7 サウナ風呂と遠隔光魔法
その後、食休みに窓の外を一緒に見てから、エリスイシスは退出していった。
言葉は通じないながらも、常に彼女から気遣われているのを感じた。
窓の外を一緒に見る時、エリスイシスはわざわざ大きな壺を侍女に持たせて景色が見えるようにした。守生は驚いたが、侍女たちの様子からしていつものことのようだった。エリスイシスが壺を気にする視線は、必要以上に愛情深いように見えた。
(そういや、王妃様の姿はまだ見てないな。何か家族にゆかりのある品だったりするのかな)
エリスイシスの退出後しばらくして、侍女ヘレナヘケトに身振り手振りで部屋の外へと連れ出され、脱衣所らしき広い部屋へと案内された。それが分かったのは、服を脱ぐように身振りで示されたからだ。そうでなければ、くつろぐための部屋なのかと勘違いしていた。
木の皮を編んで作られた衝立の陰で着ていた服を脱ぐと、用意されていた湯浴み着に着替える。腕時計を外し、身に着けていたボディバッグに仕舞う。
シルバーのペンダントはお守りなので、これだけはそのまま身に着けておく。普段なら外して風呂に入るが、ここは異世界なのだ。頼れるものには頼りたかった。
(で、このボディバッグはどうしようか)
少し考えてから覚悟を決めて、ボディバッグをヘレナヘケトに預けた。
スポーツ用なので多少濡れてもいいだろうが、中の財布やスマホ、腕時計は濡らしたくない。いつ元の世界に帰れるか分からないが、帰還を諦めたわけではないのだ。
(ボディバッグが返って来なかった時は、僕の人を見る目がなかったってことで)
見知らぬ場所に行くと、普段考えなくていいことまで考える必要がある。だがこれも日常の枠組みから抜け出して、自分を鍛えるためのトレーニングだと、守生は前向きに考えることにした。
脱衣室から優美な装飾付きのアーチ型の細い通路を進むと、微温浴室に続いていた。ほど良い暖かさが体を包む。ドーム型になった天井近くの高窓から陽の光が入っており、明るく開放的な雰囲気がある。
真ん中にある石造りの寝椅子があり、ゆったりとくつろぎながら体を温めるらしい。
守生はゆっくりと足を進める。空気も床も温かい。
窓からの光で、床のモザイク柄が輝いている。群青色や濃緑、濃赤など落ち着いた色合いでなんとも幻想的だ。
モザイク柄の一つ一つに丸みがあり、少しでこぼこした作りになっている。滑り止めを兼ねているのかもしれなかった。
(珍しい素材だな。まさか宝石ではないだろうし)
寝椅子に座って、ぼんやりと床や壁の装飾を眺める。背面からじんわりと熱が伝わるのが、なんとも気持ちがいい。
そろそろ体を洗おうと思い始めた頃、薄着の女性が五人しずしずと入ってきた。五人とも頭部が動物だが、豊満な裸体だ。着飾った髪型やメイクの様子、妖艶な表情から、彼女たちが何をしに来たかは明白だった。
「頼んでないからね!?」
驚き慌てて、出て行くよう大声で怒鳴る。言葉が伝わらない分、勢いで伝えた。
(せっかくなのでお願いした方がよかったのか? いやいや、あの女の人たちは王様の命令で仕事をしているわけであって……)
葛藤している間に、今度は少年が数人入って来た。顔が動物だが、体つきが少年だったのだ。アベルアヌビスよりも若い。つまり十代半ばだ。
(女の人より少年の方がいいと思われたのかー)
守生は同じように怒鳴って、彼らを追い返す。
守生は急に、コンパクトで機能的なビジネスホテルが恋しくなった。
(過剰な接待はいらない。狭くてもいい、一人になってゆっくりしたい。食べたいものを食べたい)
このまま微温浴室にいるとまた誰かが入って来そうで、守生は奥の部屋へ向かった。
細い通路を少し行くと、二つのドアがあり、片方を開けるとサウナ風呂になっていた。むわりと熱い湯気が守生を包む。
