第60話 変なことしませんから
土砂崩れと魔物を乗り越えればもう怖いものは無く、わたしたちは順調に旅路を進んでいた。
「エードラム王国ティアライト伯爵家がご息女、ノアマリー・ティアライト様とその従者様ですね。身分証に偽りもなさそうですし、結構です。フィーラ共和国連邦へようこそ」
国境の門を超え、わたしたちはフィーラ共和国連邦の玄関にある街、カトルへと入った。
「予定よりちょっと遅れちゃったから、今日はここで一泊するわよ」
「かしこまりました。ではティアライト家の名で宿を取ってきますので、しばしお待ちを」
「いや、それは僕がやっておくから、クロさんは休んできなよ」
「え?どうしたんですか急に」
「旅が始まってから、クロさんはいろいろと手回しで疲れてるだろ。少しくらい羽を伸ばしても罰は当たらないと思うぜ」
「ん、クロ、頑張りすぎ」
「言われてみればそうですわね。オウランの言う通りですわ」
「しかし………」
突然の厚意に困惑して、ノア様の方をちらりと見る。
「こう言ってるんだし、休んできていいわよ。街を散歩でもしてきなさい。宿が決まったらステアを迎えに行かせるわ」
「はあ」
そう言われれば断る理由はない。
「わかりました。ではお言葉に甘えて」
わたしは馬車を降り、カトルの街を歩きだした。
暫く歩みを進めると、一つ気づくことがある。
(わたしを見て避ける人がいないな)
エードラム王国じゃ、不吉の象徴として差別されるわたしに近づいてくるもの好きなど数えるほどしかいなかったのだが。
ちらりと見てくる人は多いものの、露骨に避けたりしてくる人がいないというのは、正直新鮮だ。
しかし、見渡しただけでも良い国だ。町は活気にあふれていて、差別意識も薄く、値段から国が潤っているのもわかる。
あの大書庫の場所が動かせるのなら本当に移住を考えたいところだ。
「おーい、そこの黒髪の嬢ちゃん」
感心しながら歩いていると、唐突に呼び止められた。
「え?わたしでしょうか?」
「ああ、あんただ。どうだい一つ。珍しい髪色見せてくれた礼で特別割引だ」
呼び止めてきたのは、露店で巨大な焼き鳥を売っている店主。
日本のスーパーとかで見たことのある焼き鳥の五倍は大きい凄まじい焼き鳥が所狭しと並べられている。
「じゃあ一つ」
「毎度っ!」
ステアではないが、この香りに逆らうことはできず、一本購入。
「あ、美味しい」
おそらくは鳥系の魔物のものなのだろうが、臭みを塩コショウで消し、今となっては懐かしき醤油に似た味のタレが良い味を出している。
(そういえば、立ち食いなんてしたのいつぶりだろう)
前世じゃお金がまだあった幼稚園の時に、渡されていたお小遣いで食べてたけど、それくらいかもしれない。
今世じゃノア様に付きっきりのことが多く、一人行動の時も王国じゃあ避けられることが多くて、そういうことを考えることがなかった。
我ながら随分と余裕のない人生を送ってるもんだ。
食べ終わって飲み物が欲しくなり、近くでジュースを売っているお店があったのでテイクアウトしようとすると。
「リンゴ味、トマト味………はいいとして、豆腐味、シャンプー味、ソース味、カルビ味………?これはジュースですか?」
「ジュースです。オススメはフカヒレ味ですよ」
「高級食品だからいいってものじゃないと思うのですが」
「申し訳ございません、実を言うと我々もどうかとは思うのですが、オーナーがこういった変わり種を好く方で………」
変わり種を好く商人。
「違ったら申し訳ないのですが、それはフードを深くかぶったいかにも魔女という感じの風貌をしたお婆さんだったりしませんか?」
「おや、オーナーをご存じで?」
ああ、間違いない。
うちのステアにゴラスケを売りつけた、あの露店の婆さんだ。
「うちの後輩がマンドラゴラの人形を高値で買ってほくほくしていたことがありまして」
「ひょっとしてその方、水色の髪では?」
「ステアのことを話していましたか」
「ええ。なるほど、オーナーが前に言ってた『見る目のある水色の髪の幼女』というのはあなたのお仲間ですか」
あの若干怖い人形は、今でこそ慣れたが、夜中に動き出して叫んで屋敷の人間を殺して回ったりしないかと心配したものだ。
「そのオーナーさんは今いるんですか?」
「いえ、オーナーは新たな商品を選別すると言って、数日前に北の方へ」
「自由すぎやしませんかオーナーなのに」
「悪い人ではないんですけどね」
苦笑する店員のお姉さんから、グレープ味を買って外に出る。
ストローで吸いながら辺りを歩きまわり、めぼしいところを観光し終わるころには、辺りは夕方になっていた。
「さて、そろそろ宿に向かいたいのですが―――」
「クロ」
「あ、ステア。宿が決まりましたか?」
「ん。こっち」
