第373話 “沈め”
ステアはアマラを支配してマニュアル操作することで実質的に2つの脳を使用していた。
しかしリンクのリセット能力は触れなければ発動しない。つまりリセット出来るのはステアの脳だけであり、アマラの脳の状態は再生できない。
よってステアはアマラの脳の使用法を自分の精神状態と情報処理の補助へと切り替え、自分自身の精神操作能力を限界以上に高めることで第二の脳の運用可能時間を引き延ばしつつ、以前と変わらない精度での那由多への侵入を可能にし続けていた。
(そうしなければならないほど、アマラの脳は既にダメージを受けてるわけだ。当然だ、私に最も近い天才すら数度干渉するだけで壊れかけるほどの脳に、ステア自身で操作しているとはいえ凡人のあいつが侵入してくるなんて頭おかしい話だからな)
那由多と凡人の脳では、スーパーコンピュータとポケベル並みの違いがある。そもそもの構造が違うと言ってもいい。
ステアはそのままではどうやっても那由多に届かないアマラの脳の状態を、未使用領域の強制覚醒と自分の演算能力の付与によって無理やり動かして、那由多に通用するレベルにまで辛うじて届かせていた。
当然無茶な運用によってアマラの脳は那由多への侵入を差し引いても大きなダメージを受けており、限界ギリギリの状態になっていた。
(アマラが全神国の議長だということには、既にステアは気づいているだろう。世界中の宗教への影響力を持つあいつを下手に使い潰せば、今後私を倒せたとしてもハルの世界征服に支障をきたす可能性がある。故にステアはアマラの限界が来る前に接続を切らざるを得ない)
那由多の予測は当たっている。
ステアは後に自分が修復可能なギリギリの状態までアマラを使い、戦闘終了まで補助をさせるつもりだった。
ただし、誤算が1つ。
「脆い……!」
アマラがあまりにも凡人すぎたことだ。
リーフやノアを始めとして、ステアが今まで関わってきた希少魔術師たちは全員が何らかの突出した才能を持っていた。
だがアマラにはそれがない。凡才が天才の思考を理解出来ないように、天才もまた凡才の頭の脆弱さを理解出来ない。
結果、アマラはステアの想像よりも早く限界を迎えてしまった。
ステアは苛立つように言葉を吐き捨て、アマラの精神をシャットダウンさせたうえで支配を切断する。
(だがもう第2の脳の補助が無くても、彼女の才があれば幾度とない私への侵入で感覚を掴み、自力で私に侵入できる)
徐々に読み切れなくなってきたリーフとルシアスの同時攻撃を、なんとか言霊無しで回避した那由多は思考を続けた。
(あと27秒。それまでにステアを何とかできなければ、永久化が戻っても言霊の発動に必要な魔力が捻出できず、私は負ける。逆にあと27秒以内に私に侵入してきてくれれば私の勝ちだ)
この先数分の、ステアが無事な未来と戦闘不能になっている未来を予測して思考し続け、自分の計算に狂いがないと判断。
那由多はあえて思考力を弱め、精神魔法による干渉を受け入れ始めた。
「……!?」
ステアは困惑した。同時に、那由多が何かを企んでいるということも察する。
かといって侵入しないという選択肢はない。今この契機を逃せば言霊魔法を使えず、自分たちに有利な言霊の使用と魔力の消耗、一石二鳥のチャンスをどちらも棒に振ることになる。
永久化が今この瞬間戻る可能性もあるこの状況で、チャンスを無駄にすることは出来ない。
―――リンクのリセットもある。何かされれば能力を使ってもらえばいい。
ステアは意を決して、罠であることを承知の上で那由多への侵入を行う。
―――ドクン。
1秒。これまで通りの間隔で那由多の精神を乗っ取ったステアは、言霊を放った。
「《沈め》」
那由多の足を地面に埋めることで、機動力を奪う。
これなら僅かな時間で他の仲間や同盟相手が攻撃を出来るだけでなく、その治癒と埋められた地面から脱出する分、2つの言霊を余計に使わせることが出来る。
魔力切れ狙いの今、幾つも考えている適した言霊の1つ。
の、はずだった。
「え……?」
言霊を使った瞬間、ステアに異変が起こる。
―――思考が止まらない。
この世界の成り立ちについて、宇宙の話、自分はなぜ生まれたのか、人とはなにか。
過去に自分が疑問に思ったことが頭を駆け巡り、その全てに答えを出せる気がするような。
場違いにも僅かに喜びすら感じるほど、ステアの頭は大量の情報と思考に支配されていた。
「…………」
「……ステア?」
一瞬の、かつ目立った変化が起きない出来事により、暫く誰にもステアの異変に気づかなかった。
最初に違和感を覚えたのはリンク。数秒で何かがおかしいと思い、ステアの肩に手を置いたが、まったく反応がない。
「……!」
那由多がなにかしたことを察し、リンクはすぐにリセットを使ってステアの状態を元に戻そうとする。
しかし。
「戻らない!?」
ステアは虚ろな目でまったく違う何かを見て、気を失ったように立ってるままだった。
「何をしたんですか那由多!」
「酷いことはしていないさ。むしろ1番彼女にとって都合のいい足止めをしただけだよ」
「どういうこと……!?」
「さっきの言霊《沈め》。あれをステアちゃんが使うことは予測していた。私でもそうするからね。《埋めろ》とかの可能性もあったけど、私ほど洗練された言霊魔法が使えないステアちゃんの場合、いきなり埋まって言霊を発しての脱出が不可能になり、私が死ぬ可能性がある。だから《沈め》で足を沈める手を取ると踏んだ」
「……だからなんだってんだ?」
「予測していたということは対策が立てられるってことさ。さっき私はこっそり《ずらせ》という言霊を使った。ずらしたのは―――魔法の対象と効果だ」
那由多の言霊魔法は、1つの言霊につき1対象にしか効果を及ぼせない。
だが対象が1つであり、かつ同じ命令で成立する効果ならば、2つまで魔法効果を与えることが出来る。
「効果は地面に沈めるから思考の海に沈めるに。そして対象はステアちゃんにずらした」
『次の言霊の効果を』《ずらす》言霊。
これが《沈め》以外であれば命令と前置きが繋がらず、不発のはずだった。
しかしステアの読み合いに勝利した那由多によって、ステアは自らの思考に沈められてしまった。
「疑問。何故リンクのリセットが効かない?」
「《沈め》はあくまできっかけだ。1度沈めた思考をリセットしても、思考したという記憶と結果は残る。そこで頭の回転を止められるほど、彼女の頭は老獪じゃない」
リセットはたしかに効いていた。
だがステアが1度「知りたい」と思ったことに答えを出せそうだった事実は変化せず、結果としてステアの脳はそちらの解析にかかりきりになってしまう。
1度奥底の底まで沈められた集中力は簡単には戻りはしない。
我に返ったとき、ステアは恐らくこの世界のほぼ全てを理解している。
だが、それまでは―――。
「最強の切り札脱落だ。あとは永久化が戻るまで、ゆっくりと君らの対応をさせてもらう」
那由多以外の全員の額に、焦りの汗が浮かんだ。