ先に鏡の前に立ってみれば向かい合わせのイケメンがいた。さすがお貴族様と言わざるを得ない。
金色のサラサラヘアに、薄桃色の整った目。最早王子様といっても過言ではない筈。
まさか間違いなんじゃ? と、机の上に置いてあった『コーラル 設定集』を広げてみても、やはり設定は貴族だった。
『コーラル 18歳 男 公爵家の長男のため、聖女が関係する行事にも出席している。俺様な性格で』
うんぬんかんぬん。はいはい、自分がやるべきこと、分かりましたよ。ゲームやネットをして育ってきた身ですから、乙女ゲーの情報くらい教養として身に付いている。
とはいえ、最初にアンバーとベリルの様子を窺っておこうと思ったら勝手に自滅していた。
最近の乙女ゲー、ぬるすぎでは? いやいや、この二人がモブレベルなのでは?
つまり満を辞して本物の登場、っすわ。
「ダイアモンド。少し待て」
友達と歩いているダイアを後ろから呼び止めてみる。スカートを翻してこちらを向くその瞳、星を散りばめたかのような光を放っていた。
「あ、コーラル先輩だ。どうしました?」
つかつかと高そうな革靴を廊下に響かせて距離を縮めると、ダイアモンドのほっそい腕を手に取る。
ダイアモンドはきょとーんと目を丸めていた。隣の友達は「え、なになに?」と口元に手を当てている。確かこの子は主人公の親友ポジション。ゲームで言えば所謂好感度とかを教えてくれる存在だ。
「どうしました、じゃないだろ。これだ。傷が付いてる」
「え? あ、気付かなかった……。さっき揉めてた時かな……。でも、まっ、このくらい大丈夫」
弱いところを易々と見せない、気丈な笑みを形作っている。
「……ダイアモンド。俺様には、弱いところを見せてくれても構わん」
「え……?」
ダイアの身体を宝物のように優しく壁と自身の腕の間に閉じ込める。とん、とその柔らかな背が壁についた。幾分もある身長差。すっぽりと包んでしまうようだった。
「どんなものからも、俺様が貴様を守ってやる。約束しよう」
壁に付いていない方の手で、ダイアの髪に軽く触れる。細い肩がぴくっと揺れた。
「何かあったらすぐに俺様に言え。どこからでも駆け付けてやる」
屈んで目線を下から上へと持っていく。
ダイアの顔を見て、そして。
「え、え? え……? せ、せんぱい……?」
分かりやすく顔にドン引きと書かれた困惑の表情を浮かべていた。
自分は壁から手を離し、ダイアさんを解放して、「そういう訳だ。先輩を頼るように」
なんて逃げ道吐いて踵を返す。胸中で、調子に乗ってすみませんでしたの謝罪祭が行われた。
それでもなけなしの貴族としての自尊心が。
ふ、ふーん。おもしれー女……。
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side E
『ルール』
『・貴方が転生者だと周囲のキャラクターにバレてはいけません。』
『・貴方は役に成りきらなくてはなりません。』
『・貴方の配役は悪役令嬢です。』
『・貴方のクリア条件は、一年間主人公が誰かと恋愛関係に結ばれることの阻止です。』
白い部屋でこんなことを命令されて、とてもびっくりした。
まさかの悪役令嬢。
その配役の名前だけで、きっといじわるなキャラクターなんだなあと想像ついてしまうくらいなんだけど、当の演じる人は、どちらかといえば……こう、教室の隅でひとり本を読んでいるタイプだから……ううう相性が悪過ぎるよ〜!
自室に飛ばされて早々に鏡と向き合って、如何にもお嬢様なお美しい造形に惚れ惚れすると共に、むりだよできないよ〜! という泣き言で頭がいっぱいになる。
悪役令嬢に似合わぬ涙目のまま、『エメラルド 設定集』を開いた。
『エメラルド 17歳 女 下級貴族の娘。聖女になることを夢見ていたが、主人公にその座を奪われてしまったために嫉妬して意地悪をしている。』
とか……。嫉妬なんて感情持ち合わせてないから〜! ここまで自分自身を卑下して育ってきたのに……。
とはいえ、始まる前から出来ませんでしたと諦められる程、生に対して無頓着な訳じゃない。
やるぞー! がんばるぞー! とひとり拳を掲げた。
全くタイミング掴めぬままの放課後。
なんとか言葉を絞り出す。
「ダイアモンドさん。ちょっといいかしら?」
呼び止められたダイアモンドさんが、髪をふわりと揺らして振り返った。
「エメラルドさん。こんにちは」
「こんにちは。……じゃなくてよ! 付いてきなさい」
「あ、うん」
廊下は流石に人目があるから、裏庭まで連れ立って歩く。正直言えば、心臓がばくばくのばくだ。
裏庭の殊更誰にも見つからなそうな木の影で、仁王立ちしてみる。
「ダイアモンドさん。貴方最近、調子に乗り過ぎではなくて?」
じっと見つめる。視線を逸らしたら負けだという気持ちで。
「調子になんて……のってないと……」
「嘘おっしゃい。聖女になって、男に色目使われて……喜んでいるでしょう」
「そう……?」
「貴方に聖女は相応しくないのよ!」
嫌な役としてありきたりな台詞を紡いだその勢いのまま、片手を振り上げる。でも、暴力を振るう気概なんてとてもないから、振り上げた手はその状態でぴたりと止まった。
ダイアモンドさんは怯む様子無く、その手とこちらを交互に見てから、振り上げられた手首を握り締めた。
ぎりりと締められる。まって、え、痛い!
