第335話 ノアvsクロ
初めて会った時、自暴自棄になっていたわたしはただ貴女を見ただけで正気に戻った。たった5歳の女の子が持つ、凶悪とすら思えるほどの美しさとカリスマに充てられた。
その鮮烈な強さと美しさに、その後も何度も魅せられた。わたしと同じような仲間が次第に増えていき、やがて世界をその手に収めるという目的も現実味を帯びた。
だけど、わたしは思い出した。思い出したのだ。
誰よりも大切だった2人を。
そして知った。そのうちの1人を、ノア様が不幸な目に合わせたと。
「スイの力は借りません。というかそもそも借りられるとも思いませんし」
『当たり前だろ!?分かっているのかクロ、これは主様に牙をむくってことなんだぞ!』
「分かっています。それを承知でわたしは言ってるんです」
わたしが気絶している間、那由多がノア様とルクシアを相手に圧倒していた話をスイから聞いた。
きっとナユタは、それだけでもうこの2人に対して自分から何かを仕掛けようとかいう復讐の心は持っていないだろう。那由多の目的は既に達せられている以上、その復讐は那由多個人のものだ。だけど那由多はわたしと永和以外のものに正負問わず感情的に執着する質じゃない。那由多の憂さ晴らしはもう済んでいる。
だけどそれじゃ、わたしと永和の気分が収まらないのだ。かつてわたしがいじめられた時、2人が全力で報復してくれた時のように、わたしたちは自分以外の2人が傷つけられることを自分が傷つけられた時の何十倍も嫌う。
だからわたしは、那由多の代わりに復讐しなきゃならない。たとえその相手が、忠誠を誓った主だとしても。
「……本気で言ってるの?」
「本気です」
「勝てると思う?」
「勝てる勝てないの話じゃありません。すべては那由多のためです」
口ではそう言うノア様だが、ずっといつでも動ける態勢で座っていた。
この状況を予測していたに違いない。相変わらずの頭の回転、流石だ。わたしじゃ足元にも及ばない。
「ク、クロ……!」
横から縋るような声がした。
そっちを向かなくても誰かわかる。
あなたにそんな声を出させてしまうことだけが、本当に申し訳ない。
「ステア、今だけは口出ししないでください」
「っ……」
ノア様は深くため息をつくと、岩の上で立ち上がった。
そのまま振り向きわたしを見下ろす。こうしてまみえると、王者の格というかなんというか、威厳みたいなのが溢れている気がする。
最近は慣れてしまったのかめっきり感じなくなったそれが、敵視された今、重圧になってわたしの身体を押さえつけようとしてきた。
「ナユタは、私の大切な仲間を殺したわ」
「わたしにとっては、かつての世界に唯一あった美しい思い出の片割れです」
「それどころか、スイも攫おうとした」
「結局攫われてはいません」
「あのままじゃ、ナユタによって世界が滅ぼされるかもしれないと思った。私は間違ったことをしたとは思っていないわよ」
「はい、ノア様は正しいんでしょう。ですが善悪も正否も心底どうでもいいんです。わたしにとっては那由多の無事が第一ですから」
「自己中心的ね」
「わたしにとって那由多と永和が世界そのものだっただけのこと」
「あいつはこの世界を混乱に陥れた」
「だからどうした」
平行線だ。話し合いで解決できるレベルはとうに超えている。
だからわたしだって、こういう形を選んだんだ。
「……最後に聞いてあげる。今取り消すなら笑って許すわ」
「何を今更」
わたしは闇を全身にまとわせた。ノア様もそれに合わせ、光の剣を作った。
「……いいわ」
そして、構えた。
「私はあなたの主人であり、復讐の対象。そのどちらの肩書きを優先させるかは、あなたが決めること。だけど私だってただ攻撃されるほど脳なしじゃないの」
「存じ上げております。世界の誰よりも」
わたしも構える。ノア様を守るために培った技術を、ノア様に向けるために。
本当に―――本当に分からないのだ。自分の気持ちが。
ノア様に向けているこの気持ちが、愛憎どちらに傾いているのか。
こんな形でしかはっきりさせられない自分が嫌いだ。
他の側近の誰もが気おされて何も発せず、ただ嵐の前の静寂だけがあった。
周りの音は聞こえない。ただノア様に向けた明確な攻撃の意思だけが頭にある。
そして―――。
「……屈しなさい、クロ!!」
「報いを受けてもらいます……ノアマリー・ティアライト!!」
目の前に閃光が走った。
光の速度で迫ってきたノア様の速度を闇で打ち消し、更に闇を纏わせて動きを止める。
しかし、光で打ち消されて再び超高速で移動するノア様を捉えきれず、鳩尾に一発食らった。
「ぐふっ……」
咄嗟に闇を腹に集中させたため、内臓や骨にダメージは届かなかった。
しかし勢いよく吹き飛ばされ、何本かぶつかりそうになった木を消して魔法で急ブレーキをかけ、周囲に闇魔法のオーラを放つ。
すると速度を奪われたノア様が空中で一瞬止まったため、その隙を見逃さずにノア様の至近距離に魔法を発動。その場にある全てを消した。
「っ!?」
その場にあるものを消すというのは、そこにあった空気ごと消し去るということだ。すると気圧の差で他の空気が流れ込み、局所的に闇を中心に暴風が起こる。
身体のバランスを崩したノア様にすかさず闇を放つが、瞬間的に何重にも張られた光のバリアですべて打ち消され、ノア様は安全に着地した。
「やはり、互いにやり辛いですね」
「……そうね」
闇魔法と光魔法は打ち消し合う。ずっと言ってきたことだが、この性質は思った以上に厄介だ。
まず、打ち消し合うとはそもそもどういうことか?答えは互いに放った魔法がぶつかった瞬間、競り合わずに消滅するのだ。
光魔法による高速移動は、さっきのように闇魔法の魔力を受けるだけでその速度を失い、闇魔法の歪みも光魔法を少し放たれるだけで正常に戻ってしまう鼬ごっこ。それが打ち消し合いだ。だからこそ、光魔術師と闇魔術師はぶつかり合った時にその本領を互いに発揮できない。
相手に攻撃を届かせる方法は2つ。1つは相手が魔法を発動していない隙をつく。もう1つはさっきわたしがやったように、光魔法そのものに対して魔法を使うのではなく周囲につかうことによって物理的な二次効果を使う。
かつてのノア様とルクシア、ハルとルーチェの戦いは後者を使いまくった結果、大陸に1000年以上影響を及ぼすほどの大魔法合戦になってしまったのだろう。
……そう。ここはかつてハルとルーチェがぶつかり合った場所なのだ。そしてここは、ハルの魔力が残留している。それが何を意味するか。
「っ……!」
「やはり、光魔法の出力は落ちますか」
微量に残った闇魔法の残滓が、僅かながら光を侵食し、打ち消す。
所詮は1000年前の魔力だ、大した効果ではないが、それでも光魔法の効果は2割減といったところだろう。対してわたしは逆に2割増。地理的有利は圧倒的にわたしにある。
「皮肉ですね。かつての自分が自分を苦しめるとは」
「ハンデにはちょうどいいわ」
そう言いつつも、ノア様は少し顔をしかめている。
「ハンデ、ね」
卑怯と罵られようが構わない。そもそもわたしにどうこうできる問題でもないし。
それ以前にこれは那由多のための復讐だ。使えるものはなんでも使う。
「いつまで格上の気分でいるんですか」
わたしはノア様同様、闇で剣を創って構えた。