第294話 地位を脅かす者
……いきなり何を言い出すかと思えば。
「お断りします。必要性もメリットも感じませんので」
「おーん?なんだ、逃げるのか?俺たちのナンバー2ともあろう女がよ」
わたしは思わずため息をついた。
「わたしがその程度の安い挑発に乗るとでも?理性的かつ客観的視点で物事を考えるのも、ナンバー2の仕事です」
一目ルシアスを見ただけで、その異常と言っていいほどに進化した実力は理解できる。勝負を挑んできたのもその力を試したいからだろう。
だが、それをわたしでやる必要性を感じない。むしろ何故わたしだ。
「何故それをわたしに頼むんです、どう考えたってリーフが妥当でしょう。戦闘狂同士WIN-WINじゃないですか」
「ああ、まあな。いずれリーフにも挑むことはあるだろうさ。だが、まずはお前だよ、クロ。……お前らなら分かるだろ、オトハ、オウラン」
なにを誰に聞いてるんだ、この男は。
だが、2人の反応はわたしに反した。
「まあ、たしかに……同じ立場ならクロさんに挑みますわね」
「うん。僕もその二択ならクロさんかな。僕の気持ち云々抜きにしても」
「はい?」
何を言っているのか。
「クロ。お前はな、俺らにとっては“壁”なんだよ。姫さんの一番のお気に入りで、一番信頼されていて、付き合いも一番長い。自覚はないかもしれねーけどよ、側近全員お前を羨んでるんだぜ?ああ、リーフは違うかもしれんが」
「……はあ。ステアもそうなんですか?」
「お嬢に、一番、信頼されてるのは、ちょっと、嫉妬したこと、ある。否定、出来ない」
「そう、ですか」
そんな感情を抱かれているとは。
羨望なんてその身に受けた覚えが全くないから、居心地が悪い。
だけど、それでもわたしが戦いの申し出を受ける必要性は感じない。
だから再度断ろうとしたのだが。
『いいじゃんクロ。受けてあげようよ』
『あなたまでそんなことを……』
『ボクもちょっと気持ちは分かるからね。主様に次ぐ席は、1000年前はボクのものだったし』
『そう言われましても、わたしは運が良かっただけです。たまたま一番最初に出会って、たまたまわたしが闇魔術師だった。それだけですよ』
『そうであっても、君が不動のナンバー2って事実は消えないよ。ここは一度戦っておいたほうが後腐れが無いと思うけどね』
『なんでわたしが……』
わたしは別に、戦いや殺しが好きなわけじゃない。あくまでノア様の覇道に必要なことだからやっているだけだ。
痛いのも苦しいのも好きじゃない。余程のことがない限り、こんな身体能力の化身みたいな化け物と戦いたくなんてない。
メリットとデメリットを考えろ。万が一敗けた時のリスクや、下手をすればルシアスを殺してしまうかもしれない焦燥。
常識的に考えて、ここは不戦敗という形になろうと戦わないのがベターだ。
「わたしは別に、地位などにこだわりはありません。年齢やノア様との付き合いの長さで側近筆頭を預かっているだけであり、能力だけならばステアの方が上でしょう」
「ほーお?じゃあなんだ、側近筆頭じゃなくなってもいいってんだな?」
「そんなもの、別、に……」
……?
