第68話 助けられた男
翌日の午前九時五十分。
少し早めに、わたしは昨晩馬鹿二人を捕まえた宿屋の前に来ていた。
ちなみにオトハとオウランはというと。
『お嬢様あああああああ!!私が悪かったですごめんなさいもうしませんしばらくは告白も控えますからどうかおそばにいいいいい!!まだ放置プレイには目覚めてないんでずううううう!!』
『ノアマリー様、僕は巻き込まれただけなんです!罰をやめてくださいとは言いませんから、せめてこいつと部屋を離してください、金切り声で気がおかしくなりそうだ!』
今朝から声を出しっぱなしで、ルクシアさんすら顔をヒクつかせていた。
オウランはともかく、オトハはきっとしばらくあの調子だろう。
「来たか」
あの二人、特にオトハをどうしようかと頭を抱えていると、昨晩二人と一戦交えていた傭兵がこちらに歩いてきた。
「改めまして、昨晩はわたしの後輩たちが本当に失礼を」
「その件はもういい。俺も話を聞かずに襲い掛かって大人げない面があった」
男はわたしの謝罪を途中で止めてそう言った。
これが大人の余裕というやつか。
バレンタイン邸で発狂している馬鹿後輩の片割れに見習ってほしい。
「さ、入ってくれ」
「はい」
わたしは男に促され、宿屋の中に入った。
普通に営業しているところを見ると、どうやら昨日のオトハの催眠ガスには全員気づいていないようだ。
「そう言えば名乗っていなかったな。俺はローガーという。お嬢さんは?」
「クロと申します。お見知りおきを」
「クロ、か。忘れない、その名前」
「………?どうも」
昨日の晩も思ったことだけど、彼の顔からはわたしに対するいくつもの感情を感じる。
感謝、葛藤、謝意、心痛。
しかし、わたしはこの人とは初対面のはずだ。
「この部屋だ」
一体、なんでわたしにそんな感情を、と考えていると、目的の場所についていた。
その部屋の扉を開けると、その中には。
「………ふむ。どこかで見た顔が勢ぞろいですね」
「あっ………!」
「君はっ!」
「本当に、生きて………!?」
わたしの思考は、ひとまず後回しにすることにした。
部屋の中にいた顔ぶれが、わたしをそうさせざるを得なかったから。
「そちらの方は昨日ぶり、もうお二方は九年ぶりですね。お元気でしたか?」
中にいたのは、九年前、わたしを蛇の巣に放り込んだ三人の傭兵たちだった。
「ローガー!どういうことなんだ!」
「昨日遅くに、彼女の仲間がこの宿屋の襲撃に来てた。お前らを殺すためだろうな。彼女ともう一人の少女が止めてくれなきゃ、俺でも危なかったかもしれん」
「その件についてはわたしと主様が既に処罰を下しましたので、ご安心ください。一応仲間の名誉のために弁解をしておくと、殺す気はなかったとのことですが」
「こ、殺………。そうか、そうだろうな」
男たちはその場で驚き、そして項垂れた。
「僕たちがかつて君にしたことは、到底許されることじゃない。むしろ君が僕に危害を加えることを止めた、というのが不思議なくらいだ」
「当然です。あなた方を殺したのだと世間に万が一バレれば、主様に迷惑が掛かります。わたし如きの私怨であの御方にご迷惑などかけられません」
「あの、御方?主様?」
「ノアマリー・ティアライト、か?」
「ええ」
わたしが淡々と質問に答えると、今度は茶髪の紅一点の女が。
「何故、あなたが貴族の従者を?」
「あなた方に殺されかけた後、諸事情あって生き延びたところを、ノア様に拾って頂きました。以来、あの御方に仕えています」
「………そう」
「すべてに裏切られたわたしを、ノア様は裏切らずにいてくれている。生きる目的も、食事も、居場所も、名前も与えてもらった。ノア様が今のわたしのすべてです。ノア様と出会うきっかけを作ってくださったあなた方を、今じゃ恨んでいません。ですが」
