第74話 クライマックス・ベア
「ふぅ………」
シャワーを浴びながら、わたしは今後について考える。
ルシアスを探すのは、正直望み薄だ。
かなり前にこの街を出て行ったようだし、下手したら別の街で仕事している可能性もある。
連れてくるのがステアであれば、周辺の人間の断片的な記憶から次の目的地を予測することも出来たかもしれないが、生憎こっちにいるのは変態毒使いだ。
(収穫無しで帰ったら、さすがにノア様に申し訳ないし、せめて手掛かりの一つくらい持っていきたい)
しかし、そういったことに向いていないわたしとオトハの魔法じゃ、地道な聞き込みくらいしか手がない。
熱めのシャワーを頭に受けながら、わたしは途方に暮れた。
シャワー室を出て部屋に戻ると、オトハが着替えの支度をして待っていた。
「おかえりなさいクロさん、じゃあ入ってきますわね」
「ええ、どうぞ」
吞気に鼻歌を歌いながら去るオトハを見送り、わたしはベッドに倒れこんだ。
最近の疲れがどっとでたようで、力が入らない。
オトハも帰ってきたらこうなるだろう。
「とりあえず、夕食までちょっと仮眠を」
―――ビーッ!ビーッ!ビーッ!
「!?」
突如町中に凄まじい音量のブザーが鳴り響き、わたしは慌てて飛び起きて窓の外を見た。
「な、何事ですの!?」
オトハも半裸で部屋に飛び込んできた。
「服着てください!わたしにもわかりません、一体何が」
『緊急警報!緊急警報!住民の皆さんはすぐに避難を!傭兵及び腕に自信のある者は、至急街の正門まで集まってください!』
傭兵はともかく、腕に自信のある人全員?
「なんでしょう、行ってみます?」
「いえ、遠巻きから様子見ますよ。さすがに大人数の前で希少魔法を使うのはまだやめておいた方がいいでしょう」
「そうですわね」
わたしたちは慌てて避難する住民の流れを見送り、窓から飛び出て屋根を伝って正門の方に向かった。
既に正門には多数の人影が集まっていて、わたしたちは門の横の壁の上に降り立ち、その様子を見守る。
「さすがにこの距離だと、何言ってるかわかりませんわね」
「読唇術でも覚えておくべきでしたか。って、あれ?」
しばらく見ていると妙なことが起きた。
下の人たちは傭兵組合の職員と思しき男の説明を聞いていたのだが、その内十人くらいが震えて逃げ出したのだ。
「なんですかねあれ」
「よっぽど恐ろしいことがこれから起きるのでしょうか?」
残った人間たちも青い顔をしたり、中にはガクガク震えている人もいる。
「まったく意気地がないですわね。自信たっぷりに集まっておいてこれとか、先が、思いや、ら、れ………?」
「まあまあ、臆病は戦場で必須と言いますし、勝てない相手に立ち向かわないのは戦術の常識でしょう」
「………」
「オトハ?どうかしましたか?」
「ク、ク、クロさん」
「はい」
「あれ、あれ」
「あれってなん、で、す、か………」
オトハが指をさしたのは、正門の真正面。
わたしもつられてそっちを見て、即座にそれを後悔した。
そこにいたのは、木をなぎ倒しつつこちらに歩いてくる、巨大な魔物。
体長は二十メートル近く、その姿は熊に近いが、牙と爪は普通の熊なんかより遥かに鋭く、そして赤い目がギンギラギンにこちらを見据えている。
「クロさん、あれって………」
「ク、クライマックス・ベア、ですね………」
クライマックス・ベア。
その強さと大きさ、凶暴性から、『熊の進化の最終形態』という意味で皮肉で付けられた名を持つ魔物。
超大型魔物に類するあの魔物は、わたしがかつてリミッター解除をして殺したキリング・サーペント級の大型魔物を捕らえ、捕食することで有名なモンスターである。
