第377話 ワルプルギス
ハルが開発した最高位闇魔法《黒染の宴》は、彼女の奥の手にして通り名の元にもなった最強の魔法。
発動まで一切の魔法が使えなくなること、当時のハルの魔力量と魔力効率をもってしても半分近い魔力を消費するという弱点を補って余りある、闇魔法の真髄。
魔法の発動後、発動した本人を中心に周囲の空間が墨汁で塗りつぶされるように黒く染まっていき、その染まった場所が魔法の発動範囲となる。
ノアは那由多を逃がさないために、封印空間全体を範囲として発動した。
《黒染の宴》は闇魔法の基礎にして最大のアドバンテージ、”消す力”を強化した魔法。
その効果は大きく分けて3つ。
1つ目は至ってシンプル、消す力。範囲内の黒く染まったものすべてに対して闇魔法の影響力を付与し、それに直接・間接問わず触れているものを消し去る。
ただし消すと一口にいっても、消すもの・消さないものは術師本人の意思で任意選択が可能となっている。
例えば人間のみを消す、全生物の右手のみを消す、寿命を消すというように、本来は複雑な運用となる闇魔法の消す力を全員を闇に引き入れて影響下に置いておくことで成立させる。
2つ目は全体化。魔法発動後、発動者の本来の魔法発動範囲に関係なく、展開されて浸食した闇すべてが闇魔法の発動起点となる。
この効果と1つ目の消す力の併用により、全盛期のハルは半径約1キロに渡って《黒染の宴》を作用させ、希少魔術師だろうが関係なく魔力も寿命も消し去る最強最悪の魔法へと昇華させていた。
3つ目は自己強化とそれ以外の弱体化。本来存在しないものである”闇”が仮想物質として周囲に伝播していることにより、自らの闇との相乗効果で魔法出力と魔力効率が著しく強化され、逆にその他の魔法は威力が落ちる。
シンプルかつ凶悪な消去効果を魔法抵抗でガード出来る強者が相手でも、《黒染の宴》の有効範囲にいる限りはほぼ確実にハルには勝てない。
ルーチェも、1000年前の一騎打ちの際に奥の手として使われた時には攻撃を諦め、防御と打ち消しに集中し、数時間を防戦一方で絶えざるを得ない状況にまで追い込まれている。
その恐ろしい魔法は、那由多ですらも最大限に警戒していた。
1000年前、対ルーチェ用の奥の手として開発されたこの魔法を初めて受けることになったのは那由多だった。
奇しくも同じこの神殿で、その時さ部屋全体に展開された闇に翻弄され、幾度となく深手を負わされたことを思い出し、那由多は歯噛みする。
(おそらく今回消去に指定されているのは、寿命や身体じゃなくて魔力だ。今は抵抗力でほぼ遮断出来ている……が、この状態だと―――)
魔法抵抗力は、本人の魔力量に依存する。
1600という凄まじい魔力を持つ那由多であれば、全快時ならばどんな魔法でもその命に届くことは無いほどまで威力を減衰できる。当然、ステアの精神操作やルクシアの光ですらも。
だが無限の魔力を奪われ、半分強の魔力が既に削れている今の状態では、完全な抵抗は難しい。ほんの僅かにだが、魔力が体内から吸われているのを那由多は感じ取っていた。
(他の連中は……ルシアス以外は私同様抵抗できるか。あの超人も別に空間魔法が無くても強いから大した問題じゃない。仮に必要になったとしても向こうはリンクのリセット能力で全快できる……使われたのは正直、想定していた中で一番面倒な展開だな)
足元に広がる闇を忌々しく思いつつ、冷静な分析を続ける。
(今は魔力の漏洩がこの程度で済んでいる。一切言霊魔法を使わなければ危なげなく永久化の復活まで持ちこたえられるだろう。……だが使えばその分魔力と共に魔法抵抗力も下がり、魔力消失が加速する!この女、それを分かってて味方も弱体化すること覚悟で回避不可の空間に巻き込んだな!)
「……《浮かべ》」
貴重な魔力を割き、自身の身体を浮かせることで闇から身体を離して魔力消失を防止する。
「全力で那由多を闇に触れさせて。接地面積が大きいほど魔力を消せるわ」
ノアの号令に全員が頷き、那由多にそれぞれの攻撃が向けられた。
《浮かべ》の言霊によって浮遊している那由多はその攻撃を見切り、躱す。
「《魔法解除》!」
「なに……!?」
しかしクロが放った魔法によって、その浮遊は突如解ける。
突然の出来事に計算が狂い、数発の攻撃が那由多に命中した。
「効い、た?」
「あぐっ……」
墜落した那由多は極力地面に触れる面積を削減するために指とつま先だけで着地し、ばっとクロを見た。
「どういうことだ……?」
久音の闇魔法はハルのものと違い、危なげなく抵抗出来ていた。
なのに今、あっさりと魔法が解除された。
魔法出力が上がっている理由は分かる。《黒染の宴》の効果だ。
発動者であるハル本人以外は、発動範囲の拡大や消す力の付与といった運用はできない。だが副次効果である闇による自己強化は、久音もその恩恵を受けられると予測はしていた。
問題は、それを加味しても自分相手には通用しないと、那由多はそう判断していたことだ。
(影響しないわけではないが、私に当たった瞬間に一気に威力が落ち、結果的にほとんど通じないはずだ。強化効果を得た今でもある程度こっちも準備しておけば消されることはないはずだった……!何故だ?ハルも久音も今以上のことは何もしていないはず。ということは原因は……)
「そういうことか……」
那由多は理解した。
魔法抵抗力とは文字通り魔力を防御し、抵抗するエネルギー。しかしこれは、意識的・無意識的双方で解除が可能だ。そうでなければバフや治癒などの効果も妨げてしまう。
時間魔法などの例外はあるものの、基本的には魔力抵抗を弱めれば魔法は十全に通る。
この世界の魔術師は全員常に魔法抵抗力を全開にしてあり、那由多もそうしていた。
なぜなら解除することにメリットがない。回復などは無意識で解除して受けることが出来るからだ。
しかしこの無意識というのが、今回の原因だった。
たしかに那由多は抵抗していたはずだった―――だが。
「……私が久音を拒絶するなんて、完全には不可能ってわけだ」
「……?」
親友を思う心が、久音と永和から受ける魔法の効果のみ、魔法抵抗力を若干緩めてしまっていた。
先程まではそれでも機能していたが、強化された闇魔法を受けたことによりその影響が出たのだ。
(これは少し……やばいかもな)
那由多はそう思いながらも、静かに懐に触れた。
最後の切り札があることを確認して。