第50話 終わった
ステアが出立してから十日ほど経った。
今に至るまでステアから緊急連絡は無く、順調に進んでいることが分かる。
「オトハさん、オウランさん。お食事です」
「ありがとうございます」
「デザートはどうしますか?」
「要らないよ」
まあ、それに対してこっちはちっとも進展していないのだが。
「ノア様から伝言です。『あと四、五日もあればステアが帰ってくるはずだから、どうするかを相談しておきなさい』だそうです」
「わかりましたわ、ありがとうございます」
「お二人とも、やっぱり我々をまだ信じられませんか」
「「………………」」
「お二人がいた環境については把握しています。そのお気持ちもわかります、わたしも似たような目に合ったことがありますから。しかし、少なくともノア様は、自分の大切に思っているものを裏切るような御方ではありません」
わたしの話にも、二人は俯くだけで反応を示さない。
この十日間、ずっとこんな調子だ。
「わたしの独り言です。失礼しました」
わたしはノア様の所に戻ろうと扉を、
「………正直に言えば」
閉めようとして、ぴたりと止めた。
「正直に言えば、あなた方が悪い人ではないということは、もう分かっています。ギフト家の屋敷にいた頃に感じていた悪意が、あなたたち三人からは感じませんもの。純粋に私とオウランを助けてくださろうとしているのは、承知していますわ」
「………だけど、どうしても信じられないんだ。オトハ以外を信じたことなんて、今までなかったから」
ぽつりと双子がこぼした言葉は、ノア様が言っていたように、二人が誰かを本当は信じたいと思っていることの証明だった。
「あなたがたは間違っていません。十一年もお互いしか頼れる人間がいなかったのに、つい十日前に出会ったわたしたちを信じろと言う方が難しいでしょう」
わたしは彼女たちを肯定する。
この二人は、前世のわたしに似ている。
親という檻に閉じ込められて、ただ命令の通りに事を運んでいた。
初めて会った時、自由なんてなかったあの頃のわたしに、目がそっくりだった。
「だから、どうしても信用できなかったら、無理することはありません。ただ、ノア様の話は聞いて差し上げてください。あの御方の言葉を聞けばあなた方も、少なくともわたしたちのことくらいは信じられるようになると思います」
「信頼してるんだな。自分の主人を」
「はい。あの御方に出会わなければ、わたしはとうに死んでいました。ノア様に拾われ、救って頂いたこの命は、ノア様にすべてを捧げるためにありますので」
わたしは言いたいことだけ言って扉を閉め、調理室に向かう。
そこでノア様とわたしの料理を受け取って、ノア様の部屋に運んだ。
「ノア様、クロです。お食事をお持ちしました」
「ああ、入っていいわよ」
部屋の扉を開けると、光魔法の魔導書を読み込んでいるノア様の姿があった。
「うーん、まだ高位魔法にはギリギリ届かないわねぇ」
「光魔法はノア様が現在使用できる魔法を見ても相当強力ですが、高位になるとどのようなことが出来るんですか?」
「回復関係なら致命傷までなら一瞬で治せるわ。あとはほんの一瞬だけ光の速度で動けるとか、乱反射して広範囲に光の雨を降らせるとか」
「凄まじいですね」
机の上に食事を置いて、後ろから魔導書を覗き込む。
「あの二人はどうだったかしら?」
「いつも通り素っ気なかったです。ただ」
「ただ?」
「わたしたちのことが悪人でないとは分かっていると。ただ、どうしても信じることが出来ないと、辛そうに言ってました」
わたしはついさっきの、あの二人が言っていたことを説明した。
「ほんの少しは心を開いてくれた、ってことなのかしらね。それを話してくれたということは」
「そうだとわたしとしても嬉しいです。あの二人、やっぱり放っておけなくて」
「前世のあなたに似ているから?」
「はい」
相変わらずお見通しか。
「オトハとオウランがこちらに来てくれないと、後が心配っていうのもあるのよねぇ。劣等髪に対する世間の冷たさは、あの子たちの想像以上だと思うわ。家も無い、お金も無い、仕事も無いあの子たちが生きていけるとは正直思えない。それこそ奴隷にでもならない限り」
