第318話 世界を超えた再会
当時、那由多の家はわたしの登下校ルートにあって、毎日のように前を通っていた。
だからその日も、家の前を通って、時間が合えば那由多が出てきて一緒に登校できるはずだった。
だけどあの日は那由多は出てこなくて、代わりに凄い人数の大人が集まっていた。
何事かと思って、何より嫌な予感がして隙間を通り抜けていくと。
そこにあったのは、焼け焦げて原型を失った家と、布が被せてある3つの何かだけだった。
この時点でわたしの脳裏には最悪の想像が浮かび、それでもまだ信じられずに立ち尽くしていた。
あの真ん中の布の中身があの子のはずがない。だって那由多は誰よりも賢くて、才能があって、生きていなきゃいけない人間だったんだから。
死ぬはずがない。死んでいい筈がない。
当時のわたしは、ただ目の前の現実を受け入れずに頭を振った。
***
何故、那由多は死んだのか。それを知るためには、春秋 那由多という存在について語らなくてはいけない。
那由多は、一言で言えば“完璧な人類”だった。
科学者夫婦の一人娘として産まれた那由多は、双方の才能を完璧以上に受け継ぎ、生まれついて異常な思考力を有していた。
比喩でも何でもなく、那由多の頭脳は地球でもこの世界でも、横に並び立つ者がいないほどに優れている。ステアですら那由多には及ばないだろう。
運動神経にも恵まれ、その絶大な観察力も相まって、スポーツだろうが武道だろうが一度見ただけでその動きを再現できる。
容姿、頭脳、身体能力、そのすべてを10歳にして完璧に持っていた。
だけど、那由多には1つ問題があった。
それは、全てを理解できる那由多に対し、誰も那由多を理解しようとしなかったことだ。
常人離れした那由多を毛嫌いし、差別し、壁を作り。
いないものとして、あるいは腫れ物のように扱った。
わたしと永和が現れるまで、那由多に理解者はいなかった。
そう。実の両親ですら、那由多のことを理解しようとしなかったのだ。
那由多は、小学2年生になる頃には既に両親の頭脳を上回っていた。
両親が持ち帰ってきた研究データや論文を盗み見し、自分なりの結論を出していたずら心で書き込んでみたことがあったらしい。
その回答は、長年多くの研究者が挑み求めてきたものだった。
それを書き込んだのが自分たちの娘だと気づいた両親は、様子がガラリと変化したそうだ。
『凄い凄いって褒めてくれなくなった。家に帰って来なくなって、たまに帰ってきたと思ったら倒れこむように寝て、私に一言も話しかけずにまた出ていく。そんなのを繰り返してるよ』
今だから分かる。
那由多の両親は、劣等感に支配されていたんだろう。
自分たちの人生を懸けた研究が、何も分からない筈の娘にあっさりと解かれてしまった。
わたしみたいに、那由多、ノア様、ステアと、突然変異と見紛うほどの天才と幼少期から関わっていたのとは違う。大人になってプライドや自己肯定感というものが芽生えてから、全てをねじ伏せる天才に出会ってしまった。しかもその天才が実の娘だ。自慢や嬉しさより、劣等感や対抗心が勝った。
その結果、那由多はネグレクトを受けた。生来の常人離れした頭脳でお金も生活も問題なく工面できたそうだけど、親に見捨てられるという経験は、わたしたちに出会うまで那由多の精神に大きなダメージを与えていた。
ここからは、後にニュースで見た話だ。
那由多の両親が勤めていた大学のデスクから、遺書が見つかった。
詳しい内容すべてを覚えているわけではないけど、そこには那由多への劣等感や嫉妬、実の娘にそんな感情を抱いてしまう自分たちへの怒り、研究者としてのプライドが崩れ去ったこと、娘が自分たちに関心を抱かなくなったこと、そして何より、家に帰る度に那由多が自分たちの研究の遥か上をいく発見を片手間で行っていたことなどが書かれていた。
それらは全て全く別の研究者によって発表されていた筈のもので、家の預金通帳にはいつの間にか億を優に超える額が振り込まれていたそうだ。
