第251話 “姉”
―――ピリリリリ。
「疑問、何の音?」
「ああ、これは……」
噂をすればなんとやら。
懐に入れていた球を取り出し、ぎゅっと握りしめた。
『もしもし、クロ?』
「はい、わたしです」
いつも使っている通信機だ。
相手は勿論、
「お嬢様っ!?お嬢様の御声ですわ!お嬢様あああああ!!」
「ちょっ、暴れないでください!理性って言葉知ってます!?」
「呆然、落ち着け」
『そっちも相変わらずみたいね』
「いえ、ついさっきまではマトモだったんですが……ドーピングまでして話したいんですか!本題に入れないので離れてください、ちょっとリーフ抑えててもらえます!?」
「了解」
「あ゛あ゛あ゛!!お嬢様あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛!!」
狂った猛獣のように暴れだした馬鹿をリーフに羽交い締めにしてもらい、未だぎゃあぎゃあ騒ぐ声が入らないように部屋から追い出した。
やっと話せる。
「ノア様、お久しぶりです」
『ええ。そっちはどう?』
「順調ではありますが、詳しいことは直接お話したいと思います。あと一ヶ月もかからずに終わるかと推測していますので」
『そう。じゃあこっちの方が早いかもしれないわ。実は今、スギノキの王と面会してるところだったの』
「流石ノア様、素晴らしい御手際です。それで、何か御用でしょうか?」
『ええ、まあ。……で、せっかく追い出してもらっておいて悪いのだけれど、オトハに代わってもらえる?』
「はい?オトハにですか?」
手分け中は、盗聴や重要作戦中の可能性を考えて極力連絡は控えようという意見が一致していた。
にも関わらず連絡してきたということは、なにか重要な件のはずだが、それが何故オトハに?
「分かりました。少々お待ちください」
しかし、無視するわけにもいかない。
扉を開いて涙を流しながら扉に張り付いていたオトハを引き離して中に入れ、リーフも入ってきたところでオトハに球を差し出した。
「ノア様がお呼びです、出てください」
「お、お嬢様が、私をぉっ!?」
「いちいち興奮しないでもらえますかね」
オトハはひったくるようにわたしから球を受け取り。
「お嬢様!お嬢様ですの!?」
「あなたさっきからほぼ『お嬢様』しか言ってませんよ」
『……変わって無いようでなによりだわオトハ』
「ああっ……は、ふっ……!」
「疑念、なにごと?」
「気にしないでください、いつもの発作です」
名前を呼ばれたのが影響したのか、顔を恍惚とさせて膝を折り、天から降りてくる天使を観るように目を上に向けて陶酔し始めた。
声でこれって、直に会ったらそろそろ死ぬかもな、あれ。
「はっ!?あ、あまりの美声に意識が!お嬢様、あなたのオトハですわ!愛してます!」
『はいはいありがと。で、話に入るんだけど』
さらっと告白流された。
憐れな。いや、その扱いに興奮してるみたいだから別に憐れでもなかった。
「お嬢様の御話であればどのようなことでも!何をすればよろしいのですか?殲滅ですか虐殺ですか性交ですか拷問ですか猥談ですか革命ですか!」
「苦言、さらっと危険な言葉を混ぜるな」
『……いや、まあ用があるのはあなたなんだけど、何かしてほしいってわけじゃないのよ』
早速アホをさらけ出し始めたオトハだったが、それに対してノア様の言葉の歯切れは悪い。
おかしいな、いつものノア様ならここでオトハが喜びそうな罵倒の二や三飛ばして黙らせるくらいやりそうなものなんだけど。
「……オトハ、そろそろマジで話を進めてください」
「そ、そうですわね。お嬢様、どうなされたんですの?」
『実は、ね。オウランについてなんだけど』
「あのアホがどうかしましたの?」
オウランもこのドアホにアホとは言われたくないだろう。
『まあ、平たく言えば―――今結婚の話が来てるのよね』
「……はい?」
……んん?
