第285話 ボタンの秘密3
「……ごめんなさい、話を遮るわ」
「構わぬ。なんじゃ?」
お嬢とは思えない控えめな声と態度。
しかしどうしても気になったのか質問をした。
「今の話では、あなたは視覚も味覚も失っていないようだけど」
「うむ、その話もせねばな。神皇になることは決めた。じゃが、それでもワシをこんな目に合わせた者共への怒りは収まるわけはない。じゃからワシは、そやつらの前でもう一度術を発動したのじゃ」
「その場で?」
「ああ」
―――家族を消した術を、その場でもう一回?
胆力があるとかそんなレベルじゃない。
「対価は二つじゃ。一つは『五感』。ワシが深層心理で大切と思っている上位二つを持って行っていいと願い、ワシは目と味を失った。その代価として、ワシはこの先五十年修業した分と同じだけの重力操作の技術を得た」
「……なるほど。一年で習得できる覚醒魔法のレベルを超えていると思っていたけど、そういうことだったのね」
「もう一つは、この先の人生で一度たりともスギノキの外に出ないという制約じゃ」
「ってことは―――ボタン、お前スギノキの外に出られないのか!?」
「そういうことじゃ。この国はワシを囲う巨大な檻というわけじゃな」
「……もし出ていこうとしたら?」
「ワシが術によって得たすべてを失う。無論、支払ったものは戻らずな。この国を出た時点で、ワシは魔法も魔力も視力も味覚も家族も持たぬ、何も出来ん肉人形と成り果てるというわけじゃ」
ボタンは、家族のことを話す時より遥かに明るくそう言ってのけた。
その様子にオウランは何かを言おうと口をパクパクさせ、だけどかける言葉が見つからずに口を閉じた。
「お前は本当に優しいのう」
「……優しくなんて、ないよ」
「わはは、そう卑下するな。お前はワシが愛したやつじゃぞ?……話を戻そう。ワシは制約によってこの国から出られんくなった。その代わりにワシは、このスギノキ全土を覆うほどの超広大な魔法発動範囲を得ておる」
「待って。鎖国国家で『国から出られない』っていう当たり前を制約にして、それだけの力を得ることが出来たの?」
「正確にはワシが代価にしたのは『外界への憧れ』じゃからな。思い続けたものに二度と手を伸ばすことを禁ずる、その制約は強い力を持つのじゃ。それに知っての通り、重力魔法はワシを中心に離れれば離れるほど効果を及ぼし辛くなる。故に実は発動領域の拡大は重力魔術師にとって大した力ではないんじゃ。故にそこまで大きな制約は必要ない」
「じゃあなんでわざわざ得たんだよ?」
「この国にはな、戦闘の際以外は常にワシが超微弱な重力をかけ続けておるんじゃ。数値にして1+10億分の1くらいのな」
「なるほど、そういうこと。重力魔法の影響下にあるものの動向をあなたは感知することができるんだったわね。それで国全体を探知しているってわけ」
「うむ。お前たちの入国もそれで感知したのじゃ。いきなり人気のない山に人が現れた時は驚いたぞ」
その程度の無いも同然の弱い重力なら、回復する魔力と相殺して半永久的に発動できるということだろう。
けど、それも先に視覚と味覚を代価にした技量ブーストがなければ不可能な御業のはず。
よく考えられている。自己犠牲が過ぎるという一点を除けば。
「もしかして、この国に、土魔術師が、多いのは」
「代々の神皇が幾度となく奇跡という名の重力魔法を使ってきた影響で、その高純度の魔力が時間をかけてこの国に蔓延しておるのじゃろうな。それによって土魔術師だけが極端に生まれやすくなっておるのじゃ」
それだけの魔力が国を覆うまで、一体何人の重力魔術師が必要だと……?
