殯のない一日――崇峻天皇暗殺事件
【厩戸皇子】
十一月三日、泊瀬部大王が死んだ。
私――厩戸はその知らせを上宮の自邸に急を報じにきた奴の口から知った。
「大王が、大王がおかくれにっ……」
奴は驚きのあまり口から泡を吹き、譫言のようにその言葉のみを繰り返す。私は采女に命じてよく冷えた井戸の水を持ってこさせ、それを飲ませて落ち着かせた。
「はっきり言うのだ、大王は――叔父上はどのようにおかくれになられたのだ」
「東漢の者が東国からの調と偽って宮に入り、大王を刺したそうでございます」
「何という……」
私は絶句したが、頭の隅で別の私が嘲るような調子でこう囁くのを聞いていた。
……何という?
厩戸よ、ぬしは何と愚かなことを言うのだ。ぬしは初めからこうなることなど知っておったろうがそう、昨日、馬子大おじが尋ねてきて「明日は宮で東国の調がございますが皇子様はどうか欠席遊ばしますように」と脅すような口ぶりで釘を差した時、ぬしは泊瀬部叔父が殺されることはとうに察していた。
つまりぬしは叔父を見殺しにしたのだ……。
「み、皇子様?」
奴に心配そうな顔で何度も呼ばれ、我に返った。目頭が燃え盛る火のように熱くそして濡れている。
「ご苦労だった、また何かあれば知らせてくれ」
取り乱した姿を晒したくはなかったので早々に奴を下がらせると、家人の目を避けるために一番奥の部屋にこもって簾を下ろし、床几にもたれる。全身が情けないくらいに震えている。私は馬子大おじにぬめっとした暗闇から蛇のような目で見られているような気がした。
大おじは丸々と肥えた愛嬌のある人物で大変人当たりがよく、仏の道にも現世的な利益を求める傾向は強いもののよく通じており、僧や尼の面倒も親身になって見ている。他の臣や連とは比較にならないくらい頭が良く、政にもソツがない。私の憧れの人だ。
しかし、大おじは恐らく私を心底好いてはいない。私と相対して政や仏の話をすると大おじは、
「皇子様はそのお若さで、これまで無駄に歳を重ねてきたそれがし以上に世の道理を解しておられる。将来名君になられる器です」
と、満面の笑みを湛えて大袈裟に褒めてくれるので、以前の私はいつも面映ゆい気分を味わっていたものだ。しかし、いつからだろう――大おじの目だけは全然笑っていないことに気付いたのは。
泊瀬部の叔父上とはさほど仲が良かった訳ではない。いや、疎遠という表現の方が正しいのだろう。泊瀬部叔父は、氏寺の法興寺建立に情熱を傾けている馬子大おじを警戒して公言すらしなかったが、明らかに仏宝を嫌っていた。ゆえに仏の道を学んでいる私も、馬子大おじにまんまと丸め込まれたと不快に思っていたはずだ。
だが母上の間人にとっては、最後の同じ母の血を――小姉君お祖母様の血を分けた大事な弟。その哀しみはいかばかりだろう。
穴穂部叔父。宅部叔父。これまでも、蘇我と物部の争いの中で母上の同母弟が二人も殺された、殺生を固く禁じる仏を篤く崇拝しているはずの馬子大おじの手で。
そして今、泊瀬部叔父も命を落とした。
大おじは自分の甥たちを殺すと決めた時、どんな顔をしていたのだろう。どんな目をしていたのだろう。
それは私に向けた目と同じものだろうか……。
私は己の血が疎ましい。
いっそのこと釈迦に倣って大王の家を捨てて四門出遊すれば、私の心は救われるのだろうか。しかしそれは悲嘆に暮れている母上を見捨てるということでもある。そんな利己的な考え方は仏の道に背くことではないのか。
判らない、私にとって最良の道は何なのか判らない。
釈迦よ、どうかか弱い凡夫たる私に進むべき正しい道をお示し下さい。
どうか、どうか――。
【炊屋姫】
十一月三日、泊瀬部大王が死んだ。
