セシルセクメトの仕事
朝、サイラスオサイリスとフィリップハピは、小屋に用意されていたパンとスープで朝食を摂った。
「夜のうちにメシを食わせたらよかったな」
サイラスオサイリスがスープに硬いパンを浸しながら、ぽつりと言った。
「えっ、いや、その……実は兄の屋敷に拉致されてから、何も食べておりませんで。がっついたつもりはなかったのですが、見苦しいところをお見せしたようですな」
「食べ方に問題はねぇよ。ただ、寝てる間に腹鳴りすぎだ」
「お恥ずかしい……」
フィリップハピは昆虫族化した体を縮こませた。フィリップハピにとって、地下牢に入れられ拘束されることも暴力を振るわれることも、人目を避ける生活も空腹を我慢することも、味わったことのない、ひどく惨めな経験だった。
「フン、どうせ元に戻れば忘れるだろ」
しおらしいのも今だけだろうと、サイラスオサイリスは鼻で嗤う。
食後にサイラスオサイリスは、大きな木箱を前にしてフィリップハピに言った。
「この中に入れ。後は俺の仲間の指示を待て。仲間の声は、この後で聞かせる。それ以外の声はすべて無視しろ」
「わ、分かりました」
たとえサイラスオサイリスに騙されていたとしても、昆虫族化したフィリップハピにはどうすることもできない。それが分かっているので、フィリップハピはおとなしく木箱に入った。手足を曲げてうずくまった格好だ。
「よし、閉めるぞ。息はできるな?」
「はい、ここに空気穴が」
「黙れ、しゃべるな」
サイラスオサイリスは木箱の側面をドンと蹴る。
サイラスオサイリスの脳内でバーバラバストが「ひっかかったにゃー!」と笑い、トリスタントートがため息をついた。
「セシル」
(はい)
「頼む」
(かしこまりました)
サイラスオサイリスは、自分の内側にいるセシルセクメトに意識を向けた。
目の前が歪み、ひどいめまいがする。そのままずるりと肉体がなくなり、暗闇に包まれる。意識の端に、さっきまでいた粗末な家の中がぼんやりと見える。
あとのことは彼女に任せて、サイラスオサイリスは目を瞑った。
「それでは、ここからは私が受け持ちます」
セシルセクメトはめまいに耐え、木箱に向かって挨拶する。返事はない。
(今度は引っかからないにゃー)
脳内のバーバラバストの声に、セシルセクメトは満足げに頷く。
雌ライオンの頭部に、四十になったばかりの女の体。長い裾丈の、ゆったりした古代ギリシャ風衣装だ。商人として貴族の前に出ても恥ずかしくない程度の装いをしている。
「これから木箱を荷馬車に載せます。木箱の中で転がらないように気を付けてください」
セシルセクメトは木箱を持ち上げる。瞬間、腰に痛みが走った。体格のいい成人男性と木箱の重さを甘く見ていた。
「参りました。夜中の内に荷馬車へ積むべきでしたね」
(チッ、悪かったよ)
セシルセクメトの脳内で、サイラスオサイリスが殊勝にも謝る。トリスタントートがフンと鼻で嗤ったが、それはサイラスオサイリスの素直な態度に対してだ。
目立つ羽持ちであるサイラスオサイリスとトリスタントートよりも、セシルセクメトが一番役に立つ。それを理解しているので、サイラスオサイリスはセシルセクメトに一目置いている。
彼女の態度が常に控えめでサイラスオサイリスたちを立てるのも、理由のひとつだ。有能で身の程を知っている者を、サイラスオサイリスは好む。
セシルセクメトは外の子どもに声をかけると年長の少年数人を雇い、荷馬車へ積んでもらうのだった。
◆
「ご無沙汰しております、シュー様」
王城の貴賓室となってしまった、元文官執務室の一室、【大いなる幸いを運ぶ者】の部屋で、セシルセクメトは恭しく頭を下げた。
「セシルさん、鉄鍋の件では大変お世話になりました! 今日も来てくださってありがとうございます」
「いえ、こちらも良いお取引をさせていただき、感謝しております」
セシルセクメトは穏やかな声で答える。
セシルセクメトは無事に、王城の守生の元へ木箱を運んだ。入口から貴賓室まで実際に運んだのは城の下男だが。
「シュー様、こちらがご希望のお荷物でございます。どうぞお確かめください」
そう言ってなぜか防音の魔道具を起動させてから、木箱の蓋を開けた。
中で神妙にうずくまっているフィリップハピ、いや、全身を昆虫族化させた人間を見て、守生が叫ぶ。
しかしその声は、アベルアヌビスですら聞こえない。昆虫族の姿に騎士コンビは警戒態勢に入っている。
セシルセクメトは守生の様子が落ち着くのを確認してから、防音の魔道具を羊皮紙へと収納した。
「な、な、な……」
「こちらが、ご希望の品でございます」
「あ、ありがとうござい、ます。まさかそんな姿になっているとは……」
「いえ、こちらも説明が足りず、申し訳ございません」
済ました顔で答えるセシルセクメトに、守生は心の中で反論する。
(いや、確信犯でしょ!? だって防音したよね! 僕が叫ぶって分かってたよね!?)
