第320話 信頼
それはわたしたちの夢。
那由多が死んで、永久に叶わなくなったと思っていた、果たせなかった約束。
「わたしたちだけの、世界……」
「そうだよ」
那由多は手を広げ、楽しくてたまらないように笑いながら言った。
「かつての世界―――日本では、この計画は潰えてしまった。不甲斐ないことに私が死んでしまったからね」
「……具体的にはどうする気なの?」
「それはこれから考える」
いやいや、と思ったけど、那由多は話を続ける。
「というか、どんな方法でも多分成功するんだよ。もう聞いてると思うけど、私は魔法全盛の1000年前ですら、世界で一番強かった。希少魔法がこの世から隠れたことで“強者”のレベルが著しく低下したこの世界なら、正直どうにでも出来る」
「お、おう」
「え、なんです?武力制圧ですか?」
「それも選択肢の1つってだけだよ。私たちの“世界”が、文字通りかそれとも3人で無人島にでも行くか、その辺も相談して決めればよくない?私たちはただ、3人しかいない場所を求めてるだけなんだからさ」
………。
「かつての世界は、私たちは非力な小学生だった。どれだけ卓越した才能があろうと、素手でも殺せる矮小な存在だった。……でもこの世界は違う。今の私たちの力があれば、世界を思い通りに出来る」
確かに那由多の言う通りだ。
永和とわたしの魔法の相性は、ここまでの道中で理解した。
それに加えて那由多の最強の魔法と超人的頭脳があれば、この世界は好き放題に出来るかもしれない。
魔法という圧倒的な存在以外は人口も文明もかつての世界に劣るこの世界で那由多が本気を出せば、不可能なんてないだろう。
「叶えようよ、久音、永和。私たちの夢をさ」
那由多は楽しそうな、それでいてすがりつくような目で、わたしたちにそう問いかけた。
頭の中でスイが息を吞むのが分かる。わたしに色々と言いたいけど、逆効果になる可能性を恐れているんだろう。
わたしの記憶を読めるスイは、わたしにとって那由多がどれほど大きな存在かを、もう理解しているはずだから。
「………」
那由多は、かつてのわたしの人生に夢と希望をくれた恩人であり、どんな時でも一緒にいて助け合うことを誓った親友。
わたしは那由多に「一緒に死んで」と請われれば喜んで一緒に死ぬし、それは永和も同様だろう。
かつてのわたしは、那由多と永和だけが世界のすべてで―――だからこそ、3人だけの世界を本当に作りたいって、心からそう思った。
……だけど。
「那由多、わたしは……」
頭に、浮かんだのは、この世界で得たかけがえのない人たち。
妹みたいな子、慕ってくれる後輩、信頼できる友人。
そして、わたしの全てを捧げた主。
かつて那由多と永和しかいなかったかけがえのない存在が、今のわたしにはいる。
だけど那由多はきっと、そのわたしの大切な人たちとは相容れないだろう。
『主様とルーチェがぶつかり合った時、あの2人を殺そうとして―――それを止めようとした主様側の希少魔術師7人とルーチェ側の希少魔術師6人、計13人を殺害して逃亡した』
スイの言ったことが本当なら、那由多はノア様にとって未曽有の敵にして仲間の仇。あの御方の性格からして、那由多を許すことは無いだろう。
つまり、わたしは―――今ここで決めなければならないのだ。
那由多と一緒にかつての夢を叶えるか。
ノア様の夢を叶えるために戦い続けるか。
親友か主、どちらをとるか。
どうすればいい。どうすれば―――
「ごめん、那由多」
わたしが悩んだ時、横から毅然とした声がした。
永和だ。那由多を真っ直ぐ見て、永和は言った。
「アタシさ、命の恩人がいるんだ。アタシのこと助けてくれて、居場所と目的もくれた人が。だからアタシ、その人のためにこの生は使いたい」
「……ルーチェか」
「うん。那由多に転生させてもらっておいて何言ってんだって感じだけど……少なくとも今は、一緒にいられない」
永和の言葉で、わたしも頭の中をあの御方が駆け巡る。
生涯裏切らないと誓ったあの御方から、わたしが去る?
……想像、出来ないな。
「久音は?」
「……那由多、ごめんなさい」
わたしはノア様を、絶対に裏切らないと誓った。
救って頂いたあの時から、わたしはノア様に全てを捧げた。
今更、生き方を変えるのは難しい。
「わたしも、あの御方に恩義を返さずに貴女と共に歩むわけにはいきません」
『クロ……!』
「……そっか」
那由多は、悲しそうな顔をした。
それでも笑ってはいたけど、とても落ち込んでいる。
わたしは罪悪感で心が潰されそうだった。
「い、いやでもさ!那由多もアタシらと一緒にくれば……」
「難しいでしょう。那由多はここに封印されていますし、それにノア様とそちらのルクシアにとっては那由多は敵です」
「あ、そっかあ……」
「いいんだよ、2人とも。気を使ってくれてありがとう」
那由多はくるりと後ろを向いて、顔を隠すように話し始める。
「私が随分とあの2人に危害を加えたのは事実だからね。恨まれるのは至極当然だよ」
「那由多……」
「それより、私が憂いているのは今の2人の状況の方だよ。記憶を取り戻した今はともかく、立場的には2人は敵同士だよね?」
「えっ、あ、そうじゃん!どうしよ久音!」
「そうなんですよね……一応聞きますけど永和、わたしと殺し合えます?」
「やるくらいなら死ぬ」
「わたしもです。ですが我々の事情であの2人を止めるというのは……ああ、どうするべきか……」
『うーん、主様はお気に入りには優しいけど、だからって宿敵との戦いを止めようとするほど部下の顔色を窺うな人じゃないし』
そうだ、わたしとて永和と戦いたくはない。
だけど敵同士の立場である以上、戦わなきゃならないかもしれない。
わたしが、永和を殺す?出来るわけがない。これについてはたとえノア様の命令であっても。
「だあああ、マジどーする?」
「ううーん……」
「あはっ、大丈夫だよ2人とも。2人が殺し合いなんてする姿、私だって死んでも見たくないしね。あるよ、2人が戦わなくていい方法が」
「えっ?」
「おお、流石那由多!どーすんの?」
ばっと那由多の方を見ると、さっきまでの悲しそうな表情はない。
むしろ、どこか吹っ切れたような。
……吹っ切れた?何を?
「那由多?なにを」
「《眠れ》」
那由多が趣に永和に近づき、一言呟いた。
その瞬間、永和の身体は前のめりに崩れ、那由多に抱きかかえられた。
「永和!」
『何を……!?』
「私の言霊魔法は、生物を対象とする場合は意思の力で抵抗できる。だけどそれは、見ず知らずの他人の場合だ」
那由多はゆっくりと眠った永和を下ろし、床に寝かせた。
わたしは嫌な予感がして、思わず距離を取る。
「私のことを心から信頼している人間の場合は、私の言葉を受け入れる準備が出来ている状態なんだよ。だから記憶が戻った以上、永和と久音は私の言霊を防げない。何故なら、私たちが互いを疑うなんて有り得ないからね」
わたしは那由多に死んでくれと言われれば、相応の理由があれば死んでもいいと思っている。
それほどに―――那由多を、信頼している。
「那由多、何を―――!」
「《失え》」
がくんと体の力が抜け、意識が急激に薄れる。
(気を“失え”か……!)
抗う術はなく、わたしの意識は遮断されていった。