相変わらず淡々としているように見えるステアだけど、わたしは昼ごろからステアがわたしを追っていたことに気づいていた。
わたしが街を堪能できるように、しばらく見ていてくれたんだろう。やっぱりいい子だ。
「オトハとノア様も、あなたくらい手がかからないといいんですけどね」
「なに?」
「いえ、なんでも」
わたしたちは三つの区分に分かれると思う。
わたしとオウランが常識人兼苦労人タイプ。
ステアが手はかからないけど干渉もしてこない傍観タイプ。
そして積極的に面倒を引き起こす駄目タイプのオトハとノア様だ。
「宿はもうすぐですか?」
「ん。もう終わってると思う」
「………?終わっているとは?」
「あ」
ステアが歩みを止め、わたしもそれに合わせると、奥にノア様たちの馬車が見えた。
そしてそれだけではなく、妙な光景が繰り広げられていた。
「まだ、やってた」
「へ?」
ステアが心なしか呆れたような顔で再び歩き始め、わたしもそれに続く。
近づくと、その光景が徐々に明らかになってくる。
「お嬢様!こちら、こちらの方が絶対に良いですわ!」
「ああもうっ、いいからこっちにするわよ!」
「いーやーでーすーわー!」
「………はあ」
まず、二軒のホテルがあり、二つのホテルは向かい合っている。
その二つのホテルの真ん中で、オトハがノア様の腕を引いて東側のホテルに引きずり込もうとしていて、ノア様がそれに抵抗して西側のホテルに入ろうとしている。
「………これ、何の騒ぎですか」
「あ、クロさん。僕は確信した、やっぱりあんたがいないとこの二人はダメだ」
「ちょっとオウラン、これに関しては一切私に非はないはずなのだけれど」
「そうなんですけど、あなたへの重すぎる愛がオトハを突き動かしすぎなので」
何が起きているのかさっぱりわからない。
ただ何故か、オトハは血走った目で鼻息を荒くしている。
「オウラン、状況説明を」
「まず、近所の人からこの西側のホテルがいいって話を聞いて、チェックインしようと馬車を止めたんだ。けどオトハが東側のホテルを見て、興味を持って近くの人たちにこっちのホテルのことを聞いた途端、こんなことに」
「一体、こっちのホテルの何がオトハの琴線に―――」
触れたのか、と聞こうとして東側のホテルを真正面から見た途端、わたしはその理由が分かった。
そのホテルの外見には、なんとなく見覚えがあった。
この世界ではなく、前世で近所にあって、なんとなく「ものすごくお金持ちの人が住んでいるに違いない」と思っていた。
その外見はまるで女児の夢を詰め込んだお城。
夜はライトアップされ、綺麗だと子供心で思ったものだが、中学生になってから早熟な女子の話を耳にしてしまって以来、何とも言えない気持ちになってしまったあの場所。
目の前のホテルは、あの建物に結構似ていた。
「お嬢様、こっちにしましょうって!大丈夫ですわ、変なことしませんから!」
「こ、この世界にここまで信用できない『変なことしない』が存在するとは知らなかったわ………」
そう、所謂『ラブホテル』というやつだ。
「なんでもその、そういうことをするために建てられた場所らしくて。それを聞いて以来、オトハが暴走し始めて、強すぎる意思には精神魔法も効かず」
「精神魔法すらはねのけるって、どんだけ入りたいんですか十三歳のロリが」
わたしはその光景を見て、前世のどこかで聞いた『淫乱ピンク』という言葉を思い出していた。
「先っぽだけっ!先っぽだけですからっ!頭をちょっとだけ撫でるだけですから!」
「先っぽって何よ。頭ってどこの頭よ!」
何でこの子はこう、いちいちトラブルを起こすのか。
仕方ない。
「オウラン、耐性魔法でオトハの恐怖耐性を弱体化」
「え?」
「いいから早く」
「わ、わかった」
オウランがオトハに魔法をかけるのを見計らって。
「ステア、オトハにノア様にこっぴどくフラれる夢を見せてあげてください。恐怖耐性が下がっている今なら、恐怖を与えるタイプの精神魔法に限れば効くはずです」
「え?いい、の?」
「後で記憶を消せば問題ありません」
「わかった」
ステアが腕を掲げ、オトハに魔法をかける。
すると。
「………はうっ」
オトハは一瞬ちょっと他人には見せられない顔をした後、ツー………と涙を流して気絶した。
「おおー」
「鮮やかな指示、お見事」
ステアとオウランから拍手が送られるが、こんなに嬉しくない拍手も珍しい。
「ご無事ですかノア様」
「ええ、助かったわ。やっぱりクロがいないとダメね、この面子」
………なんでこう、ほぼ関係ないわたしがこんなに苦労するのか。
世の中は真面目な人間にしわ寄せがいくように出来すぎなのでは。
「………まあいいです。行きましょう」
わたしはため息をつきつつ、ビクッビクッと痙攣して涙を流しながら気絶するオトハを引きずり、西側の普通のホテルの中に入った。