「えーと、フィリップハピさんですか?」
「はい。【大いなる幸いを運ぶ者】様。兄、いえパトリックハピの元から助けていただき感謝の言葉もありません」
「……大変でしたね。解毒剤を用意させましょう」
「ありがとうございます」
守生は一旦フィリップハピを部屋の隅で待機させた。衝立でその姿を隠してもらい、それから椅子に崩れ落ちるように座る。ヘレナヘケトが守生に、銀のカップと切ったシトロンの載った盆を差し出した。
ドムトートがすぐさま、カップに水を注ぐ。ドムトートの水魔法の水は、守生のお気に入りなのだ。
「セシルさんも、何かお飲みになりますか?」
「いえ、問題ございません。シュー様は顔色が優れないようですね。遠慮なくお召し上がりください」
「では少し失礼して」
守生は酸味のあるシトロン水をゆっくりと飲んだ。スッとして、吐きそうな気持ちが少し楽になった。
「さてセシルさん、彼を連れ出してくれたあの人にも、今日のお礼を伝えたいんですが」
「私からお伝えすることも可能ですが……」
「えーと、できれば直接話したくって。お願いしたいこともありますし。どうやったら会えますか?」
セシルセクメトが虚空を見つめ、それから口を開いた。
「では本日の午後、賢者トリスタントート様が王城へ戻られましたらご連絡いたします。口の固い者だけを連れてお部屋へお越しください」
「分かりました」
セシルセクメトの退出後、守生はフィリップハピを椅子に座らせた。
「正直、僕はレネーさんたちに謝ってほしいところです」
「レネー?」
「僕のところに贈った奴隷たちですよ。あなたが昆虫族化させた女性と男性の子どもでもあります」
「ああ……」
フィリップハピが項垂れる。
「ですが、その姿を見せても驚かせるだけですね。――さて二人とも、これからどうしたらいいと思う?」
守生は騎士コンビに話を振った。客人の前でやったことはないが、ここでの一般常識を知るためによくやる方法だった。
「んー、でもレネーたちは、こいつをぶん殴ってもいいと思います!」
「なるほど? それも一つの手だね」
「つーかァ、俺はシューがなんで助けたのか分かんねェなァ。今だって、別に放置でいいんじゃねーの?」
「まぁ、別に王城に連れてくる必要はなかったね。サイ……いや、セシルさんにお屋敷に送るよう頼めばよかった」
そんな話をしていると、国王カールホルスがやって来るという先触れがあった。
明日の昼にも更新します。
兄パトリック、弟フィリップ。私には覚えにくい名前なので
「パ」トリックで、破裂音が「前」にある=兄。
フィリッ「プ」で、破裂音が「後」にある=弟と覚えています。私は覚えやすいと思ってこう命名しましたが、他人様から見たらどうなんだろう。。




