1 召喚とキャリーケース
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九月、秋分の日の午後。
菅見守生は、特急列車のシートにもたれて口元を緩めた。一泊二日の出張で、クライアントたちにタロットカードを使った占術とヒーリングを提供した帰りだった。
(昨日今日と、いい施術ができてよかったなぁ)
守生がクライアントたちの顔を思い出しながら、感激を何度も噛みしめニヤついていると、列車が大きく揺れた。
「危なっ!」
守生は足元に立てておいたキャリーケースを慌てて掴む。このダークオリーブ色のキャリーケースには、大事な仕事道具が入っているのだ。
次の瞬間、守生は白い光に包まれ、まばゆい光に目がくらむ。
何かをくぐり抜けた感覚の後、列車のシートに座っていた守生は、派手に転んだ。突然、前後の座席がなくなったせいだ。
「痛ててて……。うわっ、アリ! 虫!」
慌てて立ち上がると、列車自体が消えている。線路すらない。
あるのは守生の体と着ている衣服、ボディバッグ、そしてとっさに掴んだいたキャリーケースだけだ。窓から見えていた緑あふれる山々もない。
辺りを見渡せば岩だらけの丘と、遠くに森と山が見えた。乾いた風が、守生の頬を撫でるように吹いている。
「どういうことだ?」
思わず声を出したが、聞いている人はいない。他の乗客はどうなったのか。始発駅だったから数は少なかったが、同じ車両に数人乗っていたはずなのに。
舗装されていない原っぱを進んでみる。少し先に見える丘の上なら、多少見晴らしがいいだろうと思ったのだ。キャリーケースはSサイズなので、引っ張ってキャスターを傷めるよりも持ち上げた方が楽だった。
(人工物が、何もない……)
丘に登って見渡せば、遠くの山の手前に森と川が見えたが、町はない。人も見えないし、もちろん線路もない。そして、森の様子が日本ではない気がするのだ。風も乾いていて、湿度は低そうだった。
その場で戸惑っていると、複数の男の声がした。何かを追い立てているような勢いのある声と、ドドドドドという地響きが一緒に聞こえる。
見れば、巨大なウシが森の端をぐるりと回ってやってくる。
すごいスピードだ。しかも大きい。まだ距離があるのに、はっきりと見える。フォルムはウシなのに、ワニのような硬そうな鱗で覆われているようだった。
そしてそれを、男性二人が大きめの刃物を振りながら追いかけている。
「ドンニィゾーメィ」
至近距離で声がして、守生は驚いた。
キャリーケースを奪われる。
そして、ダークオリーブ色のそれを抱えた男が、ウシの怪物へ向かって滑空していく。
男の背中には羽があった。茶色と金色の美しいグラデーションだ。
「ど、泥棒ぉー!」
叫ぶ守生を振り返ることなく、男は大きく羽を動かして、一直線にウシの怪物へと向っていく。
そして守生の大事なキャリーケースを放り投げた。
それはきれいな放物線を描き、ウシの怪物の頭にヒットする。
「ああああああああぁー!」
守生は絶叫した。あの中には、仕事道具がぎっしり入っているのだ。金属のカップや水晶などの鉱石、自作のマル秘ノートも入っているから、かなり重い。緩衝材として着替えを詰めてはいるが、壊れたかもしれない。
列車が消えたことより、ウシの怪物を見たことより、こちらの方がショックだった。
守生が駆け付けた時には、ウシの怪物は羽男とその部下らしき男二人に止めを刺されていた
あたりには土煙の名残と、血の臭いが漂っている。
死骸は、羽男の指示で川のほうへ運ばれて行く。ウシの怪物が大きすぎて、男たちの後ろ姿がすっぽり隠れるほどだ。持ち上げられるのが不思議なくらいだが、守生にそれを疑問に思う余裕はない。
(おえっぷ……)
守生は血の臭いに息を止めた。キャリーケースを持ってその場から離れる。距離を取ってからキャリーケースを開く。被害状況の確認のためだ。
一番大切な水晶のついたワンド(小杖)が無事で、守生は大いに安堵した。
しかし、ヒマラヤ岩塩でできた手のひらサイズのピラミッドが割れている。ヒーリングに直接使うわけではなく、ヒーリングをし易くするための道具のひとつだ。だが幸いなことに替えが利くものだった。
クライアントからお土産にもらった梨もつぶれていたが、ビニール袋に入れていたので他のものを濡らしてはいない。梨は今日中に食べれば問題ないと判断する。
その間、羽男は離れた位置から守生の様子をじっと観察していた。
男は黒いズボンと、襟元をひもで留めた明るいベージュのシャツを着ている。男の羽は茶色く、先のほうにいくほど金色になっている。
髪もひげも明るい茶色で、切れ長の瞳は琥珀色、まつげは長い。端正な顔立ちで、細身だが筋肉はしっかりついている。ひげと態度のせいで、ワイルドな色気のある男だった。
「ペペラズメィノーゥス?」
羽男は、守生が一通り確認し終えると、おもむろに話しかけてきた。口調から、謝罪ではないとなんとなく分かった。おそらく気が済んだかどうかの確認だろう。
守生はギロリと男を睨みつけた。被害が少なかったからと言って、荷物を奪われた挙句に放り投げるなんて、許されることではない。ウシの怪物に襲われていたならともかく、怪物を追い立てていたのは、羽根男の仲間なのだ。
「どういう、つもりですか?」
守生は割れた岩塩の塊を握ったまま、静かに低い声で尋ねた。
男は守生の持つ割れた石をちらりと見る。
「イネィッスィ、イネィッスィ」
その軽い調子は、言葉が通じなくても充分に理解できた。こいつは謝罪する気持ちがないのだ、と。
守生は黙って男を睨みつけてから、割れたピラミッド型のヒマラヤ岩塩をビニール袋に入れて片付ける。それからキャリーケースにしっかりと鍵をかけ、それを抱えて森とは反対側に向かって歩きだした。
(ここがどこかは知らないけど! 海外でスリに遭ったようなもん!)
