37 侍女頭ヘレナヘケトの密告
「しゃべる壺ですかァ?」
「うん。こういうのってここでは普通なのかな?」
「オレ、壺がしゃべるなんて初めて聞きましたっ!」
ドムトートが首を傾げて答え、アベルアヌビスも初耳だと言う。
王女エリスイシスから「落ち込んでいる守生の心を慰めるために」貸し出された黒い壺。その壺に描かれている女性は会話ができる。そのことはやはり、この世界でも特別なことらしい。
ちなみに今は、行儀作法の途中の休憩時間だ。守生はお稽古トリオを念のために一旦下がらせ、守生は防音の魔道具を起動させた。
王女から借りた壺のことを相談するのに、国王と対立しているハピ兄弟から贈られた奴隷はいない方がいいと思ったのだ。何かあった時に彼らを疑いたくもないし、彼らが利用されるのも嫌だった。
「だよねぇ。ヘレナさんは何か知っていますか?」
「いえ、わたくしは存じません。ただ姫殿下がその壺を身辺に置き始めてから淑女として大いに成長なさったことは確かです」
「へー。家庭教師の壺、か」
「それとその壺は元々、王城の宝物庫にあったものを先代のパウルプタハ国王陛下がご自身の部屋に飾られるようになったと聞き及んでおります」
「なるほど。マリア隊長さんから聞いた情報と一致します」
「これって魔道具なんですかねー?」
アベルアヌビスがそう言うと、すぐにヘレナヘケトに睨まれた。
「まっ、魔道具なんですか? ね?」
「これは魔道具なのでしょうか、です!」
「うー! 難しいっすー! オレには無理っすー!」
それまでがんばっていたアベルアヌビスの口調が乱れる。守生は微笑ましい気持ちになった。ドムトートもそうだが、ですます調でしゃべる騎士コンビに違和感があるのだ。
だが礼儀作法を身につけることは騎士コンビのためになる。守生が帰還したあとも二人やアリーアヌビスが困らないようにと思ってのことだったが。
「まぁまぁ、ヘレナさん。習慣化させるのって時間がかかるものじゃないですか。気長にいきましょう」
「はい、シュー様」
「シューさぁん! ありがとうございますっすー!」
情けない声で礼を言うアベルアヌビスを、ドムトートが舌打ちして見ている。弟分が目上の者に甘える癖があるのを正したいのだが、主人の前で罰するべきではないという考えが身に付いた結果だ。
だが彼もまた、このあとヘレナヘケトに「主人の前での舌打ち禁止」を言い渡されることになる。
◆
「えーと、アイシャアイシスさん?」
守生はベッドに座り、チェストに置いた壺に向かって話しかける。もちろん衝立と防音の魔道具を使っている。
『ええ、そうですわ』
「えーと、元女王様だったんですか?」
『……その話はしたくありませんわ』
「あ、すみません!」
憂い顔を見せるアイシャアイシスに、守生は慌てて謝った。
黒地に赤い線と赤い部分だけで表現されている壺の絵だが、タッチが細かくて些細な顔の表情もよく分かる。生前はさぞ美人だったのだろうと思われた。
『シュー様はお兄様とお会いになったのでしょう?』
「……お兄様って、サイラスオサイリスですか?」
『ええ!』
「会いましたけど……」
(うーん、どういうことだ? 壺の中の人が生きてた時代と、サイラスオサイリスの年齢が合わないんだけど……。サイラスも不老なのか? トリスタンさんみたいに?)
「あの、アイシャさん。トリスタントートさんはご存知ですか?」
「ええ。昨日のお茶会にも参加していましたね」
「そうですね。あの時もずっと話を聞いていらしたんですか?」
「ええ。いつもそうですわ。だってそれしかできませんもの」
おほほ、とアイシャアイシスが笑う。壺に盗聴行為だとかプライバシーの侵害だとか言うのも変だが、守生は微妙な気持ちになった。だってこの人には人格があるのだ。
「あの、失礼ですが、あなたは魔道具なんですか?」
「そうですわね。体を持って生きたあと、人格だけをこの壺に定着してもらったのですわ」
「……どなたに?」
「とある賢者に」
「その人、トリスタントートって名前だったりします?」
「さぁ、どうかしら。なにぶん昔のことですから、すっかり忘れてしまいましたわ」
「ソウデスカー」
結局何も分からないままの守生に、アイシャアイシスは少し困った顔を見せた。
「ごめんなさいね。お詫びにおとぎ話をひとつさせていただきますわ」
「おとぎ話?」
「ええ。子どもが眠る前に聞くような、他愛のないお話ですから、シュー様も横になってお聞きくださいな」
「分かりました」
守生はごろんとベッドに横になった。帰還できないことに落ち込み、不貞腐れて引きこもっていた時よりも、多少は気が紛れている。
(エリス姫はこれを狙って、大事な秘密の壺を貸し出してくれたのかな)
『それでは……。昔々ある所に、王子と姫がおりました……』
昔々ある所に、王子と姫がおりました。
兄妹には二人の従兄弟がいて、兄のほうとは気が合いませんでしたが、下の従兄弟とは親しくしておりました。
もちろん彼らは羽持ちですよ。王族ですからね。
兄王子は溌剌として魔力も高く、妹姫は少し気弱な少女でした。下の従兄弟は妹姫と同じ年ですのにとても賢い少年でした。
しかし、王子と下の従兄弟を気に食わない人たちがいました。
