第77話 超人
「うう………ついに、ついにもうすぐお嬢様に会えるんですわねっ!この数日間、クロさんとばかり顔を突き合わせて、もう気が変になってしまいそうで」
「喧嘩売ってます?あと、ここから徒歩で帰るんですから、あなたの体力を考えればあと四日は会えないと思いますが」
「お前は毒とか薬を作れんだろ?疲労を瞬時に回復する薬とか作れねえのかよ?」
「何言ってますの?そんな便利なものが配合できるわけがないでしょう」
ズンと沈んだオトハにルシアスが質問を投げかけたが、こればかりはオトハでも無理だ。
オトハの毒劇魔法は強力だが、存在しない成分を作り出すことはできないという弱点がある。
その成分を強化して弱毒を強毒に変えることはできるが、それもあくまで化学の範疇。
毒劇魔法は希少魔法の中でも異質、魔法なのに科学の領域を出ることが出来ないという、小さな矛盾を抱えた魔法だ。
「常時疲労が回復するようになる薬なんて、この世に存在しませんわ。ドーピングで体を強化することはできますけれど」
「あれは効果が短いうえに、後から疲労感がやってくるでしょう。やめておきなさい」
クアドラブルに直結する山道に差し掛かり、わたしは荷物を抱える手を強めた。
ここからまた四日間、この山道を行かないといけないのは憂鬱だが、仕方がない。
わたしはため息をつきながらも、とりあえず進もうと―――。
「なあ、四日もかけるのか?」
「わたしだけなら二日半あれば多分着きますけど、如何せんこっちには体力ポンコツのオトハがいるもので。ノア様への愛の力で覚醒とかすればいいんですけど」
「ゼハー、ゼハー………」
しなかった。
一つ目の山の頂上に来ただけでこれだ。
「もう一つ登れれば今日は上々ってところでしょうか」
「なあ」
「はい、なんでしょうか?」
「お前らって、セクハラセクハラうるさい方か?」
「は?それはまあ、故意にふしだらを働くような輩は死ねばいいと思いますが」
「お嬢様にセクハラされるなら大歓迎ですわ。それ以外は死滅すればいいと思います」
「あっそ、じゃあいいや」
「なんですか?まさかしようと思ったんですか?」
「いや、そうじゃなくてな。俺がお前ら二人を抱えて行った方が早いだろうと思ったんだが」
なるほど、つまりそれで抱えられるのがセクハラに該当するのか、と。
「それくらいならわたしは構いませんけど、さすがに数十キロの重り二つを抱えていくのは無理があるのでは?ほら、あっちなんて十三歳のくせにあんな重そうな脂肪の塊を二つも抱えていますし」
「クロさん、その発言こそがセクハラじゃありませんの?」
「ああ、そりゃ大丈夫だ。頭がイカレてるやつはタイプじゃない」
「そうですか、それなら安心です」
「お二人とも、モラハラって言葉知ってます?」
「まあ、では試験的にやってみましょう。腰を抱える感じでなら大丈夫ですので。ほらオトハも」
「私、まだ了承してないのですが」
「いいからはやく」
わたしとオトハはルシアスを挟むように並んだ。
ルシアスは少し逡巡し、決心したようにわたしたちを両脇に抱えた。
「おお、すごい力ですね」
「ですが、これで歩けるわけがああああおおおお!?」
結論から言おう。
その速度は、今までと比較にならなかった。
わたしたちの体重をものともせずに、抱えたままものすごい脚力で山を駆け下り、そして駆け登った。
ルシアスが凄まじい身体能力を持っているのは分かっていたが、さすがに想像の遥か上すぎて言葉も出ない。
これはいい、これなら一日ちょっとくらいでクアドラブルに戻れる。
唯一問題があるとすれば。
「う゛っ!は、吐ぎぞう………」
「お、おい!?待て、今止まるから!!」
そう、この娘の絶望的な三半規管だろう。
「オロロロロロ」
「あ、あぶねえ………」
「あなた旅先二回目の嘔吐ですけど。そろそろ酔い止めの生成はできないんですか」
「む、無茶言わないでください、自分の体に効く成分の発見、解析、生成って、結構難しいんですわよ………おぷっ!」
「もうこの手はやめとくか?」
「いえ!これが早いのは事実ですから、多少気持ち悪くてもそれだけ早くお嬢様に会えるなら我慢しますわ………うえっぷ」
「おお、初めてあなたのノア様への過剰な愛が役に立ちましたね」
「誉め言葉と受け取っておきますわっぷ」
「じゃあもう、いちいち止まるのめんどくさいのでここで全部出しちゃってください」
「クロさん、あなた私ばかりを槍玉にあげますが、絶対あなたもどこか頭のネジが緩んでますわ」
吐かせるだけ吐かせてフラフラになったオトハを、再びルシアスが抱きかかえる。
わたしもセットされ、再びウマ並みの速度で走り出した。
そのままの速度で何時間も走り続けたが、驚くことにルシアスは多少の息切れはあるものの、普通に平然としている。
(この男、本当に人間なんだろうか………?)
実は巨人とのハーフでした、とかでも驚かないんだが。
「日も落ちてきたが、止まって一晩明かすか?俺はこのまま走ってもいいが」
「オトハ、どうしますか?」
「………………」
「オトハ?………あ、気絶してますね」
「おお、本当だ」
「じゃあ可能ならそのまま走っててください、うまくいけば深夜にはクアドラブルに着けると思いますので」
「その頃には門も閉まってんじゃねーの」
「大丈夫です、伯爵令嬢の従者のわたしたちは限定的にですがその権利が使えますので、無理言って開けさせます」
「はーっ、便利だねえ」
そのままルシアスはぐんぐんと進んでいく。
一日かかると言ったが、あれは睡眠時間を考慮した話で、それがなければ一日もかからずにたどり着ける。
そして驚くことに、わたしとオトハが丸四日かけた道のりを、ルシアスは十六時間ほどで突破した。
「ほら、オトハ起きなさい。着きましたよ」
「うーん、助けてぇ………溺れる………」
「寝言言ってないで早く目を覚ましてください」
「んあ?」
「おはようございます、着きましたよ」
「着いたって………」
「クアドラブルにです」
「はあ。………えっ、もうですの!?」
「はい、ルシアスのおかげで凄まじく早く。今日はもう遅いので、ノア様の元に行くのは明日にして宿を取りましょう」
「し、信じられませんわ………。人間二人抱えて、常人の四倍も早く走るなんて」
「そこには同意します」
なんにせよ、わたしたちはフィーラ連邦国首都、クアドラブルに戻ってきた。