第415話 移植実験
「むむむ……」
横で永和が集中している。
スイの魂の感覚を掴むのに難航しているのか、その顔は険しい。
今、頬をついたりしたら怒られるかな。
『この身体になってから、色々あったねえ』
わたしとスイ、永和と那由多だけになった部屋で、何気ない感じでスイがそう言った。
『ルクシアとの戦いの後から、1年くらいですか?すっかり慣れましたが、結構変な話ですよね』
『そうだね。……最初はあんまり気が合わない人と同居になって、ちょっと辟易としたよ』
『こっちの台詞です。そもそも、勝手に人の身体を使ったのはそっちでしょう』
『あはは、ごめんごめん』
再び静かになる。
……どうしよう、何を話すべきか。
別にこれから会えなくなるわけじゃない。むしろ面と向かって話が出来るようになるのだ。どちらかといえば歓迎すべき話だ。
だけど、なんだろう。1年もこの状況に置かれていると、なんだか、こう……。
『……それから僅かにでも寂しいと思える程度まで関係を深められたのですから、まあ上出来じゃないですか?』
『……そうだね』
最初は何だコイツと思ったものだ。
ノア様を甘やかすわ、趣味はあまり合わないわ、人が寝た後に身体を勝手に使うわ。
だけど否が応でも会話し続けなければならない関係にあったのだ。命を救われたことも1度や2度ではない。
そうなるとやはり、情の1つくらい湧いてしまう。
「あ、ここだ!」
「見つけた?境界」
「うん!あとは慎重に久音と引き剥がして……」
「気を付けて」
時間を見ると、開始から55分。ほぼ予告通りの時間か。
「これ、引き離してからどうするんです?」
「そこからも少し時間がかかるからね。まずはこの筒に入ってもらう」
そう言って那由多が取り出したのは、サランラップの芯くらいの大きさの筒だった
「これは?」
「私が昔に手慰みで作った、死霊魔法の疑似魂を一時保管できる魔道具だ。一旦ここに入れた後、クローンにセットする」
「別に、このままアタシが引っ張っての移動でも大丈夫だと思うけど」
「今はね。万が一クローンへの移植に失敗した場合、一時魂を保管しておく器がないと、そのまま天に還っちゃう可能性もあるから」
「あ~、なるほど。アタシとの繋がりを切っちゃわないと器に入れられないもんね。一度手放すともう1回捕まえるのむずいし」
「そういうこと」
さっぱりわからない感覚だ。魂を知覚できる永和と、理解できる那由多だからこそ可能な会話だな。
「ほいじゃあ久音、やっちゃうよ。何か言っとくこととかあるなら」
「……いえ、大丈夫です」
永和が気を使ってくれたが、そこまで感傷的になることはない。
そう、会えなくなるわけじゃないんだから。
『じゃあ、後でね』
『はい』
―――わたしたちの同居は、そんな一言で終わった。
***
「クロ、スイは?」
「今、連れて行かれました」
頭に何度か話しかけてみたが、声は聞こえない。
静かだ。もう飲み物のチョイスで言い争うことも、読む本で議論することもない。
「………」
「クロ?」
「いえ、なんでも」
いや、いつまでも変に意識するわけにもいくまい。
それより、確かめられるところを試しておかなければ。
わたしはポケットをまさぐり、中に入っていたコインを1枚、上に放り投げた。
「《時間停止》」
コインはわたしの唱えた魔法の通り、落下する前にその場で静止した。
やはり使える。スイが習得してきた、時間魔法が。
「これ、スイは闇魔法を習得したという認識でいいのでしょうか」
「いや、多分それはないわ」
ひょっとして、と思ったのだが、それを否定したのはノア様だった。
「何故ですか?わたしに使えているのですし、おかしくない気がしますが」
「あなたが時間魔法を使えるのは、スイの記憶を知ったというのもあるけど、なによりスイが何度も使ったからその身体に時間魔法の感覚が染みついたっていうのが大きいわ。けどスイの場合はそうじゃないでしょう?」
