第28話 ノアの奇策
たらふく食べた後は陽が落ちかけていたので、わたしたちが泊まっているホテルにステアを連れてきた。
ニナさんをはじめとする皆はびっくりしていたけど。
「わたしの時と同じ、ノア様の気まぐれです」
って言ったら全員納得してくれた。
今更だけど、ノア様って相当な変人と思われているんじゃないだろうか。
「ところでノア様。もうこのホテル全部屋満室ですが、ステアはどうするんですか?」
「私の部屋に泊めればいいわ。大人しいから手もかからないし」
「よろしいのですか?わたしの部屋でも構いませんが」
「ええ、明日からこの子は私のものになるんだもの。ちゃんと私のことを知ってもらわないとでしょ?」
「まあ、確かにその通りではありますが」
まあ実際この通り、相当な変人だから仕方がない。
「あっ………」
「どうしたの、ステア」
「………行かなきゃ」
「へ?」
ステアは沈む夕日を見て、何かを思い出したように出口に走った。
「どこに行くですか、ステア」
「………おみせ、かえらなきゃ」
「あの男のところに?もうあそこには行かなくて」
「だめっ………!」
引き留めようとしたわたしとノア様は、少しだけ驚いた。
ステアが大声を―――まあ声量的には大したことなかったけど―――出すとは思わなかった。
「………わたしいないと、みんながぶたれる。わたしがいちばんぶたれるのに、いなくなったら、ダメ。だから、もどる」
そう言って、ステアはドアノブに手を伸ばし―――
「クロ」
すかさずノア様の言いたいことを察し、わたしはステアの首に軽く打撃を入れた。
「あっ………」
ステアがその場に倒れそうになるのを、わたしが支える。
「優しい子なんですね。自分が一番殴られるから、他の子の為にもそこにいなければならない、か。わたしには出来ない考え方です」
「そうね。水色の髪じゃなくても私のそばにほしいくらいのいい子だわ」
「ノア様。従者の身でここまで主のお考えに口を出すのは憚られますが―――」
「あのバイロンという男をやっぱり許せない、かしら?」
ステアをベッドに寝かせながらわたしがかねてより思っていたことを言おうとすると、ノア様は例のごとくわたしの思考を先読みしてきた。
「このまま取引が成立すれば、ステアは助かります。だけど、ステアに刻まれたトラウマは消えませんし、この子以外の子供たちはそのままです」
「加えてあの男の奴隷、おそらく半数以上が誘拐された子供よ。あのままだと、あの男が捕まるいつか分からないその日まで、彼らは苦しむことになるわね」
「それでしたらっ」
「だけどね、クロ。わたしたちはあの男を裁く権利なんてないわ。そもそも私が成そうとしている世界征服という大事に比べれば、あの男がやっていることなんて些事よ」
「それは、だって」
「私が世界をこの手に収めようとすれば、きっと不幸になる人だって出てくるわ。実際、前世で私は多くの人々を不幸にしてきた。当時の黒髪が、千年経った今でも不吉の象徴と言われるほどにね。あなたが忠誠を誓った女はそういう人間よ」
ノア様の言うことは、正論だった。
正論だけど、でも。
「納得できないわよね?」
「え?」
「今の話よ。正論をぶつけてみたけど、それがあのバイロンを許す理由にはならないわ。なんでかわかる?」
「正論とか、合理性とか云々以前に―――むかつくから、でしょうか」
「クロのそういうところ、やっぱり私大好きよ」
にっこりと笑うノア様は、目だけはちっとも笑ってない。
「まだ完全に決まっていないとはいえ、ステアは私のもの。傷つけたあの男には、それ相応の罰を受けてもらわないと困るのよ」
「ではどうしますか?今から行って、痛めつけますか?」
「ダメよ。なんで私が、わざわざ明日の夜まで時間を作ったと思っているの?」
「ステアを連れて、自分についてきた方がいいと思ってもらうためでは?」
「違うわ。今のステアに最も必要なのは、バイロンとの繋がりを完全に断ち切ることよ。後腐れをなくすと言い換えてもいいかしら。もう二度とあの男が自分の目の前に現れることはないと確信しない限り、あの子が私のものになることはない」
