第229話 クロの覚醒
「ノア様、この国滅ぼしましょう」
『うん、クロ落ち着こう。気持ちは分かるけど一旦深呼吸しよう』
ハイラント全神国一番のホテルの、一番良い部屋の、一番の好待遇を受けている身であるということを完全に忘却の彼方に放り投げたわたしは、自分でも清々しい笑顔をしていることを自覚し、ノア様に素晴らしい提案をした。
「クロ、気持ちは良く分かるけど気を鎮めなさい」
「大丈夫ですノア様、わたしは落ち着いています。非常にさわやかな気分です。この近年稀に見る爽やかなわたしが再度申し上げます。この国滅ぼしましょう」
「た、嘆願、クロ落ち着いて?」
「やっべぇ、クロが壊れたぞおい!早くステアを起こせ!」
「無理だ、完全に燃え尽きてる!ステア、君だけが頼りなんだ、起きてくれえ!」
「…………この、国……も、いや………キライ………」
「……はて、ここまでの道中に混乱の要素がありましたか?」
わたしの爽やかさに困惑したリーフ、何故か慌ててステアを起こそうとするルシアスとオウラン、そして唯一まったく動じてないオトハがわたしの後ろであれこれ言っている。
一方でノア様は布団に倒れこんだままうつぶせで顔だけこっちに向けてほぼ微動だにせず、スイはさっきからわたしの頭にガンガン話しかけてきていた。
「クロ、いい?こういう時こそ感情的になっては駄目だわ。たしかに私だってこの国はどうかと思う。だけどね、ここを手中に収めるのはすごく大事なことなの」
「はい」
「ええ、確かに想像以上だったわね。ことが終わったらすぐにこんな国出ましょう。さすがの私もあれらに崇められるのはちょっと。ああいうのはオトハだけで十分だわ」
「そうですね」
「そ、それでね?その素敵な笑顔があなたのストレスが頂点に達した証だとしたら、私たちはそれをちゃんと発散させる準備があるわ。私の選択であなたをこの国に連れてきちゃったのは悪かったと思うし、出来るだけ要望を叶えてあげる」
「なるほど」
「……そしてこれが一番重要だけど、あなたの闇魔法の慣らしはもうほとんど終わってるから、既にわたしと互角以上に戦えるくらい強くて、そんな力を下にいる彼らに放つとこの国の人口が整数%単位で減っちゃうからちゃんと心をコントロールしてほしいな、って……」
「ふむ」
なるほど、ノア様の素晴らしい御話を聞けた。
つまり要約すると。
この国を滅ぼせということか。
「ではちょっと下の連中にわたしの新たなる力の実験台になっていただきますね♪」
「リーフ、オウラン、ルシアス、止めなさい!オトハきつけ薬とかあるでしょ、早くステアを復活させて!それからスイ、なんとかして体の主導権を奪うのよ!」
『おーいクロ!ねえ聞いてる!?落ち着いてってば、ほらひっひっふー!』
***
「はっ」
「クロ……大丈、夫?」
「ステア?……あれ、わたしは何を?」
「知らなくて、いい、ことも、ある」
「いや、わたしのことなん―――」
わたしは困惑したが、周囲の有様を見て言葉を飲んだ。
ステアはいつものポーカーフェイスは完全になりを潜め、顔色は悪く、ゼェゼェと荒く息を吐いている。今にも倒れそうなところをルシアスが支え、リーフは何故か臨戦態勢でしかも防音の魔法を周囲に展開。オウランは窓ガラスに物理耐性と闇耐性を施しており、ノア様はほっと息を吐き、唯一平常運転なのはオトハだけ。
『クロ、正気に戻った?』
『スイ、これは一体』
『思い出してみなよ。ステアがかけたのは記憶の封印じゃなくて、精神の鎮静化だから』
ふむ。
わたしの記憶が飛んだのは、この国に入国する直前からだ。
そこからゆっくりと思い返してみると―――。
入国直後、まず門の前にものすごい人数の人が集まっていた。
蟻が通る隙間もないくらいに密集した人々はわたしとノア様を見るや否や、ありがたやありがたやと拝みだす者、途端に泣き崩れる者、その場で気絶する者、涎を流しながらこちらに駆け寄ってくる者、その他幾つかに分かれた。
ノア様に触れさせるわけには行かないので即座にわたしはノア様を抱きかかえて脱走、尚この際にも何故か歓声が上がった。
慌ててついてくる他の仲間たち、しかしこの雰囲気に当てられたステアが顔色を悪くし、ルシアスに抱きかかえられていたのを覚えている。