ああ、そうか。
スイはあくまで魂だけの存在であり、わたしの身体を使って魔法を行使していたにすぎない。
スイの身体で闇魔法を使ったわけではないから、その身に染みついているわけもないと。
「なるほど、たしかに」
わたしが時間魔法を使えること自体、奇跡に近いのかもしれないな。
那由多が言っていた。「与えられる魔法がその人に合っているとは限らない」と。
ノア様が光魔法よりも闇魔法の方が遥かに洗練されていたように、髪色による適正と、その人物の性に合うかは別、ということだ。
そういう意味では、わたしは時間魔法を扱うだけの才能があったってことなのかもしれない。
そうじゃなければ時間操作の感覚を掴めず、時間魔法を今のようにある程度自由に使えなかった可能性はある。
そうなれば那由多を止めることも出来なかっただろう。改めて振り返ると、那由多を止められたのは本当に偶然と幸運と奇跡が続いた結果だったな。
「ところで、ずっと身体共有してた相棒がいなくなったわけだが、気分とかは大丈夫なのか?」
「特にどうということもありません」
「はっはぁ、ドライだねえ」
ルシアスはそう言って笑うが、ステアやオトハはなんとなく察したような顔をしていた気がする。
「ところで、移植は時間かかるのかな」
「いえ、すぐに終わると言っていましたよ。もう間もなく終わるはず―――」
「なにこれぇぇぇぇええええええぇぇえ!?」
え?
「おい、今の!」
「聞いたことがない声だったけど……」
突如響いたのは、聞き覚えのない、可愛らしい女の子の声だった。
「スイの声ね。懐かしい」
「やはり」
しかし、尋常ならざる声だった。
まさか、那由多が何かしたのか?今更あの子がわたしたちに害を及ぼすようなことをするとは思えないが……。
とにかく行ってみなければ。
元来た道を慌てて戻り、扉を開ける。わたしの後に皆も続いていた。
研究室に人は入れたくないと言っていたから、その手前の部屋まで移動し、扉を叩こうとすると―――。
「これどういうことぉ!?説明あるよねぇ!?」
「説明も何も」
「何もないわけないだろぉ!?」
なんだ?
「お、おい大丈夫なのか?」
「那由多、スイ、どうしたんですか!」
急いでノックし、少し下がる。
すると間もなく、扉が開き。
「久音、お待たせ。終わったよ」
「い、いえ、なんかすごい悲鳴が聞こえたような」
「ああうん、なにか気に入らなかったらしくて。でも問題なく定着したから安心して」
「はあ……?」
「ほら、恥ずかしがらずに来なよ」
「うう~~……!」
那由多が手招きし、永和もどうやら押しているようだ。
なにやらスイは抵抗しているようだったが、やがて観念したように、恐る恐る部屋から出てきて……。
ん?
「こ、こいつは……」
「み、みないでぇ……!」
そこにいたのは―――大人ではなかった。
わたしの胸よりも低い位置に頭があり、少し下を見ないと視界にすら入らない。
「………えっ」
「あららら」
そこにいたのは子供だった。
何の比喩でもない。10歳に満ちているかも分からない少女だった。
歯に衣着せぬ言い方をすればロリだった。
「おいおい」
「あら……可愛い」
銀色の髪で、青い目に若干涙を浮かべるその姿は、見る人が見れば大変に興奮するであろう魅力を秘めていた。
「ねえ!これどういうことだって聞いてるんだけどぉ!」
そう叫ぶロリ―――スイを、那由多は特に感情なく見ていた。
「そんなこと言われても。言ったよね、『移植可能な程度にまで培養が完了した』って。流石に物心つく前の赤ん坊に入れるのはリスクが大きいから、ある程度成熟した段階まで待ったんだよ」
「じゃあもうちょっと待ってよ!もっとこう、成長期を過ぎたくらいまでさあ!?こんな身体でどうしろってのさ!」
そうキャンキャン那由多に食って掛かるスイは―――なんというかこう、微笑ましかった。