私――炊屋がそのことを馬子叔父から聞いた時、私の顔は極上の笑みを浮かべていたに違いない。
「そうか、遂にあの男が死にましたか」
「はい、大后様」
「しかし意外とあっけないものでしたね。先方は物部の残党を軍として集めていたようですから、もう少し警戒しているものと思ってましたが」
「なぁに、東国からの調とたばかれば我が手の者どもを倉梯の宮に入れることなど造作もございませんでした」
馬子叔父はガマのように大きな口を広げて笑った。
私と叔父の意志でしたことだが、大和から離れた山間の倉梯に押し込められて腐っていたあの男――さほどの器でもないくせに、大王としての御稜威を子供がおもちゃを振り回すがごとく示したかったあの男は、今日の調でようやく己の力を群臣に見せ付けることが出来ると、恐らく死ぬ間際まで得意満面だったろう。
「偽りの栄光の中での惨めな死、あの男にふさわしい最期だわ」
「泊瀬部は我が甥なれど、大王の高御座に座るべき器ではなかったのですよ。物部守屋めが乱を起こした折に向こうに走られて旗印となっては厄介だったゆえ、やむなく大王にしてやると密約したまでのこと。
まぁ所詮は中継ぎの存在に過ぎませぬが、そんな己が身をわきまえずに我らを討とうなど……身内の不始末は身内で処理しませんと」
「おぉ怖い、私も不始末を犯したら叔父上に殺されるのかしら」
「大后様、趣味の悪い冗談はおやめ下さい」
馬子叔父は一転して渋い顔になった。私の前では気を許してか露悪的な態度を取ることが多い叔父だが、今の軽口は社交辞令ではなく真に気分を害したらしい。
「悪かったわ、今の言葉は忘れてちょうだい」
私が頭を下げた時、牛の鳴くような大きな音がした。
「いや、これは大后様の前でお恥ずかしい」
叔父の腹の鳴る音だった。
「夜明けから他の豪族たちへの根回しであちこち動き回っておりまして、何も腹に入れてないのです。何か軽く食事でも頂ければ大変ありがたいのですが」
「餅と醤でよければ家の者にすぐ持ってこさせますわ」
「いや、結構結構。大后様の醤は旨うございますからな。家で作らせてもあの味がなかなか出せんのです」
「お世辞の上手いこと」
「仏と八百万の神に誓って本当です」
しばらくして、采女が折敷に乗せた食事を運んできた。叔父はよほど空腹だったのか、物凄い勢いでそれを平らげ始める。
「折敷に足が生えて逃げる訳でもなし、そんなに慌てなくとも」
「それがしはいつも大仕事を終えた後はむやみに腹が空くのです」
軽口を叩いた叔父は再び餅を頬張りだす。その情景が私の中で一時たりとも忘却したことのない想いと綺麗に重なった。
「あの者……逆もよく、今の叔父上みたいに私の手料理を『旨い旨い』と土器まで食べかねない風に平らげたわ」
「これで、三輪君を死に追いやった者どもは全て黄泉の国に去りましたな」
「そうね」
我ながら驚くほど冷ややかな声で、私は強く頷いた。
物部守屋、腹違いの兄弟の穴穂部、そして、叔父の強い制止で結局参加しなかったものの一度は兄の穴穂部に同調して三輪君逆殺害に荷担しようとした泊瀬部――。
「仇は取ったわよ、逆」
逆は私と異母兄の亡き夫・太珠敷大王に、まるで犬のように忠実に仕えてくれた。流行り病で亡くなった夫を弔うために殯宮にこもっていた時は、いつも私の側に影のように寄り添い慰めてくれた。
あれは夫が亡くなった翌年の夏、殯を続けていた私のところにいきなり穴穂部がやって来た。獣のように熱く生臭い息を吐きながら、あの男は気が触れたかのような目で私の服を乱暴にはぎ取り犯そうとした。次の大王の座を狙って、私と無理矢理関係を持とうとしたのだ。
私は泣きじゃくりながら逆の名を呼んだ。すぐに駆け付けてくれた逆は穴穂部を殴り倒すと、兵衛たちに命じて表にほうり出した。
