第315話 ヒトトセ ナユタ
今から約1000年前―――魔法全盛の時代。
崩れた城が眼下にある小さな丘に、2人の女の姿があった。
「主様、そろそろ……」
「……ええ」
1人は、銀髪の髪を美しくたなびかせた、まだあどけなさが残る少女。
もう1人は、黒い髪が妖艶に光る、顔に影を落とした若い女。
「ラック、セリア、シュラ、ファズ、シーリエ、バン、ミリー……皆いい子たちだった。私の平穏なんて目的のために、あの女と戦ってくれた。なのに……」
「主様……」
銀髪の少女―――スイピア・クロノアルファは、どう慰めればいいのかわからず、手を彷徨わせていた。
主―――ハルは、もう2日もこんな調子だった。殺された仲間を憂い、悲しみ続けている。
その時。
「あら……ハルちゃん」
「っ、ルーチェ!」
突然背後に、金色の髪の、見た目だけは純粋無垢な、ハルと同い年の女が現れた。
ルーチェ。ハルを病的なまでに偏愛し、ハルが亡命したこの国へハルを手に入れるためだけに侵攻してきている、魔女国の怨敵。
反射的にスイは魔法を放とうとした―――が。
「やめなさい、スイ」
「で、ですが!」
「やめなさい」
「……は、はい」
しかしルーチェは、ハルを襲おうとはしなかった。
通り過ぎ、手に持っていた大きな花束を、スイたちの隣にある墓に供えた。
「……6人殺されたわ。ワタシのエゴに付き合ってくれた大事な子たちを」
「私は7人よ。ま、数で張り合う話じゃないけど」
「今回の件はワタシとしても不本意よ。あの子は危険だとは思っていたけど、あそこまでとは思わなかった。スイピアさんを攫われずに済んだのは奇跡ね」
「全力で守ったからね。さすがのあの女も、あの場の全希少魔術師を敵に回す気はなかったんでしょう」
「でも、次はそうはいかない。アイツのスイピアさんへの執着は異常よ。スイピアさんを手に入れるのに手段は択ばないでしょうね」
「なんであいつはボクを狙うんでしょうか……?」
「さあね。けどこれだけは言える。スイがこっちにいる限り、またあの女は襲ってくるわよ。今度はどれだけの被害が出るか分からない」
「そうね。そうでなくとも、アイツはワタシの大切な仲間たちの仇。野放しにはしておけない」
ハルとルーチェの瞳は、決意と憎悪が宿っていた。
―――そちらがスイを狙うために手段を択ばないのならば、こちらもそうさせてもらう。
―――絶対にお前の思い通りにはさせない。
「ねえハルちゃん。手組まない?」
「いいわよ」
「え!?」
かくして歴史上唯一、ハルとルーチェは心を通わせることとなった。
その目的は―――史上最強の魔術師、ナユタを殺すこと。
***
「そんなに強かったんですの?そのナユタという女は」
未来永劫、ナユタを超える魔術師は現れない。
ノアの確固たる自信に満ちた声で言われたその言葉は、側近たちを驚愕させるのに十分すぎるものだった。
「当時はまだ未熟だったとはいえ、それでも今よりは強かった私と、ルーチェの副官として手を抜いていた状態でも互角だった……って言ったら信じる?」
「なんですのそのバケモン」
「アイツを形容する言葉があるとすれば“完璧”以外にないわ。底なしの魔力、太古まで遡る程の魔法知識、発動速度、精密すぎる魔力操作、未知の属性、その他未だに把握出来ていない未知数な要素が多々。強さが全てだったあの時代において、あの女に惹かれる者も決して珍しくなかった。あれほど神に愛された魔術師は、きっと古今東西見てもナユタだけでしょうね」
「その中でもナユタの最強たる最大の所以は、その魔法にあるわ。《言霊魔法》―――自分が発した命令を現実の事象として即座に起こす魔法。歴史上、確認できる限りではナユタしか使い手がいない超特異な魔法よ。おそらく、リンクの《伸縮魔法》と同じように、1000年前の当時に現れた最初の魔法なんでしょうね」
「疑念、それはつまり《死ね》と命令すれば死ぬということ?」
「理論上はね。ただ、言霊魔法は意思の力で弾くことが出来る。それも強い言葉になればなるほど、反比例するように簡単な意思で弾けるわ。だから《死ね》が効くのなんてよっぽど意志薄弱な一般人くらいよ」
「だけどそれを差し引いても、あの女の強さは異常だった。本来の実力を隠した状態でルーチェの副官にまでなっているんだもの」
「一応弁解しておくと、ワタシがアイツを副官にしたのは、半分は強さだけどもう半分は危険視したからだよ?」
「その注意が肝心な時に働いてなければ世話ないわ」
「うう……それを言われると弱いんだけど」
ナユタに裏切られた張本人、ルクシアは項垂れた。
ルクシアは思い出す。かつての強く、そしてどこか危なげな雰囲気を漂わせる、自らに忠実だった副官の姿を。
そして、その真の実力に及ばなかった自分の未熟さを。
「それでルクシア様、勝てなかったというのは……?」
「そのままの意味よ。1000年前、ワタシとノアちゃんはあの女の居場所がこの神殿だと突き止め、戦った。―――そして分かったのが、ワタシたちの当時の技量ではナユタを殺すことが出来ないということだった」
「だから私たちは殺すことを諦めて、ナユタを封印することに全力を注いだわ。危険な賭けではあったけど、スイの命を懸けた作戦で、封印に成功してこの神殿の外にナユタが出られないようにしたの」
「なるほど……」
