第279話 最強の超人
答えはシンプルであり―――本当に、基本的に魔力は超人体質の対象外だからだ。
超人の五感や骨密度などは、外見に現れないほど凝縮された筋力で肉体が壊れないよう筋肉に合わせて強化された、いわば副産物にすぎない。
つまり強化されるのは身体能力そのものに関わる部分だけであり、そこに関係がない魔力は強化されない。
実際、過去にいた超人はその半分以上が魔法そのものを捨て、身体能力にものを言わせた戦法をとっていた。
超人体質の持ち主はほぼ確実に魔力が平均を下回る。他人より劣っている技能を育てるよりも、打てば響く自らの肉体を育てた方が余程強くなれるのだから。
超人でありながら希少魔術師の才も持つ、ルシアスという例外を除いて。
では、超人体質とは何か?
なぜ魔法文明が主流のこの世界で、魔力を介さない力の権化が産まれてくるのか。
(なん、だ?この感覚は)
答えは、超人体質とは言わば人間の進化した姿だからだ。
つまり、人間の“生きたい”と思う気持ちが産んだ突然変異体こそが超人であり、暴力的な身体能力すらその生存戦略の過程で生まれたものに過ぎない。
魔法という超常の力が通常のこの世界では、誰しもが人を殺しうる凶器を自分で作り出せるのと同義。
人の命はこの世界では軽い。だからそこに付随する深層心理的な恐怖と集合的無意識は“ちょっとやそっとでは壊れない最強の体”を求めた。
(なんだかよく分からねえが、もうちょい動けそうだ。ははっ、こりゃいい。これで決着はちょいと不完全燃焼だった)
故に超人体質とは身体能力そのものが目的ではなく、『生存することに特化した』体質なのだ。
では次の疑問。そんな超人体質が今のように“死にかけた”ら、どうなるか。
答えは、基本的には何も起こらない。いくら超人といえど、致命傷を負ってそこから超速再生するような力はない。
恐るべき生命力で「致命傷」のハードル自体が高いだけだ。
普通の超人ならば。
超人体質は生存のための体質。故に死にかければ当然身体が自らを守ろうとする。
当然、今のルシアスも例外ではない。
しかしボタンによって与えられたダメージは、生命力だけでは到底どうにも出来ないほどの致命傷であり、過去の超人であれば既に死んでいただろう。
だが、ルシアスはこの世の例外である超人体質、その更に例外。
超人でありながら強大な魔力も併せ持った希少魔術師。
(うっし、痛みも引いてきた。じゃあいっちょ、もう1ラウンドといくか!)
『生存に特化した』体質。死の間際、その死をどうにかしようと身体は変異する。
過去の超人は、その変異対象だったものが微弱だったが故にどうにも出来ず、そもそも魔法を習得するケースが少なすぎたため、致命傷を受ければそれまでだった。
しかし、彼ならば。
豊富な魔力と一部とはいえ高位魔法すら習得しているルシアスならば。
死の運命を回避するための悪足掻きは―――逆転と生存の一手となる。
魔力の超人化という、最後にして最強の一手に。
***
ボタンが最大級の警戒を見せた瞬間、ルシアスの動きが止まった。
そして数秒ほど、電気ショックを受けたかのように体が跳ね上がり、それからまた少し動きを止め、そしてフラフラと体を起こした。
「げほっ、がはっ」
「はあ!?」
有り得なすぎる光景に、思わずボタンは悲鳴のような素っ頓狂な声をあげる。
実際に普通に考えれば有り得ない。体の一部を抉られたはずの男が、そこから立ち上がるなど。
「なんだこりゃ、身体中痛いしフラつくのに、力が湧き出てくる。妙な感覚っつーか、今ならなんでも出来る気がする。全能感ってやつか?ふっ、はは。マジで俺に何が起こったんだよ」
「こっちが聞きたいわ!本当になんなんじゃ、貴様は!」