生きているこの俺に仕えずなぜ死人に仕える――門のところで口汚く罵る穴穂部の声に震えている私を、逆は抱き締めてくれた。
『この殯宮、いや炊屋姫様は私めが鏡の面のごとく清らかにお守り致します』
私は初めて、逆を一人の男性として意識していた。逆の方も諱を呼んだということは、私を一人の女性として意識してくれたということだろう。
私と逆は男女の情を通じることだけは、理性で何とか押しとどめた。夫の亡骸の前でそんなことをしてはお互い身の破滅だ。私はどうなっても構わないが、息子の竹田が大王になる資格を失うことだけは避けねばならない。あの子には輝かしい未来が待っているのだ。
しかし、今となっては後悔している。なぜ私は過ちも恐れぬ勇気を出して逆に身を任せなかったのか。逆に残された時は多くなかったのだから。
逆恨みした穴穂部は守屋のところに駆け込み、逆を讒言して討つよう奨めたのだ。穴穂部に貸しを作りたかった守屋は逆に兵を差し向けたので、私は彼を逃がした。しかし一族の裏切り者に居場所を密告されて捕まり、逆は穴穂部の手で無惨に殺された。
だから、私は馬子叔父と組んで奴らを一人残らず八つ裂きにして復讐してやると誓ったのだ。
私が生涯唯一、夫以上に愛した人。その命を無慈悲に奪った者どもを私は決して許しはしない――。
「――生涯唯一ですか」
馬子叔父が手に付いた醤を舐めつつ、どこか寂しそうな顔で呟いた。
「大后様のような素敵な女性に愛されて逆はまことに幸せな男だ」
「今の話は、叔父上の心の中だけにしまっておいて下さらないかしら。竹田には聞かせられないわ」
「無論です、ところで皇子様の具合はいかがですか」
「竹田ですか――あまり芳しくありません。叔父上の差し向けた百済の薬師らも色々と手は尽しているようですが」
「仏に祈られては」
「私は仏は好きません」
きっぱりと拒絶した。夫も逆も仏は嫌いだった。
「判りました、無理強いはしません。皇子様には馬子が心から案じていたとお伝え下さいませ」
立ち上がった叔父は私の元を辞する間際、私の目を見据えて言った。
「それがしがこれから申すことも大后様の心の中だけにしまっておいて欲しいのですが――炊屋姫、かつてあなたを心より恋い慕っておりました」
「……」
口を開こうとした時、馬子叔父の姿はすでに部屋から消えていた。
忘れよう、と思った。私と叔父の間にはそのような情の絡んだ甘い関係より実利に徹した現実主義的な関係の方が望ましいし、それは向こうも同じだろう。
私の《女》としての人生は逆の死で終わった。しかし《母》としての人生はまだ終わってはいない、竹田を大王にするまでは。
だから逆よ、今しばらくは黄泉から私たちを見守っていて欲しい。私もそちらに行ったら今度こそそなたと――。
【蘇我馬子】
十一月三日、泊瀬部大王が死んだ。
私――馬子が命じて殺させたのだ。蘇我の血を引く甥ではあるが、小姉君の子なのでさほど気が咎めはしなかった。殺さなければこちらの方が殺されていただろう。
泊瀬部が私に殺意を抱いていることを知らせてくれたのは大伴小手子――他ならぬ奴の后だった。
泊瀬部が大王に即位する前からめとっていたいわゆる糟糠の妻で二人の子を成してはいたが、随分前から関係は冷えきっていたようだ。小手子の父・糠手は仏宝を敬っており私とは交際があった。その縁で知らせてくれたのだろう。
『この間大王に見事な猪が献上されたのですが、大王はそれを見て、――いつかこの猪のように自分が憎いと思う奴の首を刎ねてやりたいものだ――そう仰せになりました。後、最近武器庫に武器を蓄えているようです』
小手子の使いの者はそう言った。ほどなくして倉梯に潜らせていた窺見からも同じ報告が届いた。
