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55 ホーリーウォーター1

 翌日の午前中はダンスの稽古を休み、賢者トリスタントートと共に王城の二階にある、専属たちの共同部屋へ向かった。貴人である守生(しゅう)の部屋へ連れてくるべきだと侍女ヘレナヘケトは主張していたが。

 

 人払いされた廊下を護衛騎士たちに守られてぞろぞろと進んでいると、守生の前を黒く小さな虫が横切った。

 

「ヒィッ」

 

 守生が叫ぶと、その後ろにいたドムトートが、風魔法でそれを吹き飛ばした。駆けて行ってためらいなく踏みつぶす。

 

「ああああ……」

 

 守生が鳥肌を立てていると、トリスタントートが意外そうに話しかける。


「おや! 【希有なる光】は、ゴキ」

「言わないでください!」

「……が、嫌いなのですね!」


「虫はダメです死ぬまでに好きになる予定ですけど今じゃないです明日でもないです王城引きこもり生活で回避してたのにまさかお城の中に虫が出るなんていや夏場とか出ますよねまだ暖かいですもんね浄化魔法ってすごい! 浄化魔法サイコー! 一家に一人クリスクヌム!」

 

 壊れたように早口で話す守生を、騎士コンビがポカンとした顔で見ている。ドムトートは守生が声を上げたから始末しただけで、そうでなかったら無視していた。


「ちなみに、虫全般が駄目なのですか?」

「黒くてツヤツヤしてるのが苦手です。細い足とか触角とか! アイツを思い出すから。うううう、考えただけで気持ち悪い……。ドム、悪いけどそのサンダル早く捨ててっ!」

「エェェッ!」

「ヘレナさん、替えのサンダル持ってませんか!?」

 

 守生が鬼気迫る顔でヘレナヘケトを見ると、渋々と収納の指輪からサンダルを取り出した。今、守生が履いているものと似ているので、貴人用のものなのだろう。守生は遠慮するドムトートに履かせ、汚れたサンダルは廊下の隅に置かせた。


「帰りに持って帰っていいけど、絶対僕の部屋には入れないで! ただ洗うだけじゃダメだから! 浄化魔法してもらわない限り、絶対! 捨てて!」

「……分かりましたァ……」

 

 守生たちのやり取りを見ながら、トリスタントートはため息をついた。


「これは、先が思いやられますね!」



 毒入りワインの一人目の被害者は下男だ。彼が一番被害が軽い。トリスタントートに言われて部屋の入り口で待つ。

 守生は今までで一番落ち着きがない。足元や壁をチラチラと見ている。そんな守生にアベルアヌビスがそっと声を掛けた。

  

「シューさん、オレが抱っこしましょうか?」

「抱っこ!?」

「そしたら足元を気にしなくてすむでしょ? どこかから飛んできても、オレならすぐ反応できるし、はたき落とせるし」

 

 守生は魅力的な提案に思えた。今、守生の頭には「黒くてカサカサと動くアイツ」のことしかない。

 平常の守生であれば、一階や以前使っていた二階の部屋周辺に比べて薄汚れている壁や申し訳なさそうに縮こまっているヘレナヘケトを見て貴人が動くと仕える者が大変だ、と考えただろう。

 

(抱っこ……アベルに抱っこ……安全なのは間違いない……)

 

 フラフラした頭で頷こうとした時、ドムトートがアベルアヌビスの背中をバシンと叩く。

 

「痛っ! 何するんすか、もぉー!」

「『もー』じゃねえ! 手が使えなかったら護衛できねェだろうが! 主人を危険に晒すんじゃねェ! 隊長の言葉を忘れたのか!?」

「えー、何かあったらシューさんを抱いたまま逃げたらいいかなーって。オレ足速いし」

「逃げてる間にまた襲われたらどうすんだァ!?」

「えー、そりゃさすがに降ろしますよー」

 

「ドム、アベル」

 

 怒るドムトートとのんきなアベルアヌビスの間に守生は割って入る。

 

「喧嘩しなくていいから、護衛よろしく。敵は黒いやつだから!」

「うっ、す?」

「はいっす!」

 

 黒い虫は最悪放っておいてもいいんじゃないかと首を傾げるドムトートに対して、アベルアヌビスは素直に頷く。

 

 そんなやり取りをしていると、トリスタントートの侍従がどうぞ入室してくださいと守生たちに声をかけた。


「【大いなる幸い】様、こ、この度は賢者様をお遣わしくださり、ありがとうございます」

 

 緊張したカバ頭の下男がぎこちなく礼を述べる。ちなみに言葉遣いは、前日に守生付きの侍女が指導した。侍女頭ヘレナヘケトはあくまでも貴人優先である。

 