熱された大きな石に、定期的に水が落ちる仕組みだ。獅子威しの添水のような仕組みだが、カコーンという音は鳴らないし、素材も竹筒ではなかった。
乾式サウナであれば金属は危険だが、湿式サウナなので銀製のペンダントを外さなくても問題はない。
守生は爽やかな香りのする木製の長椅子に座り、ゆっくりとサウナ風呂を楽しむ。
ふと入り口に目を遣ると、今度は知り合いが入り口から顔を覗かせた。
黒い犬頭の、アベルアヌビスだ。猟犬のように細い顔立ちで、大きく長い耳を持っている。毛は短いのでもふもふとは言い難い。
機嫌を取れと指示を受けたのか、どこか戸惑った表情をしている。
王城に戻って浴場にまで来たということは、ドムトートは無事だったのだろうか。
守生は事情を聞きたくて、手招いた。
守生と同じようにアベルアヌビスも薄い湯浴み着を着ている。身長は守生よりも少し高いが、それは長い耳のせいだ。目線はほぼ同じの細マッチョだ。
(さすが騎士見習いだけあって筋肉がしっかり付いてるね! 羨ましい!)
アベルアヌビスは守生の体を洗おうと思ったのか、液体の入った小ぶりの壺と布を持って近づいてくる。
「ストップ!」
声と、手のひらを相手に向けて、動きを止める。ボディランゲージは気合いと勢いが大事だ。
サウナ風呂の長椅子の、守生から少し離れたところを指して、座るように指し示す。
アベルアヌビスが座ったことを確認してから、守生はアベルアヌビスが持ってきた壺を引き寄せた。
アベルアヌビスが壺を目で追う。
「どうやって使うんだい?」
言いながら、守生は液体を手に取る。壺の中身はオリーブオイルのように金色だった。
アベルアヌビスが、手で自分の腕を撫でて見せるので、真似して液体を自分の体に塗りつける。
布を指さして擦る仕草をするので、粗い布で擦った。泡が立つわけではないが、昨日からの汚れが取れるのが分かった。
湯浴み着を着たままなんとか全身を擦り終えると、アベルアヌビスに壺を返す。
アベルアヌビスはどこからかたらいを見つけてきて、壺の液体を湯に溶かした。頭を指さすので、髪を洗えということなのだろう。
(石鹸とシャンプーが一緒のタイプかぁ)
守生の髪は耳の下くらいまであるボブカットだ。男性は短い髪であるべきだという常識から抜け出すために伸ばしているのだ。
たらいの湯をゆっくりと頭にかけていくと、アベルアヌビスがまた湯と木の櫛を差し出す。櫛でブラッシングすると、かなりさっぱりした気分になった。
全身を湯で流し終わると、アベルアヌビスが壺を隅に片付けようとしたので自分も使うようにジェスチャーで伝える。
アベルアヌビスは頷き、守生の死角で体を洗った。ひどく緊張した様子だったので、守生は後ろを向いてただ汗が出るのを待った。
そのまま二人とも黙って座る。最初は少し気まずかったが、体が温まってくると気にならなくなった。
(アベルだって疲れているよな。朝、城からあの山の上まで歩いてきて、サイ男と戦って、ドムのために森を走って、城まで帰ってきたんだから。改めて考えると、運動量すごすぎ……)
「ドムは、ドムトートは見つかったの?」
アベルアヌビスが顔を上げ、守生を見る。見つめ合っていると、アベルアヌビスの顔が泣き出しそうになった。灰色の目をパシパシと瞬き、長くピンと立っていた耳がしおしおと垂れる。
「まさか」
まさか亡くなったのかと、守生はショックを受けた。
あの時、落下の衝撃は風魔法とやらで緩和していた。クソムシという敵に遭遇したのか、それとも当たり所が悪かったのか。
守生は立ち上がり、サウナ室を出た。急に動いたために軽いめまいがした。
めまいに耐えて脱衣室に戻ろうとすると、後ろからアベルアヌビスに腕を引かれた。
