第76話 わたしたちの心の中に
「………潰れましたね」
「………潰れましたわね」
クライマックス・ベアは既に息をしていない。
オトハが体内に打ち込んだ猛毒とルシアスの付けた傷によって生命力を奪われ、残り少なくなった寿命をすべてわたしが消した。
だがその代償は大きかった。
一人の人間の命が、卑劣な熊の手にかかり奪い去られてしまったのだ。
「どうしましょうクロさん、お嬢様に怒られますわ。これは本気で嫌なお仕置きをされるかもしれないパターンですわよ」
「落ち着いてくださいオトハ、よく考えてください。ノア様はわたしたちがルシアスに会ったことを知らないんですから、着いた時はもう死んでたってことにすればいいんです」
「なるほど。しかし貴重な希少魔術師候補をこんなところで失ってしまうとは」
「オトハ、人間である以上、遅かれ早かれ死はやってくるものです。だからこう考えるんです、彼はわたしたちの心の中に―――」
「死んでねええええええ!!」
あ、生きてた。
「ご無事でしたか」
「ご無事じゃねーよ、俺じゃなきゃ死んでたわ!あとコンマ一秒脱出が遅れてみろ、俺はもれなく地面の一部と化していたところだったぜ!」
「死してなお自然の肥料として生を後世に伝えていこうとするなんて、素晴らしい心構えだと思います」
「そういうこっちゃねーんだよ!」
信じられないことに、あの一瞬でクライマックス・ベアの巨体が潰す場所を脱出していたらしい。
つくづく人間をやめた動きをしている。
そんなことが出来るのは、光魔法の使い手であるノア様くらいだと思っていたのだが、単純な身体能力で脱出しているから恐ろしい。
「お前らどういう神経してんだ!普通、もうちょっと配慮するだろ!?」
「うちのお嬢様、前に『何か大きなことをするなら多少の犠牲は仕方ないんだから、犠牲を減らすより自分がやったことがバレないように努力しなさい』って言ってたので、それに従ったまでですわ」
「お前らのとこのお嬢様は頭のネジでも外れてんのかっ!」
「否定は出来ませんね」
「しろよっ!」
怒涛の連続ツッコミで先の戦闘以上に疲れたというように息を切らし、わたしたちをにらみつけるルシアス。
「まあ、結果的に早く終わったんだからいいじゃありませんか」
「そうですわ。死ななきゃ安い、終わり良ければ総て良しと言いますもの」
「加害者側のお前らが言う言葉じゃねえよっ!」
ああ、ツッコミを入れなくていいって楽だ。
ボケに回るってこんなに気楽なのか。もう男連中にツッコミは任せてしまおうかと思えるレベルだ。
「ったく、まあ死んでないんだからいいんだが………」
「いいんですかそれで」
あ、思わず反射的につっこんでしまった。
「ところでお前ら、これは何したんだ?」
「それについて詳しいお話がしたいので、ついてきてください………と言いたいところですが、ここではまずいでしょう。明日の正午に、傭兵組合の向かいにある宿に来てください。あ、この熊を倒したのは貴方ってことにしておいてくださいね。オトハ、体内の毒を中性化してください」
「了解ですわ」
「では、我々はこれで。また明日」
「お、おい!?」
他の人間たちが集まってくる前に、わたしたちは急いでその場から離脱した。
***
翌日の正午少し前。
「さて、そろそろ時間ですわね」
「そうですね。あ、来たようです」
外から足音がしてやがてわたしたちの部屋の前で止まり、ノック音がする。
「開いてますよ」
ガチャッと扉が開き、中に入ってきたのは案の定ルシアスだった。
「よう、昨日ぶり」
「こんにちは、ルシアスさん」
「ごきげんよう、いい天気ですわね」
ルシアスは部屋の中に入り、キョロキョロと辺りを見渡す。
「お前らだけか?例のティアライト家のお嬢様はいないの?」