ボタンにとってはホラー以外のなにものでもない。
だが視力がなくても、この男に今の一瞬で何かが起こったことだけは肌感覚で分かる。
一体全体どうなっているのかと思いながらも、距離を取ろうと自らのベクトルを変化させ。
それとほぼ同時に数センチのところまで迫ってきたルシアスに腕を掴まれた。
「な、なんじゃ、とぉ!?」
「ははははっ!マジでなんなんだよこれ!本当に俺の身体か!?」
今までのボタンなら、卓越した聴覚でルシアスの踏み込みや風を切る音で位置や行動を十二分に把握出来ていた。
しかし今は違う。そんな音はしなかった。
軽くジャンプするような音しかしなかっはずだったのに。
(な、何が起こっとるんじゃ!ワシは何を相手にしておるんじゃ!?いや落ち着け、致命傷は確実に与えた、これは最後の馬鹿力に過ぎんはず!まずは手を振りほどき、ヤツが死ぬまでジャンプで届かぬほど遠くまで重力で飛んでおけば……)
―――ジュクジュク。
(……?なんじゃ、この音は)
ボタンが頭を必死に動かしている間に、周囲の音とは明らかに違う異質な音が耳に入る。
今まで生きてきて聞いたことがない、少なくとも自然の音ではないその音は、相手にしている男の半身から発されている。
如何とも形容し難い、強いて言うならば、数千の水泡を一斉に割ったらこんな音がするのかもしれない、という音。
(まさか……いや、そんな馬鹿な。有り得ん有り得ん……)
必死に自分の考えを否定するが、音は消えない。
「て、手を離せ。知っとるじゃろ、ワシは触れているものには最強の重力をかけられるんじゃぞ。死期を早めたいか」
「じゃあかけてみろよ、俺が死ぬレベルで強い重力を。何百倍かければ潰れるか俺も分からねーけどな」
「……っ」
「出来ないだろ。俺がもし死ぬまで手を離さなけりゃ、お前も腕引きちぎられるもんな?お前は重力魔術師の特性である程度は重量に強いんだろうが、それも無限じゃないはずだぜ。もしそうなら俺以上のパワーを持ってるようなもんだ。つまりお前は完全に重力を無効化できるわけじゃない」
バレていたかとは思った。
しかしボタンはそれどころでは無い。
内蔵を抉ったはずの男が、何故こんなにも正常に会話できる。
その事実が、自分の恐ろしい仮説の裏付けになったことに比べれば、些細なことだった。
ボタンは確認のため、横向きの弱い重力をルシアスにかけた。
その結果、把握した身体の形状が、少しずつ変化していることに気付き、自分の最悪の予想が間違っていないことを認めた。
「……再生しておる、のか?」
ゆっくりと。だが確実に。
ジュクジュクという音と共に、抉ったはずの部位が埋められていく。
「なんなんじゃ、マジで……」
「ははははは!わっかんねえ!」
魔力が超人化した恩恵、その1。
身体を絶え間なく循環する魔力は、超人化によって常人の約十倍の速度でルシアスの身体を巡っている。
身体にかかる圧力は元の比ではない。しかし生存特化の超人体質は、それに対応するために血液の循環速度や身体強度そのものを飛躍的に高めた。
通常ならその体の動きで自滅するが、超人であれば耐えられる。更にその副産物で、馬力・速度共に桁違いに上昇する。
そして、その2。
超人化した魔力の速度と質によって対応を余儀なくされた肉体は、何倍もの速度で細胞が破壊されていく。
それを補うため、ルシアスの細胞はイモリのように身体がちぎれても再生できる細胞へと進化を果たした。
それも、凄まじい速度で壊れていく細胞に追いつける速度で再生できるほどに。
つまり四肢を失おうが臓器に穴が開こうが、苦痛さえ耐えれば少しずつではあるが復活する。
誰しもが夢見た―――無限に再生する体質。
『普通の超人』ってなんやねん。