三つ目の部屋に入れと言いたいらしい。アベルアヌビスがドアを開けると、冷浴室だった。
泳げそうなほど大きなプール、いや、冷水浴槽がある。大きさは目測で二十メートル四方だ。
アベルアヌビスが促すので、守生は恐る恐るそこに足を入れた。熱い体には気持ち良い温度で、そのまま頭まで潜ってから、浴槽を出る。
離れた位置で冷水浴槽に入っていたアベルアヌビスが、部屋の隅でブルブルと首を振って水を切った。アベルアヌビスの長い耳と湯浴み着の裾から水が跳ねる。黒い体に白っぽい湯浴み着が映える。
(アベルも人間なんだろうけど、こういう仕草を見ると犬っぽいって思っちゃうよなぁ。うーん、アニマルセラピー……)
アベルアヌビスを見ていると、ドムトートを思って沈んでいた気持ちが少し軽くなった。
(焦っても仕方ない。落ち着いて、やれることをやろう)
アベルアヌビスに誘導されて、もう一度微温浴室に入る。すると、先ほどの豊満な体つきの女性と、小柄な少年が一人ずつ待っていた。カバとキツネの頭をしている。
ぎょっとしてアベルアヌビスを睨むと、アベルアヌビスは彼女たちに向かって何か声を掛けた。
それから彼女たちの前に立ち、守生にもそれを促す。渋々守生が彼女たちの前に立つと、カバ頭の女性とキツネ頭の少年が両手を守生たちに向けて何かを呟く。
すぐさま温風に包まれた。全身の水気が乾いていく。頭に触れると、立っているだけなのに髪の毛の水分もなくなっている。パサつきもない。
「すごい、ありがとう!」
思わず笑顔になって、魔法を使って乾かしてくれた二人に礼を言う。言葉が伝わらないだろうから、お辞儀もしておく。
睨んでしまったアベルアヌビスにも頭を下げる。三人ともひどく恐縮していた。
脱衣室に戻るとフローラルな香が焚かれており、四人の女性と四人の少年、そしてヘレナヘケトが待っていた。
侍女たちが見守る中、着ていた湯浴み着を取られてまた温風を浴びる。最後の乾燥なのだろうが、素っ裸の守生は羞恥に悶えた。
魔法が終わった瞬間に衝立の裏へ逃げ込むと、守生の脱いだ服はすでに回収されていた。代わりに置いてあるのは大きな布が二枚と、細長い布が一枚だ。浴衣のようになっているわけでもなく、布だ。体に巻いて使うのだ。
(どの布から、どうやって着るんだろう)
追いかけてきたキツネ頭の少年が、自分自身を見本にして腰布の巻き方を教えてくれた。要するにふんどしだ。リネンのようにやわらかくさらっとした肌触りの布を、股に巻いていく。
そのままふんどし姿の少年に香油を肌に塗ってもらう。アイリスの華やかな香りは自分で付けようとは思わない物だが、いい香りだった。
背中以外は自分で塗ろうとしたが、衝立の陰からヘレナヘケトに止められ、少年に全身を塗られる。日本よりも乾燥した気候なので、必要なことなのだと渋々受け入れた。
そのあと衝立を外され、薄緑色の大きな布を持ったヘレナヘケトが守生の前に立つ。
カエルの大きな目でじっと見られると、身動きが取りにくい。
(蛇に睨まれたカエルならぬ、カエルに睨まれた男、だね)
ヘレナヘケトは、最初に守生の下半身にだけ布を巻き付けた。布の端を中に折り込む。一度目は緩くなったのでやり直し、少しお腹をへこませてから布を織り込むとうまくいった。上半身裸で、長めの巻きスカートを履いた状態だ。
二枚目の布の端を右肩に垂らして後ろから前へ体に巻き付けてもらう。
(ただの四角い布が、服になっていく! おもしろいな)
その間に、すでに身支度を整えたアベルアヌビスは自分の体に香油を塗っていた。そばで不満そうな顔をした少年たちがあれこれ口を出しているのが、守生には微笑ましく見える。
実際は、夜の相手をする場合の作法を教えられていたのだが、守生に狼が鼻を鳴らす音や外国の言葉を話しているようにしか聞こえない。
