静かな宴
夜。とある家の座敷にて。部屋の灯りを柔らかく包む障子。
それが池に反射し、まるで闇夜にポツンと浮かぶ紙灯籠のよう。
三人の賑やかな声はどこか涅槃の宴。
「ささっ、お二人とも飲んで飲んでぇ」
「おいおい出川、注ぎすぎだぞ。指にかかっちゃったじゃないか」
「お前はいつまでたっても下手だなぁ。俺のはちゃんと頼むよっておい、俺もかよ」
「あはは、すみません、志村さん、タモさん」
「まったく……おん? たけちゃんは?」
「そこですよタモさん。ふふふっ。ほら、部屋の隅で寝てますよ」
志村は口をすぼめて出川が注いだ酒を啜ったあと、そう言った。
たけしはヒンヤリしているのがいいのか
酒瓶を抱えこむようにして寝息を立てている。
三人は自然と黙り、耳を澄ませた。
障子の向こうの廊下、さらにその奥の庭から秋の虫の声が聴こえる。
三人はフフッと笑うと示し合わせたわけでもなく、声を落としまた話し始める。
「はしゃぎ疲れて眠っちゃったんですねぇ」
と、出川はやれやれといった優しい笑みを浮かべる。
「ははは、相変わらずだなぁ」
「ぷはっー、あー、今夜の酒は特に旨い。そうだ、さんまは?」
「まだですよ、まだ」
「なんだそうかい、ん? タモさん、どうしたんだい?」
と、浮いた視線を気にし、志村が訊ねた。
「ああいや、綺麗だなぁってな」
「え、何が何が?」
「馬鹿、お前じゃないよ出川。期待した顔しやがって。ねえ、そうでしょ? タモさん」
「ん、ああ……。さっきトイレに行ったとき、廊下でクロヤナギを見てな。そのことだよ」
「ああ、クロヤナギ。でも枯れてませんでした?」
「こらこらこら、枯れてませんよ」
「それと、ほら、あの外の虫。あれは秋に鳴くやつかな」
「ああ、いいですねぇ。心が穏やかになるよ」
「ホントそうですねぇ」
三人はしばし黙り、また耳を澄ます。
二人がちらと出川に視線を向けた。
出川の視線は部屋の隅で眠るたけしに向いている。
たけしは酒瓶を放り出し、大の字になっている。今、腹をかいた。
フフッと笑う出川の隣に、二人がずりずりっと畳を擦りながら移動する。
空になったグラスを差し出し「今度は指にひっかけないよう頼むな」と笑う。
「はいはい、どうですか?」
「おう、うまいね」
「良い匂いだなぁ……」
「え?」
「ああ、ほら、さんまだ」
「ああ、ほんとだ。もう焼けたみたいですね。ちょっと見てきますね」
出川は立ち上がると背にしていた襖を開け、台所の方へ。
二人はその背中がボウッと闇に浮かび、そして消えるまでを見ていた。
「なんだか穏やかな気分だ……」
「そうですねぇ、死ぬ前もこんなだといいんですけど」
「バカ、縁起でもない」
「へへへ、すみませんね。でもそうは思いませんか?」
「まあな、さっきふとここがそういう場所かと思っちまったよ」
「ですよね、だとしても構いませんがねぇ」
「ははは、お? 今の音なんだ? 庭か?」
「ああ、今のは釣瓶が井戸に落ちた音でしょう。古いんでね、たまにあるそうですよ」
「そうか……詳しいんだな」
「はい?」
「この家の事。よく来るのか?」
「まあまあ、ですかね。そういうタモさんこそ、どうなんですか」
「まあまあだな」
「そうですか」
「そうだよ」
二人が同時にグラスに入った酒を飲み干す。
喉を鳴らし、訪れた静寂に身を浸し、しばしそのまま。
どちらが先か、眠りこけるたけしに目を向けそして、顔を見合わせ寂しげに笑う。
パタパタと足音。二人は同時に襖に手をかけ、隙間を広げる。
「はいはい、さんま焼けましたよー!」
「しぃー、たけちゃんが起きちゃうだろ」
「あ、いけない、あはははは」
「おー上手に焼けてるなぁ」
「だな……焼ける、妬けるなぁ」
「はい? なんです? 田元さん」
「なんでもないよ、あとタモさんでいいってば。たけちゃんもそう呼ぶしな」
「ああ、美味い。美味いよこのさんま」
「ふふっ、良かった」
「どれ、おお、本当だ……なあ出川。お前、いい女だったんだなぁ」
「おいおいおいタモさん、酔ってるのかい?」
「だってなぁ志村よぉ。俺らの田舎校の女子の中で一番お転婆だったあの出川がなぁ」
「ははは、まあ、いつまでもあのまま男勝りかと思ったら
いつの間にか結婚してやがるんだもんなぁ。子供までこさえてな」
「ふふふ、二人とも酔っぱらいすぎですよ」
「なあ、やっぱりあの旦那の事、今でも……」
「タモさん、今日はよしましょうよ。でも……どうなんだい?」
「ふふふっ、さあどうでしょうねぇ。あの子が産まれてすぐだからもう十年くらいに
なるんですかねぇ……でも今からまた結婚なんて気もないかなぁ」
それを聞いた二人は肩を落とし、呟いた。
ちょっと気づくのが遅かったなぁ、と。
すると出川はふふっと笑って言った。
「あははっ、お二人ともっ。先入観にとらわれちゃあ、ヤバいよヤバイよ?」