いや、なんでそんなことに。
「どういうことですの?」
『詳しいことは今はあまり話せないんだけど、随分とオウランを気に入った人がいてね。その人の側室として迎えたいって言われてんのよ』
「側室って言葉、男にも適用されるんですか?」
『スギノキは多妻多夫制なの。経済力のある個人が何人もお気に入りを娶るのは珍しくない話らしくてね。……で、オウランをくれるなら同盟を結んでもいいみたいな話になってるのよ』
何がどうなってそんなぶっ飛んだ話になったかはさっぱり分からないが、状況はなんとなく分かった。
詳しい話は出来ないと言っていたが、傘下に入るなんてことを決められる人物。オウランの相手というのは、十中八九スギノキの王に相当する人物。
男一人で国が手に入る。どう考えたって破格の取引だ。
だが。
「オウランは何と言ってますの?」
『分からないわ、今は一緒にいないから。ただ……』
ノア様は言葉を濁した。
わたしとオトハは、ちらりと同じ相手に目を向けた。
「……?質問、なに?」
「いえ」
オウランが、本心から結婚したいと思っているとはとても考えられない。
ノア様もそれを知っている。
しかし、今回は状況が今までとは違う。オウランが死ぬわけでもなく、ただ婿に出すだけで国が一つ無傷無血でノア様の手中に収められる。
言うなれば政治だ。珍しくもない政略結婚。
いくら側近は大切にするノア様と言えど、あまりに理がありすぎる向こうからの提案にさすがに揺れ、オトハに相談を持ち掛けたということだ。
だけど、ノア様の考えを全肯定するオトハに相談したところで……、
「お嬢様」
ただ、オトハが今までと同じように「お嬢様」と言っただけ。
なのにわたしは、少し背筋が冷えた。
約八年オトハと一緒にいて―――今まで聞いたことがないほど平坦で、冷たくて、なのに確固たる意志を感じるような、そんな声だった。
「私は今まで、貴方様に尽くしてきましたわ。すべてを捧げてきたつもりですし、これからもそれは変わりません。貴方様に死ねと言われれば迷わずその場で自害しますし、世界中の人間を皆殺しにしろと言われても相応の理由があれば実行いたします。それに対価を求める気持ちもありません。しかしこれまでの、そしてこれからの忠誠に。ほんの僅かな御慈悲を頂けるのであれば……一言だけ、貴方様にご無礼を働く許可をいただきたいと思います」
そこに、ついさっきまでの興奮したオトハはいなかった。
今まで見たことがない表情と、冷静な声。そしてわたしとスイ、そしてリーフすら凄ませる気迫を放ち。
『……いいわ』
「もし仮に、私の可愛い弟の一生を意にそぐわぬ形で強いろうとするなら―――たとえお嬢様でも許しませんわよ」
その瞬間だけ、『ノア様の側近』ではなく。
『家族』としてオウランを守ろうとする、姉の姿だけがあった。
「大変申し訳ございませんでした、お嬢様。いかなる処罰でも」
『いえ、許可したのは私よ。というか、「なに言ってんだこのクソ女」くらい覚悟してたからちょっと拍子抜けだったわ』
「いくら何言っても良かったとはいえ、私がお嬢様にそんなことを言うはずがないではありませんの!」
『ふふっ、そうね。……くだらないことで連絡して悪かったわね、オトハ。クロに代わって』
さっきまでの気迫は鳴りを潜め、いつも通りになったオトハは、わたしに球を渡してきた。
「代わりました、クロです」
『面倒かけたわね。スギノキとの件、もうちょっとかかるかも』
「ノア様……あの」
『分かってるわ。私を誰だと思ってるの』
先程までの歯切れの悪さはなく、いつものノア様の声がした。
「それを聞いて安心しました。どうか、お気をつけて」
『あなたたちもね。じゃあ、こっちが済んだらまた連絡するわ』
「かしこまりました」
その言葉を最後に、ブツッという音で球の光は消えていった。