第389話 2人が生きる世界
那由多はわたしの腕から抜け、その場に崩れ落ちてしまった。
「違う……私……そんな……」
さっきまで那由多を抱きしめていたわたしの肩が、濡れている。
心配で心配で、背中をさすりながらわたしはゆっくりと言葉を待った。
「私は……2人に……」
そして那由多は、はっきりと言う。
「何てこと……言わせてるんだ……?」
静寂の中、すすり泣くような音と共に那由多の言葉が響いた。
わたしとしては正直、そこまで変なことを言ったつもりはない。
前世でも似たようなことは話した。死ぬ時は3人でー、みたいなことは。
別に死にたいわけじゃない。一緒に生きられるならその方がいいに決まってる。
だけど那由多1人死なせるくらいなら、というだけの話だ。少なくともわたしと永和にとっては。
那由多にならそれが伝わるはずだと思ったんだけど、どうやら何かを間違ったようだ。
泣かせてしまった。大切な親友を。
「……どうしたんですか、那由多、ごめんなさい、なにか気に障ることを言ってしまいましたか?」
「違う……違うんだよ……そうじゃ、ないんだ……」
「?」
「私は……そんなこと、言わせるつもりで……頑張ったっ、わけじゃ……!」
***
この世界に来て、全てが色褪せて見えた。
親友がいない世界。心の拠り所が、何よりも守りたい大切なものが、かけがえのない居場所が、この世に存在しない。
転生の存在を知り、研究している時も、希望こそあったがそこに楽しさや充実感はなかった。
私の研究は、あくまで目的のための手段に過ぎない。それそのものに充足を感じるわけがない。だって、2人が隣にいないんだから。
だからこそ研究に集中できた。あれが完成すれば、何にも代えられないあの子たちにまた会える。
また3人で、自分たちだけの世界を―――。
***
「違う……違う……!」
俯き、涙を流す那由多が凄く小さく見える。
わたしたちはただ那由多にくっつき続けることしかできない。
だけどやがて、那由多は語ってくれ始めた。自分の気持ちを。
「何が、違うんですか?」
極力優しく、傷つけないように話しかける。
今の那由多は、少し触れただけで壊れてしまう、ヒビだらけのガラスのようだった。
「私……嘘、ついたんだ……」
「嘘?アタシらに?」
「3人だけの世界を作るって……それが私の目的でって……でも、違う……私、最初は、そんなこと考えてなかった……!私が……2人を、この世界に、呼んだのは……」
「ただ、もう1度だけでいいから―――2人の笑った顔を、見たかっただけだ……」
「え……?」
「2人が、私のことを忘れていたっていい……私が1番大切じゃなくなっていたとしても構わない……最初は、そう思ってたんだ……2人が笑っていられる場所があれば、私自身のことなんて、どうでも良かった筈なのに……」
わたしは那由多を強く抱きしめた。
それに覆いかぶさって永和も一緒に。
「なんでっ、なんで、私は……高望みしちゃったかな……2人が楽しそうなら、それが私の幸せだって、思ってたはずなのに……それを忘れてなければ、不完全な転生でも私の目的は達せられていた筈なのに……なんでその計画に、自分を、含めちゃったかなあ……!終いには、親友にこんなこと言わせて……悲しませて……世界一の大馬鹿だな、私は……」
強く、強く抱きしめた。
わたしはここにいるって。那由多のおかげでこうして生きているって、少しでも分かるように。
「重ね過ぎた時間に……いつの間にか、代価を求めたんだ……2人以外は、どうでも良かった、筈なのに……!」
「ごめん……ごめんね……久音、永和……」
か細い声で、このまま消えてしまうんじゃないかというほどに弱った那由多に、わたしは―――。
「……那由多、私は貴方のためなら死ねます。だけど、まだ那由多がわたしたちと一緒にいたいと思ってくれるなら―――一緒に生きませんか。貴方に貰ったこの2回目の命を、貴方と一緒に使っていきたいんです。また遊んだり、勉強したり、喧嘩したりしたい。その程度の時間なら、任務をサボってでも捻出しますから」
「え?」
「うん、アタシらの気持ちはこんなことで揺るがないよ!……那由多はアタシらになんも謝ることなんてない。だから、また3人で生きようよ。死にたいなんてもう言わないでほしい。大好きな那由多がそんな風に弱るのは、アタシらも悲しいから」
言いたいことは言った。
これでももし、那由多が死を望むなら―――その時は、3人一緒だ。
「そっ……か……」
那由多は立ち上がる。
わたしたちは少し離れ、見守った。
「―――うん。分かった」
そう言った那由多に、わたしはまた飛びついた。
永和と同時に。
「那由多っ……!」
「やった!」
「……ありがとう」
3人で抱き合う。
記憶を取り戻した直後と同じような、でもあの時より嬉しい瞬間だった。
「2人とも」
那由多の優しい呼び声に、顔を向けると。
「ちょっとごめんね?」
いつの間にか、那由多の手に札が握られていた。
そこに書いてあったのは―――。
「え?」
「《止まれ》」
***
「これ……は……」
すべてが止まった。
人も、埃も、崩れる瓦礫も、何もかも。
その場にあるほぼすべてが、完全に停止していた。
ただ、2人を除いて。
「この空間の時間を止めた」
1人は親友に抱き着かれたままで動かない、魔法の発動者である那由多。
そしてもう1人は。
「どういう……つもり……?」
「お前に話がある。あまり邪魔されたくない話がね、ハル」
―――ノアだった。
「どうやって……?魔力は、完全に枯渇している筈……!」
「この魔法は今使ったんじゃない。ずっと使い続けてた。発動から効果が現れるまでの間に《発するな》という言霊を差し込むことで蓋をしてね」
「……なるほど」
言霊魔法は、生物に対して恒久的効果を及ばさない。
逆に言えば、生物じゃなければ永久化を用いずともずっと効果を留めることが出来る。
あらかじめ文字を使って魔法を発動し、その発動を阻害することで、蓋にしていた言霊を解除すれば魔力を使わなくても効果が現れる。
「それでどういうつもり?私だけでも殺すって魂胆?」
「そんなつもりはもうない。私は2人が生きている世界を生きるって約束したからね。お前たちの邪魔はもうしない。……だから次の話だ。それを決めた以上、私が私として、誰にも邪魔されることなく生きられる環境を作る必要がある」
「……切り替え早すぎるでしょ」
「数少ない長所でね」
互いに恨み合う2人が睨み合う。
「それで?何故私だけを隔離したわけ?」
「……お前の方が、ルーチェより何かと都合がいいんでね」
「はあ?」
「ハル―――いや、ノアマリー・ティアライト。取引しない?」