質問に答え、恨んでいないという言葉にどこかホッとしたような表情を見せた連中を、わたしは睨む。
「仮にノア様に仇なすような真似をすれば。どのような理由があろうと容赦なく皆殺しにしますので、そのつもりで」
「………っ」
「あの頃の無知でお人好しの名も無き子供はもういません。わたしはクロ、ノアマリー・ティアライト様の従者であり、片腕です。主様の命令があれば」
わたしは振り向き、宿の外の景色を眺めた。
「この街の人間を全員殺すくらいのことは簡単にします」
「―――!」
冗談でもはったりでもない。
ノア様に「全員殺せ」と命じられれば、迷わず皆殺しにする。
罪のない女性でも、未来ある子供でも、腰の曲がった老人でも関係ない。
あの御方の前に立ち塞がる人間は、誰であろうとわたしの殺害対象だ。
「では、今度はこちらが質問する番ですね。ローガーさん、何故わたしをここに?」
「理由は二つだ。一つ目は、この三人を謝らせたかった」
「ほう」
「だが、君はこの三人を謝らせたくないんだったな」
「はい、求めていないですし」
「だから二つ目だ。一度、どうしてもお礼を言いたかった」
「お礼?」
わたしが首をかしげると。
突如ローガーが膝をつき、頭を下げてきた。
所謂、土下座の姿勢だった。
「ありがとう」
「い、いえ、わたしはあなたにお礼を言われる筋合いはないはずなのですが」
「いやある。君に命を救われた」
命を救った?
奪った命は数知れずだけど、救った命なんてステアたち以外にあっただろうか。
頭にはてなを浮かべていると、加害者Aがわたしの疑問に答えてくれた。
「ローガーは、その。君を囮にして奪った卵を換金して買った薬で息を吹き返した張本人なんだ」
「ああ、なるほど」
わたしがここにいる三人に殺されかけたのは、この三人の仲間が毒を食らってしまい、その薬に多額の金銭が必要だから、珍味として高く売れるキリング・サーペントの卵を欲していたからだったはず。
なるほど、その毒を食らった男というのがこのローガーだったというわけか。
「わたしは無我夢中で逃げただけでしたから、そんなに頭を下げられるようなことはしていません。あなたが無事でよかった」
今だから言えることだけど、オトハがいれば毒なんて一瞬で治せるのに、つくづく希少魔法がない世界というのは不便だなあ。
「なにか、俺たちに出来ることは無いか?形はどうあれ、俺は君に命を救われた立場だ。何でも言ってほしい」
「そうですね。そこの三人には『償い』をさせたくないのでともかくとして、あなたになら」
後ろの三人がビクッとするのが見えたけど、無視してローガーに近づいた。
「実はとある事情で、我が主人は劣等髪を集めているんです。昨日の二人やわたしのような」
「ああ、そうみたいだな。風の噂で聞いた」
「そこで、何か情報があれば教えていただけないかと」
望み薄だけど、傭兵の繋がりなら意外と知っているかも、と思い聞いてみた。
すると。
「そんなことでいいのか?」
「え、なにかご存知で?」
「ああ。というか知らないのか。この街最強の傭兵は劣等髪だぞ」
「え!?」
そんな話初めて聞いた。
「まあ、傭兵ってのは話題になりにくいし当然だな。俺の知る限り、あの男ほど強い傭兵はいない。まだ若いのに凄まじい強さで、あっという間にこの街の傭兵たちの畏敬を集めた天才だ」
「魔法が使えない劣等髪なのに、ですか?」
「身体能力が異常なんだ。あまりにも強すぎて、バレンタイン家からもお声がかかったほどでな。あっさり断ったらしいが」
なんてこった、こんなに早く情報が手に入るとは。
「ありがとうございます、ノア様もお喜びになります」
「ああ。だけどまだ俺の気が済まない、何かあったら何でも言ってくれ」
「ではその時が来たらお願いいたします。ああ、最後に」
「ん?」
「その男の名前は?」
「ルシアスだ」