第274話 肉親
キリの良いところまで書いたらめっちゃ長くなりました。
廊下に出て座り込むと、中にいるお嬢の声はボソボソとしか聞こえず、聞き取ることは出来ない。
その気になればいくらでも聞く方法はあるけど、お嬢は私と一緒にいることすら望まなかった。
なら、待つ。お嬢がどんな結論を出しても、私はそれに従う。
それが私の、絶対の理念だから。
神皇の元に戻るまであと10分。私がゴラスケをむにむにしてると、壁に寄り掛かって難しい顔をしてたルシアスが言った。
「連絡するって、多分オトハにだよな?」
「ん。ほぼ、間違いない」
この件はお嬢や私たち以前に、肉親であるオトハに真っ先に話すべきこと。
オトハは今、クロとリーフと一緒にアルスシールの攻略中。連絡が取れたのは僥倖だ。
オトハはなんて言うだろう。
この政略結婚が成立するって話になったら。
単純に「あら、こんな早く結婚相手が見つかってよかったじゃありませんの」とか。
もしくは「お嬢様のためになるならいくらでも!」とか。
お嬢全肯定のオトハなら言いそうな言葉がいくつも浮かんでくる。
「なんて言うかねえ、オトハは」
「……普通に、肯定して、終わりそう」
多分、お嬢が求めてるのはそんな言葉じゃないけど。
暗にその台詞を省いた私の言葉を、しかしルシアスは疑問に思ったように。
「あー、どうだろうなあ」
「?」
「いや俺だって普段のオトハなら言いかねないようなことだとは思うぜ?だけどよ」
ルシアスは何気ないように続ける。
「あの双子、普段は仲悪いってほどじゃねえけど淡白っつーか、全部姫さんのためってのが先にあるからそっち最優先みたいになってるだろ?」
「ん。それが?」
「けどオトハのやつはよ。戦争とかででっけえ音が近くで鳴ったときとか、反射なんだろうけど―――真っ先に守るみたいに、姫さんじゃなくてオウランの前に立つんだよな」
「……そうなの?」
「姉としての使命感みたいなもんなのかね。ま、姫さんは自分が守らなくても自力で何とかできるって思ってるからってのもあるかもしれねえけどな」
見てなかった。
二人が互いを大事にしていることはもちろん知っていたけど、それでも優先度はお嬢の方が高いと思っていた。
父と兄を自分たちで殺し、唯一残った信頼できる肉親。それはどれほど大きな存在なんだろう。私には分からない。
初めてこの世界を見た時は、凄い豪雨だった。今にも屋根が吹き飛ばされそうな家で私を産んだ両親の顔は鮮明に覚えている。
私の髪色を見て絶望したような涙を流し―――それでも半年は育ててくれた。
けど周りの目に耐えきれなくなったのか終いには奴隷商に売られて、幾つもの場所を転々とさせられて、最後はお嬢に助けられたあの違法奴隷商のところに行きついた。
だから私は、血の繋がった家族の温もりを知らない。
欲しいと思ったこともない。お嬢とクロがいたから。
でも、オトハとオウランの無二の絆が、少しだけ羨ましいと思っている自分がいるのも事実だった。
「……ルシアスは、どうなの?」
「ん、俺か?俺は大したことねえぞマジで。北の方の名前も覚えてねえような小さな国で生まれて、この髪色のせいである時までは随分といじめられてた」
「ある、時?」
「ほら、俺ってこの体質だろ?だから正直、ガキの攻撃なんて痛くもかゆくもなかったから気にしてなかったんだ。けど目を狙われた時に反射的にそいつらを押しちまってな。吹っ飛んで頭打って、全治半年の大けがだ。そっからは怯えられるようになった。親にすらだぜ。だがちょうどその頃その辺をうろついてた傭兵がいて俺を誘ってきて、それを話したら親は心底ほっとしたような顔で二つ返事だよ。んで、親元離れて共和国連邦で傭兵やって、今は姫さんにスカウトされたってわけだ」
「……親に、会いたいと、思わない?」
「思わねえな、興味ねえし。あの双子みたいに繋がりがあるなら話は別だっただろうが、縁ぶち切られちまったからな。もうどこに住んでるかも生きてるのかも知らん」
「気が、合う」
「はっはっは!天才に気が合うって言われると気分いいな」