「いえ、こんな目に遭わせてしまって申し訳ないと思っています」

「とんでもない! 毒を入れたヤツが悪いんでさぁ! 賢者様に診察していただいた上に、高価な水薬(ポーション)をいただいて! それに休ませてもらっている間も、【幸い】様のご指示でお金がもらえると侍女様に聞きました」

「ええ、僕に割り当てられたお金の中から支払われる予定です。どうか安心して休んでください」

「ありがとうございます、ありがとうございます」

 

 下男は昆虫族化した片足をなんとか動かし、跪こうとする。それを止めて、元の椅子に座らせる。

 彼の片足は、肌の色は他の部位と変わらないが、形が節足状になっていた。

 下男の変形した足を目にした守生は、顔を引きつらせるのを堪え、無理矢理笑みを作る。

 

「私の水薬で少し症状は軽くなったようですが、完治するためには何か別の薬が必要でしょうね! まあ、私が必ず開発してみせますよ!」

「賢者様、ありがとうございます、ありがとうございます」

 

「僕からは、これを」

 

 守生は【ホーリーウォーター】の入った取っ手付きの細い陶器の瓶を、ヘレナヘケトを介して下男に渡す。

 

「気休めかもしれませんが、気持ちが落ち込んだ時にたらいに少し出して、手でこうやって全身に……」


 守生は片手を丸め、に陶器の瓶から水を少し垂らす。もう片方の手の先を濡らしてピャッと弾くと、飛沫が飛ぶ。

 ピャッピャッピャッと何度も下男の体のまわりに飛沫を掛ける。

 

「あなた、まだ隠し玉を持っていたんですね……」

「隠し玉、ですか?」

 

「【幸い】様! 【大いなる幸い】様! どうか、この足にもっと掛けてください!」

「あ、はい」

 

 ピャッピャッピャッ。

 

「おお……」

「【稀有なる光】! その水、直接肌に塗っては駄目なんですか? 威力が強すぎるとか?」

「は? 強すぎる? いや、別にいいと思いますけど」

 

「【大いなる幸い】様! 飲むのはどうでしょうか!?」

「いやー、それはちょっと……」

「そうですか……そうですよね、高価なものでしょうし。変なこと言ってすいやせん」

「いや、あの、値段とかじゃなくて、飲むものではないんですよ。衛生的にもちょっと微妙だし」

「【稀有なる光】! 見てください! 足が!」

 

 あまり見たくなかったが、守生は薄目を開けて下男の足を見る。それからじっくりと足を観察する。ツルリと硬い部分の中に、所々、筋肉質の肌の部分ができている。

 

「あれ? ちょっとだけ戻りました? まだらになってますよね」

「すごいことですよ、肌が戻ってきている! 私の水薬では毒の効果を弱めるので精いっぱいだったのに!」

 

 それも充分すごいと守生は思ったが、今は褒め合っている場合ではない。守生はすぐさまヘレナヘケトに声を掛けた。

 

「ヘレナさん、バケツってありますか? なるべく深い物の方が良いんですが」

「こちらはいかがでしょうか?」

 

 ヘレナヘケトが収納の指輪から(かめ)を取り出す。男のひざまで入るほど大きく、口も広く作られている。上部は寸胴で下部はぽってりと丸みを帯びた形をしている。本来は水やワインを貯蔵するためのもので、ヘレナヘケトが有事の際に魔法が使えない守生に必要かと思って準備していたものだ。

 

「ヘレナさん、ありがとうございます! ドム、水をお願い」

「分かりましたァ!」

 

 ドムトートの水魔法で水を八分目まで入れてもらうと、守生は防音の魔道具を取り出し、周囲を無音にした。それから甕の水を【ホーリーウォーター】へと変容させる。魔道具をボディバッグに片付けてから、水の入った大きな甕を下男の前に押しやろうとすると、アベルアヌビスがひょいと持ち上げた。

 

「アベル、すごいね……」

「身体強化の魔法ですよぉ」

 

 にこにこしたアベルアヌビスが下男の足元に甕を置く。下男は恐縮しつつも、アベルアヌビスへの好感度を上げる。

 

「じゃあ、これに足を浸してみてください」

「そ、そんな畏れ多いことです……。こんな豪華な器に、俺の汚い足を入れるなんて……」

 

 足は治したいが畏れ多いと困惑する下男に痺れを切らしたのは賢者だった。

 

「いいから早く言われた通りにしてください! あなたは今! 素晴らしい瞬間に立ち会っているのですよ!」

 

 

守生は遠くからコオロギの音色を楽しむことはできますが、自分で飼うのは無理です。足の動きをじっと見てるだけでゾワゾワするタイプです。

 

明日も夜に更新します。

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― 新着の感想 ―
[一言] 虫化は毒と思われてたけど実は呪いの様な物だったのかな? 何にせよ治るのは良い事ですね しかしGは何処にでもいるんだな…
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