第90話 アウルム子爵
隣町にたどり着いたわたしは、まず一直線にこの街最大のホテルへと向かった。
無駄に凝った装飾が目をチカチカさせる、わたしやノア様の趣味には合わないところだったが、ここに訪ねるべき対象がいるのだから仕方がない。
「失礼、少しお尋ねしてもよろしいでしょうか」
「はい、なんでしょうか………?」
しかしスタッフはプロのようで、わたしの黒髪を見ても少し表情を強張らせたがしっかり応対してきた。
「ここに宿泊している、アウルム子爵の部屋を教えていただきたいのですが」
「申し訳ございません、お客様の安全を保障するため、そのようなご質問には答えられないことになっております」
「なるほど、そうでしたか。ではここで待っていますので、取り次いで頂けないでしょうか。『クロが来た』と言えばわかりますので」
「は、はあ」
怪訝そうな顔をしたが、すぐに近くの従業員を呼び止め、話を通してもらいに行った。
すると僅か五分後、その従業員が慌てたように走ってきた。
「お、お待たせいたしました、すぐにお通しするようにと………!こちらでございます」
こちらを遠目から訝し気にみていた他のスタッフは驚愕の表情でわたしを見ていた。
黒髪が貴族に呼ばれるなどどんな状況なのかと頭を悩ませているんだろうけど、わたしには関係ないので、無視して案内人について行く。
最上階の一部屋の前で「こちらです」と一言残し、案内人は慌てて戻っていった。
一応の礼儀として、部屋の扉をノックする。
「失礼します、アウルム子爵。クロです」
「あ、開いておりますぞ」
扉を開けると、そこには用心棒らしき男とアウルム子爵がいた。
他の人は出払っているらしい。
「お変わりないようですね子爵、何よりです。早速ですが―――」
「無礼者!黒髪ごときが子爵に対して頭も下げぬとは何事か!」
早々に近くに宿を取りたいので手短に済ませようと思ったのに、いきなり謎なことを言い始めたのは用心棒である。
「ティアライト伯爵家の使いとはいえ、庶民、しかも劣等髪が子爵に対しそこまで愚かな―――」
「愚かなのは貴様だ、馬鹿者おおおお!」
「ぎゃぶあ!?」
なにやら語り始めた用心棒を、なんと子爵が手ずからぶん殴った。
真っ青な顔をした子爵は、訳が分からないという感じで子爵を見上げる用心棒の頭を勢いよく地面にぶつけ、自分自身も土下座の体制に移行した。
「ももも、申し訳ないクロ殿!この者、腕は立つのですが何分当家で雇ってから日が浅く!このようなことは二度とないように致しますので、どうか温情をば!」
子爵はブルブル震えながら頭を下げ続けている。
アウルム子爵は元々、とある商会と密かに内通し、庶民に大規模な詐欺を行って私腹を肥やし、しかもそれをしっかり証拠隠滅した小物悪党だった。
それをステアに会った時に暴露されたのだが、この男、あろうことかステアを口封じのために暗殺者を雇って殺そうとしたのである。
まあ、その『暗殺者を雇う』という思考をステアに先読みされ、わたしが事前にその暗殺者を殺してその首を子爵の元に届けてあげたことで防いだのだが、それがすっかりトラウマになってしまったようで今はこうしてわたしたちの犬として今まで働いてくれていた。
まあ、それも今日までなんだけど。
「構いませんよ、わたし個人に対しての発言であればいくらでも。ふむ、たしかに子爵は貴族です、対してわたしはノア様の側近とはいえ一般庶民。もう少し敬うべきでしょうか?」
「は、ははは、ご冗談を!私などクロ殿やステア殿、ノアマリー様に比べれば羽虫のようなものでございますれば、敬う必要など!」
「そうですか、それなら今まで通り接しますね。ああ、それと、そこの用心棒の方」
「な、なんだ………なんですか?」
「わたしに対しての暴言などはいくらでも言っていいですが。わたしの主について一言でも侮辱を行えば、即殺しますのでそのつもりで」
「なっ!き、貴様………」
「貴様とは何事か馬鹿者!今度この方を軽く見るような発言をすれば、私がお前を殺すぞ!」
「は!?か、かしこまりました………」
用心棒は困惑しているようだけど、アウルム子爵は鬼気迫る勢いだ。
わたし、あの時そんなに怖かっただろうか。
「ささっ、クロ殿どうぞこちらへ!お飲み物などもご用意しております!」
「いえ結構です、すぐに帰りますから。それよりも子爵、あなたに依頼があって来たんです」
「なんなりと!」
「明日、あなたにノア様が招集させた、帝国に情報を売り渡している売国奴共の集まりがありますね」
「ははーーーっ!ノアマリー様のお言いつけ通り、簡単な情報を帝国に渡して内通し、あの者たちとのコネクションを繋げました!明日、帝国に完全につくか否かの相談という名目で、この街の大図書館を貸し切り、会議を開く予定にございます!」
「その連中のリストは」
「こちらに!」
わたしは子爵から数枚の紙を受け取り、パラパラとそれを見て、
「あの御方があなたに送った内通者はもう少し数がいたはずですが」
「申し訳ございませんっ!やはりどうしても、私程度の招集には応じない傲慢な輩や、個人で動くことを望む連中などがおりまして!そ、それでもあの御方よりいただいたリストの七割ほどは………」
「いえ、責めているわけではありません。むしろよくここまでやってくださいましたね、ノア様も満足しておられました」
「光栄でございます!!」
かつては申し訳程度にあった貴族の威厳すらすっかり消え失せた子爵は、もうわたしの足を舐める勢いで地面に額をこすりつけている。
用心棒の男は訳が分からずにその場で立ち尽くしているが、わたしは別にどうでもいいので子爵に視線を戻す。
「時間は正午ですか。では子爵、その会議はわたしも同席させていただきます」
「え!?あ、いや、そのぅ………決して、そう決して!クロ殿を侮辱する意図はないのですが、クロ殿のその黒髪はあの連中に舐められる原因となりかねないのですが………」
「分かっています。安心してください、姿を消していきますし、それに彼らがあなたを舐めることはありません。権謀術数のことごとくを見破るステアではなく、わたしがここに送られた理由を考えてください」
子爵はただでさえ青かった顔をさらに蒼白にして、
「ま、まさか、あの者たちを、全員………?」
「それが我が主の命令ですので。明日はよろしくお願いします」
これで良し。
会議の場所までは分からなかったのでアウルム子爵の元に来なければならなかったが、これで必要な情報はすべて引き出せた。
あとは明日、大図書館に集まった貴族とその付き人、用心棒、それに準じる目撃者を全員皆殺しにすればいい。
もう利用価値が薄くなった、アウルム子爵も含めて。
「ではわたしはこれで。大丈夫です、ノア様があなたを不要と判断しない限り、あなたを殺しはしませんよ」
「あ、ありがとうございます!!」
実際はすでに不要と判断されているのだが、こう言っておけば滅多なことを企んだりはしないだろう。
わたしは部屋を出て、一度伸びをした。
そういえばこの街には美味しいホットケーキのお店があるとステアが言っていたような。暇も出来たし、ちょっと行ってみよう。
味を覚えてあの子に作ってあげるか。