「調子のってんのはそっちだよね? 忙しいから、無駄に呼び出さないでくれる? 仲良くする分にはいいんだけど」
にこっと聖女様が微笑んだ。
言葉の半分も理解できぬままに、威落とされて「ひゃい……」と情けない返事をする。
ねえ。今、ぼく、なんて言われた?
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side d
『ルール』
『・貴方が転生者だと周囲のキャラクターにバレてはいけません。』
『・貴方は役に成りきらなくてはなりません。』
『・貴方の配役は聖女です。』
『・貴方のクリア条件は、一年以内に攻略キャラクターと恋愛関係に結ばれることです。』
白い部屋でこれを掲げられた瞬間、シンプルにキレた。何勝手に決めてんだコラって。
試しに壁を蹴ってみたが駄目。文字面を殴ってみたが駄目。何もかもが無意味。
どうにも出来ない間にも、再び目を覚ますことになる。
自室で鏡を確認してみたら、ふわりと靡く栗色の髪に、色素の薄い澄んだ目をした女がいた。オレの元の性別と違う、人間。
よろめいたオレの視界に『ダイアモンド 設定集』が映り込む。
読むのも嫌だったがクリア条件を思い直して、ベッドに座り開いてみた。
『ダイアモンド 17歳 女。このゲームの主人公にして聖女に選ばれている。』
正直、気が滅入ってこれ以上読みたくなかった。しかし、クリアした暁には生き返ることができる。目の前にニンジンをぶら下げられた馬のように走るしかないだろこんなん。
先ずは聖女になるにあたって、身近な女を思い浮かべる。
姉だ。聖女みたいな印象を持ったことはないが、母親よりは参考になるはず。
次にクリア条件を思い出す。
攻略キャラクター。つまり男と恋愛関係になること。
……無理だ。オレは元々ヘテロセクシュアルだ。異性愛者だ! 男はいいダチになっても、恋愛や欲求の目で見ることはできねえ。
女になった今でも、恋愛対象は女のまま。どう考えても無理だ。二次元と三次元で恋愛対象は違いますなんてことにもなってねえし。もう、どうしたらいいんだよこんなの。
兎にも角にも、先ずは設定集を読み込むことにした。
そんな絶望下でも学園は始まる。
「ダイアー? どしたー? 学校行くぞ〜」
「今行く……」
友達に部屋まで迎えに来られて、渋々と登園。授業を受けて、昼食の時間になる。友達と話す中で口調を定めて、なんとか聖女ダイアモンドを保っていた。オレの体力気力を大幅に減らしながら。
さて、誰を落とそうかと考えてみる。
これは重要だ。女が恋愛対象のオレが、恋愛をしないといけない相手だ。
アンバー。あいつは人の外面にばかり目がいってたな。この器を褒められたって何も響いてこねえ。まあオレが女だったら、努力してる外面褒められたら嬉しいだろうよ。内面も外面も本来は等しくて然るべき。ただオレの場合は、もとが男だし、これは仮初の外面だからな。
ベリル。あいつは魔法使いと聖女の関係がありきだ。そんなロマンチックな恋愛、出来る気がしねえよ。オレの魔法使いらしいが、そんな言い方されると舎弟持った気分になっちまうし。恋愛は対等じゃねーと駄目だろ。
コーラル。距離感が近え。近過ぎる。あの整ったアイドル顔だからな……、異性なら誰も嫌な気持ちにゃならねえんだろうけど、オレにはあの近さはぞわぞわくる。申し訳ないが、耐えられねえ。節度ある距離感が欲しいんだよ。
はぁ〜〜……どうすっかな。
部屋のベッドで大の字になっていると、コンコンと扉を叩く軽やかな音が響いた。
「ダイアー? 開けていいー?」
友達だ。今のオレの癒しのような存在だ。
急いで扉を開いて、中へと招いた。
「どうしたの? こんな時間に」
夜に女の子が部屋に居ると、元が男だからどうしても意識してしまう。向こうはオレのことを友達としか思ってないのに、その事実にむしろ罪悪感さえ芽生えてくる。
「帰り、なんか落ち込んでるように見えたからさぁ。話でも聞こうかなと思って」
暗い調子にならないような、ほどほどの明るさを保った声を零しながら友達がベッドに腰掛けた。
いい子じゃん……。それなのに、友達を恋愛対象のような目で見てしまって、胸が痛む。けど、無理だろ。だって、中身は異性が好きな男だ。
「いや、何でもないよ」
「そう……? そういえば、今日いろんな男子と喋ってたね。どう? 誰か気になる子、いる? 応援するよー!」
流石は主人公の友達ポジションのキャラクター。隙さえあれば恋愛ごとだ。本来は、好感度でも聞くべきなのだろう。
「いきなり言われても……どうかな」
「こういうのは勢いだよー! 三人とも良い人っぽいしね」
「んー……そうなのかもしれないけど」
「何でも手伝うから、いつでも言ってね!」
友達に恋路を応援されて、少し落ち込んでいる自分がいる。
はーぁ。
男子校に通ってて、始めて惹かれた女の子に応援されるって……マジかよ……。
不毛な恋だ……。
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side ?
『ルール』
『・貴方が転生者だと周囲のキャラクターにバレてはいけません。』
『・貴方は役に成りきらなくてはなりません。』
『・貴方の配役は主人公の友達です。』
『・貴方のクリア条件は、一年以内に主人公と攻略キャラクターを恋愛関係に結ばせることです。』
男子校転生者俺【たち】の絶対にバレてはいけない乙女ゲー365日