しかし何故かわたしたちを全力で追いかけまわしてくる全神国の国民たち。それどころか市街地を走っていると、窓から人が降ってくる始末。
途中でスイと代わる代わる魔法を使ってわけの分からないこの追いかけっこに終止符を打とうと試みるも、人数が人数でしかも敵兵というわけではないので危害を加えることも出来ず、結局そのまま逃げ惑う羽目に。
途中でリーフが風の壁を作ったり、ルシアスの転移で撒こうとするも必ず逃げた先に別の相手がおり、何かを叫んでこちらに走ってくる。その叫びを聞いて目尻の涙をぬぐいながら何度も頷くオトハを蹴り飛ばして囮にしようとするもまったく効果はなく、役に立たない淫乱ピンクがはぐれるだけに終わった。
まったく理解できない状況に頭が混乱するも、ステアが定期的に鎮静化の魔法をかけてくれたり、相手の認識を操ってくれていたおかげで冷静に対処できていた……が、ここで全神国がすっかりトラウマになっていたらしいステアが、その熱気と狂気をモロに食らって気絶。
切り札を失ったわたしたちは混乱し、散り散りに。わたしとノア様の二人だけになってしまった。
どうやらわたしとノア様が目的らしい連中は、顔の色々な穴から液体を垂れ流してこっちに駆け寄ってくるため、人類としての本能的恐怖からわたしはノア様を降ろすのを忘れたまま逃走。
肉体的にも精神的にもボロボロになった時、「こちらです!」という声がして振り向くと、そこにはあの赤い髪の女性―――マレニエラがいた。
あの状況でわたしは藁にも縋る思いで彼女について行き、隠れ家だという家の前で、中に入るよう促してきた。
あまりの無茶苦茶な状況に完全に冷静さを欠いていたのだろう、疑うことも無くわたしはその家の中に入り、そして閉じ込められた。
そう、閉じ込められたのだ。それもなんらかの魔道具によって。
内装がピンクで、謎の液体の入ったハートマークの描かれた小瓶が多数、あとはガラス張りのシャワー室と壁一面の鏡、そしてダブルベッドしかない小部屋。
罠だと気づいて後ろを振り向くと既に扉は固く閉じられており、同時に鏡が設置されている方から多くの生体反応を感じ取った。
手で影って覗くと外の景色が見える―――要するに『マジックミラー』と呼ばれる代物であると気づいて眩暈を覚え、ふらりと斜め上の方に目を向けると、扉の上に書かれた文字を見つけた。
そこには、この世界で見なれた言葉で……こう、書いてあった―――。
『イチャイチャ(全年齢表現)しないと出られない部屋』、と。
このわたし如きが。
世界で最も尊き御方であるノア様と、イチャコラしなければ出られないという、不敬極まりない空間。
まして、その光景を「その他大勢」に見られながらしなければならないという、あまりにも無礼極まる状況に。
わたしの頭からプツン、という音がした。
その後のことは完全におぼろげだが、怒りのせいか完全に自分のものとすることが出来た闇魔法の力で、建物ごとその空間を消し去ったのは覚えている。
そしてある固い信念を心に抱きつつも、まずはノア様を安全な場所にと思い、指定されたホテルへ。
尚も追いかけて来た一部の連中は空間を歪めて彼方へ吹き飛ばし、ホテルマンの胸倉を掴んでチェックイン。
この部屋の合鍵はすべて破壊し、わたしが持っている一つのみ、という状況を作り出した後に憔悴しきったノア様をベッドに寝かせ、戸惑うスイの声を聞き流して外側のドアノブに仲間以外が触れると発動する死の呪いを付与。
その後散らばった仲間―――よほどわたしが怖かったのか全員顔が引きつっていた―――を全員回収、留守中は誰も触れなかったらしいドアノブに舌打ちをしつつ呪いを解除、部屋に全員を集めたところで、一応共通認識として持ってはいるだろうと考えていた固い信念をノア様に話した。すなわち。
「ノア様、この国滅ぼしましょう」……と。
クロ、激情によって覚醒。いやー王道主人公だなあ。
ちなみにこの時のクロは『自分如きがノアとイチャコラする』にキレたのは建前で、『ヤることを強制された状況で、それを見世物にされる』という状況にブチ切れています。本人は気づいてませんがノアとイチャコラするのが嫌という気持ちは微塵もなく、『なんでわたしの大切な時間をテメーら如きに提供してやらなきゃならねーんだぶち殺すぞこのカス共!!』くらいの気持ちですね。好き。