第225話 疲れだ
~前回のあらすじ~
「はっ!?今ノアちゃんが誰かにプロポーズした気がする!多分ワタシにだわ!」
「多分気のせいですし、仮にそうだとしてもご主人様にではないと思います」
あれ、今わたしとんでもないことを言われなかったか?
「……ノア様すみません、今何と」
「結婚するわよって言ったわ」
「誰と誰が?」
「私とあなたが」
「………」
わたしと、ノア様が、結婚。
烏滸がましすぎて考えたことすらなかったが。
「ほーら!絶対こうなるから言いたくなかったんですのよぉ!」
「姫さんとクロが結婚なあ。まあ、俺らの中でなら一番お似合いなんじゃねえの?」
「はあああ!?何をすっとぼけたこと言ってますの!お嬢様の隣にふさわしい人間など、私以外にいるはずがありませんわ!」
「いや、お前は嫁っつーよりかは」
「……ペット」
「ペット!私がお嬢様の嫁の座をクロさんに明け渡して犬猫のように扱われるということですの!?……あれ、まあそれはそれで悪くない扱いな気も」
「なんなら家具とかでもいいんじゃないのか。椅子とか」
「あっ、いいですわねそれ。毎日お嬢様の麗しいお尻に踏んでいただけるというのは中々情欲をそそる―――いや、いやいやいや!やっぱりお嬢様の伴侶とは比べるにも値しませんわよっ!」
「いや、あの、待ってください。どうして皆さんわたしとノア様が結婚する前提で話を進めてるんですか」
ちょっと混乱したが、さっきの話はあくまで「フリ」ということだろう。
わたしとノア様が「金と黒の番」であると誤魔化して神の使いを演じ、あの国を牛耳る。ルクシアの計画を逆手に取った悪くない策だ。
そのために結婚している体を装う、という話だとわたしは解釈したのだが。
「あら、私はクロとなら別にしてもいいわよ、結婚くらい」
「えっ」
「んなああああああ!?」
「強くてぶっ飛んでて、私のためなら何でもしてくれる。あと顔がタイプ。私の好みのタイプに結構ヒットしてるのよ、クロって」
どうやら仲間たちどころか、ノア様すら若干本気らしい。「何を今更」みたいなキョトンとした顔してるのが証拠だ。
悪い気はしないし、むしろ非常に嬉しいが。
「……御冗談はそれくらいにしてください。それよりも、フリで全神国に入った後にどうやって掌握するのかについて話すべきでしょう」
わたしがノア様に抱いているのは忠誠心だ、恋慕じゃない。
それ以前にわたしみたいな人間は、ノア様の隣ではなく、後ろに付き従っているべきだ。
ノア様には、もっとふさわしい人物が―――。
「……?」
『クロ、どうしたの?』
『いえ、なんでも……』
なんだ、今のは。
胸の奥が急に締め付けられるような。
……これ以上は考えちゃダメだ。
考えたら、気づいてはいけないことに気付いてしまうと、本能が告げていた。
「ま、クロの言う通りね。じゃあとりあえず、わたしとクロは全神国に入るの決定として。オトハ、あなたも案内役としてついてきなさい」
「かしこまりました!」
「ステア、あなたはどうする?二度と行きたくないって言ってたし、残ってもいいわよ?」
「……お嬢と、クロと、離れるのイヤ。ついてく」
「わかったわ。他三人は?」
「決起、一緒に行く。見ておいて損はないし、万が一の時に戦力は必要なはず」
「俺も行くわ。信じる心を是とする国、力を信仰するヤツとかがいたら強そうじゃねえの」
「僕は元々ノアマリー様の最終防衛役ですし、共に参ります」
「じゃ、全員参加ね。出発は明後日にしましょうか、それまでに各自で準備をしておきなさい。掌握の方法についてはオトハとステアにもう少し詳しい話を聞いてから決めないと」
「そうですね。ですがとりあえず休憩を入れましょうか。飲み物を持ってきます」
「僕も手伝おうか?」
「大丈夫です。リクエストありますか?」
ノア様が紅茶、ステアがココア、オウランがカフェラテ、ルシアスがコーン茶、リーフがハーブティを所望した。
なんでうちのメンツはこう嗜好がバラバラなんだと思いながらも、聞いたのはわたしなので何も言えない。
全員分用意するために立ち上がった。
