第25話 二人目の勧誘
「ステア、しっかりしろ!」
「どうしたの!?」
遠目から中を伺うと、ステアという水色の髪を持つ娘は、顔を真っ赤にして倒れていた。
「ど、どうしたんでしょう」
「定かではないけど、多分アルコールね。あのクソ男がかけたアルコールを吸って酔ったんだわ。疲れも相まって倒れたんでしょう」
ステアはまだ子供だ。アルコールへの耐性も低いし、元々あそこは酒場。
揮発したアルコールを元々吸っていたことも、あそこの子供たちが具合悪そうにしていた原因だろう。
そこに一気に酒をかけられたものだから、さすがの彼女も限界だったと。
「さて、ここからあの子たちがどうするか―――」
「おい、何の騒ぎだ?」
周りの子供たちがステアを囲み、客は吹き飛んだ2人の方をポカンと見ていたその時。
厨房の方から、1人の男が出てきた。
あの熊のような体は、たしか。
「ノア様、あの男、バイロンです」
「あいつが?」
わたしたちは再び魔法で姿を消し、入り口に近づいて声を聴く。
「何があった?」
「あっ………その、あそこの人たちが、いきなり壁の向こうに………それで、いきなりステアが倒れて―――」
「ふむ」
バイロンは1つ頷くと。
唐突に、ステアの頬を叩いた。
ステアの体はそのまま壁際まで飛ぶ。
「あの男っ………!」
「我慢よ。曲がりなりにもあの男は、わたしたちの交渉相手となりうる男。これ以上のトラブルの種は避けたいわ」
わたしが激昂したのを悟ったのか、ノア様がわたしをなだめる。
ノア様に我慢しろと言われれば従うしかない。
「ちっ、ダメだな。おい」
「は、はい!」
「さっさと馬小屋に戻してこい。起きたら俺のところに連れてこいよ」
「はい!」
バイロンは、ここで最も背が高い少年にそう言いつけ、中へ戻っていった。
少年はステアをもう1人の男の子と一緒に持ち上げ、外に出る。
そしてその横にあった馬小屋の一角に、ステアを優しく寝かせた。
「ステア、大丈夫かな………」
「そう願うしかない。戻るぞ」
少年たちはその後、何事もなかったかのように酒場に戻り、営業を続けた。
「クロ、チャンスよ」
「はい、今ならステアは1人です。しかし目を覚まさなければどうにもしようが」
「クロ、私がいることを忘れたかしら?」
「え?あ、そうでした」
わたしたちは誰もいなくなったことを確かめてから、馬小屋の中に潜入する。
「お願いします、ノア様」
「ええ。《解毒の光》。あと《治癒の光》」
そう、ノア様の光魔法なら、怪我や毒も無効化できる。
アルコールが毒というかは微妙なところだけど、人体に有害だし大丈夫だと思う。
「どうかしら?暗くてよく見えないのよ」
「怪我も治っていますし、アルコール特有の顔の赤みも消えています。成功かと」
夜目が利かないノア様に変わり、わたしが確認する。
後から知ったんだけど、この夜目も闇魔法の恩恵らしい。
確認した直後、うっすらとステアの目が開かれた。
「あら、気づいたかしら」
「そのようです。おーい、声が聞こえていますか?」
むくりと起き上がったステアは、その眼をぱちくりとさせた。
改めてみるととんでもない美幼女だ。
パッチリしていて、人形のようなくりっとした目。
絶妙にバランスの取れた造形に加えて、とろんとして少し眠そうな顔は、なんだか庇護欲をそそる。
水色の髪に産まれたりしなければ、平和で幸せな人生が送れていたのかもしれない。
「わたしたちのこと、わかりますか?」
少しボーっとした顔をした後、ステアはこっくりと頷いた。
言葉はちゃんと聞こえているようで安心した。
さっきの平手打ちで、鼓膜が破れたりしていたらどうしようかと。
「あなた、さっき倒れたんですよ。覚えてますか?」
ステアは首を横に振る。
どうやら無口な子のようだ。
「痛いところありますか?………ないようですね。それは良かった」
「クロ、大丈夫そう?」
「ええ。ノア様の光魔法のおかげでほぼ治っているかと」
「そう、良かった。じゃあ変わってくれる?」
ノア様と立ち位置を交換すると、そこでステアがコテンと首を横に傾げた。
可愛い。
いやそうではなく。
「何かを聞きたいのかしら?」
「わたしたちは誰だってことではないでしょうか」
