第334話 最も近しい人間
私は考える。思考を沈めて集中モードに入り、周囲の音が聞こえなくなったところで超速で頭を回転させた。
ナユタの提案―――正直悪くない。いやそれどころか、私にとってはメリットしかない。
もしお嬢につけば、最悪の場合は私たち全員ナユタに殺される。ナユタは親友に嫌われたくないという理由で私たちに殺意はないようだけど、100%じゃない。
何よりナユタの強さは異常だ。どう少なく見積もっても魔力量は私を上回り、転生特典と反則級の言霊魔法を120%活用してくる。クロとホルンを除いたこの場の全員が同時にかかって、勝率は約18.4%といったところか。
けどその中で、私たちの仲間が1人も欠けずに生き残る確率は約0.3%。クロとホルンが向こうにつけばさらに下がる。そのリスクを回避できるなら、ナユタの提案は受けるべきだ。
だけど、それは同時に―――私がお嬢を裏切ることを意味する。
ナユタにつく場合は言わずもがな、相互不干渉を選んだ場合も、お嬢の命令でもナユタを攻撃できなくなる時点でお嬢を裏切るのと同義だ。
私がお嬢を裏切るなんて有り得ない。あっちゃいけない。
だけど、それはクロに対しても言えることだ。
(私は……どっちを……)
何百回も自分に問いかけた。それでも答えは出ない。
―――冗談でしょ、ねえ。
今までずっと、この頭は答えを導いてくれていた。
お嬢の邪魔者を処理するときも、ルクシアとの戦いのときも、ボタンのときも、ずっと最適解を教えてくれた。
なのに、分からない。何も分からない。
分からないから、何も言うことが出来ない。
この先の未来が、怖い。
『君と私は似てるよ』
ナユタの声が、動揺する私を現実に戻した。
『ほとんどのことを理解出来るから、理解出来ないままに行動することが恐ろしい、考えてから行動するの究極系。だからこそ答えがない問題に直面した時どうしようもなくなる。分かるよその気持ち、私もそのタイプだからね。ステアちゃん、君は私が双方の世界を生きた計1528年で出会った中でも、最も私に近い人間だ。まあ封印されていた期間を除けば500年ちょっとだけど』
『……買いかぶりすぎ』
『そうでもないさ、だからこそ君の思考が分かる。私が久音と永和どちらかを選べって言われてるようなもんだ―――考えただけで恐ろしいね。だからこそその思考に”答え”をあげようっていう提案さ。君がハルにつけばどうなるか、君の頭で分からない筈がないよね?けど私……というか久音につけば、私は君らの安全を保障する。君にハルへの敵対を強制するわけでもない。こんな自分に不利な条件を他人に差し出したのは生まれて初めてだよ。これほど譲歩するくらいには君に感謝しているし警戒もしている。さあ、どうする?』
……気づいていた。私とナユタは似ているって。
親に見捨てられ、自分を心の底から思ってくれる2人と出会い、その2人が自分の命よりも大切になった。その2人と引き離されたことに絶望し、その絶望を乗り越えて強くなった。
だからこそ分かってしまう。このナユタの提案に、言葉以上の思惑はない。
本当に純粋に、私への恩返しと懐柔の意味で提案している。だからこそ、私はこの提案を断ることがほとんど不可能だ。
強制はされていないものの、明確なお嬢に対する裏切り行為へのレールが用意されてしまった。
『……まだクロがお嬢の元を離れると決まったわけじゃない。決めつけで物事を語らないで』
『そういうつもりはないんだけどね。その確率が半々以下なのは君も分かるんじゃない?』
『……っ』
『まあでも万が一久音がハルについた場合も一応……おっと』
『え?』
『喋りすぎた。まあとにかく、その答えは後で直に聞かせてもらうとしようか』
何か引っかかる言葉を残して、ナユタはテレパスを切った。
「ふぅ……」
「ステア?どうかしたか」
「……なんでも、ない」
私は木に寄り掛かって、ナユタの言葉を反芻した。
想像以上に私を高く見積もってくれているようだ。それに助けられている感は否めない。
もしナユタの提案を飲めば……お嬢と仲間は助かる。クロは向こうにとられちゃうけど死ぬわけじゃない。そのクロも、条件付きならこっちにまた来て一緒にいられるし、私だけはクロにいつでも会える。
お嬢は裏切ることになる。……けど、裏切ることがお嬢の安全に繋がる。
私の一番の目的はなんだ?お嬢とクロのそばにいることだ。そして、2人を守ることだ。なら裏切りの汚名を受けてでも、ナユタの提案を飲むべきだ。
だって裏切ることがお嬢を守る事にもなるんだから。
……と、ここまで私が考えることもナユタは予測しているんだろう。そしてもう1つ―――クロがお嬢を選んでくれることに期待を抱いていることも。
生まれて初めてだ。自分の思考の1歩先を行かれる感覚を味わうのは。
(でも……もし、最悪の状況になったら……)
その時は、ナユタの提案を―――。
「ノア様」
ばっと後ろを振り向くと、そこには顔を伏せたクロがいた。
まったく気づかなかった。それほどに私は深く考え込み、そして魔法の出力が落ちているということだ。この状態でナユタとマトモに戦えるとは思えなかった。
「……クロ」
「クロさん……」
岩に腰かけたお嬢に、クロは近づいていった。
今までに感じたことがないような……剣呑な雰囲気を携えて。
「考えたんです。わたしはどうするべきなのか」
「……答えが出たの?」
「いえ、まだです」
誰も近寄らなかった。ちらりと遠くに目をやると、ルクシアたちの方にはホルンが歩いて行ったのが見えた。
「わたしにとって、あなたは生きる意味であり、理念であり、喜びです。あなたに救って頂いた命をあなたのために使う―――私の絶対の考えでした」
「………」
「ですが記憶を取り戻して、那由多のことも思い出して……あなたが那由多にしたことを許せないと思う気持ちもあるんです。今はもう、あなたに抱くこの感情が敬愛なのか憎悪なのか、自分でも分からないんですよ」
「で、ですがクロさん!お嬢様がナユタを封印したのはっ」
「至極真っ当な判断です。ですが、それがなんですか?」
「え……?」
「真っ当だから、復讐だから……残念ながら、それはわたしにとっては何の弁明にもならないんですよ。だってわたしたちは、お互いしか大切なものが無かったんですから。他の物なんてどうでもいいんです。自分以外の2人さえ無事なら、究極には自分さえ切り捨てても構わない。それがわたしたちです」
「そ、れは……」
「気持ち悪いと思いますか?ええ、自分でもそう思います。ですがそれが、わたしたちの唯一絶対のアイデンティティだったんですよ。……だからこそ、わたしの大事な那由多から生きる希望を奪い、殺しかけた人は、誰であろうと許せない」
お嬢は、ゆっくりと立ち上がった。
そして地上に戻って来てから始めて、クロの方を向いた。
その顔は、今まで見たことがないほどに―――。
「……それが私でも?」
「はい」
「……そう」
「ですからノア様」
そしてクロは、深く息を吐いた。
お嬢は数度強く瞬きをして、意を決したような顔つきで、次に言われる言葉を予測するかのように、手に光をまとわせた。
「わたしと戦ってください」