上半身の布を巻き付け終わると、ヘレナヘケトは守生の肩の布を押さえたまま、控えていた侍女に声を掛けた。
一人の侍女が、守生の前に跪く。そして、恭しく留め具を差し出し、裏表を見せる。
金色のピンだ。形は安全ピンに似ている。飾りがついていて、掛け布団に使うような大きめの安全ピンよりもさらに大きく豪華だ。
ピンに添えられた宝石は半透明で新緑色をしたペリドットで、光の当たり方でグリーンの濃淡が見えた。
(高そうなピンだな)
ヘレナヘケトは守生の表情に拒否がないことを確認して、侍女からピンを受け取った。それから守生の右肩の布のドレープが美しく見えるように留める。守生からは見えづらい位置で留めるので、この装飾品でいいのかという確認を入れたのだった。
守生が使う装飾品にと指示した国王カールホルスからすれば、貴人として最低限の品だ。複雑な金細工もなく、宝石に彫刻がされているわけでもない。サイズも小さめだからだった。
最後に、ヘレナヘケトが半円形に近い布で守生の左肩だけを隠すようにくるりと巻く。紺色の生地に金で刺繍された上布だ。複雑な巻き方をされそうになったが止めて、簡単な巻き方にしてもらった。
預けていたボディバッグを受け取る。腕時計を取り出しながら、ざっと中身を確認する。財布の中身までは分からないが、盗られたものはなさそうだった。
(ヘレナさん、疑ってすみませんでしたっ!)
腕時計を左手首につける。それから着付けが崩れないように、ボディバッグを腰に巻く。
用意された革のサンダルを履けば、完成だ。
(部屋に戻ったら、ドムのことに集中できる)
守生が着付けてもらっている間に、アベルアヌビスの着替えも終わっていた。
豊満な体つきの風呂場係に丁寧に着付けられ、腰から飾りひもを垂らしている。布も丈が長く光沢があり、前より良い品のようだった。腕や足の肌は黒く、しなやかな筋肉がついている。
風呂場係の侍女と少年が不満そうな顔で、アベルアヌビスにいくつかの香油の壺を差し出す。
アベルアヌビスがそれぞれの匂いを嗅いでからひとつの瓶を選び、大事そうに両手で持った。
なんだか決意を込めた顔つきだが、今の守生はそれどころではない。
「カールホルス王は、どこにいるんだ?」
カールホルスの名を聞いて、一同がぎょっとした顔をする。
ヘレナヘケトを見れば、守生を見つめてじっと動かない。カエルの大きな目と表情から、無言の拒否を感じた。
美女と美少年を追い払った【大いなる幸いを運ぶ者】が、国王を望んでいるという勘違いが起こっていた。だが、守生はそれに気付かない。
「ドムトートがどうなったのか知りたいんだ。まだ見つからないのか? まさか最悪のことが起こったのか?」
守生の言葉は分からなくても、ヘレナヘケトから先ほどのような硬い雰囲気は消えた。
ヘレナヘケトが何か説明し出すが、当然守生には分からない。ヘレナヘケトが侍女の一人に何かを命じると、侍女は守生の前で恭しく跪いて、それから出て行った。
(王様に伝えてくれるのかな。一国の王だもんな、いきなり会いに行くのは非常識なのかもしれないし。ここは部屋で待つか。それより、遠隔でエンソフィックを……)
守生はこの先の段取りを考えながら、ヘレナヘケトの案内で客間に戻る。後ろから護衛しているアベルアヌビスの表情が硬い。ドムトートのことが心配なのだろうと守生は思った。
ヘレナヘケトは、葡萄酒と水とシトロンをローテーブルに用意して、寛ぐようにと身振り手振りで伝えてきた。そして、香油と何枚かの布をベッドの傍のチェストに置いて、恭しく礼をしてから出て行った。
部屋を出る直前にアベルアヌビスに何かを告げ、アベルアヌビスに緊張感を与えたのが分かった。
(なんだか、お局社員と新人社員みたいだなぁ)