「ああ、そういうこと」
ノア様は立ち上がり、ステアはそのノア様を見上げる。
「私の名前はノア。ノアマリー・ティアライト。ティアライト伯爵家の娘にして、いずれ世界をその手に納める者よ」
「改めて聞くと、ノア様ってとんでもなく危険なこと企んでますよね」
「そして、こっちの空気を読まずにツッコミ入れたのがクロ。私の従者にして、世界唯一の闇魔法の使い手よ」
酷い紹介をされたが、いちいち言及していたらきりがないので突っ込まない。
そして、ぼーっとわたしたちを見ていたステアは。
「………きれ、い」
初めてその口を開き、ノア様を「綺麗」と言った。
わたしの時もそうだった。ノア様を見て最初に抱いた感想は、「美しい」だった。
確かにノア様は美少女だけどわたしは、多分ステアも、そういうところに惹きつけられたのではない。
「あなた、名をステアと言ったわね?」
「………ん」
この御方はおそらく、劣等髪―――つまり、希少魔法の才を持つ者たちを、そこにいるだけで従えてしまうカリスマ性を持っている。
かつて希少魔術師の王と呼ばれ、世界をその手に掴みかけた天才魔術師、ハルだった頃の名残なのかもしれない。
「ステア。あなたはこんなところで命を散らす気かしら?このままだとあなたは、その類い稀な才能を全く生かせず、あんな男の元でその貴重な命を散らすことになる。それでいいと、私は思えないわ」
「………?」
ステアは、キョトンとした顔でノア様のことを見つめている。
「ステア。私と一緒に来なさい。私なら貴方をもっと伸ばしてあげられる。大事にしてあげられる。だから、私の力になってくれないかしら?」
ノア様は、わたしの時と同じように、ステアに手を差し伸べた。
ステアはじっとノア様のことを見ていた。
その眠そうな目をこの時だけは見開き、一秒でもこの人を見ていたいとでも言いたそうに。
そして、ステアは。
その首を、横に振った。
「………え?」
横、に?
つまり、断るってことだろうか。
「理由を聞いても、いいかしら?」
「………ぶたれる」
「なんですって?」
「ごしゅじんさまに、ぶたれる。いたい。だから、ダメ」
ステアは少しだけ顔を曇らせ、そう言った。
「………いかなきゃ」
そしてわたしたちの間をすり抜け、酒場に戻っていってしまった。
「どうしますか、ノア様。あれは多分、ノア様が魅力的に映らなかったわけではなく―――」
ノア様のカリスマよりも、あの男への恐怖が勝ってしまった、ということなのだろう。
考えてみれば普通のことだ。わたしみたいな転生者ならいざ知らず、物心ついた時から体に染みついた恐怖であるバイロンというあの男から、多少のことで逃れられるはずがない。
「いずれにしろ、あのステアという子をこちら側に引き込むには、バイロンを何とかするしかないようですよ。ノア様があの男からステアを買うなりなんなりすれば、あの子も納得するでしょう。………ノア様?」
「………………」
………?
ノア様から応答がない。
「あの、まさかノア様。思ったよりショック受けてます?」
「ふ、ふふふふ………!」
「え、怖い。ノア様?」
「ま、まさか断られるとはね………この私よ?この、かつて希少魔術師の王とまで呼ばれたこの私が、断られた?ふふっ、面白いじゃないの………!」
なんかわからないけど、ノア様の変なところに火がついてしまわれたらしい。
今までノア様を構成する七つの大罪は「怠惰」と「強欲」だと思っていたけど、これは「憤怒」と「傲慢」も追加するべきだろうか。
「あのバイロンという男、私のもの(になる予定の子)を恐怖という鎖で縛りつけるとはいい度胸だわ。誰のもの(予定)に手出してるのか教えてやる!……クロ、一度帰るわよ」
「え?よろしいんですか?」
「よろしいわけないでしょ。いったん戻るだけよ。そして明日、お金を持ってまた来るわ」
「あ、普通にステアを買うんですか」
「ええそうよ!あの男をお金で往復ビンタして這いつくばらせ、その上でステアを私のものにしてやるわ!明日が楽しみねクロ!あーっはっはっはっは!!」
―――うちの主、大物なのになんでこんなに小物なんだろう。
そんな、たった一文の中に大きな矛盾のある疑問を、わたしは頭の中で思い浮かべていた。