第37話 聖女
「ノア様、あのドニという男とその親玉の子爵から、返事が送られてきました」
「どうせ長ったらしい文章でしょう?内容を簡潔に述べてちょうだい」
「『我々はノアマリー様の従順な下僕となります、犬とお呼びくださいワンワン』だそうです」
「素晴らしく簡潔ね。さすがよクロ」
「勿体なきお言葉です」
優雅に三時のおやつタイムを満喫しているノア様とステアとわたし。
外で楽しく会話しているこの三人が、世界征服を目論んで周辺の貴族を次々と自分の配下に着けている元大魔術師の転生者と、世界最強候補と言える魔力量を誇り、他人の精神を操る力を持つ末恐ろしい少女と、異世界からの転生者で、死を操る力を持つ存在などとは誰も思わないだろう。
「そういえばノア様、知っていますか。最近ノア様は、巷で『聖女』なんて呼ばれてるらしいですよ」
「はあ?」
「お嬢が、聖女?」
わたしの話にノア様は戸惑い、ステアも首をかしげる。
「お嬢は聖女じゃなくて、悪女」
「ステア、悪気がないのは分かっているのだけれど、さすがにちょっと傷つくからやめてくれないかしら」
「なんで?」
「ステア、悪女というのは一般的に、酷い悪行をする女性を指します。目的のためならば手段を選ばなかったり、悪いことを平気で思いついて実行したりする女性のことです」
「お嬢だ」
「あれ?そういえばそうですね、ごめんなさいステア」
「ねえちょっと」
ジト目で睨んでくるノア様をなるべく見ないようにして。
「で、なんで聖女って呼ばれることになったのか、調べてみたんです」
「露骨に話題逸らしたわね。まあいいわ、なんだったの?」
「それがですね。ノア様が成長するにつれて、周辺の領の統治がよくなっていっているからだそうです。
ほら、ノア様は四年ほど前から、ステアの読心を使ってあちこちの弱みを握ったりして、不正を起こさないようにしてきたではないですか。それが金髪の幸運の力なのだと勘違いした民衆が騒いでいるらしく」
「なるほどね。嬉しい誤算だわ、そんな噂が立つなんて。これでもうちょっと好き放題やっても大丈夫そうね」
「結果、ノア様のことを知るこの街の人間が『何言ってんだこいつら』って顔をしてますけど」
「余計なことを言われる前に、ステアに私のことをよく思っていない連中の記憶を消してもらいましょう。出来るわね、ステア」
「たぶん」
自分の目的のためなら、自分の治める地の民を操ることも厭わない。
悪女とはよく言ったもんだ。
「面白いのは、わたしとステアのことも噂になってるんですよ」
「まあ、あなたたちは随分と目立つものね。私と一緒にいれば尚更」
「それで、色々と聞き耳を立ててみたんですが―――なんて言われてたと思います?」
「『聖女にまとわりつく悪しき劣等者』とか?言わせておきなさい」
「違うんです、その逆です」
「逆ぅ?」
「はい。『聖女によって浄化され、魔法を使えるようになった元劣等者』なんて言われてるんですよ」
「ぶふっ」
さすがのノア様も吹き出し、ステアはキョトンとしていた。
「す、するとなに?あなたたちが魔法を使えているのは、私が神にでも祈ってあなたたちを清めたからだとでも?」
「そうなんです」
「あはははは!!なにそれ、なんで人間って天才的に的外れなことを考えつくのかしら!」
「お嬢が神に祈るなんて、変」
「そうよね、私は神とか信じてないし。あーおっかしい。そもそも―――」
ノア様は言葉を切ってわたしを見て、再び吹き出す。
「―――清めた後に飛び出してきた魔法が闇魔法って!神は何の仕事したのよ、あははははは!!」
たしかに。
わたしの魔法がどんな姿をした魔法なのかは知られているはずなのに、何をどう間違ったら真実がそこまで曲解するんだろう。
わたしの魔法は『死』と『歪み』を操り、世の理を捻じ曲げる魔法。
ステアの魔法は『記憶』と『心理』などの精神系のすべてを操る、生物の尊厳とプライバシーをガン無視した魔法。
聖女が劣等を清めた後に出てきたのがそれって、ノア様はどこの邪神崇拝者だ。
「最近は街に出てなかったからご存じないかもしれませんが、既にノア様のファンたちがこの街に結構来ているみたいですよ。ノア様の本来の目的も性格も何もかも知らず、神輿に担ぎ上げようとする愚民共がわんさか外にいます」
「私が言えた義理ではないのだけれど、クロも結構口悪いわよね」
だってわたし、ノア様とステア以外の人は基本的にどうでもいいし。
メイドのニナさんとか、優しくて仲が良い人は何人かいるけど、ノア様が殺せとご命令なされば迷わず全員殺すし、彼らを見捨てないとノア様たちが助からないとかになれば躊躇なく見捨てる。
わたしにとってノア様はそれほどの存在だ。
出会って七年、忠誠心は微塵も揺らいでいないし、それはステアも同様。
「あら、もうこんな時間ね。二人ともそろそろ戻るわよ、大書庫でもう少し勉強しましょう」
「ん」
「はい」
わたしたちが今ここにこうして存在していて、この御方のおそばにいられるだけで、わたしたちは幸せだと断言できる。
ノアマリー・ティアライトという人物は、それほど大きな存在になってしまった。
「クロ、未だ《死》の習得には至らないかしら?」
「もう少しで感覚をつかめる気はしています。瞬時とはいかずとも十秒程度かけ続ければ人間を殺せる魔法ならばすでに使えるんです。ですが、如何せんあれは術の構築が難しい挙句、何かが足りないような気がしてならなくて」
「ステアも、まだ高位の精神魔法は無理?」
「ん。十人くらい、操ることはできる。でもみんなは無理」
「なるほどね」
「申し訳ございませんノア様、未だ碌にお役に立てず」
「ごめんなさい、お嬢」
「ん?あー違うわよ。二人はよくやってくれているわ。その年齢でそこまで魔法を使えるなんて普通有り得ないわよ。ただ、今後はあなたたちの魔法の出番も多くなるだろうから、レパートリーは増やしておくべきだというだけ」
苦笑してそう言うノア様。
わたしたちの魔法の必要が多くなるというのは、つまり今後は政敵を葬ったり、無理やり他人を操ったりすることが多々あると。
「差し当たって明日、面倒なことがあるのよねえ。もし相手が気に入らなかったりしたら、また事故死してもらおうと思っているのだけれど」
「明日って、確か御父上に三日ほど前に言いつけられていたものでしたか」
「そうそう。ああめんどくさい、あの男なんてものをセッティングしてくれたのかしら」
「確か、隣国―――ディオティリオ帝国からの来客でしたか」
「ええ。ギフト伯爵家って連中なんだけど、こいつらが厄介でね………」
「何か問題でも?」
「問題、というか。明日来るのはギフト家の当主とその息子。ただ、その息子が嫌なのよ」
「何かお気に召さない部分でも?」
私が聞くと、ノア様は大きなため息をつき。
「………私の許嫁なのよ」
そんなことを重苦しく口に―――。
「………はああああっ!?」