せめて自分だけでも優しくしようと、守生はローテーブルのドリンク類を示す。サウナのあとの水分補給は大切なのだ。
アベルアヌビスが飲みやすいように、まず守生が水にシトロンを絞って飲んでみせた。爽やかな香りが鼻から抜ける。
それを見たアベルアヌビスも、震える手で葡萄酒と水を半々に割って、一気飲みした。
「よし、次は準備だな」
長椅子を運ぼうと、椅子に手を掛ける。重い。木材百パーセントで作られた、頑丈な長椅子だ。
アベルアヌビスに手伝ってもらって、部屋の入り口へ移動させる。入り口の方へ向けて長椅子を置き、アベルアヌビスに座るよう指示する。
大人しく指示に従いつつも戸惑っているアベルアヌビスの後ろから、彼の頬にそっと触れる。両手で頬を挟み、顔を動かさないように指示を出す。長いヒゲに守生の手が当たったのが不味かったのか、アベルアヌビスの体がビクリと震えた。
「ごめん、ごめん。このままじっとしてて。顔は、ドアだけ見てて」
アベルアヌビスの顔の横から腕を出し、前方を指さす。アベルアヌビスはコクコクと頷いて、指示に従ってくれた。もっとリラックスしてほしいが、どう伝えたらいいか分からない。せめてと思い、ローテーブルから葡萄酒と水を持っていき、アベルアヌビスがいつでも飲めるように長椅子の端に置く。
「よし」
これで、場の設定をしてもアベルアヌビスに見られることはないし、部屋に誰かが入って来ようとしても、アベルアヌビスというワンクッションを置いたことになる。守生は小さくガッツポーズをして、部屋の隅に向かった。
部屋の隅から部屋全体を神聖な場所へ変えていく。いわゆるパワースポット化だ。
そして部屋の中央で守生分自身を光で満たし、自分のまわりに防御の陣を張る。それから神聖なシンボルや光の存在たちに協力してもらって、部屋全体の波動を上げていく。
三十分ほどかかっただろうか。その間アベルアヌビスが時々何か驚いたような小さな声を出していたが、こちらを振り返りはしないので気にせず進めていく。
廊下も騒がしくなってきたが、ともかく集中して場の設定を完了させる。
施術のためにもうひとつある長椅子を動かすのも面倒で、守生はベッドに腰かける。硬い木の台に、分厚い羊毛フェルトと毛皮が重ねられているベッドだ。
全身をリラックスさせて、呼吸を整える。それから天と地と、腹の丹田を意識する。手順通り正確に、宇宙の根源であるエンソフと繋がった。
そして、このエンソフのエネルギーを送る相手をイメージする。
「ドム、トート」
思わず発した声は、ゆっくりと厳かな声音だった。
守生は見ていなかったが、その声はアベルアヌビスにも聞こえた。ドアを向いたまま、一瞬振り返りかけて、首を前に戻した。
守生はドムトートへエンソフの神聖で精妙なエネルギーを送る。
この遠隔ヒーリングならば、相手がどこにいようと生きてさえいれば届く。
(生きてさえいれば。でももしドムの霊魂がもう肉体から離れていたら……)
エンソフィックレイキをすれば、その手応えで生死が分かってしまう。だからこそ知るのが怖いと守生は思う。だが自分だけが事実を知らず、なぜ顔を見せないのか、亡くなってしまったのだろうかと思い煩うのは嫌だった。
(これは、僕のエゴで行うヒーリングだ)
本来、こんなふうにヒーリングはしてはいけない。
クライアント自身か、あるいはクライアントの家族から依頼を受けて、対価として既定の金額を頂いて施術するものだ。
けれどもし生きているのに怪我や病気で帰れないのなら、このヒーリングが少しは役に立つだろう。施術時間にもよるが、痛みや不安を緩和するだろうし、オーラにだって働きかけるはずだった。
守生は我に返ると深呼吸してから施術に集中する。
守生が心を落ち着かせてからしばらくして、反応があった。
(生きてる!)
