56 ホーリーウォーター2
「いいから早く言われた通りにしてください! あなたは今! 素晴らしい瞬間に立ち会っているのですよ!」
賢者トリスタントートの勢いに飲まれた下男が、そっと【ホーリーウォーター】に足を浸す。
五分ほど経って足を確認してみると、元の足の領域がさらに広がっていた。メタリックで硬質な肌色部分と、引き締まった筋肉質の部分とが奇妙に混在している。
「【稀有なる光】! あなた、どうして私を呼んだんです!? あなただけで充分ではないですか!」
「あー、いや、その、すみません。まさか解毒できるとは思わなくて」
「フフフ、冗談ですよ! この現象に立ち会えたことに、私は大変感動しています!」
「それは、どうも……」
守生は念のため、下男には足が冷えたりふやけたりしない範囲で【ホーリーウォーター】に足を付けるよう指示しておく。ここの国の人間は守生の言葉を真面目に聞きすぎるので、釘を刺しておく必要があると思ったからだ。
「疲れない程度にしてくださいね」
「問題ねぇです、足を突っ込むだけでさぁ。座ってたら楽ちんですし」
見舞いに来た時とは打って変わって、晴れやかな顔で下男が答える。
一同はそれに安堵して、その共同部屋を出たのだった。
「【稀有なる光】、あの水は何なんですか?」
「祝福された水、【ホーリーウォーター】ですね」
「ほう、【聖水】ですか。あとで少し分けていただいても構いませんか?」
「いいですよ。うーん、それにしても……すでに症状が出ているのに【ホーリーウォーター】で治るってどういうことなんでしょうね? あれって人のオーラや邪気に作用するものだと思ってたんですが」
「ね? と私に聞かれても困るのですが!」
「ああ、すみません。ちょっとよく分からなくて」
納得いかないと、守生は一人首を捻る。騎士コンビと侍女ヘレナヘケトは、さすが我が主だと誇らしげな顔つきだ。トリスタントートの侍従と護衛騎士は、この二人は何なんだと驚き畏まっている。
次の部屋へ行き、同じように両手と首が昆虫族化した侍女にも【ホーリーウォーター】を試してもらう。やはり、少しずつ戻って行くのが確認できた。
ただしトリスタントートの水薬である程度症状を薄くしないと、効果が出づらい。
守生は腕がすっぽり入る大きなたらいの水を【ホーリーウォーター】にして、無理のない頻度で浸すよう指示を出した。
そして最後は、騎士コンビと同じ第五部隊の男性騎士だ。顔全体が昆虫族化しており、部屋へ行っても厚手の布を被って外さない。最初はベッドにうつ伏せになっていたが、ヘレナヘケトや騎士コンビの説得で椅子に座ってもらった。ただし、無理矢理剥がされないかと警戒しているのが分かる。
(無理矢理脱がせたりしないから! 絶対! お互いのために!)
虫嫌いの守生は体がが震えるのを抑えられない。下男と侍女の症状を見て少しずつ慣れたと思ったが、あの布の下に昆虫の顔があるのかと思うと、生理的な嫌悪がこみ上げる。
ドムトートが守生の盾になってくれている間に、何度も深呼吸をして気持ちを落ち着かせた。
(考えるな! 思考を止めろ! 自分がやるべきことだけ考えろ!)