那由多はこの頃から、わたしたち3人だけの世界を作るために動いてくれていた。そのために自分の研究を他人に売って、名声の代価としてお金を得ていたのだ。
それを見た時の、自分たちの心に渦巻いた負の感情はきっと誰にも理解できないだろうと遺書にも記されていた。
そしてその数日後、那由多の両親は那由多を殺した。
その良心の呵責に耐え兼ね、両親も家に火をつけ自殺。
それが、春秋 那由多に起こったすべてだ。
***
那由多を失ったわたしと永和は、毎日を沈んで過ごした。
那由多の分まで生きる。そんな決意を2人でしたけど、那由多を恐れてわたしたちに近寄らなかった連中が挙っていじめを再開したり、お互いに家の問題が表面化したりして、2人で話す機会がどんどん奪われていった。
それでも、支え合っていた。苦しみを共有できるのがお互いしかいなかったから。
だけど那由多が死んで2ヶ月が経ったある時、学校から帰ってくると家の私財がなくなっていた。
何事かと混乱していると、腕を親に掴まれ、有無を言わさずに車に乗せられた。
踏み倒した借金取りが何とかと言っていたけど、ほとんど覚えていない。わたしが思っていたのは、ずっと永和のことだった。
那由多を失い、永和とも離れ離れになるなんて耐えられるとは思えず、わたしは親に抵抗した。
だけど有無を言わさず殴られて、気絶して、気が付いた時には遠く離れた場所に連れてこられていて。
わたしは、永和と一言も別れを告げることが出来ずに転校することになってしまった。
その後ずっと、抜け殻のように過ごした。
中学に上がり、もう一度永和に会える日を待ち望む気持ちと、死んだ那由多を想う日々が続いた。
そして2年後のあの日。わたしは親に売られそうになり、自分の死がどうしようもないことを悟ったのだ。
ならばと、わたしは自ら死を選んだ。体中傷つけて、何の価値もなくなるように全身を刻んだ。
吹き出る血と臓物。だけど痛みは途中から感じなかった。ただ、最後に残された希望だけが頭にあった。
(死んだら……那由多に会えるかな)
死後の世界で、再び3人だけで過ごせることだけを想って、わたしは死んだ。
最後の最後まで、2人の笑顔だけが頭にあった。
例え辿り着く先が地獄でも、那由多と永和さえいれば何もかもがどうでもいい。
ただ、2人にもう一度会いたい。それだけがずっと心残りだった。
***
「………つぅっ」
『クロ!』
ズキンズキンと痛む頭。
ステアの記憶譲渡と同じだ。一気に大量の記憶が戻ったことで、脳に過負荷がかかって頭の中に棘が刺さったような痛みが発生する。
だけどどうでもいい。痛みなんて、全てを思い出せた今この瞬間の驚愕と歓喜に比べればなんてことはない。
「《治れ》」
彼女によってつけられた、すべての傷が治った。
回復まで出来るのか、本当に彼女らしい反則的な魔法だ。
「傷つけて本当にごめん。こうするしかなくて」
「構いません。おかげで、全部思い出せましたから」
震える身体で起き上がり、まっすぐに彼女を見つめる。
あの頃とは髪色も身長も違う。だけど、顔には面影がある。
間違いない。わたしが見間違えるはずがない。
「那由多、なんですよね」
「そうだよ。久しぶり、久音」
「……っ」
涙を流したのなんていつぶりだろう。
二度と叶わないと思っていた再会に、わたしはまた崩れ落ちてしまった。
「那由多っ……生きて、本当に……!っあ、ああああ……!」
目の前にいる。あの子が。
わたしの命よりも大切な親友が。
「会いたかった……ずっと、ずっと、会いたかったです、那由多……!」
「うん、私も。私頑張ったよ。もう一度2人に会うために」
【余談】
久音の両親は久音の死後、当てにしていた彼女を失ったことでどうにもできなくなり、死んだほうがマシってくらいの仕打ちを受けて1年後に死んでいます。
今はきっと阿鼻地獄に向けて落下中です。ざまみ。