「おっしゃる通りかと。しかし、ならばどうするんですか?」
「それは明日までのお楽しみ」
「えっ、ここまで話しておいて!?」
ノア様はいたずらっぽい、しかしどこか黒い笑顔で、
「明日になれば、貴方が成すべきことが分かるわ。明日の夜を楽しみにしていなさい」
そうわたしに言って、窓の外を向いてしまわれた。
***
ステアのレンタルから一夜明け、時刻は夕方。
あれから目覚めたステアが慌てて店に行こうとしたりといくつかのトラブルはあったものの、何事も無く取引の時間が近づいてきている。
「………………」
「ステア、不安ですか?」
「みんな、わたしのこときらいになってる。いつもわたしがぶたれるぶん、たくさんなぐられたっていう」
「大丈夫よ。全部終われば、むしろ彼らはステアに感謝するかもしれないくらいだわ。わたしに見初められてくれてありがとうって」
「………?」
暗い表情のステアは、昨日ノア様が買った服で身を包んでいる。
首輪さえなければ、文句なしに可愛いんだけど。
「さ、行くわよ」
ノア様に連れられ、わたしたちは外に出た。
例によって、目立たないように全員フードを被り、貧民街へと入っていく。
もう行きなれた道をすいすいと進み、やがて件の店の前に辿り着いた。
「クロ、これ持ってて」
「え?」
さあ入ろう、という時に、ノア様からずっしりと重い袋を渡された。
お金かと思ったけど、違う。お金は昨日、ステアのことで大半を使ってしまったはず。
案の定、中はどこのものかわからないようなコインだった。
ノア様はこれを使ってどうする気なのだろうか。贋金でバイロンを騙すつもりなら、もっとうまくやるはずだし。
「ノア様、これは一体?」
「こっちは約束を守ろうとしましたよーっていう意思表示みたいなものよ」
「??」
「中に入るわよ」
ノア様に続き、ステアの手を取ってから店に入っていく。
中はすでに営業中で、しかも前より客が多い。
そしてバイロンは、中心の机のそばにいた。
「お待ちしていましたよ。約束の分、持って来てくださいましたかねぇ」
「ええ、そこのクロに持たせてあるわ」
実際の中身はただのコインだけど。
「そうですかそうですか。じゃ、中を改めさせて」
「その前に、ステアの首輪を外すのが先よ」
「首輪を外す?所有者登録を書き換えるのではなく?」
「私、ステアに奴隷になってほしいだなんて一言も言ってないもの。それに、女の子の首にあんな武骨なもの、似合わないでしょう?」
ステアは驚いたように、ノア様のことを見上げた。
ステアだけではなく、周りで仕事をしていた子供たちも、ノア様の言葉に思わず振り向いている。
「へへっ………まあいずれにしろ、金を払ってもらわないとそいつはできませんなあ」
「こっちだって譲れないわ。貴方が約束を守る保証がどこにあるの?私は昨日あれだけ誠意を見せたんだから、先に解放してくれるくらい良いのではなくて?」
バイロンもノア様も、互いににらみ合うようにして話をしている。
「ちっ………わかった。わかりましたよ」
「わかってくれた?」
「予定では、ちゃんと金を持っているのを見てからにするつもりだったんですがねぇ」
突如、バイロンがおもむろに手を挙げた。
すると。
まるでそれが合図だったかのように、客がわたしたちを取り囲んだ。
「これは何のつもりなのか、一応聞いてもいいかしら?」
「ええ、いいですとも。………あの後考えたんだよ。お前らが約束を守る保証がどこにあるんだってな。ステアを俺から買った後は、約束を律儀に守ってたってお前らには何のメリットもない。ここの領主に俺のことを吹き込まれたら終わりだ」
「でしょうね」
「そこで、シナリオを変えることにした。お忍びで貧民街を見に来たお嬢様とその従者。そいつらは貧民街を甘く見たせいで、行方不明になってしまいました―――ってな」
「なるほどね。でもどうするの?私とクロの髪色は目立つわ。奴隷にするには無理があるわよ」
「そうだな。だが、幸いここには炎属性が何人かいる。全員合わせれば、死体を完全に焼き尽くすくらいはできるだろうよ」