王子の父親と、上の従兄弟です。自分たちの思い通りにならない、将来有望な少年だという理由でした。
彼らは手を結び、王子と下の従兄弟を【不吉の山】へ誘い出します。
妹姫が危ないと言われれば、二人は行かないわけにはいきませんから。
その山の洞窟で、王子と従兄弟は妹姫を救い出します。
そしてそこで、奴隷商人から逃げてきた二人の年若いお姉さんに出会います。
そして、クソムシ……いえ、昆虫族の男性にも。
その時、洞窟の中に仕掛けられていた魔法陣が、彼らの魔力に反応し、光りだします。
王子はすぐに妹姫を魔法陣の外へ突き飛ばしますが、王子は呪いにかかってしまいます。
王子と、従兄弟と、奴隷の少女二人と、昆虫族の男。
彼ら五人は、一人となりました。
そして彼らは元いた場所に帰ることもできず、世界を彷徨うのでした。長い長い時間を。
『いかがでしたか? シュー様……あら、眠ってしまわれたのね』
◆
ヘレナヘケトに肩を揺すぶられ、守生は昼寝から目覚めた。すでに窓の外は夕暮れだ。
部屋には夕飯の温かでいい香りがかすかに漂っている。
「眠っちゃっていましたね、僕。ヘレナさん、起こしてくださってありがとうございます」
「いえ、お声がけしても聞こえないようでしたので。昨夜はあまり寝付けなかったようですし、ようございました」
「ああ、確かに」
守生が防音の魔道具を消そうとすると、ヘレナヘケトから制止がかかった。
「お待ちください」
「どうしました?」
ヘレナヘケトの表情が硬い。無表情のカエル顔であることが多いので分かりにくいが、いつもと雰囲気が違う。
ヘレナヘケトが跪いた。以前守生が禁止してから、一度もなかったことだった。
「恐れながら申し上げます。今後はわたくしにシュー様の私物をお渡しくださいませんよう、お願いいたします」
「え? 渡さないでってことですか? 渡して、じゃなくて?」
「左様でございます」
ヘレナヘケトが跪いたまま、頭を下げる。断罪を待つかのように。
(王様が絡んでるよなぁ、コレ)
「分かりました」
「ありがとうございます、シュー様」
「でもどうして告白してくれたんですか?」
ヘレナヘケトは守生専属の筆頭侍女だが、元々は国王専属の侍女だ。守生の方へ寝返ったわけではないだろう。彼女にとってはギリギリ許容できる範囲で忠告してくれたのだ。国王が守生の私物を盗む可能性がある、と。
「それは……」
「それは?」
「わたくしは、ドムトートたちに主従の心得を伝授しておりますので」
(あー、ヘレナさんが下手をしたら、生徒に悪影響を及ぼすのを恐れたのか。うーん、棚からぼたもち。いや、先生の鑑だね)
魔道具をオフにすると、衝立の向こう側で配膳をする音が聞こえてきた。侍女たちがささやくようにやり取りする声も。
守生は今のうちに、ベッド脇に置いてあるキャリーケースを開いた。キャリーケースとボディバッグの中身を仕分け、絶対になくしたくないものをボディバッグに入れる。
ヒーリング用の二本の小杖。これは革布と革紐で包んだクリスタルワンドと金属製のワンドだ。
布で包んだ魔除のアミュレット
それから絹布で包んだタロットカードのデッキは、ビニール袋に入れてからバッグへ仕舞った。
ボディバッグは合成皮革なので、水を弾くが熱には弱い。浴場では冷水浴室に置いて、あとは耳のいいアベルアヌビスに侵入者の物音を警戒してもらえばいいだろう。
財布やスマートフォンはキャリーケースだ。帰還できない今となっては、最悪盗まれてもいい物だった。
「シュー様、収納の魔道具をお使いになりますか?」
ヘレナヘケトが羊皮紙型の収納の魔道具を、指輪から取り出す。
「いいんですか?」
「はい。本当は指輪をお貸しできればいいのですが」
「いつも付けているものがなかったら、怪しまれますもんね」
「……申し訳ございません」
守生はキャリーケースを閉めると、羊皮紙を翳した。羊皮紙が発光し、すぐに文字が浮かび上がる。
守生には読めない言葉だが、見覚えがある。先日習ったアテナイス王国の文字だ。
「お読みいたしましょうか?」
「いや、でもこれすごく長いですよ! 入れたのはキャリーケースひとつなのに!」
「きゃりーけーすの中身もすべて記述されております。ただ識別できないものが多いので、外見の説明が長くなってしまったのでしょう。『オリーブ色の車輪付き収納箱』のように」
「あ、そうか。商人御用達の一品でしたね。で、取り出す時はどうするんですか?」
「羊皮紙を広げた状態で必要な物の名前を言うか、触れると取り出せます。今回の場合は『すべてのものを元のままに』ですね」
守生が言われた通りに羊皮紙を広げて、言った。
「すべてのものを元のままに」
羊皮紙の文字がすべて消え、代わりにキャリーケースが床の上に現れた。
「おおっ! これぞ魔法!」
守生は思わず、はしゃいだ声を上げた。
キャリーケースを開けてみると、守生が入れた通りに入っている。失くなった物はない。
同じ手順でキャリーケースを羊皮紙に収納し、羊皮紙は丸めてボディバッグに仕舞った。魔道具の波動が気になるかと思ったが、筒状に丸めた羊皮紙は魔力を発動しないようだった。
「これでよし。じゃあ、夕飯をいただきましょうか」
次回「毒と皿」。