幸い、荷物は戻って来た。ならばこれ以上犯人と関わり合いにならないよう、離れるべきだと思ったのだ。
「イセイ、カラスピゥスィース?」
羽男が後ろから呼びかけてくる。
守生は無視した。「威勢」も「カラス」もどうでも良く、会話する気になれない。
「イポン、イセカイイリッスィース?」
「イボン、異世界?」
日本語でそう聞こえたが、そんなわけがないとすぐに否定する。
だが振り返えれば、羽男がこちらを向いて立っている。羽のついた人間なんて、地球にはいないだろう。
(もし人外の存在がいたとしても、人間に擬態したり、見えない次元に住んでいたりするのが定番だよなぁ)
羽、翼と言えば天使だが、守生はヒーラーという職業柄、天使の波動に触れることもある。
(でもなぁ、天使の波動ってめちゃくちゃ精妙で厳しい感じなんだよな。こんなに生々しくてガラの悪い天使なんて知らないし。幻ってわけでもなさそうだし)
怒りは残っているが、だんだんと自分の置かれた状況のほうが気になって来る。守生が苦笑したのを馬鹿にされたと思ったのか、今度は羽男の目つきが鋭くなった。
「えーと、あなたは誰? ここはどこ? 地球じゃないのかな?」
簡単な英語も使ってみたがやはり伝わらない。羽男はガリガリと頭を掻いた。
怒っていたのは守生の方だが、すっかり立場が逆転してしまった。
(僕の方が困ってるんだけどな)
目の前の男は、守生の足元を数回指さした。
「ここで待てってこと?」
守生はキャリーケースを一番長い辺を寝かせて立て、それを椅子代わりに軽く腰掛ける。あくまでポーズだ。大事な仕事道具入れに、体重は載せない。
守生の様子に満足した男は、羽を大きく広げて木立の上を飛んでいった。
せっかく一人になったので、守生なりに状況を確認することにした。場所も気になるが、翼を持つ男や大きな怪物がいることを考えても、ここが守生の知る地球でないのは確かだ。
ヴェールの向こう側の、妖精やエルフが住むと言われる次元に迷いこんだのだろうか、と考える。それとも、守生が住む世界から分岐し、それに並行して存在する別の世界に来てしまったのだろうか。
(何にせよ、ここが別の「地球」なら……。いや、そうであってくれ!)
ここが別次元の、パラレル地球やパラレル宇宙なら、守生にもチャンスはある。
守生が今まで受けてきたイニシエーション(通過儀礼)の加護がここでも通じる可能性があるからだ。
守生はヒーラーで、ライトワーカーだ。地元だろうが出張先だろうが外国だろうが場所は関係ない。
やることはひとつだ。
何者にも囚われない、自分の本質が目覚める感動を、他の人にも伝えたい。そう思ってヒーラーになり、今までやってきた。
それさえできれば、どこでだって生きていけると思っている。日々生活するだけのサバイバルで終わるのではなく、より良く生きる、アライヴのための行動。それが守生の信条だ。
まず、それができるのか確かめなくてはならない。
守生はゆっくりと深呼吸して、体の力を抜く。それから空と大地との繋がりを感じながら、ゆっくりと腕を動かす。目の前の空間を神聖な場所、ヒーリングや瞑想ができる場にするための、ごく簡単でパワフルな儀式だ。
そしてゆっくりと丁寧な所作で、その空間に入る。次に天から光を呼び込み、自分のすぐ近くに防御の陣を張る。するとそれは内面にも作用し、残っていた怒りや焦り、不安な気持ちがなくなり、思考が冴えるのを守生は感じた。
(さて、待ってる間に瞑想でもしようかな。無防備すぎるか?)
