第278話 超人とは
誰が見ても致命傷だった。
わき腹から腹部の中心までえぐり取られ、内臓も複数損傷している。
ルシアスでなければ間違いなく数秒のうちに死んでいたであろう傷。そして、ルシアスでさえも数分もすれば死は免れない。
それでもルシアスは立ち続け、眼前の敵を見定め続けた。
「敵ながら天晴、と言うべきかの。じゃが」
しかし、ボタンにこれ以上長引かせる気はない。
超重力を付加した足払いでルシアスの軸足を砕いて片膝をつかせ、下がった頭を掴み重量を下げて投げ飛ばした。
ルシアスの体は弾丸のような速度で吹き飛び、何軒もの家を破壊し、奥の林の木も何本か折ったところでようやく停止した。
その頃には体は言うことを聞かず、ただただ大の字になって荒く呼吸をすることしか出来なくなっていた。
「かふっ……ク、ソ……!」
生後19年。
ただの一度も受けたことがない激痛と重傷を味わっていた。
なんとか止血できないかと試みるが、傷が広範囲すぎて抑えようがなく、手は空を切った。
百人中百人が勝負ありと断じる状況。間もなく死が訪れると自分で一番分かっている筈のルシアスは。
「はっ……ははっ、はあっ、かはっ……!」
それでも尚、笑った。
楽しそうに。何度遊んでも飽きないおもちゃを買い与えられた子供のように無邪気な顔で。
もう動かせない筈の体を必死にもぞもぞと動かし、血を吐きながらも笑い続けた。
「―――冗談じゃろ。まさかまだ生きておるのか?」
「はっ、この程度で死ぬわけ、ねえだろ。げふっ!」
「いや、死んでおけ。人間として」
呆れすら通り越した無の顔でボタンが空から降りてくるのを眺めたルシアスは、なんとか攻撃手段はないかと模索する。
だが、なにもない。詰み以外のなんでもない。
それでも動こうとするルシアスを見て、ボタンは興味本位で聞いてみた。
「なあ、死ぬ前に一ついいかの?」
「死なねえが、なんだ」
「お前、何故手加減をした」
「あ?」
「とぼけるな。お前とワシの相性は最悪中の最悪じゃ。押しつぶせない超人体質にそれを十全に生かす空間魔法、ワシを倒すためだけに創られた怪物を相手にしている気分じゃった。一度も披露したことがない最高位魔法をぶっつけで使わなければ倒せぬほどに。じゃがそれすら、貴様がワシを殺す気で挑んでこなかったからじゃ」
―――ルシアスがボタンの天敵なのは今更言うまでもない。
実際、ボタンは致命傷を与えるその瞬間まで終始劣勢に立たされていた。
しかし、それだけではおかしい。
ルシアスはボタンを、瞬殺出来ていた筈なのだ。
方法は簡単。ボタンが他対象の重力を発動した瞬間に、空間を繋げて首を刎ねればいい。
ボタンは自己と他の重力を切り替える時、ほんの一瞬タイムラグがある。
ほぼ誤差、リーフですら狙うのは困難であろう小さな隙だが、世界一の眼力と反応速度を持つルシアスならそれが可能だ。
ボタンの反重力が間に合わない速度で剣を振る程度、ルシアスなら動かない的を斬るのとなんら変わらない作業のはず。
つまり驚くべきなのは、ルシアスではなくボタンにとって。
戦いになっていたことことに対してなのだ。
「お前の反応速度と反射神経があれば、ワシなど初撃で殺せたじゃろう。いや、不殺を貫いたとしても、腕や脚を落としたり無限に必勝の戦法はあったはずじゃ。何故正面から挑んできた、馬鹿なのか?」
「は、は……そうさ。俺はな、馬鹿なんだ。あんたと、マジで戦って、みたくてなあ」
「はっ、救いようのない阿呆じゃな」
「ま、それもあるん、だが……どっちかっつーと、もう一つの方、だな」
「なに?」
「オウランにな、言われたんだよ。『あまりひどい目にあわせないでやってくれ』……ってよ」
それを聞いて、ボタンは動揺した。
オウランと通信していることは驚かない。あの精神魔術師の小娘はどうやら相当な技量らしい、それくらいやってのけるじゃろう。
そして自分の情報の漏れ具合から、通信はオウランが意識を手放す直前。
そう、あんなひどいことをしている時のはず。
組み伏せて、感情論に任せて押しつぶした。他に方法は色々あったはずなのに、フラれたショックで一番の悪手を選んだ。
……そんな時に、ワシの心配をしてくれたのか?