人目がある中でそんなことを堂々と口にするとは愚かな男だ、私を侮りおって。
それにしても、女人の妄執というものは陰にこもる分恐ろしい。小手子もいくら夫の寵愛が衰えたのを恨みに思ったとはいえ、夫の最大の敵手たる私に密告するとは……。
そういえば物部との戦に先駆けて穴穂部を討った時、その屍を目の前にした炊屋の形相も凄まじかった。彼女は私から奪い取るように借りた剣を、返り血が服に付くのも構わずに何度も何度も穴穂部の胸に突き刺していた。
あの時、唐土の《死屍に鞭打つ》という話が私の脳裏をよぎったものだった。
(穴穂部、宅部、泊瀬部と己が腹を痛めた子らを私にことごとく殺されて、さぞ悔しかろう妹よ)
私は心の裡でとうに亡くなった異母妹の小姉君に呼び掛ける。
(しかし、先にそなたに悔しい思いをさせられたのは私と姉上の方じゃ)
父・稲目は三輪の家から迎えた女に産ませた小姉君を溺愛し、私と同母姉の堅塩媛の方にさほど愛情を注いではくれなかった。小姉君とその母は父上の寵愛をかさに着て、早くに母を亡くして後ろ盾を失った私と姉上に陰険な仕打ちを重ねた。
いつだったか領地の者から猪が献上された時、小姉君は私を指差して言った。
『ほれ、あそこにも猪が。あれも狩りましょう』
私は両の拳を爪が食い込むほど握り締め、唇を血が出るほど噛んで屈辱に堪え忍んでいた。
やがて父上は、堅塩姉上と小姉君を三代前の大王の後宮に入れた。そこでも大王の寵愛を得た小姉君は姉上に陰険な嫌がらせをし、姉上はその心労もあって十三人目の子を産んだ後に肥立ちを悪くして亡くなった。
姉上が死んだ時、私は声を涸らして泣いた。私にいつも優しい笑顔を見せていた姉上。
姉上が大王に嫁ぐことが決まった時、目の前が真っ暗になった。世人に近親相姦と指弾を受けても構わない、いっそ姉上と共に何もかも捨てて逃げてしまおう――とまで一時は思い詰めた。
しかし、百済王族の血を引く蘇我一族としての誇りがそれを押しとどめた。
先祖代々の血統と財産の上に安住するのみの群臣に抜きんでた力を手に入れ、私を見た目だけでさげすんだ奴輩を必ず屈服させてやる――大王に嫁ぐ姉上の後ろ姿を涙を呑んで見送りながら、固くそう誓ったのだ。
それにしてもさっき炊屋の屋敷を去る間際、私はなぜ酒も入っていないのにあのような迂濶な発言してしまったのか。いくら炊屋が母の堅塩姉上に似てきたとはいえ。
とはいえ炊屋は未だに亡き三輪君逆をひたすらに想い続けており、私が彼女の心に入り込む余地がないことは重々承知している。
(まぁ、私の建立した寺を守屋と組んで焼いた排仏派のあやつが死んだのは、私にとっては却って好都合であったがな)
炊屋には口が割けても言えないことだが。お互い不幸になることはない――。
ええい。
私は頭を振った。下らないことであれこれ思い悩んでも仕方ない。私には他にすべきことが沢山ある。
「河上の行方はまだ判らぬのか」
私は思わず馬を引いていた舎人に内心の苛立ちをぶつけていた。体裁上やむなく泊瀬部に嫁がせていた私の愛しい娘・河上娘が、私が泊瀬部の暗殺を指示した東漢直駒と一緒に倉梯から姿を消しているのだ。
「も、申し訳ございませぬ我が君。手を尽してはいるのですが」
「そなた、倉梯に戻って様子を今一度見てまいれ」
私の命を受けた舎人は倉梯の方に走り去っていく。
(まさかあやつ、河上娘を盗んだのでは……)
だとしたら、いくら我が家に忠実に仕えてきた東漢の一族の者といえども許す訳にはいかない。
口封じも兼ねて消すか。私の身体中の血が、急激に沸き立ち始めた――。
【東漢直駒】
十一月三日、泊瀬部大王が死んだ。
私――駒がこの手でその胸に剣を突き刺したのだ。