守生は足元に集中して、大地との繋がりを意識した。氣功やエネルギーワークと呼ばれるものの基礎だ。これで多少は感情をコントロールできた。
「それでは! この【不老の賢者】トリスタントートが! あなたの顔に治癒魔法を掛けますよ! ああ、大丈夫です。布の上からでも問題ありませんからね!」
トリスタントートはまず、治癒魔法をかけた。彼は自分の顔が昆虫族化したことを理解できず、敵だと勘違いして火魔法を放ったのだ。その後、守生が依頼した水薬で治療したが、完治はしていなかったのだ。
「どうです?」
「はい、火傷の痛みが完全になくなりました。ですが……」
騎士は布の下に手を入れ、自分の顔を触って絶望した声を漏らす。
「まだですよ! 次にこの水薬を飲んでください。手を出して……瓶を渡しましたよ。落とさない程度に優しく握ってください?」
「はい」
受け取った騎士は、布が外れないように注意しつつ水薬を飲む。
「これで少し、症状が薄くなるはずですが」
「確かに、固まった顔が緩んだ感じはあります……。ありがとうございます、もう充分です。賢者様、【幸い】様、私はもう……」
「お待ちなさい! 王城騎士団の騎士たる者が諦めるなど情けない! 呪われようともしぶとく生き、敵を倒してこそ、あるいは主人を守ってこそ騎士でしょう! 敵に好き勝手させてどうします!? さあ! 次は【大いなる幸いを運ぶ者】シュガーミッシューこと【稀有なる光】の【ホーリーウォーター】の出番ですよ!」
トリスタントートが力強く励ますと、ヘレナヘケトが【ホーリーウォーター】の入った木桶を騎士の膝にそっと置く。
それから守生は、騎士を怖がらせないように優しく話しかけた。
「布はそのままで構いません。手で掬った水で顔を濡らしてください。僕は布の上から、水滴を掛けます」
「はい、ありがとうございます【幸い】様」
守生はボディバッグに入れていた【ホーリーウォーター】のスプレーを取り出し、一瓶なくなるまで騎士の全身をスプレーした。症状が出ていなくとも、毒を飲んだのなら全身に回っているはずだ。オーラにもその影響が出る。それをなくそうと考えたのだ。
椅子に座った騎士の全身にスプレーする。それを三度、繰り返した。騎士の着ている服も被っている布も湿ってしまう。そのせいで変形した顔の形が少し分かり、守生はまた体を緊張させた。
「……どんな感じがしますか?」
「はい、顔の肌が少し戻っています。ところどころですが、戻っています!」
だがやはり、完全解毒には至らない。
再び木桶に【ホーリーウォーター】を用意し、定期的に顔を濡らすように指示をした。
「ただし! あくまでも顔を濡らすだけです。絶対に自分を苦しめるようなことはしないでくださいね」
木桶に顔を突っ込んで溺死されてはたまらない。この騎士は一度、自分の顔を魔法で攻撃しているのだ。
「分かりました【幸い】様。必ず守ります」
「お願いします。こちらも解毒薬を探しますので」
「ありがとうございます、【大いなる幸い】様」
三つの部屋をまわり終わると、人払いされた廊下でトリスタントートに礼を述べる。そして陶器の瓶に入れた【ホーリーウォーター】を手渡す。
「おや、早速もらって良いのですか?」
「ええ、構いません。量が必要ならいつでも言ってください。あと、【DNAアクティベーション】の施術ですが、昼食を終えてから二時間後にお越しいただけますか」
「【稀有なる光】感謝しますよ! では昼食を終えてから二時間後に!」
「はい、お待ちしています」
守生がゲストルームに戻ると、魔鳥ミーナミンが待っていた。バスケットボールほどの体をゴム毬のように弾ませて、守生の戻りを喜んでいる。部屋を守っていた騎士二名と侍女一人は、魔鳥相手にどう対応していいのか分からず困惑していたが。
「ミーナ! 朝も卵をくれたのに、また来てくれたんだね」
「待ってたの」
「そっか」
「さびしかったの」
「……僕も」
ミーナミンをハグしたまま、衝立で仕切られた寝室のベッドヘッドにもたれる。ミーナミンの羽に手を突っ込んで、そのもふもふを楽しむ。ミーナミンはその細い首を、守生の腕にそっと置き、気持ちよさそうに目を瞑る。
「疲れたよ……」
「なの?」
「うん、今まで見えてなかった物を見てきたから」
「なの」
お疲れさまと言うように、ミーナミンが細い首をスリスリと擦り付けた。剥き出しの腕がくすぐったい。
「ありがとう、ミーナ」
守生は昆虫族化した手足と、騎士が決して取ろうとしなかった頭の布を思い返す。
呪いのような恐ろしい毒だ。どうしてあんなものを平気で使えるのか。
(恐ろしいし、許せない。……でもあのツルッとして硬い感じ、どこかで見たような気がするんだよな)
守生の頭上では、天井のモザイク装飾がメタリックな輝きを放っていた。
明日は22時頃に投稿します。