ルシアスは控えめな声で笑った。
けどすぐに真顔に戻って。
「姫さん、大丈夫かね」
「分からない」
でも、お嬢がどんな決断をしようと私がお嬢に―――私の家族に従う。
そう思ったその時。
ガラガラ……と音がして、お嬢が部屋から出て来た。
「姫さん、どうだっ……って、聞くまでもなさそうだな」
そこにいたのは、いつものお嬢だった。
さっきまでの考えこんだ姿とは違う。傲岸不遜で自信にあふれた、あのお嬢だ。
「心配かけたわね二人共」
「大丈夫。連絡、オトハに?」
「ええ。あの子には伝えておかなきゃいけなかったしね」
「なんて言ってたんだよ」
「怒られたわ」
「え?」
「だから怒られたわ。『弟の一生を意にそぐわない形で縛るならたとえお嬢様でも許さない』ですって」
「え、それオトハが言ったのか?あんたに?マジで?」
「マジよ。ちょっとびっくりしたわね流石に」
……驚いた。
反対するにしても、オトハのことだから懇願になると思っていた。
まさかあのオトハが、お嬢に怒るとは。
この先一生遭遇することがないであろう現場に居合わせなかったことに、ほんの僅かに後悔の念が生まれる程度には驚いた。
「でも、おかげで吹っ切れた。というか思い出したわ、自分という人間を」
「ん?」
お嬢は自信と自己愛に満ち溢れた顔で、手を広げ。
「何で忘れてたのかしら。私よ?世界で一番偉くて強い存在となるべき私が―――国程度を、大事な側近と交換ですって?等価ですらない不釣り合いな交渉じゃないの!」
「お、おう。……どっちかっつーと人間一人で国渡す向こうの方が不平だがな?」
「私としたことが、ルクシアの一件や全神国での違和感、色々と苛まれて自分を見失っていたわ。ふふふ……あっはっはっは!そうよ、私は世界一強欲で我儘な美女だったわ!側近一人犠牲になんて誰がするもんですか!」
なんだか暴走し始めたお嬢。
でもなんだろう。一番安心する。
「それでこそ、お嬢」
「そうね!……ルシアス!」
「え、あ、はい!?」
「前に話したあなたのアイディア、完全採用を決定してあげるわ。例の方法でこの国と強制的にパイプつなぐわよ!」
「え、マジ?」
「当然。側近の願いをかなえてあげるのも主人の務めというものよ。さあ、戻るわよあの女の元へ!」
意気揚々とお嬢は階段を昇っていく。
「なあ、大丈夫かあれ。なんかまずいことになる予感がするんだが」
「じゃあ、止める?止められる?」
「……無理だな」
ルシアスは若干諦めたような顔で、私は多分喜色を浮かべて、お嬢を追いかけた。
***
「ふむ、時間通り戻って来たか。それで、決心はついたかの?」
「ええ神皇陛下」
お嬢はさっきまでのように恭しく、だけどはっきりとした声で。
「結論から申し上げれば、お断りいたします」
「……なに?」
否定の気持ちをはっきりと告げた。
「オウランとこの国では釣り合わないわ。彼はこの私の側近よ?私が見出し、育て上げ、苦楽を共にした仲間。それを国一つとの同盟程度で渡せですって?傲慢が過ぎるわよ、ボタン・スギノキ」
もはや敬語すら使わず、それどころか目の前で立ち上がって腕組みをしながらそう言い放つお嬢に、流石の周りの人間も戸惑いを見せる。
しかし、お嬢を拘束しようにも先程の神皇による顛末から迂闊に動けないようだ。
「……傲慢はどっちじゃ。自分の側近だから国とは釣り合わないと?」
「そういうことね。オウランにはそれだけの価値がある。釣り合いを取るなんて、精々手をつないで一日デートくらいが関の山ね。それくらいなら許してあげるし、オウランも反対しないでしょう」
外交をしているとは思えない態度と発言で、お嬢は神皇に詰め寄る。
神皇は歯噛みするような声を出し。
「本当に、オウランを差し出すつもりはないんじゃな」
「ないわね。オウランが自らの意思であなたとくっつくならともかく、望んでいないなら私はその気持ちを蔑ろにするつもりはないわ。貴方とは違ってね」
「……そうか。もう少し賢い女だと思っていたんじゃがな」
絞り出すような、呆れるような声で神皇がそう言い、天幕越しでも手を掲げるのが見えた。
