第296話 歪む世界
発動した瞬間、世界が変わる。
「……?」
一見すると何も起きていない。
だが、わたしが一歩動いただけで、10メートル以上離れていた筈のルシアスが目の前に現れる。
ルシアスが動いたわけではない。わたしが歪んだ空間の中を渡って来ただけだ。
「どうしました?攻撃し放題ですよ、今なら」
ルシアスはわたしを攻撃しようとして―――そして、転んだ。
起き上がろうとしているようだが、うぞうぞと動くだけで立ち上がれていない。
「かみお、にぬすち……?……っ!?」
「何言ってるか分かりませんね。ま、それがこの魔法の力ですが」
闇属性最高位魔法、《歪む世界》。
闇魔法の歪める力を、周囲の空間と生物全てに影響させる魔法。
発動範囲に入っている全ての空間は、わたし以外には把握できないほどに歪み狂い、わたしにはどうあがいても接近できず、遠距離攻撃など撃とうものなら最悪自分か味方に跳ね返る。
そして生物は、わたしが任意で歪めるものを選択できる。
現在ルシアスは、言動、神経、力の強弱など、様々な部分がこの魔法によって歪んでいる。
結果、言動は支離滅裂になる。
左手を動かそうとすれば右足が、左足を動かそうとすれば首が……というように四肢を動かす神経も狂い、上手く動けない。
その有り余る身体能力で無理やりわたしに攻撃しようとしても、思いっきり力を入れると逆に最小の動きになるように脳を狂わせているのでそれも出来ない。
更に適宜歪め方を変化させるので、この男得意の適応してそのまま動くというのも無理だ。
まさにまな板の上の鯉。どうとでもできる。
進化した身体能力?人間の限界を超えた超人?それがなんだ。
そんなもの、行動を封じてしまえばただの硬いサンドバッグになり下がる。
「さて、本来であればこの苛立ちが収まるまで責任もって時間をかけてボロボロになっていただくところですが……」
周辺の空間の歪みだけ元に戻し、顔を近づけた。
気のせいだろうか。彼の顔が未だかつてないほどに引きつっている。
「わたしはこれでもあの御方の右腕で、ナンバー2で、側近筆頭です。そんな立ち位置にいるこのわたしが、そんなイキりちらかすような真似は致しませんよ」
「か、かう、にあききかぎへかあにあぢぎ」
「わたしはあなたと相性が良いだけですから。ええ、時間魔法は未来視以外使わなくとも、死を与える系統の闇魔法を全て封じてあなたを完封できても、側近筆頭のわたしは油断も慢心も致しませんとも」
そんな不安そうな顔面を、わたしは思いっっっきり踏みつけた。
「げお!?」
「そしてわたしはナンバー2として、あなた方を纏める立場として、ある程度の優しさというものも持ち合わせているつもりです。本来なら魔法撃ち放題のこの状況で、あなたの土俵の物理だけで憂さ晴らしをしているんです、これは優しさですよね。そう思いませんか?」
「……え、あ、僕ら!?」
「あー、そのー、そう、ですわね?はい、そう思いますわ、ええ」
「クロ、怖い」
「……覚えておきなさいステア。ああやってバチ切れした時に、どうやったら最も効率的に相手を貶められるか冷静に考えられる女が一番怖いのよ。この先どんなことがあっても、クロにあの表情をさせちゃダメだからね」
「分かった」
「み、みと!かろぎをれきっちっと!きえしあ!きえしあどぢ!」
「人類語で喋ってくださいますか?滑稽ですよ」
「かみおはみまえはそうぢわえぎ!」
「ふふっ、そうですか。それはよかったですね」
「ぞっちうをきっとのお!」
「えーっと、それでなんでしたっけ?そうですそうです、わたしに代わって側近筆頭になりたいとか?」
「おっとのおっと!(言ってねえって!)」