なんて良い男じゃ、なんて優しいやつじゃ。
ああ、ダメじゃ。嬉しくて顔が綻ぶ。
「おい、質問しといて、なに呆けてんだ」
「オ、オホン!それでなんじゃ?お前はそれを真に受けて加減したというわけか」
「そういうことよ」
「理解出来ぬな。仲間を拉致したワシを慮れなどという妙な願いを聞いたというのか?お前たちにとって障害でしかないワシを」
「は?何言ってんだ。俺はあんたと、仲良くできると思ってんだぜ?」
「はあ?」
「お前、オウランのこと、好きなんだろ?」
「………」
「見る目あるぜ、お前。あいつはいい男だ。あいつの良さが分かるんだから、俺らとお前は、良い関係を築けるはずだ」
「くだらんな。ワシが思っておるのはオウランだけじゃ、あいつ以外はどうでもよい。逆にお前はなんじゃ。仲間とはいえ、あやつの願いにそこまで命を張って加減する意味が分からん。その結果がこれじゃろう。なんじゃ、まさかお前もオウランが好きなのか?」
「はっはっは!げふっ!……面白いこと言うな。だが生憎、俺ぁ気が強くて背が高い女がタイプでな。あいつは趣味じゃねえよ。……だけどよ」
吐く血が目に見えて多くなってきたルシアスは、それでも会話を止めず、動き出そうとしている。
「俺は子供の頃に親に見放されたからよ。目の前に大事だって思った繋がりは、切らないようにするって決めてんだ。オウランは、あいつはな、俺にとって絶対に切りたくねえ縁を持った友達だ。友達が女をいじめるなって言ったんだぜ。極力そうするのが筋ってもんだろ。たとえ、俺にとってリスクでもな」
「………」
綺麗事だ、とボタンは思う。
友達に頼まれたから、命を危険にさらしてまで手加減し、こうして死にかけていてはもともこもない。
どうしようもない大馬鹿者―――だが。
「自分の全てである戦いを制限してまで友をとった。その綺麗事をここまで徹底できるその精神だけは、ワシも認めてやろう」
そう言い残し、傍に転がっていたルシアスの剣を念のために蹴り飛ばし、ボタンは背を向けた。
この状況で立ち上がれるわけがない。もぞもぞと動いてはいるが、片足は砕けているし内臓も抉っている。
勝ちだ。
(もしオウランがワシを慮る言葉を伝えていなければ、ワシの惨敗じゃったろうな)
なんたる皮肉か、と苦笑いをし、ボタンは塔に戻ってノアとステアを捕らえようと浮き上がり。
背中に異様な寒気が走り、振り向いた。
そこにはさっきまでと同じように、起き上がれない敗者がいるのみ。
それなのに、その場から目を放せない。
目を放せば、死ぬ。
殺気ではない。闘気ですらない。
ただただ、人間として―――否、生物としての根源的な恐怖が警鐘を鳴らしているような感覚。
「なんじゃ……なんなのじゃ!」
***
超人体質。
この世界においてそれは、身体能力が飛びぬけて高い特異体質者という認識になっている。
実際それはほぼ間違っていない。間違いを指摘するとすれば、超人なのは身体能力だけに留まらないということだろう。
有り余る筋肉とその密度から発される異常なパワーで肉体が壊れないよう、骨は鉄のように硬くなり、内臓も身を守れるように桁違いの強度となる。
故に、大抵の毒物は通用しないし、内臓破壊も効かない。
身体能力に追いつけるよう、五感も数十倍に研ぎ澄まされる。
脳だけは肉体の情報処理に大部分を割くため、常人と比較してやや知能指数が劣る事例が多いが、それでも処理速度自体は凄まじい速度となる。
つまりは超人体質とは“身体のすべてが常人の上を往く体質”といえる。
では、なぜ。
その超人の身体の中で。
魔力だけが超人ではないと、そう思われていたのか。