「だ、第一域危険生物、国が軍隊出すレベルの危険魔物がなんでいきなりこんなところに出てきたんですの!?」
「さあ。ただ、大型の魔物を主食としていることから、小型であるわたしたち人間には目をくれず、森の最奥に潜む珍しい魔物が姿を現したということから考えられる可能性は二つです」
「それは?」
「まず、森に食料が無くなった」
「もう一つは?」
「あのクライマックス・ベアすら慄く圧倒的な捕食者から逃げてきた」
自分で言っておいてなんだが、もし仮に前者であればこの街を素通りして、別の森に移るはず。
ということはおそらく後者、なのだが。
「クライマックス・ベアに勝てる魔物なんて、そうそういないですわ。そんなのが来ていたらこの国終わりですわよ」
「そうですね。ほら見てください、圧倒的捕食者を前に逃げ惑う矮小な生物の図があそこに」
下を見ると、既に傭兵も組合職員も蜘蛛の子を散らすように逃げていた。
クライマックス・ベアに勝てる人間なんてこの世界でほんの一握りだ。普通は街を捨てて逃げる。
「クロさん、あれに勝てると思います?」
「一人じゃ無理ですが、オトハが協力してくれれば五分五分くらいには持ち込めるかと」
「あの巨体に毒がどこまで効くかわかりませんが、まあやるだけやってみましょう。そういえば、クライマックス・ベアの胆は最高級漢方薬でしたわね」
「あまりにも市場に出なさ過ぎて、どのルートで売っても家買えるくらいの値段が付いていた筈です」
「ノア様のお土産に丁度いいですわ!」
本来はわたしたちも逃げるべき、なのだが。
今後のこの熊の進路を考えてみよう。
きっとこの熊はこの街を踏み潰し、そのまま真っすぐ進むだろう。
多くの山を巨体でものともせず、多種多様な生物を踏み潰し、生態系をぶっ壊しながら山登り山下り。
そしてその先には、共和国連邦首都、クアドラブルがある。
そう、ノア様たちがいる場所だ。
「1%でもノア様に危害を加える可能性があるなら」
「ここで止めるのが従者の務めですわ!」
わたしたちは壁から飛び降りて、熊の元に走った。
「オトハ、射程圏内に入ったら即座に毒を打ち込んでください。魔力を枯らす勢いで致死毒を連打です。そうすればわたしが寿命を吸い取ります」
「了解ですわ。あの熊は意外と俊敏ですから、距離を取って戦うが吉、ですわね」
「そうです。ご武運を」
オトハの毒劇魔法の射程圏内に熊が入り、オトハが魔法を放とうとした。
その瞬間。
突如、クライマックス・ベアが背中に衝撃を受けたように勢いよく倒れた。
その風圧でわたしとオトハも吹き飛ぶ。
「ちょっ、なん………!?」
「きゃあああ!?」
辛うじて体勢を整えてオトハをキャッチし、起き上がろうとする熊に目を向ける。
するとその上に小さな人影が見えた。
その人影はクライマックス・ベアの脳天に勢い良く持っていた巨大な武器を振り下ろし、激しい音と共に熊の頭から血が噴き出す。
「うっそお」
となりでオトハが呟いた。
正直、わたしもそうしたい気分だ。
あの巨体を小細工無しで転倒させ、あの強靭なクライマックス・ベアの皮膚を切り裂く人影。
「あ、あれ人間ですの」
「出来れば違うと思いたいですね」
人影は熊の頭から飛び降り、こちらに歩いてくる。
願いに反し、残念ながらそれは人間だった。
その体つきはいたって平凡。服の上からは、そこらを歩く住民とほとんど変わらないように見えた。
しかし、その手に持つ巨大な戦斧が、彼がただものじゃないことを伝えてくる。
そしてなにより、彼は。
特徴的な、オレンジ色の髪をしていた。