守生がそう考えていると、聞き覚えのある羽ばたきが聞こえた。さっきの羽男が戻ってきたのだろう。
守生はすみやかにお辞儀をして、神聖な空間から出る。神聖な空間と言っても、見えるわけではないから、ただの草の生えた地面だ。
ヒーリングサロンに来た非常に敏感なクライアントは心地よさを感じたり見たりできていたようだが、普通は気づかないはずだった。
守生はキャリーケースのそばへ戻り、空を見上げて羽男に手を振った。
「なんっだこりゃ! お前、何をしたんだ?」
羽男は着地せず、守生が神聖化した場所のまわりをくるりと飛ぶ。その範囲の正確さと、意思疎通できたことに、守生は二重で驚いた。
「言葉がわかる!」
「そりゃ良かったな。で? 何をしたんだ?」
「えーと、空間のパワースポット化?」
「力の、光の、場所?」
男が片言のように話し、首を傾げた。ちょっとした仕草も様になっている。
「何のために?」
「テスト。ここでもちゃんとできるのか確認したくて」
「ふーん? まあ、そういう力のある召喚者ってことか」
羽男は勝手に納得すると、ようやく地面に足を着けた。
「召喚者? それより、どうして言葉が分かるようになったんだ?」
「ああ、これだ」
男が、持っていたものを守生に差し出す。薄緑色をした石のペンダントだ。金属らしきひもでざっくりと編んで石を包み、首に掛けられるようにしてある。守生は受け取りかけたが、その強い波動を感じて思わず手を引いた。
ペンダントが、地面に落ちる。
「セッティース!」
男が怒鳴った。また言葉が分からなくなったので、このペンダントは通訳器のようなものなのだろう。
守生は観念してそれを拾い、身に着けた。強い波動が気になるが、そのうち慣れるだろう。
守生が普段から身に着けている銀製のペンダントと二連になった。鎖骨の下あたりに通訳器が、胸元に銀製のペンダントが当たっている。どちらも五百円玉ほどの大きさだ。
「ったく、手間かけさせんな。一個しかねぇんだから大事に扱え」
「うん、ありがとう」
守生は素直に礼を言った。光を呼び込んで自分を満たしたおかげで、気持ちは完全に落ち着いている。
「で? お前の名前は?」
「菅見守生だよ。すがみ、しゅう」
「シュガーミッシュー?」
「ええと、シューでいいよ。スガミっていうのは家名だから」
男は頷いた。
「俺は、サイラス。サイラスオサイリスだ。家名はない」
「オサイリス? じゃあ、妹さんはアイシスさんかな」
「なんで知ってる!?」
息が詰まった。胸倉を掴まれている。サイラスオサイリスの目の色変わっている。比喩的な表現ではなく、片目だけが突然赤くなったのだ。
眼の色と、男の警戒する様子に、守生は慌てた。半分冗談だったが、本当に妹がいるようだ。
「えっ!? えーと、僕が住んでいる星の、外国だけど、オサイリスとアイシスって兄妹の神様がいるんだよ。力の強い四人兄妹で、それぞれ兄と妹が夫婦だったって言われてる」
「神?」
「神話として知られてるんだ。古代エジプト神話。オシリスとイシスって呼び方もある」
「ふーん。ま、神とか管理者とかどうでもいいけどな」
そう言ってサイラスオサイリスは、守生の服から手を放した。
日本人でも無神論者や無宗教者は多い。ただ、ヒーリングや見えない次元について学ぶようになって、超自然的存在は確かにいるのだと納得していた。そうでないと理解できないことを、実際にいくつか経験したからだ。
サイラスオサイリスの目は、赤から元の琥珀色に戻っている。
(さて、何から聞こうかな……ありすぎて困る)
その時、足音と共に男性たちの声がした。
「カシラァー! 獲物の下処理、終わりました!」
「お頭! お待たせしやした」
彼らを見て、守生は仰天した。先ほどは怪物とキャリーケースしか見ていなかったが、おそらく先ほどウシの怪物を追い立てていた男性たちなのだろう。
だが頭部が、サイとウシなのだ。イメージとしては格安量販店で売っている動物のマスクを被ったかのようだが、体の色もサイとウシに近い。サイ男の肌は見るからに硬そうだった。
サイラスオサイリスと同じように黒いズボン姿で、上半身は裸だ。大きな刃物と小ぶりの革袋を持っている。頭部のことを気にしなければ、山歩きと狩りに慣れた人間だろう。狩人を見たことはないが。
(先にサイラスに出会えたのはラッキーだったのかも……)
キャリーケースをぶん投げられた件はともかく、通訳のペンダントを貸してもらえた。そして何より、羽が生えていること以外は地球人と同じに見える。ハリウッド俳優だと言われても納得できる美貌だが。
「おう、ご苦労さん。んじゃ、行くぞ」
サイラスオサイリスの言葉に、守生を気にしつつ部下たちが従う。
守生は三人に付いて行くか一瞬迷った。だが借りたペンダントのこともある。それに、危害を加えるつもりならもうやっているだろう。守生はダークオリーブ色のキャリーケースを持ち上げて、あとに続いた。
◆ サイラスオサイリスの異世界言語
守生のキャリーケースを奪って「ドンニィゾーメィ(借りるぞ)」
キャリーケースの破損を確認する守生に「ペペラズメィノゥス?(終わったか?)」
文句を言う守生に「イネィッスィ、イネィッスィ(分かった、分かった)」
「イセイ、カラスピウスィース?(お前、召喚者なのか?)」
「イポン、イセカイイリッスィース?(やっぱり召喚者なんだな?)」
通訳のペンダントを落とした守生に「セッティース!」(お前!)