「それ以降、ナユタの名は忌み名として扱われ、誰もその話をしなくなったわ。少なくともこの大陸においては、ほぼ全員があの女のことトラウマになっていたでしょうからね」
「結局最後まで、あの女の強さの底を知ることは出来なかった。1000年修業した今でも、あの女に届いているのか疑問よワタシは」
自分に絶対の自信を持つこの2人ですら、その恐怖をいまだに忘れられないという最悪の魔術師。
1000年前とはいえそんなものが存在していたという事実に、全員が身を震わせた。
「ステア以上の魔術師としての才能、リーフ以上の体術、ルクシア以上の精神力、そして私以上の頭脳と知識を抱き合わせた、史上最強にして最悪の魔術師、それがナユタよ。おそらくこの世界で最も“完璧な生命”に近づいた女でしょうね」
「それに加えて、妙な力も持ってたのよね」
「妙な力?」
「どれだけ手傷を与えても即座に再生したり、アイツにつけられた傷が治らない者がいたり。言霊魔法の力だと思っていたんだけど、今思うとあれってもしかして―――」
「転生特典?」
「ええ。その可能性は高いわ」
「つまり、ナユタはクロ様やホルンと同じ、転生者の可能性があると?」
「それもノアちゃんたちの調査をそのまま信じるなら、『完璧な状態での転生』をね」
「……主君様。もし、もしですよ?その人物が生きていたとするなら」
ルクシアはその質問が来たか、という顔をし。
やがて苦笑して、言った。
「もしかしたら―――ワタシたち全員、殺されるかもね」
***
「う、ぐ……」
まったく勝てるビジョンが見えない。
ルクシアと対峙した時ですら、まだ勝ち筋が見えた。
でも目の前にいるこの怪物は、勝ち筋どころが逃げる手立てすら見えない。
スイを宿し、闇魔法の制御を完全にモノにして―――それでも尚、超えられない壁が立ちふさがるのか。
「あな、た、は……」
「ん?」
声を振り絞れ。時間を稼げ。
まだ極僅かだが、仲間が近くに来る可能性がある。
意識を失うな。話し続けろ。
「あなた、は……何が、目的ですか……!」
だがこれは、本心からの疑問だった。
そう、この女の目的が分からないのだ。
わたしたちを見た瞬間のあの歓喜の意味も、それでいてわたしたちを完膚なきまでに叩きのめす意味も。
「目的か……ふふっ」
ナユタは笑った。
なにかを含んでの笑いじゃない、本心からの。
まるで、何か微笑ましいものを見ながら笑うような。
「目的はね。君たち2人」
「なん、ですって……?」
「気が付いてるだろうけど、ここに君たちを堕としたのは私だよ。この最下層に続く道が近くなるようにこの神殿を置換したのも。1000年もここに閉じ込められてたおかげで、この神殿はほぼ私が掌握してるからね、それくらいは朝飯前さ」
「答えに、なってねーだろ……!」
ホルンもジロリとナユタを睨んでそう言う。
だけどナユタは、それすら慈しむような顔で見つめていた。
「ごめんごめん。じゃあそうだな―――ヒントを出そうか」
「ヒント……?」
「私の名前、ナユタは本名だけどね。この世界で名付けられた名前じゃないんだ」
「は?」
「私のかつての世界での名前は―――春秋 那由多。君らと同じ日本人だよ」
「はあ!?……げほっ、ごほっ!」
予想していたことはあった。
ノア様に言われていたこともあるし、この異常な強さから、その可能性は案じていた。だから今更名字を知った程度で驚きはしない。
そう、そこは驚く点ではないのだ。
「なんで……わたしたちが転生者だって知ってるんですか!」
驚くべきはこっちだ。
その話を知っているのは、わたしたちの互いの仲間だけのはず。
フロムも知っているけど、それだけだ。外部に漏れるような話じゃない。
なのに、何故そのことを知っている!前世の名前を名乗るどころか覚えてすらいないわたしたちのことを!
「あはっ。それは当然だよ」
「当然……!?」
「だって―――君たちをこの世界に転生させたのは私だからね」
…………?
今……なんて言った。
「は、あ……?」
待て。
待て待て待て待て待て。
そうだ、酔った頭で思考が巡らなかったが、あいつさっきなんて名乗った。
ヒトトセ ナユタ。
ヒトトセ。その名前―――!
「ま、さか……」
なら、あのノートに書いてあった、転生魔法は。
“自分が元の世界に帰る”ための魔法ではなく―――。
「ああ、もうダメだ。もう我慢できない」
“誰かをこちらの世界に引き込む”魔法!?
「……タイムアップ。答え合わせといこう。少し痛いと思うけど、本当にごめんね」
混乱するわたしたちを他所に、ナユタはホルンの近くへ歩み寄った。
そして、人差し指を額につけて。
「《蘇れ》」
「!?うあ、が、ああああああああああ!?」
そう唱えた瞬間、ホルンがもがき苦しみ始めた。
同時に瓦礫の拘束が解除されたが、それでもホルンはただのたうち回っている。
「なにを……」
そしてナユタは、今度はわたしの近くへとやってきた。
魔法で応戦しようとしたが、平衡感覚すらままならないこの状態ではどうにもできず、同じように額に指を押し付けられて。
「《戻れ》」
「うあ……」
直後、これまでに味わったことがないほどの激痛が頭の中を走った。
「あああああああああああああ!?」
『クロ!?しっかりして!ク……』
あまりの痛み、あまりの苦しみ。
そのせいか、わたしの意識は何かに吸い込まれるように消えていった。