「あなたにわたしが行ってきた業務が務まると思っているんですか。ステアはともかく、目を付けていても離していても勝手に暴走を始める自由が過ぎる主人に、その主人を全肯定して手足として大暴走するクソドМ、マトモだったのにラブコメ主人公みたいなことして女を手玉にとってるナンパ天然ジゴロ、鈍感・天然・最強の三拍子そろった制御に困る天才、頭の中でギャアギャア騒ぐ挙句に何度言ってもわたしが寝た後の深夜徘徊をやめない居候、そして所かまわず強者と見るや喧嘩を売ろうとするフィジカルゴリラ。これだけの問題児共を頭をフル回転させてまとめ上げてきたこのわたしの代わりになろうとしますか。あなたが。あなた如きが。へえ?」
「う、うよ……おっとのおあ、どせこな……(い、いや……言ってないん、ですけど……)」
はて、おかしいな。
別にこんなことを言いたいわけではないはずなのに、驚くほど舌が回る。
普段少なからず抱いている感情だからだろうか。
「……なんだろう。僕は直接的に悪いことをしていないはずなのに、すっごい申し訳ない気持ちになってきた」
「あなたはまだマシですわよ……私、クソドМって言われましたわ……」
「……ちょっとあの娘に甘えすぎてたかしら。ここまで溜めこんでるとはね……」
「私、大丈夫だった。ぶい」
『……ごめんなさい、以後ないように気を付けます』
わたしとしたことが、激情に任せて随分と広範囲に口撃してしまった。
でもなんだろう、すごくすっきりした。
心の掃除をした気分だ。
「ふう。なんだか晴れ晴れとした気分です。結果的にはこういう機会を設けてもらってよかったですね。ありがとうございます、ルシアス」
「ひ、ひう(は、はい)」
「ですが、それはそれとして―――」
わたしはもう一度顔を踏んづけて、そして一回転。
制限解除した肉体に任せて、思いっきりルシアスを蹴り飛ばした。
歪んだ空間によってルシアスは吹っ飛び、オトハの頭上を掠めて木にぶつかり、メキメキと音を立てた木にサンドイッチされて止まった。
「あなたに対するムカつきは取れていなかったもので。ですがこれで良しとしましょう」
おお、なんだか世界が輝いて見える。
こんなにも青空は綺麗だったのか。
わたしは伸びをして、心のままに言った。
「あー、すっきりした」
苛立ちを始めとする負の感情が渦巻いていた心がほどけていく。
以前よりもクリアになった心で、わたしはノア様に近づいた。
「申し訳ございませんノア様、側近同士で独断で戦うなど。いかなる処罰も」
「え、あー、いや、いいわよ別に。私もその、結構自由にしているんだし、あなたももっと、ね?」
「寛大な処置、感謝いたします」
「……ところで、ルシアスはあれ大丈夫なの?」
「魔法は既に解除したので、すぐに起き上がってくるかと。彼なら死なない程度にぶっ飛ばしましたので」
「……そう」
心が正常になると共に、ちょっと罪悪感がこみあげてきた。
いくら向こうから仕掛けられたとはいえ、随分なことをしたし、言ってしまった。
なるほど、これが感情的になるということか。自制しなければならない。
しかし、わたしも地位にこだわるという気持ちがあったんだな。まさか側近筆頭を奪われそうになっただけで、こんなにも激情が走るとは。
……ん、あれ?そういえば、地位を奪うとかそういうことは言われてないな。
いやー、キャラはしっかり作ってたつもりなんですけど、最近になってようやくクロっていう主人公がつかめた気がします。今更。
お気づきの方多いと思いますが、クロは死ぬほど怒ったのは「一番ノアに近い」自分の立場を奪われる=自分がノアにとって一番ではなくなるという考えがあって、そこに触れたルシアスの挑発を怒りで超解釈してしまった結果です。
で、あんまり怒ったことがない人って、一回沸点に行くと色々と他に多かれ少なかれ抱いていた苛つきとかも全部言っちゃうじゃないですか。今回のはまさにそれです。要するに色々溜め込んでた分、ルシアスが煽ったせいで爆発しちゃったんですね多分。
あと、一応ルシアス君の名誉のために言っておくと、彼はクロとクソ相性悪いだけでリーフ相手でも勝てはせずとも善戦できる程度には強くなってます。