第353話 ノア一行vs那由多
「じゃあ、始めようか。戦いと呼べるものになるかは、君らの努力次第かな」
一歩ずつ、那由多が近づいてくる。
なにも構えていない。隙だらけだ。
別にあえて誘っているとか、そう見せかけてるだけなんだとか、そういうのじゃない。本当に構える必要がないから構えていないだけ。
那由多にとって、わたしたちはその程度の強さしか持ち合わせていないということの現れだ。
「じゃあ……精々努力してみようじゃねえか!」
ルシアスが一歩踏み込む。それだけで地面は抉れ、勢いよく風が起こった。
音速に限りなく近い速度で加速したルシアスの拳が、勢いよく突き出された。
「最初に来るのはルシアス。まあ、歴史上類を見ない覚醒した超人体質はそこそこ興味あるし、少し体験してみようか」
「……!」
だが那由多は、微笑を浮かべて少し足をずらしただけでそれを回避した。
続けて―――。
「そのまま拳を右に動かして裏拳」
かがんで回避。
「かがんだところを右足で蹴り上げる」
ルシアスの脚と寸分たがわぬ動きで立ち上がる。
「大剣に手をかけ、空間魔法と合わせて切断攻撃」
ルシアスが大剣に手を伸ばそうとする前にそう言い。
「……と見せかけて左拳で握った石を弾いて投擲」
いつの間にか持っていた石が弾丸のように放たれたが、首を曲げただけで躱した。
「で、その投擲は実は次なる攻撃の布石」
「……!」
その石に雷の速度で追いついたリーフが、風で石を打ち返す。
那由多はそれを、後ろに手を回してノールックでキャッチした。
「はあ!?」
「タイプ―――」
「34だろ?」
「なっ……けふっ!」
ルシアスが素っ頓狂な声を上げたが、彼を壁にして魔法を編んでいたオトハが飛び出し、毒を射出しようとした。
だがその動作はまだしも、使う毒のラベリングまで読み切った那由多は、キャッチした石をオトハの鳩尾にぶつけて照準をずらす。毒は近くの壁に当たるだけに終わった。
「オトハ!」
「拳銃が2発撃たれる」
続いてオウランが銃を撃ったが、それを那由多は横に倒れるようにして回避。
「……で、久音とハルが光と闇で檻を作る」
わたしが丁度その魔法を発動しようとした直前に、那由多がそう言った。
その読みはやはり正しく、わたしとノア様の魔法で那由多を閉じ込めた。
一瞬だけでいい。ほんの僅かな時間でも稼げれば、ノア様とリーフの物理的に回避できない超高速で、
「物理的に回避できない超高速で攻撃できる、かな。でも《移れ》」
「!!」
リーフとノア様が襲い掛かる直前、《移れ》の瞬間移動で檻の外に脱出。
少し服についたらしい埃をパンパンと払い、那由多はわたしにニコリと笑いかけた。
「当たってた?」
「はは……完璧です」
「でしょ?」
わたしも笑ったが、他の面子は言葉を失って呆然としていた。
無理もない。初見でここまで動きを読まれて驚かないないわけがない。
精神魔法や時間魔法を使っていたなら、あれはただの「そういう魔法」で片がつく。だが那由多の場合、それを一切魔法を使わずに観察と解析とトレースでやってのける。
人によっては神と見紛う、ほぼ確実な未来予測。
「バ……バケモンか……!」
「……警戒。初期予想の倍は強い」
「倍で済めばいいけどね……」
しかも那由多は、言霊魔法を1度しか使わなかった。
替わる隙がなかったスイと、攻撃しないように言ってあるステアを除く総員攻撃だったはずなのに、削れた語彙はたったの1つ。
しかも先程メロッタに《戻れ》、脱出時に《移れ》を使っていたが、あれはわたしの記憶を戻す際にも使っていた言葉だった。
つまり那由多の言霊は、どんなに長くとも1時間半程度で再び同じ命令が使用可能になる。おそらく実際のインターバルはもっと短いだろう。
膨大な語彙を持つ那由多に対して、言霊を使い切らせるという選択肢がほぼなくなったも同然だ。
加えて、
「悠長にしていていいの?私はこのままのらりくらりと躱して時間を稼ぐだけでも勝ちってこと忘れてない?」
那由多の勝利条件はわたしたちを全滅させる事じゃない。スギノキにいるボタンが死ぬことだ。
”交神術”が手に入れば、あとは永和を脅してでもスイを那由多の身体に宿させて時間逆行を行える。この場の全員を苦も無く制圧できる実力を持ち、そもそも永和を熟知している那由多なら死霊魔法を使わせる方法はいくらでも思いつくだろう。
今那由多が遊んでいるのは、覚醒した超人体質であるルシアスや超レアな覚醒魔術師であるリーフにある程度興味を持っているからのはずだ。それもボタンが死ねば計画遂行のために本気で攻撃し始めるだろう。
つまりわたしたちが勝つには、ボタンが死ぬより早く那由多を制圧するしかない。
だが、わたしたちの動きを全て予測できる那由多相手に、普通に戦っていたら制圧なんて夢のまた夢。
たった1つの勝機に全てを賭けるしかない。ちらりとステアを見ると、ステアはこくりと頷いた。
「色々と考えてるみたいだけど、意味ないよ。既に私の息がかかった希少魔術師たちがスギノキを急襲している。いくら全魔法中最大火力の重力魔法といえど、相性が悪い魔術師も複数人いる状態で勝機はない。30分もあれば片が付く」
「は……!?い、いやおかしいだろ!早すぎる!まだ連絡を取ってから10分も経ってないはずだ!」
「おかしいなんてことはないよ。君らだって知ってるだろ?こっちには”禁術”がある」
「……!」
「そして、私の子飼いの中でも空間魔術師がいる。いや、いたと言うのが正しいか」
……そうか。
この世の裏で広まっている那由多が開発した”禁術”は、那由多が利用した人間を簡単に”壊せる”ように悪改良がわざと加えられている。1度使ったら最後、脳内麻薬が過剰分泌されて死ぬまで禁術を撃ち続ける、いわばドラッグ。
何度も自分の身体を犠牲にして撃たれる禁術に意味はない。……だが裏を返せば、1度目だけは自分の意思で使える。
つまり―――1度目の禁術で死ねば、他人にとってはノーリスクなのだ。
「集められるだけの希少魔術師は飛行船に乗せて、空間魔術師が遠くにいる他の希少魔術師と飛行船自体を、禁術を使ってスギノキ上空に寸分たがわず転移させる。まあ空間魔術師自身は超膨大な魔力をひねり出すために自分の命と四肢が消滅したけど、これで一瞬で大量の兵を送り込める。後はあいつらがボタン・スギノキを殺すまで待つだけだ」
スギノキは海洋国家。しかも海の真ん中辺りに存在している。
だからどの国からも遠く、スギノキ到着までは時間的余裕はあると思っていた。
だが的外れだった。那由多がその対処を考えていないわけが無かった。
「くっそ……ボタン!」
オウランが焦り、ノア様もギリッと音が聞こえるほど歯嚙みをした。
あと30分。30分以内に那由多かスギノキ、どちらかでもいいから対処しなければ世界が描き変わる。
だがスギノキは遠すぎるし、那由多は強すぎる。どちらも現実的じゃない選択肢に、戦っている全員の顔に絶望が浮き出始めた。