その瞬間。
―――カパッ。
「えっ……」
突如、私の座っていた場所に穴が開いた。
反射的に座布団を蹴り飛ばして下を見ると―――順番に、同じ位置に正方形の穴が開いて行く。
無限とも思えるほどの高さを誇る塔の最上階から、一気に私の体は自由落下を始めた。
「地下牢に繋がっておる。下に落ちればそのまま格子の中じゃ。自己強化の術を持たぬ精神魔術師が下に辿り着いた時、原型をとどめたままかは知らぬがな」
「―――っ!」
こういう手段で来るか。
おそらく重力魔法で強い力を与えることで開く仕組みなのだろう、私はどこかに体をぶつけないようにするのが精いっぱいだ。
このまま落ちれば、神皇の言う通り貧弱な私は即死は免れない。
「お嬢ーー!」
しかし、それは私一人だったらの話。
光の速度で私が落ちた穴が塞がる前に飛びこんだお嬢が、私目掛けて落ちて来た。
お嬢は私を一瞬で抱きかかえて、そのまま光を使ってバウンドするように足場を巧みに使い、落下速度を相殺。
そのまま、無傷で停止し、おそらく十九階に相当する階層に入った。
「怪我は?」
「ない。足引っ張って、ごめん」
「いいえ、問題ないわ」
お嬢はニヤリと笑い、天井を仰ぎ見て。
「想定通りよ」
***
「ちっ……」
重力魔法によってステアとノアが無事なことを悟った神皇―――ボタン・スギノキは、思わず舌打ちをした。
(死なぬとは思っていたが、あれほどの手練れじゃったか、面倒じゃな。ワシ以外では到底対処できん。……しかし、光魔術師相手ならワシが負ける要素はない。一人ずつ確実に倒してしまおう。それでオウランを奪い返そうとする輩は消える)
ボタンは近くにあった紐を引っ張った。
するとスルスルと天幕が上っていき、最上階にいる者全員にボタンの姿が披露される。
それは唯一残ったノアの側近にとっても同様だった。
「最初に貴様を捕らえさせてもらうぞ。恨むなら愚かな選択をした主人を恨むんじゃな」
ボタンはそう言って、手をかざす。
―――重力十倍。
ボタンがそう念じただけで、ルシアスの体に一気に重力がかかる。
十倍の重力。自分を九人背負っているのとほぼ同じだけの自重が自分に襲い掛かる。
一般的な人間なら、五倍でも意識を失いかねないほどの重圧となる。
十倍ともなれば、数秒かけるだけで下手をすれば命に関わるほどの大ダメージを与えられる。
紛れもなく最強の攻撃力。絶対的な力を持つ覚醒魔法。
「先にあの精神魔法の小娘を仕留めておきたいのう。ワシの勘が一番厄介と言うておる。しかしどう分断するか―――」
しかし、その“絶対”を。
突破できる者がいる。
「……は?」
ボタンは、自らの重力操作の影響下にある物体の動きを感知することができる。
敵感知にも使える有用な能力だが―――ボタンの前では、感知などなくても重力によって動けなくなるのがほとんど。故に、狭い範囲ではほぼ無用の能力だとボタンは思っていた。
だが。
その力があったことを―――その瞬間、ボタンは重力魔法の覚醒後一番感謝した。
十倍の重力をかけたはずの男が、平然と立ち上がり。
自分に向かって斬りかかってきた。その瞬間に!
「なっ……にいい!?」
―――ギイイン!
反射的に重力を解除し、自らに反重力を展開したことでギリギリ攻撃は届かず、ボタンは無傷だった。
しかし、それ以上の動揺と衝撃が、ボタンを襲う。
「おん?絶対仕留めたと思ったんだが。……いや、これで終わっちまっても面白くねえしな。それでこそ覚醒魔術師だ」
「貴様、なぜ……!?」
重力をかけたはずの男が、まったくのノーダメージで平然と大剣を構えている。
その姿はボタンには見えない。しかし、確かな現実なことは辛うじて理解した。
「……どうなっておる。重力十倍で平然と動ける人間などおるはずがないじゃろ!」
「重力十倍、ねえ。俺の体重が大体2トン弱になる計算か」
10分の1してすら、200キロ近い体重を持つという男。
「まだ全然軽いぜ。温いなあ重力魔術師」
超人体質の持ち主ルシアスは、ボタンには見えない不敵で獰猛な笑みを浮かべた。