「お嬢様は残り二人の従者と共に、クアドラブルに残っていますわ。我々は貴方を探しにここまでやってきましたの」
「俺を、ねぇ。座っても?」
「どうぞ」
ルシアスが用意していた椅子に座るのを確認し、わたしは話を進める。
簡潔に、しかし重要な部分は交えて、しっかりとノア様について説明する。
希少魔法についても少しだけ明かし、興味をひかせることも忘れない。
「………というわけです」
話が終わり、ルシアスは目を瞑って唸り始めてしまった。
なにか引っかかるところでもあったんだろうか。
「何かご質問などあればどうぞ」
「あー、なんというか。あれだな」
「あれ?」
「お前らが、そのノアマリーお嬢様のことが大好きだってのは伝わった」
「そんなこと言ってませ」
「当然ですわ!人としても、性的にも、あの御方のことは心よりお慕いしておりますっ!」
「あと、こいつがやばいってこともわかった」
「せめて恋愛的にと言いなさい、性的にとか生々しいのでやめてください」
「ああ………うふふ………お嬢様、愛しております………うひひ」
「駄目ですね。完全にトリップしてます、数日会えてないのが効いているようです」
「なあ、残りの二人の側近てのもこんなんじゃないだろうな」
「ご安心ください、彼女はうちでもぶっちぎりで頭がおかしい娘なので」
ルシアスは同情的な目をこっちに向けてきた。
気持ちはありがたいけど、みじめになるからやめてほしい。
「それで本題なのですが。といってももう、予想は付いているかと思います」
「俺に、そのお嬢様の配下に加わってくれって言うんだろ?」
「そういうことです」
「劣等髪は魔法が使えないわけじゃない、希少魔法の使い手ねえ。普通は一蹴するような馬鹿馬鹿しい話だが、実際にお前らが使うところを見てるから一概に否定できん」
「ノア様から詳しい話は聞いてませんが、あの御方曰くオレンジ色の髪というのは非常に有用な魔法なのだそうです。あなたほどの実力者が我々の仲間になってくれるなら、非常に心強く思います」
「ふむ………」
ルシアスは少し考えるそぶりを見せた。
この場にノア様がいない、というのが面倒だ。
あの御方の希少魔術師を惹きつけるカリスマ性さえあれば、もう少し話もスムーズに進んだだろう。
「なあ、一つ聞いていいか」
「なんでしょうか」
「お前らの主は、強いのか?」
………?
何故いきなりそんなことを聞くのかはわからないが、とりあえずここは正直に。
「戦ったことも本気を出したところを見たこともないので何とも言えませんが、多分わたしより強いですね」
「そうかい」
気のせいだろうか。
ルシアスが纏う気配が、若干変わった感じがした。
「まあ、まずは会ってみないことにはわからんからな」
「それでは、同行はしていただけると?」
「ああ、話は直で見てからだ」
これは好都合。
ノア様がいれば、彼をこちら引き込むことも難しくは無いだろう。
「わかりました、ではすぐに帰りましょう」
「ん、いいのか?あと一日くらいは休んでもいいとおもうが。なんなら色々奢るぜ、お前らが譲ってくれたクライマックス・ベアの報奨金がたんまり出る予定だしな。勿論半分はお前らにやるが」
「意外としっかりした性格なんですね。ではノア様の生活品などに使うとしましょう」
「………本当に主人第一なんだなあ。お前ほどの女をそこまで心酔させちまう聖女、か」
「お金関係はともかく、出発はもう準備が整っていますので、気にしていただかなくても大丈夫ですよ。ほらオトハ、いつまでもトリップしてないでさっさとあなたも身支度をしなさい」
「うへへへ、お嬢様の美しい御足で、私のお腹を………はっ!?」
事案になりそうなことを口走った馬鹿をグーで殴り、身支度を超特急でさせた後、わたしたちは宿を出て、スイッタの街を後にした。