人を殺めたのは別にこれが初めてではない。
我が君が河内国に遠征して物部一族を滅ぼした時、私は数えるのも面倒なほど多くの者どもを蛆の湧いた死体へと変えていった。恨みを残して息絶えた敵の魚のようにどろりと濁った眼を見ても、夏の濃厚な草いきれに交じった血の金気のような臭いや肉の腐った臭いを嗅いでも、死にきれない敵が必死に泣き叫んだり命乞いしたりするのを聞いても何も感じなかった。
しかし大王を殺した時、私はあまりの恐ろしさに嘔吐してしまった。いくら我が君と大后様の傀儡に過ぎぬとはいえ、大王は大王。それを私はこの手で――。
「駒、何をそんなに震えているのです」
褥におられた河上様が艶やかなみどりの髪を整えながら上体を起こし、こちらを向かれた。
「起こしてしまって申し訳ありませぬ……それより姫様、それがしのむさ苦しい屋敷に押し込めて不自由をお掛けしてしまって」
「そんなこと言わないで。私にとっては倉梯宮以上の牢獄はなかったわ」
河上様は哀しげな顔でそう言って俯くと、右腕のまだ新しい痣を撫ぜつつ身を固くされた。
「父を憎んでいた大王は私も憎んでいて……お酒を呑まれるといつも狂うたように暴れて……」
河上様には何の咎もないというに、何とおいたわしいことか。やはり私が大王を――いや泊瀬部を刺したのは正しいことだった。改めてそう確信した。
「私、今嬉しいのです」
滲んだ涙を拭い、河上様が花のように微笑まれた。
「先ほど初めて、男の人との交合いがこんなにも幸せなことだと鮮やかに感じました。昨日までは一生こんな気持ちにはなれないと諦めていたのに」
「あぁ姫様、何ともったいないことを仰しゃる」
私は思わず河上様を激しく抱き寄せていた。
「駒、あなたはまだ震えているのね。でもあなたは父上の命令でしただけ。気にしないでいいのですよ」
「いや、いいのです。先祖の掬も大王一族を手に掛けましたし、それがしがお仕えするのは蘇我大臣で大王など知りませぬ。それに、それがしは己が意志で――姫様をお救い申し上げるためにああしたのです」
「ありがとう、駒……でも父上はこの契りを認めて下さるのかしら」
「大丈夫です、我が君は必ずや認めて下さいます」
私は不安に震えておられる河上様の桜貝のような唇を口で塞いだ。何と甘やかな味だろう。
我らの契りがこれからどうなるか、少しも不安に思わないといえばさすがに嘘になる。
(姫様にはああ言ったものの、果たして我が君は本当に河上様を娶ることを認めて下さるのか……)
私は河上様を更に強く抱き寄せていた。そんなことはどうでもいい、今はただ二人こうしていられればそれだけで幸せだ――。
十二月八日――泊瀬部の跡を襲い、蘇我馬子を筆頭とする群臣の三度に渡る要請を受けて大王の座に就いたのは炊屋姫であった。後にいう我が国初の女帝・推古である。
推古天皇は自らの甥・厩戸を皇太子に任じて国政を委ねる。厩戸は自らの信奉する仏宝に基づいた理想主義的な内政・外交を様々に展開していくものの、やがて厳しい現実の前に敗退して政治の表舞台を去り斑鳩の地に隠棲することになる。後世の人は彼の徳を称えて《聖徳太子》と呼んだ。
推古が我が子・竹田皇子をその座に就けなかった理由は史書には記されていないが、推古が七十五歳の長寿を保って没した際に「竹田の墓に合葬して欲しい」と遺言していることから、彼女の即位以前に早世したと考えられる。
東漢直駒は河上娘を汚したことが馬子に露見して殺害された。河上娘のその後は不明だが、一説には厩戸と再婚したという。
そして、泊瀬部大王――後に崇峻の諡が与えられることになるこの天皇は殺害された当日、倉梯岡陵に葬られた。
厩戸とその母以外、誰にも蘇りを望まれることなく。