「ノア様、希少魔法の才能持ちに対しては優しいですよね。自分の元を去った場合のあの双子のことを考える辺り」
「違うわ、私は才能のある子が好きなだけ。もっと言えば、才能のある子が無能に冷遇されるのが許せないだけよ。才能があるなら四大属性使いでも優しくするわ」
まあ、わたしがもし黒髪じゃなければ、ノア様はわたしを歯牙にもかけなかっただろう。
それはステアも然り。
そういう意味では、ずっと呪っていたこの髪色も、いわゆる転生特典というやつなのかと思う。
「ノア様………」
「ん?なに?」
「いえ、何でもありません。それより、お食事が冷めますので、お早めにお召し上がりください」
「ちょっと今手が離せないから食べさせてー」
「本を置けばいいでしょう」
「ちょっと無理ね」
「はあ、仕方ない………」
ノア様の我儘に付き合うのは慣れてしまった。
わたしはメイン皿にあった肉を食べやすく切り、
「はい、あーん」
「あーん」
ノア様の口に運んだ。
「十二歳にもなって恥ずかしいですよ。ご自分で食べてください」
「えー」
「えーじゃありません!」
なんとかノア様にちゃんと食事をとってもらおうとわたしが魔導書を没収しようとして、ノア様が抵抗していると。
―――ピリリリリリ。
「何の音でしょう?」
「クロ、あなたのポケットから鳴ってない?」
前世の携帯電話のような音がして、ポケットをまさぐってみると。
「これ、ステアとの通信用アイテム?」
「出てみなさい」
少し魔力を込めれば、もう一方のアイテムと通信ができる、大書庫にあった使い捨てアイテムの一つ。
手から魔力を放出してみると、青いボールのようなアイテムが赤く光る。
「もしもし?」
『クロ?』
「ステア、どうかしましたか?緊急事態ですか?」
『違う。報告。お嬢は?』
「ここにいるわよ」
「報告とは何ですか?」
『終わった』
「終わった、とは?」
「もしかして、任務が?」
『ん、ちゃんと終わった。これから帰る』
私は日付を計算する。
あちらからこっちまで、馬車で三日。
今はステアが発ってから十日目。
つまりステアは、たった一週間で、ことを為したことになる。
「予定より一日早い。さすがねステア、ちゃんと内乱は起こった?」
『まだ起こってはいない。でも、間違いなく起こるようにはした。今、馬車の中。お馬さんを操って帰ってるところ』
「偉いわ。道に気を付けて、ちゃんと帰ってくるのよ。途中で山賊とかに襲われたら殺していいわ」
『ん、わかった』
「ちゃんとご飯食べられましたか?寝られましたか?」
『大丈夫。ゴラスケと、クロとお嬢の人形、あったから』
よかった。
ただしかし。
「ステア、このアイテムは使い捨てなので、緊急時以外には使わないようにという話では?何故報告に使ったんです?」
『………』
「ステア?」
『………だって、寂しかった』
「え?」
『お人形、あったけど。お嬢とクロ、本物じゃなくて、寂しかった』
―――キュン。
わたしとノア様の胸が、同時に締め付けられる音がした。
『でも、約束破った。ごめんなさい』
「いいのよステア、そんなこと!悲しい思いをさせてごめんね、帰ってきたら思いっきり甘えてくれていいから!」
「そうです!ステアの大好物いっぱい用意しておきますし、何でもしてあげますから!」
『ほんと?』
「本当ですとも!」
『怒って、ない?』
「怒るわけないじゃない、こんなに頑張った子を!」
『………ん。よかった』
なんて愛らしいんだろう。
姿が見えなくても、あの一見無表情な顔の口角を吊り上げているのが分かる。
『じゃあ、魔力を温存するから、もう切る』
「ええ、ちゃんと帰ってきなさい」
「気を付けるんですよ」
赤かったボールは再び青くなり、そしてその場で砕けた。
「ねえ、クロ」
「なんですか?」
「わたしとあなたの教育で、なんであんないい子が完成したのかしら」
「生来の性格の良さではないかと」
「わたしも、あんな風に可愛げを出した方がいいかしら」
「不気味なのでやめてください」