第351話 臨戦
「この手を使えば……また会える。私たち3人だけの世界を望んだ、あの頃の2人に。無限にも感じる時の中で切望し続けたあの時間を、私は取り戻す」
那由多は階段を一段一段踏みしめるように降りてきた。
「誰にも邪魔させない。たとえ久音と永和だろうと」
狂気を滲ませ、決意のこもった眼差しでわたしたち全員を見渡した。
たったそれだけで、わたしと永和、メロッタ以外の全員が少し後ろに下がった。
ルシアスですら、気おされたかのように身体を後ろに逸らした。
「さあ永和、スイピアの魂の分離を始めてくれる?」
「な、那由多、それは……」
「どうした?このままだと、リンクが死ぬよ」
「……っ」
だけど那由多は、どこか辛そうだ。
親友を脅すような真似、那由多だってしたくないだろう。それでも自分の望んだ世界のために、那由多は行動している。
ああ、なんて。
なんて―――嬉しいんだろう。
この世界のすべてを改変し、もう1000年も時間をかけてでも、あの楽しい思い出をもう一度繰り返そうとしてくれている。
わたしはその那由多の思いが、どうしようもなく尊く感じた。
きっと永和も同じだ。
……だけど、それを叶えさせるわけにはいかない。
もしかなってしまえば、ノア様は死に、仲間たちも生まれなくなってしまう。
それはわたしの今の望みとは相反する。
「……那由多。わたしはあなたが大好きです」
「私もだよ、久音」
「だけど―――あなたのこのプランを、成功させるわけにはいきません」
「……だろうね、今の久音なら」
「だから、全力で止めさせていただきます」
わたしは闇を纏い、1歩那由多に近づいた。
「ちょ、ちょっと待って久音!」
「大丈夫です永和。わたしたちにとってリンクは無関係。むしろ一時的に手を組んでいるだけで敵です。だからわたしたち側の人質にはなり得ない。つまりメロッタがリンクを殺す理由にはなりません」
「……まあ、そうだね。今リンクを殺せば、永和への交渉材料がなくなるし。ハルと久音とその仲間は、私がシンプルに相手するしかない」
「ここで貴女を止めます、那由多」
「ふふっ……喧嘩なんて久しぶりだね、久音。今の私にはその時間すら愛おしい」
那由多は呼応するように全身を一瞬脱力させ、すぐに張りなおした。
たったそれだけで―――感じ取ってしまう。ルクシアすら及ばない絶対的強者の圧を。
「でも、少し無謀すぎる。1発くらい殴られるのは覚悟してね」
「那由多に殴られるなら、別に構いませんよ」
「ははっ」
後ろの仲間たちは気おされながらも、わたしたちに近づいてきた。
「おいクロ、マジでやんのか?正直1ミリも勝てる気しねえぞ」
「でしょうね。ま、作戦はステア任せです。それがはまらなかったら―――虚数の彼方にある勝率に賭けましょう」
「……ま、殺されると分かってて抗わないなんて選択肢は私には最初からないわね」
「これで那由多の思い通りになったら、私お嬢様に会えないってことですわよね!?いやあああああ!絶対に御免被りますわそんな野望ぶっ潰しますわ!」
「ボタン……殺させない」
「決意、史上最強に挑めるだなんて僥倖。最初から全力でいく」
「……頑張る」
そんなわたしたち見渡して―――那由多は笑った。
まるで、向かってくる子供を見る大人のような表情だった。
「さあ、頑張れ君達。君達が負ければ、この世界線は終わりだ」
***
同時刻―――クロたちのいる大陸から遥か東、海洋国家スギノキ。
「はぁー……疲れるのう」
つい先ほどまで政策を練り続けていたボタンは、垂れ幕が下がっていることをいいことにだらけた格好でゴロゴロ転がっていた。
「ステア女史が精神操作を行ってくれた馬鹿共がいるおかげで多少マシにはなったが……ああ~、やっぱいやじゃ神皇なんて……なんでワシがこんなクソつまらんことせなばならん……やめたい、遊びたい、彼氏欲しい……具体的には黄緑色の髪をしておる透き通る声のする身長167センチ体重60キロ程度の、ワシを気遣ってくれる、名前がオウから始まってランで終わる好男子の彼氏が……いや、彼氏だけじゃ嫌じゃ、嫁にしたい……せめて婿……」