「これがこの国を代々守ってきた現人神、『神皇』の正体じゃ。重力魔法という絶対の力を盲信した愚か者共の傀儡というわけじゃよ」
……私は、基本的にお嬢とクロと仲間以外はどうでもいい。
ただお嬢とクロが私のことをいっぱい愛してくれて、仲間と一緒に変なことして楽しく過ごして、お嬢の夢を皆と一緒に叶えることが出来ればそれでいい。
だから、他の人がどんな境遇に立たされていても知ったことじゃない。それが私の本心。
だけどこれは―――いくらなんでも、趣味が悪すぎる。
事実私は、そのどうでもいいに含まれるはずのボタンと代々の神皇を、心の底から哀れんでいる。
吐き気を催す邪悪とはまさにこのことだ。この国の政治屋の悪質さに比べれば、お嬢どころかルクシアすら可愛いものと感じる。
「……お望みなら壊すわよここ」
「手伝うぜ」
「ありがたいがやめておけ。千年以上前の大天才が作った遺物じゃ、傷つければ大爆発なんてことにもなりかねん。それに、この術式自体はただの道具よ。重要なのはどう使うかじゃ」
ボタンの達観した意見に感心すると共に、同意見だとも思う。
「それよりほれ、調べるなら調べとくれ。魔法や術式に関してはお前たちの方が詳しいじゃろう。これがお前たちの目的に使えるかもしれんしな」
「ステア、お願いできる?」
「分かった」
この術式は、使い方すら誤らなければとても素晴らしいものだ。
私もそこそこな魔術師だ、使用している文字は違えどこの部屋にびっしりと書かれた文字が執念と努力によって洗練されたものなのは分かる。
部屋中を見渡してすべて目に焼き付け、あとで解読できるように頭の中で分析を始めていく。
「大丈夫なのか、小娘一人に任せて」
「問題ないわ。あの子私より優秀だもの」
「うちの最強の切り札さ。羨ましさすら感じないレベルの天才だよ」
「ほう。それはそれは」
ぐるりと一回転して、最後に床の方も見てみようと部屋をもう一周して―――奇妙なものを見つけた。
ものというか、文字。台座の一番下部に、小さく文字が彫られている。
それ自体はこの部屋では当然だ。でもそれは、部屋に記された古代文字ですらなかった。これは。
(……異世界の、文字?)
クロの記憶を見せてもらった時に出てきた、アルファベットと呼ばれていた文字だ。
記憶を探って、読み方を考える。
クロが覚えている限りの英単語ではない。そして、母音と子音が交互に並んでいる。
ということはおそらく、ローマ字?
「HI・TO・TO・SE・NA……ヒトトセナ?」
「どうしたの?」
「ここ、クロの、前の世界の、言葉で“ヒトトセナ”って、書いてある」
「前の世界ってなんじゃ?」
「それは今度教えるわ」
言葉の意味も、わざわざ異世界の言葉で刻む意味も分からない。
この言語を知っているということは、十中八九この部屋を、もっと言えば『禁術』とそれに類する技を作ったのは異世界からの転生者ということになる。
驚くことではない、クロとホルンという例がある以上、他の転生者がいることは予想していた。
「意味わかる?」
「すみません、全然……」
「ステアに分からねえことを俺が分かるとでも?」
「さっぱりじゃな」
この世界にそんな言葉はない。ということは異世界特有の言葉?
……いや、違う。
(間が、空いてる)
“ヒトトセ”と“ナ”に、僅かに間が空いている。
そして、その先にはびっしりと術式の古代文字。
更に“ヒトトセナ”とその下のほんの僅かな隙間に、文字を書こうと試みたような跡がある。おそらく隙間が小さすぎて上手く書けず、諦めたのだろう。書かれた文字を読み取ることは出来ない。
二つの言葉に間を開ける理由はいくつかあるが、意味を通じさせるために考えると―――。
「……多分、名前。ヒトトセ、まるまる。まるまるには最初に“ナ”が入る」
「ヒトトセ・ナなんとかさんってことか」
「クロのかつての世界の言葉ってことは、この術式を書いたのもその元異世界人って可能性が高いわね」
クロの世界では名字が前に来る。
つまりヒトトセが名字で、ナ○○が名前だ。
流石にこれだけじゃ私でも分からない。ナから始まるなんて星の数ほど―――。
「ナユタ」
ばっと顔を向けると、お嬢が真剣な顔でそう呟いていた。
けどすぐに息を吐いて顔を横に振って、
「……そんなわけないわね」
自分の言葉を否定して、興味が失せたように別の壁に目を向けていた。
次回更新は11月3日です。