客―――いや、バイロンの仲間たちは、にやにやと下衆い笑みを浮かべながらこちらに迫ってくる。
総勢六人、バイロンを含めて七人。普通は子供が勝てる相手じゃない。
「だ、だめ………!にげ、て………!」
「ああ?おいステア、お前こいつらを今庇ったのか?」
「っ………!」
「かーっ、この一日でそいつらにほだされたのか?呆れたガキだよ、さすが劣等髪はおつむの出来も悪いな。ちゃんと再教育してやらないとなあ」
舌なめずりをするバイロン。
ビクッと体を反応させ、プルプルと震えるステアを背に感じながら、わたしは。
ここでようやく、ノア様がやろうとしていることを確信した。
「………ふふっ」
「ん?」
「ふっ……ふふふふっ!!あは、あはははっあはははあっはははは!!!」
ノア様は狂ったように、だけど明確に悪意を持って、笑った。
心底面白そうに。いたずらが成功した子供のように。ライバル会社を蹴り落とした社長のように。
「ま、まさかここまで綺麗に、私の思い通りになるとはね!これよ!この、すべてを支配している感覚が大好きで、私は世界征服をしようとしているのよ!わかるかしらクロ、わたしのこの高揚が!」
「さっぱりわかりませんが、ノア様が楽しそうで何よりです」
「あらそお?でもさすがに、クロも私が何をしようと考えていたのか分かったでしょう?」
「はい、ここまでノア様のお考えが分からなかった自分の無能さに嫌気がさしました」
「そうやって自分を卑下するのは良くないわ。あなたは立派な私の従者なのだから、堂々と自信を持ちなさい」
出会った時、つまりわたしを見つけた時以来かってくらいに狂喜しているノア様を見て、周りの人間は皆戸惑っている。
ステアすら、訳が分からないという顔をしていた。
「こ、このガキ、何がおかしい!?」
「何がって、貴方が私の掌の上で踊ってくれたことがよ。貴方がそう出ることくらい予想していたけど、あえて私は誠実に、こうしてお金まで用意してあげたわ。けどあなたはそれを破ってステアの首輪を解こうとせず、あまつさえこの私に牙を向けようとした。これで取引は不成立よね、クロ?」
「はい。しかしこちらは前金を払っていますので、意地でもステアは連れて行かないと、お金が無駄になってしまいます」
「で、彼はわたしたちを殺そうとしているみたいだけど、どうしたらいいかしら?」
「この状況であれば、なにをしたって正当防衛になると愚考します」
これがノア様の奇策。
ノア様は始めから、取引の条件をあちらが破ることを予想していた。
だからこそ、あえてノア様はそれに乗ったのだ。
ステアを買うための前金という名の資金を与え、金を用意するための期間という名の時間を与え、人を集めさせ、わたしたちを殺す準備を整えさせた。
「クロ、奴隷の首輪を外す条件をド忘れしてしまったのだけれど、教えてくれないかしら?」
「仕方がないですね。奴隷解放の手段は二つです。一つが、所有者が解放を宣言することです」
「もう一つは?」
「奴隷の所有者が、死んだ場合ですね」
つまりノア様は、ステアのバイロンに対するトラウマを、完全に消し去りたかった。
その最も手っ取り早い方法は何か。
簡単だ。バイロンが取るに足らない存在だということを、教えてあげればいい。
「そうだったわね。でもこの男、どうやらステアを解放する気はないみたいよ?」
「それではやむを得ませんね、二つ目の方法をとるしかないでしょう。ついでに、後ろの六人も我々を狙っているので同罪であるかと」
「まったくもってその通りね、良い従者を持って私は幸せだわ」
こんな小物よりも。
もっと恐ろしく、もっと強く、もっと残酷で、もっと悪人の素養があり。
そして、もっと魅力的な存在がここにいるんだと。
この子の心に刻み込んであげれば。
「では、ご命令を」
「ええ。クロ」
ステアは完全に、この雑魚の呪縛から解き放たれる。
そして放たれた心は、その何百倍も黒くて美しい、別のものに絡みつかれる。
ああ、素晴らしい。
この御方に忠を誓って良かった。
ノア様は今日一番の黒い笑みで、親指を立て、首を切る仕草をした。
「全員、殺しなさい」