ドムトートの体の、特に下半身に強い反応があるようだった。その箇所に神聖なシンボルを描き、ただただ頭を空にして施術を続ける。
目を瞑り集中する守生の耳には聞こえていないが、城の見回りの兵士の声が騒がしくなった。城と空を指さしながら叫んでいる。
アベルアヌビスはそれらの声を聞き、長椅子から立ち上がった。だが、すぐに守生の指示を思い出して座り直す。
アベルアヌビスの目には、この部屋はきらきらした光で満たされていた。昼間とはいえ屋内は少し薄暗い。だが目の前のドアも壁も、きらきらと光っている。
振り返ったら、この光魔法が解けてしまいそうだ。そう思ってぐっと我慢していた。
その時、ノックもなしにドアが半分開いた。侍女ヘレナヘケトを先触れに、国王カールホルスがやってきたのだ。
アベルアヌビスは立ち上がり、国王の前を塞いだ。
「どういうつもりですか。早くどきなさい」
「ダメっす! 今、【大いなる幸い】様が、光魔法を使ってるっす」
「それは分かっています。壁からも光が漏れていますしね。天とこの部屋が光の帯で繋がっているようです。城内も下の街も大騒ぎですよ」
「そ、そうなんすか。あの、たぶんシュー様は、ドムトートのために何かしてくれてるんだと思うんすけど……」
「ああ、昆虫族の領域に落ちた騎士見習いですか。確かに、安否を気にかけていたようですね。ですが捜索隊も見つけられなかったんでしょう?」
カールホルスは黙り込んだアベルアヌビスを押しのけて部屋へ入った。だが、思わず立ち止まる。光に目をくらませたというよりは、まるで質量があるかのような光の密度に驚いたのだ。
その光は、部屋の左手奥のベッドに座る【大いなる幸いを運ぶ者】から壁を突き抜けて続いているように見えた。カールホルスは部屋の壁に沿って窓辺へ向い、窓膜の魔道具を止めた。そして、窓から身を乗り出す。
この部屋は王城の一階部分だが、窓の下は緩やかな傾斜になっている。
「陛下!? 危ないっす!」
アベルアヌビスがカールホルスの足に手を掛けようとするが、その手を蹴ってカールホルスは外へ飛翔した。ダークグレーの大きな翼が空に広がる。
カールホルスが王城の屋根まで飛ぶと、少し離れた位置に建つ物見台の見張りの騎士が驚いて声を上げた。
それを無視して四角い眼鏡を外し、光の先を見た。まだ外は明るい。だが見えすぎる目を保護するための眼鏡を外せば、さらに先まで光を追える。
光の帯は草原を抜けて、昆虫族の領域にある森へと伸びている。森の中に何があるのか調べる必要があった。
「国王様だ!」
「陛下のお出ましだ!」
王城の外で右往左往していた騎士や文官たちが国王の姿に気づき、歓声を上げる。遠目からでも、大きく羽を羽ばたかせている国王の姿はよく分かった。
カールホルスは騎士たちの好意的な反応に気を良くして、彼らに命じる。
「これは【大いなる幸いを運ぶ者】の光魔法である! 急ぎ、隊を編成し、光の先を調査せよ!」
騎士の一人が騎士団詰め所へ伝令を伝える。それを窓辺で聞いたアベルアヌビスは、慌てて詰め所へと走った。
光の先にはドムトートがいる。きっと、いる。それを理解しているのは自分だけなのだ。アベルアヌビスは、使命感に燃えていた。
守生は目を瞑ってヒーリングに集中していたため、国王の存在にも外の出来事にも一切気づいていなかった。