次から次へと口からあふれ出てくる欲求を止めようと思っても止められないボタンは、もうずっと垂れ流しておくことにした。
こうして小さい声で独り言を呟き、その度に脳裏に焼き付いた想い人の声を反芻させるのがボタンのここ最近の日課だった。
愛するあの人は、今どうしているだろうか。引き続きノア殿の側近としてバリバリ働いているのだろうか。汗だくになって敵と戦い、髪とかかきあげているのだろうか。
エロいな。じゅるり。どぅふふ。
「はっ……!いかんいかん」
畳に染み込んだ涎を見て我に返ったボタンは、口を袖で拭きつつ、再び妄想の世界へと……、
「陛下!!」
「どわあっはあ!?」
トリップすることは叶わず、息を切らした老年の兵士が勢いよく会議室の扉を開けたことで正気に戻った。
「ば、馬鹿者、ノックくらいせんか!」
「はっ、申し訳ございません!し、しかし緊急事態であるからして、こうして取り急ぎお目通し願う次第でございます!」
「なにぃ……?」
ボタンは憤慨しかけたが、尋常ならざる兵士の反応に違和感を感じ、気持ちを切り替えた。
「どうした」
「私めは下がりますので、直接ご覧になるべきかと!海の方角でございます!」
一部の上層部を除き、姿を晒すことが叶わないボタンを思い、兵士はすぐに襖の向こう側へと引っ込んだ。
「海じゃと?……おい、誰か確認せよ」
盲目のボタンに代わり、会議に参加していた男の1人が窓掛けを捲り、海側を確認した。
「なんだ、あれは……?」
「何事じゃ?」
「わ、分かりません。何かが……空を飛んで、近づいてきている……!?」
男が目撃したそれは、海を走っていなかった。
空を駆け、帆船とは比較にならない速度で近づいてきていた。
間もなく、ボタンの重力圏内に侵入。ボタン自身も重力レーダーでその全体を知る。
「……なんじゃ?」
ボタンたちには知る由もない。
それはクロたちの世界で、飛行船と呼ばれる代物だった。
ナユタがこの世界に制作法を齎し、更に魔力で強化改造させた異界文明とこの世界の技術の産物。
その速度は、クロたちが知る飛行船を遥かに上回る。
瞬く間にスギノキの領土内に侵入してきた飛行船は……下部ハッチを開き、ガトリング砲を二門用意した。
「変形した……?」
アルスシールで研究されていた、銃などの強力な武器の文化。
異世界で猛威を振るった鉛の弾丸が、ボタンのいる神皇の塔最上階に向け、一斉放射された。
ーーーズガガガガ!!!
容赦のない音と硝煙が部屋に巻き散る。
国名の由来ともなっている強固な杉の木によって作られたこの塔でも、窓から弾が侵入し、部屋の中に入ってしまう。
「ひいっ……あ、あれ?」
だが、弾丸は誰かに着弾する寸前に空中で一瞬停止し、すぐにそのまま垂直に落下した。
結果、数百発放たれた弾丸による死傷者は0。誰が何をしたのかは明らかだった。
「へ、陛下……!」
「貴様らのことは死ぬほど嫌いじゃが、全員死ぬと国を回せるのがワシしかいなくなるからな。これ以上仕事を増やされてたまるか。愛するあの人に再会する前に過労死してしまうわ」
全ての攻撃を重力で防いだボタンは、天幕を上げて姿を現し、窓の方へと近づいた。
「き、危険です!」
「誰に言っておる」
再び行われる銃撃。
しかしボタンは重力でその全てをガトリングが停止するまで受け止め続けた。
そして弾切れを察し。
「返すぞ」
無数の銃弾を1箇所に集めて重力を付与し、更に自分の脚で思い切り蹴りあげた。
銃弾は散弾銃のごとく分かれていき、飛行船に風穴を空けようと凄まじい速度で向かっていった。
しかし、その全ての弾は飛行船に着弾する手前で、何かに阻まれたかのように砕けた。
「……なんじゃと?」
重力魔法によって強化した弾丸を防ぐ方法はそう多くない。
少なくとも普通の四大魔術師が束になったところでどうこう出来るものではない。
ならば考えられるのは希少魔法。それもおそらく防御系で、これほどの強度を誇るバリアを張れる魔法。
「《空間魔法》か《封印魔法》、あるいはーーー《結界魔法》か」
突如出現した明らかな“敵”に、ボタンは顔を顰めた。