「ところでオウラン、あなた私の留守中に何かありました?」
「へ?なんだいきなり」
「いえ、なんとなく。ただどことなーく以前と変わったような気がして。恋のお相手でも見つかったんですの?」
「はっ!?あ、いや……その」
「まあ、なんとなく察しはつきますけど。深くは聞かないので話したくなったらお姉ちゃんに話しなさいな」
「お、おお……」
扉を閉める直前にそんな声が聞こえて来た。
オウランは一見しては以前と変わった様子は見られないと思うんだが。
あれでも双子、何か通じているものがあるんだろう。
『あれが双子の共感覚ってやつならいいんだけど、あの子が持ってる天性の観察力ならちょっと鋭すぎて怖いよね』
『そうですね、あれを戦闘でも生かしてほしい所です』
オトハは状況判断力や冷静さ(ノア様が絡んだ時除く)はわたしたちの中でもトップクラス、双子じゃなくても見抜いてきていた可能性はあるということか。
だとしたら彼女を少し見直さなきゃならない。
『ところでクロ、さっき君ちょっと様子おかしかったけど、なにかあった?』
『……なんでもないです』
『もしかして、主様のプロポーズみたいなの食らって変な気持ちになっちゃったとか?気持ちは分かるよ、ボクも自分が言われた気になってマジで一瞬本気になりかけたもん』
『なんでもないって言ってるでしょう』
あの話は終わった。
わたしとノア様が番のフリをして全神国に侵入、あとはステアとオトハが持ってきた情報を利用してあの国を牛耳り、ノア様に献上する。今までやってきたことが国単位になっただけで、何も変わらない。
何も変わらない、はずだ。
『……?ねえクロ』
『なんですか、用がないのに頭の中で話しかけるのは控えるようにと言ったはずですが』
『いや、君さ。自覚ないかもしれないけど―――すっごい、イラついてるみたいだよ?』
『は?わたしが?』
『うん』
わたしが、イライラしている?
何故?
さっきまでの話のどこに、わたしが気分を害する要素があった?
『有り得ませんね。わたしが自分の感情をコントロール出来ていないと?』
『出来てないから言ってるんじゃん。ボクだって確信もなくこんなこと言わないよ』
『先程の会話にわたしが腹を立てる要素はありません。そもそも気を悪くするようなことがあればその場でわたしは言います。従ってあなたの確信とやらは確定でも何でもありません』
『でも……あーいや、なんでもないよ。ボクが間違ってた、ウン』
やけに素直に引いたスイを少し訝しんだが、なんだか今は誰とも話したくない気分だ。
黙ってくれるならちょうどいい。
ツルッ。
「あっ……」
ガシャンという音がして、わたしの手から落ちたカップが一つ割れてしまった。
「ああもうっ!」
わたしは髪をかき乱しながらちりとりを持って―――。
……スイの言う通り、今のわたし、おかしいかもしれない。
いつもなら自分のミスでこんなに八つ当たりみたいなことを口走るなんてこと、わたしは絶対にない。
つまり今の今まで、わたしはわたしをいつものように客観視出来ず、苛立ちで周りへの配慮が鈍っていたということだ。
なんとなく自覚した、ずっと心にうっとおしいもやがかかっているような気分に、わたしは困惑した。
思い返すと、このもやが現れたのは、いつだったか。
『ノア様には、もっとふさわしい人物がいる』
こう思った瞬間だ。
何故だ、それは純然たる事実のはずなのに。
わたしのような『自分』が希薄な人間、あの御方にふさわしいはずがない。
(勝手に思って、勝手に苛立って、勝手に困って……意味わからないな、今日のわたしは)
自己嫌悪に陥りそうだ、やっぱりこれ以上これについて考えるのをやめよう。
わたしはノア様の側近筆頭、あの御方のためにいかなる非道だろうが行う忠実な配下。それ以上でも以下でもない。
そう思うと、不思議と心が少し落ち着いた。
『……スイ、たしかに少し苛立ちがあったようです。おそらく疲れでしょう、申し訳ない』
『ああうん、別に構わないんだけどね。……疲れ、ねえ』
疲れだ。
そう無理やり頭に言い聞かせて、わたしはノア様の紅茶を淹れ始めた。