なんだ、この感情は。
胸がむかむかして、息が荒くなって、何よりイライラする。
目の前のありきたりな挑発をかます男を、殴りたくて仕方がない。
「いやー、あの偉大な姫さんの側近筆頭が、後輩との勝負に不戦敗とは、格好がつかないんじゃねえか?箔に傷がつくってもんだぜそれは?」
「………」
落ち着け、冷静さを失うな。
自分を分析しろ。この感情はなんだ。
「……うおっ」
この感情には覚えがある。
そう、ハイラント全神国だ。
あの時、ノア様へのあまりの無礼を連中が働いた時にも……。
ああ。
そうか。
わたし―――怒ってるのか。
「……気が変わりました」
この地位を、ノア様の右腕であるという事実を失うことが恐ろしくて仕方がない。
その地位を脅かす発言をしたこの男を潰したい。
驚いた、自分がこれほどあっさりと怒るとは。
「たかだかノア様と出会って3、4年の新人が……10年以上あの御方に尽くしてきたこのわたしから、筆頭の地位を奪おうとしますか。ふふっ、良い野心ですね。ノア様が気に入るのも分かります」
どうやらわたしは、思っていたより煽り耐性がないらしい。
「え?あーいや、別に地位を奪うとかそういう話ではないんだが。挑発には使ったが、そんな気を悪くしたなら」
「ク、クロさん?ちょっと、そのすっごい良い笑顔!全神国で知ったぞ、ブチ切れてる時の顔だよね!?」
「クロさん!?ちょっ、ルシアス謝った方が!それかステア、鎮静化してくださいな!」
「……イヤ。今のは、ルシアスが、悪い」
「……やっべ」
「あらあら。一番怒らせちゃいけない子が激怒したわね」
「お嬢様、そんな悠長なことを言っている場合では!」
うん、これは怒っている。だけどあの時と違って、頭はクリアだ。
冷静かつ客観的に、この男をぶっ飛ばす方法だけを考えることが出来ている。
「いいでしょう、お相手しますよ」
「え、あ、お、おう……敗けねえぞ?」
「少しばかり強くなっただけで、随分と鼻っ柱が伸びているようですね。叩き折って差し上げます」
「……ぅぉお」
『ちょ、ちょっとクロ?気持ちは分かるけど冷静に』
「スイ、身体を共有している以上、あなたもわたしの武器です。協力してくれますよね?」
『あ、え……はい』
スイが宿らなければ手に入れられなかった倍以上の魔力と、完全にモノにした魔法の操作技術。
すべて十全に使って、叩き潰してやる。
そうしなければ、この心の内にある激情は鳴りを潜めないだろう。
「……えっとよ、クロ。その、軽い気持ちで言っちまってすまん、俺が悪かった。そこまで地雷だとは思わなくてよ。だからその」
「大丈夫ですよルシアス、この程度で心を乱していては、ノア様の右腕は務まりません。わたしは落ち着いています。それよりほら、早く戦りましょうか。適当なとこに転移でもしてください」
「………」
「諦めなさいルシアス。あれはもう、あなたをボッコボコにしないと気が済まないって顔よ」
「……っかしいな、挑んだのは俺のはずなのに、なんだこの妙な絶望感」
「クロを、怒らせたのが、悪い」
「どうしたんです?さあ、転移してください。ほら早く」
「……い、一応私たちも行きましょう。ルシアス、出来るわよね?」
「おう……」
「リーフはここに書置きしておきましょうか。場所はー、あそこがいいわ、前にわたしたちが帝国兵を皆殺しにしたゼラッツェ平野。今は人も寄り付かないはずよ」
「ではそこで。さあどうぞ」
「……《転移》」
風景が曲がり、いくらか見覚えのある場所に着いた。
だがロケーションなどどうでもいい。わたしはわたしの為すべきことをするだけだ。
「魔力を消耗したでしょう?全快したら言ってください。まあ不意打ちしてきても構いませんが」
「し、しねえっす」
「そうですか」
わたしは近くの木にもたれ、少し精神を集中した。
『スイ、一瞬切り替わって未来視をオンにしてください』
『了解……』
目を開くと、物体の動きが二重に見える。
アルスシールでの殲滅作業中に、未来視の感覚には慣れた。
いくら向こうが超人的な動きをしようと、こちらは先読み可能だ。
『えーっと、クロ?』
「はい、なんでしょう?」
『……殺しちゃダメだからね?』
「ふふっ、何を言ってるんですかスイ。殺しませんよ、彼は大切な仲間ですから」
『うん、そうだね……』
「ええ。その上で―――」
未来をこれほど楽しみに思ったのは久しぶりだ。
そういう意味では感謝しなければならない。
「二度とわたしの地位を脅かそうなどという考えを持たぬよう、徹底的に潰しますよ」
『……うん。もうつっこまないね、ボク』
こ、こんなに怒らせるつもりなかったんす……。