第424話 百戦危うからず
オトハの変わり身に再び目頭を熱くしたその時、それまで俯いていたオウランがすっと顔をあげた。
そこにいたのは、さっきまでへたれていた彼ではなかった。不覚にも「おおっ」という声が出てしまうほど、キリッとした男の表情だった。
「オトハ……ありがとう。僕、腹をくくったよ」
今までにない姉の真面目な雰囲気に感化されたか、今のオウランはまさしく、「漢」の雰囲気を漂わせていた。
かつて姉の無茶苦茶理論に振り回されていた時とは違い、自らの意思で進もうとしたようだ。
「そうだ、僕だって男なんだ。僕は、今まで尻込みしてた……今のリーフとの関係が変わってしまうんじゃないかと」
変わってしまうほど深い関係だったか?という疑問はひとまず置いておいてあげるか。
「けど、そんな僕は今日で卒業だ!僕は……僕は……リーフに、こ、告白するぞ!」
「おや」
「ふっ、そうです。それでこそ私の弟ですわ」
「リーフが帰ってくるまでの2日間で、出来るだけ準備をすることをお勧めします」
「ああ!そうだな、何が必要だろう!?」
「えっ」
……弱ったな、人が告白するときってどうすればいいんだろう。タキシードとバラの花束?いや、そんなベタすぎるのもな。
ダメだ、経験が無さ過ぎて分からない。前世はアレだし今は仕事一筋……あれ、わたしってそう考えると、なんか。
「クロさん、どうすれば……なんで頭抱えてるんだ?」
「いえ、こっちの問題です……」
「全く仕方ないですわね。いいですわ、私が伝授して差し上げます」
「おお!」
「まず、リーフが相手では花や小奇麗な服装など不要。普段のお気に入りの服でも着て、まっすぐに立っていればよろしい」
「ふむふむ」
「必要なものは……そうですわね、ロケーション選びですわ。彼女が気に入りそうな場所を選びなさい。それだけでも成功率は雲泥の差となるでしょう」
「なるほど」
「後は告白の台詞と、それを噛まない練習でもしておきなさいな」
「分かった!」
……何故だ、本当に今日はオトハが輝いて見える。
弟を元気づけた上で、的確なアドバイスまでしてみせる。なんだこのお手本のようなお姉ちゃんは。
そしてわたしは何度流れそうになる涙を堪えればいいんだ。
「さ、善は急げですわ。オウラン、ゴー」
「はい!」
元気な返事と共に踵を返し、書庫から消えていったオウランを暫く見送ると、必然的にその場はわたしとオトハだけとなる。
彼女は敬礼で弟を見送り、それが終わると椅子に深くもたれかかった。
「ふぅ……ヘタレな愚弟を持つと苦労しますわ」
「いいじゃないですか。今のところ我々の中で、唯一の青春ですよ」
「あれ?私ってクロさんの中で青春にカウントされてないんですの?」
「貴方のそのねっとりした愛情表現が青春にカウントされてたまりますか」
「……まあ、そうですわね」
!?
つ、つっかかってこない。確認のために軽く煽ってみたのに。
「オトハ、確認なのですが、最近何か変なものを食べましたか?著しく脳に負荷をかける薬を那由多のところで飲んだとか、森に生えてる邪悪な色をしたキノコを拾い食いしたとか」
「してませんわよ。百歩譲ってしてたとしても、私は毒効かないじゃありませんの」
「……たしかに」
じゃあ本当に、本当に、この子は―――!
「……ふぐっ」
「今日何回泣きますの!?」
「いえ……反抗期を拗らせて犯罪に走った子供が更生したのを見た親の気持ちを、少し理解できた気がして……」
「犯罪!?親!?」
心外とでも言いたげな顔でオトハはわたしを睨んだが、実際そんな気持ちだ。
ノア様が絡むとトンチンカンなことしかしない、このドM変態ウルトラポンコツ娘が、なんという成長だろう。
ああ、いつぶりだろうか。世界が輝いて見えたのは。
「ふっ、素晴らしいですよオトハ。自覚したのなら、後はどうにかするだけです。ノア様への愛情表現をやめろとは言いませんが、もう少し」
「はい?」
「え?」
わたしが涙を拭いながらそう話すと、急にオトハは「何言ってんだこの人」みたいな目でわたしを見た。
「どうにかするって、何をですの?」
「いえ、ですから貴方のその、いつものすっとぼけた愚かな行為を」
「え?」
「は?」
……なんだ、話が噛み合わない。
というかどうしたことだろう、雲行きが。
「……オトハ?確認ですが、貴方は自分がやっていることが馬鹿……阿呆……中々に特殊かつ個性的な行いであることを自覚したのですよね」
「そこまで言っちゃって、取り繕う必要を感じませんが、まあそうですわね」
「じゃあ、それを治そう!ってことですよね?」
「はあ?」
「なんですかはあ?って」
悪い予感というのは当たるもので、オトハはわたしの懇願にも近い確認に、無情にも「やれやれ」というように首を振った。思わずその首をへし折りたくなった。
「クロさん、自覚を持つというのは、必ずしもそれを改めることには繋がりませんのよ」
「今回に関しては是非とも繋げて欲しいのですが」
「まあ聞いてくださいな」
もはや聞く気などほぼ失せ、別の意味で流れそうになった涙を堪えたが、一縷の望みにかけてわたしはそのまま聞いた。
「私はこれまで、何度も何度もお嬢様に対し、過度な愛情表現やセクハラ紛いのことを行ってきましたが」
「紛いじゃありません、紛うことなきセクハラです」
「そう!たしかにお嬢様は、私の愛を避けたりいなしたり、打てど響かずの日々。嫌とこそ言われませんでしたが、その粗雑な扱い……興奮しましたわ」
「聞いてません」
「そしてその興奮冷めやらぬまま、幾度となくお嬢様にアタックし続け……気づいたのです!本当に私が嫌ならば、もっと本気の避けようがあったはず!なのに私が悦びを覚える程度の扱いを続けてくださったのは、ひとえにお嬢様からの愛であると!!!」
わたしは席を立った。
「それに気づいた時、私はこんな言葉を思い出しました。『お嬢様を知り己を知れば百戦危うからず』……だからこそ、私は己に問いかけたのです。自らの行いを!!そして自覚しました!つまり、お嬢様と己を知った今、私はお嬢様と100回戦というご褒美を受けられるというわけなのですわ!!分かりますかクロさん!!……あら、クロさん?」
気配を殺して静かに大書庫を出て、ルシアスに帝国に連れていってもらうよう連絡をとった。
全ては、あのクソポンコツを本格的に矯正するべく、ノア様に許可をいただくために。
……アレに少しでも希望を見いだしたわたしが馬鹿だった。